新・私の本棚 番外 倉山 満 学校で習った「中国の歴史書」はデタラメばかり 3/6
日本書紀に「卑弥呼」も「邪馬台国」も出てこない本当の理由 PRESIDENT Online 2023/11/04
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*加筆再掲の弁
最近、Amazon.com由来のロボットが大量に来訪して、当ブログの記事をランダムに読み囓っているので、旧ログの揚げ足を取られないように、折に触れ加筆再掲したことをお断りします。代わって、正体不明の進入者があり、自衛策がないので、引きつづき更新を積み重ねています。
*無意味な「倭人伝」批判
「魏志倭人伝」は単なる参考資料
その中国の歴史書で有名なのが、邪馬台国の女王・卑弥呼が出てくる「魏志倭人伝」です。その「魏志倭人伝」自体が卑弥呼から五十年後に書かれた、近代史家なら参考資料にもしないような、五次資料くらいの代物なのですが。
ここで、ようやく、具体例が登場します。中国古代史料を門外漢で無教養な「近代史家」(自画自賛か?)が論じるのは無謀です。「魏志倭人伝」を「五次資料」と「絶賛」するのは意味不明です。一、二次と、どうやって数えたのか、と意味不明の暴言です。問題は、取り次ぎ回数では無いのです。物知らずの無教養な東夷、地下数千㍍の「五次人物」がなにを言うかという感じです。二千年後生の無教養な東夷の「近代史家」(自称か?)など屁の突っ張りにもならないのです。
ちなみに「有名」なのは、二千年後生の無教養な東夷だけで、別に、中国二十四史の中で、目立つわけでもない、わずか二千字なのですが、どうして、「有名」だと思い込んだのでしょうか。
ちなみに、この時代の「国内記録」は、一切残って「ない」ので、わずか二千字の「魏志倭人伝」が、二千年後生の無教養な東夷に「聖典」扱いされるのは、むしろ順当です。つまり、実在する確実な史料を根拠にするのは当然です。表現放棄は、「無能な著作者の最後の隠れ穴」ですが、しっぽ丸見えです。何しろ、「ないもの」は、論じようがない」のです。
実は『日本書紀』は誠実に取り組んでいます。しかも、「魏志倭人伝」の引用を、よりによって「神功皇后紀」にぶっ込んでいます。「あっちの国では、こういうふうに記録されているんだけど……」という戸惑い炸裂の紹介の仕方です。
「日本書紀」を無造作に擬人化していますが、同書は、単独の編集者の創作でなく、当然、複数の編集者が多様な元資料を組織的編集体制でつきあわせたものですから、「誠実」にと力んだかどうか知ったことではないのです。神がかりというか、憑きものというか、「見てきたような」法螺話横溢です。空っぽな脳の炸裂は悲惨です。
氏の書き物は、終始、文章が泳ぎまくり踊りまくりで、意味不明なのも困ったものです。「当惑」などと子供じみた泣き言を云う場合ではないのです。いや、「当惑」は、後世の凡人の片言ですから、ここで批判しては「筆の汚れ」なのでした。よく、「炸裂」を洗い清めることにします。御自分の粗相は、御自分で尻拭いして欲しいものです。
『日本書紀』の、神功皇后三十九年、四十年、四十三年の記事を、ご紹介しましょう。 以下、衆知なので省略
書紀の当該部分は、「魏志」から原文を引いて校正すると「間違いだらけウソまみれ」です。時代の叡知を集めた「日本書紀」編纂後のやっつけ仕事と見えます。史料原文を引用された方は、恥さらしに泣いているでしょう。「晋起居注」引用漏れも痛いところです。
ともあれ、すべて「日本書紀」の責任であって「魏志倭人伝」には、何の関係も無いことでしょう。「なんての」氏の心身は、大丈夫ですか。
身も蓋も無いことを言うと、ヤマト王権とは何の関係も無い北九州の族長が魏に「私が倭の王様です」と名乗って、向こうが真に受けて信じた、とすれば筋は通ってしまうのですが。
「ヤマト王権」が正体不明で何の意味もありませんが、どうして、何の関係も無いと断言できるのか不思議です。もっとも、氏の視点は、股覗きの天地倒錯で、北九州の「族長」が、尊重されていたのであり、当方の蛮族は、眼中になかったと見る方が、正解でしょう。
「身も蓋も」不要で氏の心身は大丈夫でしょうか。ちなみにここは、恥知らずにも太古のネタパクりです。
ちなみに、「倭人」が最初に交信したのは、中国の東方の辺境で、漢/後漢代以来、蛮夷の対応に慣れていた楽浪郡なのですから、「倭人伝」には、『「倭人」は帯方東南に居て、大海中の山島に国邑を結んでいる、北九州に展開した小国の集まり』と正確に理解されていたのです。「ヤマト王権」など、まるで見えていなかったのです。筋がすらりと通るでしょう??
えっ、お客さん、そんなことも、知らなかったのですか?? 「もぐり」じゃないですか。
未完
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