新・私の本棚 「新古代史の散歩道」ブログ批判 南畝 「乍南乍東」2/2 補充
「乍南乍東」 2024/05/19
私の見立て 考古学記事全般 ★★★★☆ 当記事 ★☆☆☆☆ 大変不出来/不勉強 2024/05/22 補充2024/06/16
考察 承継
古田(2010)説は原文に「海岸水行」と書かれる個所をことさらに無視しており、原文を尊重しない都合の良い解釈といえる。
コメント:
「古田(2010)説」は、「循海岸水行」を、漢江扇状地陸行を避ける部分行程とする点で誠に論点が明快であり、これを原文「無視」と見るのは、浅薄である。古田説は、第一書『「邪馬台国」はなかった』(1971) が初出、ほぼ創唱であり、以後、維持されているので、 そのように明記すべきであろう。他説は、概して氏の提言を克服できていないものであり、「新古」子は、ここに示されたように、古田説を理解していないので、罪が深いのである。
以下、「古田(1971)説」では、行程は、半島西岸に上陸して、以下、一路陸上街道で韓国歴訪するので、上陸地点以降の海況は無関係である。陸上街道は、難波沈没が存在為ず、好天による航行途絶も発生しないから、誠に確実安全な行程であり、帯方郡の公用往来、主として官用郵便に適しているとみるべきである。この場で、もの知らずに自論を振り回す前に、原史料を精読した上で、「古田(1971)説」を克服するのが、学問の徒の責務であると感じる次第である。特定の所説に対して「原文を尊重しない」と勝手に決めつけた上で、これに対して自説にとって「都合の良い」解釈などと主観的な「賛辞」を呈して、議論をはぐらかすのは、まことに、身勝手で不適切である。
ちなみに、当ブログサイトでは、「古田(1971)説」の不合理を指摘して克服しているので、「新古」子とは、席を同じくするものではないし対決するものでもない。
『邪馬台国研究総覧』の解釈は連続説か断続説かは明らかで無い。つまり、南に向かうことと東に向かうことが繰り返されるのか、1回限りなのかは明らかで無く、どちらともとれる。
コメント:
「邪馬台国研究総覧」は、先行論考総覧であるから「解釈」は存在しない。勝手に、「連続説」「断続説」と誤解を振り回して、どちらともとれるとは、独り善がりというものである。
韓半島の西海岸は溺れ谷を含むリアス式の複雑な海岸線であるため、海岸線に沿って航行すれば、南行・東行、さらには書かれていない西行も繰り返される。船の進む方角が次々と変わることは自然である。それを表現する意訳としては「しばらく南に進むと、しばらく東に進み、これが繰り返される」であろう。
コメント:
地理解釈で眩惑を図っているが、そもそも、原文は「海岸線に沿って航行」などと書いてはいない。「倭人伝」の真意を解し得ない無教養な東夷の誤解である。「海岸」は海辺の崖、つまり、堅固な陸地であり、したがって、「海岸に沿って」は当然陸上行である。また、当時「航行」などという言葉は存在しない。要するに、史官が推敲の果てに編み出した「循海岸水行」を勝手に改竄して論議するのは愚行である。
このような記事が平気で書けるのは、原文の意味が理解できていない「強み」だろう。うらやましいと言いたくなるところである。
「書かれていない」西行は不適切である。文献解釈になっていない。ついでに言うと、今日、「リアス式」は廃語であり「リアス海岸」とでも言うべきであり、加えて、勝手な解釈で「溺れ谷」まででっちあげておいて、そのような難所を手漕ぎの小舟で行けというのは、無法である。
総じて、あたかも、ものを知らない中高生ばりの論者が、限られた知識で、膨大な先行諸説を「読みかじって」評価しているみたいで、残念である。
これでは。文献史学に無教養な門外漢が、先人が論議し続けてきた文献解釈に、読みかじりのご高説を垂れているように見えかねないので、稚拙と言われそうであるが、ここでは、遠慮してそうは言わない。
参考文献
石原道博(1951)『新訂 魏志倭人伝』岩波書店
藤堂明保(2010)『倭国伝』講談社
佐藤進・濱口富士雄(2011)『漢辞海』第三版、三省堂
三品彰英(1970)『邪馬台国研究総覧』創元社
古田武彦(2010)『「邪馬台国」はなかった』ミネルヴァ書房
白川静(1994)『字統 普及版』平凡社
コメント:
白川氏漢字字書は熟語記載の豊富な「字通」を参照すべきである。
三品彰英(1970)『邪馬台国研究総覧』は、具体的な記事、論者名、出典を明記すべきである。
参考文献に付番がないので、被参照が不明瞭である。
文献の原文史料、字書、総覧、個別論の混在、順序錯綜は混乱を招くので、もったいない。
◯まとめ
当記事は、学術論文としての編集・校正がされていないのは、まことに、疎略で、不名誉な読み物になっている。ブログランキングに列席して天下に公開する以上、真面目に最善を尽くしてほしいものである。この繚乱ぶりでは、「新古」サイトの本領、専門の遺跡/遺物考古学分野の諸兄姉の考察/考証の紹介も、同程度の杜撰なものと疑われるのではもったいない。しょけいしの労作が、杜撰なでっち上げと速断されたら、どう弁解するのであろうか。「新古」子は、「たられば」論法を愛好されているようだが、他人に迷惑をかけない範囲に留めて欲しいものである。
以上
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