新・私の本棚 「新古代史の散歩道」ブログ批判 南畝 「乍南乍東」1/2 補充
「乍南乍東」 2024/05/19
私の見立て 考古学記事全般 ★★★★☆ 当記事 ★☆☆☆☆ 大変不出来/不勉強 2024/05/22 補充2024/06/16
◯始めに
「新古代史の散歩道」は、当ブログと紛らわしい名称を名乗っている後発ブログであるので、ここでは、混乱を避けるために、中国古典書の筆法に倣って、冒頭二文字「新古」と略称することがあるのをお断りしておく。
又、同サイト全体は、本来、地道な(遺跡/遺物考察専門の)考古学専門記事であり、又又本来、素人の批判など許されないものである。本記事は、同サイトの余傍分野である「倭人伝」解釈であるので、当方専門範囲の基準に照らして客観的な批判を試みたものである。
*記事批判
乍南乍東(さなんさとう)は韓半島の西岸を航行するときの船の進み方である。
コメント:
現地は、歴史的に朝鮮半島である。いや、「新古」子は、半島南半を「韓半島」と呼ぶとに決めているのだろうか。説明不足で不明瞭である。
いずれにしろ、懸案は、本来、西岸及び南岸を合わせた議論である。何故、西岸だけに限定するのか、不審である。それとも、「新古」子は、韓は南で「倭」に接する、つまり、「海(うみ)」とは接していないと決め込んでいるのかもしれない。となると、「南岸を航行するとき」はどう解釈するのであろうか。いや、いずれにしろ、誠に面妖な解釈である。
原典から読みなおすと、「航行」は粗雑な作業仮説であり、確定したものではないから、本来論議などできないのである。いや、道里行程記事では、些末事項であり、時間・労力の無駄は避けたいものである。
概要
『魏志倭人伝』原文は「従郡至倭循海岸水行歴韓国乍南乍東到其北岸狗邪韓国」である。乍南乍東の解釈は各書で微妙に異なる。
歴韓国乍南乍東到其北岸
コメント:
諸説解釈が「微妙」に異なるとは、何とも鷹揚である。
以下、項目列挙。
岩波文庫の解釈、倭国伝の解釈、漢辞海、邪馬台国研究総覧、字統、古田説
考察
「L字型の行路を最初は南に行き、然る後に東にいく水行の行路」という時間的順序(連続説)を表すとする解釈がある。しかし、これは地図で見たときのマクロの進み方であって、実際に船に乗船すれば、ミクロな進み方しか体感できないので、この解釈は取れない。
コメント:
ここまでの迷走に続いて、出所不明の「解釈」が引き合いに出されるが、ドサクサ紛れに自説開陳するものではないと意見したいところである。
「マクロの」「ミクロな」の混沌も解釈を妨げる。「マクロの」は、大局として前半南行、後半東行だろう。海勢など関係無い。正史記事に「ミクロな」は、「有害無益」である。それにしても、「体感」は見事なホラ話である。「新古」南畝子はGPS装備のサイボーグなのか。絶対音感ならぬ絶対方位/距離感をお持ちなのか。実際は、帯方郡の官人が、軽快な小舟に乗れば、たちどころに船の揺れを「体感」して、船酔いになるはずである。なぜ、西岸を南下し、南岸を東行するという素直な解釈を拒否するのか、まことに、「海(うみ)」を知らない中原人読者に対する、説得には字数がかかるのである。この辺りで、何か大きな間違いに陥っていると悟るべきではないだろうか。
石原道博(1951)、藤堂明保(2010)、古田武彦(2010)による「乍南乍東」の解釈は表現は異なるが、実質的には同一であるといえる。
コメント:
「概要」部「岩波文庫」主語は人格が存在せず、冤罪である。
書名は、「新訂 魏志倭人伝・後漢書倭伝・宋書倭国伝・隋書倭国伝 中国正史日本伝 1 (岩波文庫)」である。
「概要」部「倭国伝」主語は人格が存在せず、冤罪である。
書名は、「倭国伝 全訳注 中国正史に描かれた日本 (講談社学術文庫)」である。
「概要」部「古田説」は、書名『「邪馬台国」はなかった―解読された倭人伝の謎―』朝日新聞社(1971)である。
うろ覚えは誤記/誤断のもとであるが、「新古」サイトは、公開以前に校正しないのだろうか。誰も、誤記/誤解についてコメントしないのだろうか。もったいないことである。
「概要」部『全訳「漢辞海」第三版記事』考察(割愛)に後続考察がない。「概要」に書き立てて、それっきりとは、もったいないのではないか。
未完
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