新・私の本棚 番外 NHKスペシャル よみがえる邪馬台国 全三回 5/5 再掲
番組放送年 1989年 NHKオンデマンドサービス(有料)で視聴可能
私の見立て★★★★☆ 必見 2019/01/13 補充 2020/03/11 2024/06/07
*加筆再掲の弁
最近、Amazon.com由来のロボットが大量に来訪して、当ブログの記事をランダムに読み囓っているので、旧ログの揚げ足を取られないように、折に触れ加筆再掲したことをお断りします。代わって、正体不明の進入者があり、自衛策がないので、引きつづき更新を積み重ねています。
よみがえる邪馬台国 第三回 検証・女王卑弥呼の都 承前
*戦時参詣
郡指令は峻烈でも、文書便で、召集状とともに送達された帯方郡太守の過所(通行証)を携えて官道を進めば、途中の諸韓国の関所で止められたり、関税をむしられたりすることもなく、官道宿舎の寝床と食事は保証され、当然、官道通行の安全も保証され、官道の道祖神、道しるべや里程標もあって、道に迷うこともなく、とにかく、安心して旅することができたはずです。
*召集呼応
これが、呼ばれてもいないのに、紛争地帯に勝手に参上したのであれば、宿舎の手配はされないどころか、それこそ、戦場に飛び込む可能性もあれば、不時の、つまり無許可の郡詣でとして公孫氏に捕まる懸念もあったでしょうし、国書や貴重な土産物の心配どころか、使節の身の安全が覚束ないのです。それは、余りに無謀でしょう。
魏朝官制は、宿駅が、代え馬、宿舎、食糧の供給とともに、関所の役も担っているので、暢気な方が言うように、土地勘があれば、道道をどんどん進んでいける生やさしいものではなかったのです。まして、路銀、つまり、銭の持ち合わせがないと、何も購えないのです。また、言葉が通じない、異様な風体の面々では、最寄りの県治、つまり、県の役所に突き出されていたでしょう。
当時、既に千年に亘って、文明国家が運営されていたということを忘れてはなりません。
*雒陽参上
雒陽でも、事前に帯方郡の文書が届いていて、鴻廬卿は万事調整済みだったでしょう。帯方郡からの行程は、山東半島莱州に渡海するのは、郡の便船で難なくこなしても、西に向かう官道は、当然厳戒下にあり、青州刺史などの認可のもと、郡役人が同伴しなければ無事に着かなかったでしょう。道中の宿舎手配なども、文書使(メッセンジャー)が各関所に伝えた刺史の指示あればこそです。
繰り返しますが、当時、既に千年に亘って、文明国家が運営されていたということを忘れてはなりません。
*曹操遺訓
このような高速大量の文書通信を常識とした体制は、魏武曹操が、後漢建安年間に、宰相、魏公、魏王などの至高の地位にあって、特に厳命して確立した、全国支配のための行政機構だったのです。当然、魏帝国は、この制を継承しています。
因みに、これは、別に曹操の独創ではなく、殷周代の太古以来、歴代帝国の根幹だったのですが、後漢献帝期の最初の十年の小戦国状態で、箍が外れて無法状態になっていたので、これを復旧したものです。この期間、少帝劉協は、荒廃した帝都長安から脱出し、支援者なしに飢餓状態で漂泊していたので、後漢帝国は皇帝を欠いて、事実上瓦解していたのです。
とかく悪評の目立つ曹操ですが、さすらいの後漢皇帝劉協を、収容、保護して、雒陽圏を中心に後漢を秩序のある国家として復旧しようと苦闘したのです。結局、皇帝の地位に就くことはなかったのですが、武力統一だけでなく、古来の文化を復元し、また、国家統治の大系を弁えて、中原に帝国の形を確立したので、跡を継いだ文帝曹丕による魏朝設立後、遡って武帝と諡されたのですが、本来、「文」の人だったのです。
そのような官道文書通信の制度により、それまで、地の果ての茫洋たるものとされていた辺境蛮夷の姿(イメージ)が、いわば、文字で書かれた絵姿(ピクチャー)になって、雒陽まで届いたのです。
*洛陽到着
それはさておき、使節一行は、洛陽に着いたとは言え、先だって、定められた手順、役割に従い実務が進んで帝詔梗概と下賜物概要が決まっていて、皇帝に奏上し、帝詔に御璽を得次第、使節に引き渡すはずだったでしょう。
時に、詔を皇帝自筆と誤解して、その堂々たる筆致からこれは明帝曹叡の筆と決め付ける人がありますが、当然代筆です。皇帝の詔ともなれば、古典を適確に引用して、風格と教養を示す必要があるので、これは、古参の専門家の役どころです。因みに、詔の玉璽も、皇帝当人が押すものではなく、専門家の役どころです。皇帝の手になるのは署名のみです。
当時、「倭人」の招請を格別の熱意で進めていたのは、明帝曹叡ですが、事の半ば、景初三年元旦に逝去したので、事態は、尻すぼみになっていきますが、取りあえず、帝国宝物の蔵ざらえという事もあって、下賜物送達は、粛々と進められたのです。
*明帝曹叡と忠臣毋丘儉~私見
稀代の名君曹叡は、初代文帝曹丕が後漢献帝の禅譲を受け、言わば、後漢の風化した天下を引き継いだことに批判的であり、自身で「烈祖」の廟号を唱え、王宮の新規建設に並んで、未踏の東夷の参上を漏って、新規の天下を築くものと自負していたようです。
それが、景初三年元日の皇帝急逝により、新宮殿建設は頓挫し、「倭人」の処遇は、雒陽に参上している使節の顕彰とすでに用意されていた下賜物の送付までは帝国の体面を保つために維持されたものの、それ以後は、次第に冷淡な扱いとなって行ったものと見えます。
ひとつには、先帝の東夷顕彰の意向を支持していた毋丘儉が、司馬懿の台頭で勢力を喪い、ついには、少帝曹芳が廃位されるに及んで、反乱を起こして討伐されたため、帯方郡を足場にした「倭人」高揚は、霧散したのです。
陳寿は、明帝曹叡の壮図を支えた毋丘儉の忠誠を「魏志」に潜ませたと言えます。なにしろ、「魏志」に「司馬懿」伝はなく、ただ、ひっそりと「毋丘儉伝」が刻み込まれているのです。
以上、当然の事項が余り知られていないので、番組批判の枠を大きく踏み越えて、殊更力説したものです。
*掉尾言
以上、それぞれの回での難点と思える点を延々と批判したのは、俗論的な決めつけに対するものであり、番組全体は、後年のIT紙芝居や勝手な素人談義などではなく、ちゃんと出席の専門家によって議論されていて、まことに妥当な構成です。
完
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