新・私の本棚 小林 行雄 神と神を祀る者 ムラからクニへ 3/11 再掲
日本文学の歴史 第一巻 神と神を祀る者 昭和42年5月10日刊
ムラからクニへ 執筆者 小林行雄 (1911年8月18日 - 1989年2月2日 文学博士)
私の見立て 全体 ★★★★☆ 学識芳醇 当コラム ★☆☆☆☆ 多々認識不足 2016/08/12 補充 2024/07/08
*加筆再掲の弁
最近、Amazon.com由来のロボットが大量に来訪して、当ブログの記事をランダムに読み囓っているので、旧ログの揚げ足を取られないように、折に触れ加筆再掲したことをお断りします。代わって、正体不明の進入者があり、自衛策がないので、引きつづき更新を積み重ねています。
*本論 承前
本論に入ると、何にしろ、三国志魏書東夷伝倭人条(とは、史料には書かれていないように思うが)は、紀行文学ではなく、現場調査の報告文書や王朝官吏の業務記録を活用した知的、民族的記録なのである。史官たる編纂者は、原データの忠実な編纂に努め、自身の感性に従うオリジナリティは、追究してはならないのである。
必然的に、他の史書や資料からの引用記事が大半になるのは、全知全能ならぬ史官として当然だろう。ただし、編纂する以上、史実たる公文書に基づくのが当然であり、不正確な風評や偏った筆致、果ては、実証されない創作などは、極力排除したのである。こうした編纂が、適確、確実であったことは、後年「三国志」全巻に潤沢な注釈を追加した南朝劉宋の裴松之が書き残しているところでもある。何しろ、追加された注釈は、「他の史書や資料からの引用記事」であって、陳寿が正史として不適切とみたものが大半(事実上全て)であるから、言うならば「蛇足」なのである。
何しろ、裴松之の注(裴注)が施されたことにより、陳寿の編纂した三国志、陳寿原本は継承されなくなったのである。
*ありふれた低迷
失礼ながら、このような無造作の断言を好む小林氏の提言は、文献考察の専門家が「三国志」を通読しての考察とは見えないのであるが、それにしても、この評価は、大きく空振っていると見える。そもそも、裴注は、「陳寿原本」のテキストに手を加えていないのであり、当初は、改行した上で追記し、のちには、行を二分割して細字で書き足す「割注」を付け足しているから、「陳寿原本」のテキストは健在であり、言わば不滅不朽と言える。裵松之の真意を察すると、先輩史官の偉業を「当然」賛嘆している後生史官であったから、皇帝の指示はあるものの、「三国志」の真価を認めた上で、裴注があくまで「蛇足」であることが明記された「三国志」を編纂したのである。
そのような課題が控えているにもかかわらず、この囲み記事では、実際には、倭人伝の史料としての「信頼度」は語られていない。
以下の議論で、執筆者は、倭人伝記事を細かく取捨選択して、気に入ったところだけ、採り入れているようである。
*引用開始―――
『魏志』倭人伝の信頼度
日本の古代史に言及するものが、すぐに『魏志』倭人伝というので、そういう表題の書物か文章があると考える人があるかもしれない。しかし、これは『魏書』巻三十の「東夷伝」の一部分をさすもので、しいていえば「倭人の条」である。『魏書』もまた、晋の陳寿が選述した『三国志』の一部分である。陳寿にかぎらず、古代の中国で史書を執筆するばあいには、既存の文章をできるだけ転載するのが常道であった。したがって、『魏志』倭人伝にも、魚豢の『魏略』などから採った章が多い。特に、魏の宮廷に伝わっていた詔書や外交関係の記録なども収録しているので、その部分は信頼度が大きい。また、帯方郡から朝鮮半島南岸の狗邪韓国に行き、対馬・一支(壹岐)・末盧(松浦=唐津市)・伊都(怡土=前原町)・奴(那=福岡市)の順に進むという経路などは疑問がない。ただ邪馬台国に行くには、南へ向かって水行十日、陸行一月かかるという点になると、起点・方向・距離などの解釈によって、大和説と九州説とが対立してしまう。
女王卑弥呼の時代の東アジア
卑弥呼が倭国の女王であった3世紀前半には,中国では北の魏、南の呉、西の蜀の国がたがいに争っていた。魏が北鮮を陸上から押さえようとすれば,呉は海上.から勧誘の手をさしのべるという状態であった。卑弥呼が魏に朝貢して破格の待遇をうけたのも,中国にそのような内部事情があったことを、一つの理由として考えることができる。
*引用終了―――
未完
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