新・私の本棚 邪馬台国の会 第381回講演「邪馬台国」論争 三 6/10
安本 美典 記2019/09/17 追記2020/10/06 2024/05/05
私の見立て ★★★☆☆ 古典的卓見の現状確認
*加筆再掲の弁
最近、Amazon.com由来のロボットが大量に来訪して、当ブログの記事をランダムに読み囓っているので、旧ログの揚げ足を取られないように、折に触れ加筆再掲していることをお断りします。
〇井上光貞事例
続いて、井上光貞氏の席上談話が延々と引用されています。
**引用開始**
東京大学の日本史家、井上光貞氏は、『論争邪馬台国』(1980年、平凡社刊)の中で、松本清張氏の問いに答え、次のように述べておられる。
「(邪馬壱国が本当であるというのは)、ぼくは結論的には、古田さんの思い過しであるという結論です。その理由は、古田さんの論拠の根底に原文主義がある、原文通りに読めというんです。ところが問題は、原文とは何ぞやということであります。原文というのは、『魏志』は三世紀に書かれたものですが、そのときの原文、これはないのであります。だから原文原文といっているのは非常に古い版本ということである。しかし古い版本は原文ではないのであります。校訂ということを学者はやるわけであります。おそらく古文をなさる方もいらっしゃるだろうと思いますが、それはいろんな写本やなんかから、元のそれこそ原物はどうであったかということを考えるために、いろんな本を校合して、元を当てていくわけです。これが原文に忠実なのでありまして、たまたまあった版本だの、後の写本に忠実であるということは、原文に忠実ということとは違うんだということですね。
これは非常に基本的なことなのであります。ところが古田さんはそこのところが何かちょっと違っているんじゃないか。これは学問の態度の問題であります。これだけいえばもう私はほとんど何にもいう必要はないのであります。」
「たとえば『三国志』は三世紀の末頃に出来て……これ、末のいつであるかということは問題だけども、まあ三世紀の末だろうと思われる。一方、いちばん古い版本は、……南宋の本で十二世紀なんですね。その間、本としては九世紀の隔(へだ)たりを持ってる。本としてはその間に今日のところ何もないわけです。写本はもとよりのこと、版本もそれだけの距離を持ってるわけです。ところがその間にいくつも逸文というものがある。それを途中で読んだ人の記録というのがあるわけです。
そういう意味からいって、途中で読んだ人の記録を見ると、やはり大きいのは『後漢書』だと思います。『後漢書』も、もちろん原文が残っているわけではないのですけれども、……『後漢書』のあの記事は明らかに『三国志』を見ているわけですけれども、そこにはちゃんと『邪馬台国』『台』と書いている。『後漢書』が出来たのは五世紀でありますが、それが『台』と書いているとすると、『後漢書』の編者のみた『三国志』の『魏志』の『倭人伝』には『台』と書いてあったととるのがすなおな見方です。」
*引用終わり*
〇古田氏史料観の当否
冒頭で、井上氏は、『古田氏の「邪馬壹国」論に秘められた根底は、要するに単純素朴な「原文」主義に過ぎない』とした上で、『陳寿「三国志」の三世紀原文は存在しないから、遡って原文を確立した上で議論すべき』と高度な一般論を持ち出します。
大局的にはおっしゃる通りですが、素人の率直な意見としては、大変疎漏な見解と見えます。ご意見は理性的ですが、『佚文や類書、そして、不遇時代の続いた笵曄「後漢書」は、当然、原本そのままではない』という公平な考察が疎かになっていると思います。
更に言うなら、正史たる陳寿「三国志」(裴注本)は、歴代皇帝の至宝として、写本継承されるときも、多数の高位の人材が投入され、高度で組織的な管理が行われて史料テキストの劣化が抑制されているのに対して、提示されている諸史料は、所詮、人材、資材、所要期間に制約のある「業務」で処理されているので、格段に、誤記、誤写の危険性が高まっているものです。くり返して念押しすると、笵曄「後漢書」は、反逆者として斬首された笵曄の遺品から、どのように名誉回復され、有力「後漢書」として、南朝遺物から北朝に回収され、遂に、章懐太子によって、正史として称揚されたか、其の経過の大半は、不明瞭なのですから、陳寿「三国志」鉄壁の信頼性と比すべきもないのです。
井上氏といえども「全知全能」でない以上、専門外の分野の論議には介入を控え、専門家に委ねるべきと思います。案ずるに、国内史学界では、文献史学と遺跡/遺物考古学の二大分野の間には、分厚いあぜ道があって、互いに相手の領域に踏み込まないという「仁義」が定着していると見られるので、井上氏が、御自ら、中国史書の解釈について、蘊蓄を傾けたのには、正直驚愕したものです。いや、著書執筆の際には、中国史書解釈について「専門家」にしかるべく諮問し、然してその答申に随うものでしょうが、講演会に続く座談会では、ご自身の見識に頼らざるを得ないので、若干覚束ない発言になっても、しかたないと見えるのですが、このように、第三者に引用されてみると、氏の権威に陰が差してしまうのではないかと危惧するのです。
要するに、この部分は、筆者の念入りの推敲と専門家による編集を経た出版物である著書の引用でなく、散漫な席上談話の書き起こしなので、このような重大な論考に引き合いに出すのは、大変不都合なものと考えます。
「そこ(笵曄「後漢書」)にはちゃんと『邪馬台国』『台』と書いている。『後漢書』が(…)『台』と書いているとすると、『後漢書』の編者(笵曄)のみた(…)『倭人伝』には『台』と書いてあったととるのがすなおな見方です。」 と井上光貞氏が、素朴な、むしろ、子供じみた/素朴な、非学術的な「感想」を述べたところを、安本氏は、手っ取り早い論拠として持ちだしていて、「まことに失礼」と思うのですが、どんなものでしょうか。
未完
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