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2024年6月13日 (木)

新・私の本棚 外野 ウィキ「古代史の散歩道」seit2023 6/6 補追

ウィキ 「古代史の散歩道」2023/01/28 当記事 2023/01/31 2024/06/13

*加筆再掲の弁

 最近、Amazon.com由来のロボットが大量に来訪して、当ブログの記事をランダムに読み囓っているので、旧ログの揚げ足を取られないように、折に触れ加筆再掲したことをお断りします。代わって、正体不明の進入者があり、自衛策がないので、引きつづき更新を積み重ねています。

*ご注意
 ここで批判したウィキは、以下の不法な事態を是正して、ブログ形式に転換し、パクリタイトルを「新古代史の散歩道」に塗り替えているので、参照先は、宙に浮いていると思うものです。(確認する気には、ならない)
 この点、あらかじめ、ご理解頂きたいものです。

*内乱考 (**改行追加)
 鳥越氏の記述にもいくつか問題点がある。
 (1)鳥越氏は三角縁神獣鏡が出土するのは、4世紀以降と書くが(参考文献7,p.133)、実際は愛知県犬山市東之宮古墳出土の三角縁三神二獣鏡(京都国立博物館蔵)は3世紀である(参考文献8)。また造営時期は3世紀後半頃と推定されている前期前方後円墳の黒塚古墳からは33面の三角縁神獣鏡が出土し(参考文献9)、これらは成分分析により中国鏡と推定されている(参考文献10)。したがって三角縁神獣鏡を否定するのは事実誤認である。
 (2)卑弥呼の時点では「当時はまだ古墳時代に入ってないから(墓は)方形周溝墓であったとみてよい」(参考文献3,p.138)と鳥越氏は書くが、西暦250年前後に箸墓古墳は築造されている。これはほぼ証明されている。したがって、卑弥呼の墓は前方後円墳ではないという断定はできない。
 『卑弥呼の墓を「前方後円墳」と勝手に決めつける一部の意見』と万年好奇心少年は書く(参考文献7)が、これも正確ではない。

*とんだ内輪もめの火の粉
 ここで、論者は突如、当方の鳥越氏論調批判を離れて、二件に渡って不思議な「私見」を掲げ、鳥越氏を批判する。当方は、高名な鳥越氏の著書批判が目的で、無名論者の私見批判の動機はないが、身に振る火の粉と理解いただきたい。
 ちなみに、「推定」つまり、個人的見解を重ねて置いて、「事実誤認」と断定するのは、意味不明と云っておく。以下、「断定はできない」(有力な推定であるという意味か)とか、「正確ではない」とか、言い散らしていて、論理を辿ろうとすると眩暈がしてくる。
 後者について云うと、当方が「勝手に決めつける一部の意見」と論者に逃げ道を残していると意見を表明しているのに対して、その「意見」が「正確」かどうか、誰に判定できるのか、不可思議である。どうも、論者は、明確な根拠をもたずに、私見を振り回して場当たりに非難しているようである。いや、別に非難しているのではない。誰でも、視点の動揺はあるが、それがバレないように努力しているはずなのである。

*国内考古学談義の乱入
 当方は、「倭人伝」論義専攻で、「倭人伝」の卑弥呼「冢」(ちょう:封土、土饅頭)論は、「倭人伝」自体の用例にしたがっている。これに対して、論者は、『世上出回っている「前方後円墳」比定は、「倭人伝」の文献解釈上不可能である』との主張である。つまり、論者は、遺跡考古学の視点から、つまり、門外漢の文献解釈で、卑弥呼「冢」を箸墓に誘導しようと参考文献連発である。
 一方、当プログの見解は「倭人伝」列国は九州島内としているので、卑彌呼冢が纏向付近と言う議論は、「端から無関係」であり、何を言われても圏外である。無縁の衆生である。(中国製銅鏡論は、見当違いで論外だが、武士の情けで不問)
 よそごとながら、論者は、頑強な卑弥呼冢「前方後円墳」論者のようであるが、我田引水で論証/論拠が絶無である点を、自覚/理解いただきたいものである。何しろ、論者は、史書としての「倭人伝」を理解できていないのである。

 ちなみに、論者は、文脈から囓り取った『卑弥呼の墓を「前方後円墳」と勝手に決めつける一部の意見』なる一般論を「正確でない」と断じているが、一般論が正確か不正確か、誰に言えるのだろうか。当ブログの真意は、通説に紛れ込もうとしている「誤謬」への非難であり,当人は謹んで自認するが、ここには、そのような意見は、文字として書かれていないのである。これに対して「正確でない」と断定するのは、根拠の無い偏見を吐露しているに過ぎない、のではないか。

*余談~神頼み
 素人目には、連年の強弁の積み重ねで公費による発掘/科学鑑定が進んだが、「倭人伝」の解明が未達成で、積年の泥沼は、地に足のついていない架空論義である。
 それとも、纏向の全域発掘を辞さない」卑弥呼金印探しで、全て京大文学部以来連論と続く「纏向遺跡考古学」の力で、文献解釈の泥沼を突き抜けて一発で解決すると神頼みしているのだろうか。
 所属する陣営がそれぞれあれば、それぞれ意見が食い違うのは仕方ないが、万事の基礎部分で無理をしているのは、素人目には、痛々しいのである。ほっとけば良いのに、余計なことを言うのは、当事者の転帰に期待している。

*私見の奔流
 端的に言うと、「西暦250年前後に箸墓古墳は築造されている。これはほぼ証明されている。」とは、一部論者の極めつきの「私見」であって、「証明」にほど遠い状態と見受ける。そのような「私見」によって、合理的な意義を否定するのは、独りよがりと言わざるを得ない。私見者が何人いても私見に過ぎない。いくら「大勢」でも、である。
 以下略する。

 引用出典 seit2023 古代史の散歩道

                               以上

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