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2024年7月 7日 (日)

私の意見 倭人伝「循海岸水行」審議 補追 完成版 1/1

        初稿 2021/04/05 新稿 2024/07/07

*加筆再掲の弁
 最近、Amazon.com由来のロボットが大量に来訪して、当ブログの記事をランダムに読み囓っているので、旧ログの揚げ足を取られないように、折に触れ加筆再掲したことをお断りします。代わって、正体不明の進入者があり、自衛策がないので、引きつづき更新を積み重ねています。

▢完結の弁
*古田武彦
:解釈の払拭 
 本考は、古田武彦氏の審議に異議を唱えて「循海岸水行」の更なる追求を試みたものですが、左氏伝 昭 23に用例を求め、「山に循て南す」の注を「山に依りて南行す」と解する点から出発しています。
 しかし、今般、そのような開始点が誤っていると考え、出なおしを図ったものです。要するに、これは、魏志第三十巻巻末の蛮夷伝「倭人伝」の冒頭部分の行文が不明瞭であるとして、古典書籍に典拠を求めているのですが、課題の行文が官制街道の行程を書いているのに対して、漠たる紀行文を引用文例として呼び出しているものであり、まことに、場違いで不適切な選択とみられます。
 古田氏が、そのような不適切な「用例」を摘出しているのは、要するに、多大な努力にも拘わらず、適切な引例が見いだせていなかったことを物語っているのです。

*渡邊義浩:盤石の「確信」
 ここで、盤石の用例探索を行った渡邊義浩氏の確信が続くのです。但し、()は、当ブログ筆者の補充したもの。
 氏の名著「魏志倭人伝の謎を解く」(中公新書 2164)(2012)pp.132に於いて氏は、(大意)(古代史に通暁した)中国史家(渡邊氏がその好例)が「水行」「陸行」と言う表現で想起するのは、特定の記事であり、念のため確認したところ、(晋書)陳寿伝に掲げられた陳寿の読書範囲では、史記夏本紀だけであったと述べています。 
 つまり、陳寿が「魏志倭人伝」の道里記事を書きだしたとき、街道道里として参照できた「水行」用例は皆無であったと証言されているのです。史官たる陳寿が、魏志蛮夷伝の倭条で道里記事を書くとき、参照できる「水行」記事がなかったと言う事は、「水行」記事を創唱するには、何らかの定義を示して「水行」を予告することを求められるのです。特に、「水行」の名目で海上を行くことは、夏本紀の用例と齟齬しているので、ますます、そのような記事は、いきなり書くことができなかったということです。と言うことで、これまで、当ブログで述べてきた水行定義説は、渡邊氏の権威によって、確信を強めたということです。「徳不孤必有隣」(論語‐里仁)とあるように、支持者は、いつか見いだせるのです。

 ちなみに、街道道里は、当然、自明として馬車で移動するから「陸行」と明記しないのであり、後に、狗邪韓国の海岸で海船に乗り、「水行」である三度の渡海を終えて末羅国で上陸したときに「陸行」と書いたものの到着地である伊都国で、いったん決着するのであり、後に追加された三国の「わき道」の掉尾の投馬国記事で「水行」と挿入しているものの、これは投馬国記事限りです。かくして、本来の行程記事に戻った「南至邪馬壹國女王之所」は、当然、千里どころか、百里にも及ばない端(はした)と見える短距離の「陸行」であり、最終的に行程記事の結尾なのです。「邪馬壹國」は、曹魏成立後の女王共立の結果書き足されたと見えます。郡の文書使は、伊都国で待機し「邪馬壹國」には赴いていないように書かれていますが、郡と伊都国の間の書信のやりとりで、日数が起算/記録されるのは、伊都国の文書担当が刻字した時点であり、伊都国君主の署名はともかく、女王の御璽の必要でない交信では、この間の行程も所要日数も、実務に関係しないのです。

 渋い言い分ですが、末羅国で上陸した後の「陸行」は中国制度の「街道」でなく、そこまでの記事で明記された「禽鹿径」であって、本来の「道」ではないのです。
 そこまで精巧に組み立てられた行文を厳密に読み取れないとしても、それは、史学者として訓練されていない後生読者を咎められるものでも無いのです。

*異議提起
 ここで氏が提起された下記用例について、素人考えを述べます。
 《史記》《夏本紀》 陸行乘車,水行乘船,泥行乘橇,山行乘檋
 ここに書かれた四件の「行」の解釈ですが、「陸行」、「水行」、「泥行」、「山行」の四種の街道を公的な交通手段として定義したものではなく、禹后が移動手段として、四種の労役を得たという意味ではないかと愚考します。何にしろ、「陸行」は、後年、街道として整備されたとしても、橇で泥を行く交通手段は、絶えて制度化されなかったと見えます。現に、「倭人伝」の道里記事に、「泥行」も「山行」も登場しません。

--旧稿再掲---
〇はじめに
 「倭人伝」道里行程記事の冒頭に置かれた「循海岸水行」の追加審議です。

〇「循海岸水行」用例審議
 古田氏は、第一書『「邪馬台国」はなかった』ミネルヴァ書房版 174ページで、「倭人伝」道里行程記事の「循海岸水行」の「循」の字義解釈の典拠として左氏伝 昭 23から用例を求め、「山に循て南す」の注で「山に依りて南行す」と解しています。「循」は「依る」または「沿う」と解した上で、幾つかの用例を「三国志」に求めて暫し詮索の後、「海岸に沿う」と解しています。
 氏の解釈は、陳寿が、敢えて「循」と書いた真意を解明していない点で同意できませんが、それは別としても、旗頭とした古典典拠は、陳寿が依拠していた「左氏伝」ですから、「左氏伝」用例が妥当であれば、その一例を本命として絞るべきと考えます。

〇諸用例の参照
 「魏志」用例は、数稼ぎでもないでしょうが、用例の趣旨が明瞭でないので、揚げ足取りされるなど審議の邪魔になるだけで、まことに感心しないのです。但し、読者に対して公正な態度を示す意義はあるのかも知れません。とは言え、「枯れ木も山の賑わい」とは行かないのです。
 なお、当方は、以下のように、古田氏の「左氏伝」読解は、ずいぶん甘いと感じます。

〇字義の確認
 まず、「依」の字義は、白川静氏の辞書「字統」などの示すように「人」が「衣」を身に纏い、背に「衣」を背負っている様子を言います。
 ここで、山に「依る」は、山を「背負う」比喩と解されます。一方、「山」は、山嶺、山並みではなく屹立峰(孤峰)ですから、「山」に「沿う」経路行程は想定しがたく、山を「背負って」進む行程と察するのです。
 当用例により語義解釈すると、倭人伝の「循海岸水行」の深意は、「海岸を背負って海を渡ることを水行という」と解して無理はないと思います。何しろ、史官たるものが、わざわざ「循」を起用したのには、格別の意義があると考えたものです。端的に言うと、眼前に対岸があって、軽快な渡船で航行することを言うものです。
 別稿で、「循」は、海の崖を盾にして、つまり、前方に立てて、行くものと解釈しましたが、趣旨というか進路方向は同様なので、一票賛成票を得たものと心強くしています。

 このように見ると、倭人伝では、「水行」は河川航行でなく、「渡海」を「水行」と明確に、但し厳密に限定的に「指定」(用語定義 definition)しています。「倭人伝」「指定」であり、巻末までの限定です。つまり、倭人伝の道里行程記事で、「水行十日」は、狗邪韓国から末羅国までの渡海、計三千里です。「水行」一日三百里と、まことに明解です。

〇用語定義の必要性~私見
 誤解されると困るのですが、当ブログで辛抱強く説明しているように、古典的な用語定義に従うと、川であろうと海であろうと、渡し舟の行程は陸行の一部ですが、はしたなので所要日数も道里も書かないと決まっているので、狗邪韓国から末羅国までの渡し舟の行程道里、数千里、数日は、勘定しようがないのです。
 つまり、「倭人伝」を正史記事とするには、適確に注釈しないと成立しないのですが、陳寿が編み出したのは、「倭人伝」記事で本来必要のない、河川航行「水行」を「渡海」に当てる「用語定義」(definition)だったのです。これは、法律文書、契約文書、コンピュータープログラム文書、特許明細書に代表される技術文書など、論理性、整合性を必須とされる文書で、挙って継承され、採用されている実務に即した文章作法であり、まことに合理的な書法と考える次第です。

*投馬国水行の検討
 余談
 因みに、当ブログの理解では、投馬国への「水行二十日」は、後日の追い書きであり、全行程万二千里、倭地周旋、つまり、伊都国から狗邪韓国にいたる五千里の圏外なので、二十日全部が渡海なのか、一部が渡海で全体が二十日なのか、何とも判定できません。脇道なので、詳しくは不明である、と言うことでしょう。
 丁寧に言うと、全国七万戸の大半を占める五万戸の大国への道程が、あやふやなのは信じがたいのです。また、それほどの大国の戸籍が不備で、全戸数が、五万戸らしいと言うのでは、郡に対して申し開きのできない失態と思われるのですが、「倭人伝」では、その点を、一大率による指導監督を怠っていて、一切追求していないのです。二万国らしい奴国と併せて、まるで、水平線に漂う蜃気楼のようです。

〇諸用例の意義~少数精鋭最上
 古田氏が追加した魏志用例は、ここで言う「海岸」と「水行」のような方位付けが明解で無いので、「循」が「沿って」の意味に使われた用法と愚考します。「背にして」と「沿って」の両義を承知で書いたのではないようです。

 思うに、三国志の魏志(魏書、魏国志とも言う)は、陳寿が全てを記述したものではなく、大筋は参照した魏朝公文書、つまり、史官が日々整備していた公式記録文書に従っているので、魏朝官人の語法で描かれています。従って、左氏伝の典拠を意識していないことも想定されるのです。
 用例は、厳選したいものです。できれば一例が最上です。

維持された収束
▢「海岸に沿って」行かない理由~再掲
 当ブログの見解では、「従郡至倭」の道里行程は明確に書かれていて、官制の通り、官道を直線的に目的地まで進むが、狗邪韓国から末羅国までは、唯一無二の移動手段である渡し舟に乗る必要があり、これを限定的に「水行」と分類し、残りは、当然の「陸行」と分類した行程としているのです。末羅国からは、「陸行」と明記されていて、傍路の投馬国行程は、この際圏外として、一路、陸行なのです。整然たるものです。話すと長いのですが、全体構想があっての独断です。

 海岸に「沿って」行くとの解釈を棄却すべき理由として、海岸陸地に沿った移動は、浅瀬や岩礁に確実に行き当たることによります。そのような危険のため、船は、ほぼ例外なく、港を出ると直ちに陸地を離れて沖合に出て、海図などで安全と確認できない限りは、陸地に近づかないのです。以上は、別に訓練経験がなくても、少し関連情報を調べるだけで、容易に理解できる安全航海の策ですが、聞く耳を持たない人が多いのです。

追加見解 2024/07/07
 先賢の言として、「海岸」とは、海の見える崖上の陸地であり、「海岸に沿って進む」街道とは、あくまで、陸上街道に決まっているとのご託宣です。河水について考えればわかるように、河岸とは、陸上の土地であり、川船に乗るには、泥をかき分けて降りていく必要があります。
 その先は、渡船に乗るのか、便船で流れにしたがうのか逆らうのかということになります。この辺り、中原の交通では常識ですが、「倭人伝」道里記事では、全く前例のない「水行」によって海船に乗るというのであれば、大量の事前説明が無いと、読者には、何のことかわからないのです。
 当ブログでは、これは、そのような途方もない記事ではなく、後段で、大河ならぬ、流沙ならぬ、大海の流れを、見なれた渡船で渡るのを予告しているという見解であり、無用の紛糾無しに「倭人伝」の行程を末羅国での上陸に繋ぐ、整然とした、滑らかな手段と見ているのです。

*結語ふたたび
 そのために、苦労して説得記事を重ねているのですが、まだ、納得された方はいないようです。その最大の障壁が、冒頭の「循海岸水行」の誤釈と思うので、一度、「自然に、滑らかに」丸呑みするのでなく、一字一字審議していただきたいと思ったものです。

                                以上

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コメント

N.Nさん
 最後の応答が大変遅くなりましたが、当「完成版」公開の機会に、一言弁明します。
 応答を渋っているのは、別件の貴見に、論理的な反駁でなく、当方の思考の筋道に対する感情的な反発が感じ取れたことにもよります。
 貴見の趣旨として、「陳寿は、基本として、当時の多くの文人や政府高官などが理解できる語句を用いて史書を書いている」というのは、見解の相違です。陳寿は、古書の語法があればそれに従うとしても、本編で援用した「渡邊氏」見解は、「陳寿は、正史など従うべき典拠のみを典拠としている」との解釈と見え、僭越ながら、氏の勘違いを是正した上で、援用している次第です。
 貴見は、むしろ、若干圏外に陥っていて、古田氏の轍を踏んでいるように見られかねないと危惧します。
 『陳寿が「水行」という文句に新たな「海の航行」という意味を付与しているなどという解釈や意見は、自己の海の航行説に有利なように』独断で書き撓めているとのお叱りは、心外です。当方は、「海の航行」などと史書に典拠のない『新語』は、断じて使用しない「けじめ」を持っています。よろしく、ご確認ください。
 ここでは、海の航行でないのは無論として、川の航行でもないのです。なにしろ、「海」は、正史用語では、「辺境の夷蕃/異界」であり、東夷伝でも異界として用いられているのは、お説の通りです。
 当方の最新の意見では、漢書「西域伝」、魏略「西戎伝」からみて、「海」ならぬ「大海」は、西域の塩水湖から想定される「塩水の流れる大河」として参照されているとの独断であり、中之島(洲島)を伝い進む渡し舟に相応しいものとみています。貴見とは、若干趣向が異なると考えます。
 と言うものの、ここで目指すしているのは、第一にして最大のものは、「俗説」である無法極まりない黄海航行否定であり、ついで、古田氏の感動的な「ユーレカ」覚醒の「部分海行」&「島巡り」の一括否定なので、貴見については触れていないことをお詫びします。
 末筆ながら、当方の趣旨は「本稿で論じるのは未曽有の事項なので当然先例はない」ということなので、論拠となる先行事例は、求めるすべがないことをご理解ください。
以上


  当方も貴方様も理系ですが、理系の良いところは文系の方々よも科学性と論理性が多少は身体に ついていることと思います。そして、戦後というのは、文系と言われる文学や語学、社会学、歴史学などの学問は戦前の考え方では論理性や科学性が問題があると、現在の大学や大学院ではこれら学問は文系と呼ばず人文科学系となっていることは御存じと思います。ですから、貴方様の「史学は、論証することのできない学問です。より所は、自身の推定の理路の健全さだけです」というのは少し悲観的で、また、推論だけというのは片手落ちのような意見と思います。
 あなた様の理知的で論理的な批判精神というのは素晴らしいものがありますが、ですから、賛同するところは多々、ございますが、やや過去に捕らわれ情緒的な点が気になっている次第です。
 いずれにしても、今後とも、ご活躍を。そして、自信が出来たら、いつか作品を出版されたら良いかもしれません。
 

N.Nさん
 重ね重ね、苦言を賜り感謝します、
 まず一番問題なのは、ご自身が、他人の言葉尻を捉えて知るすべもない内面を妄想していることに気づいていないことです。どっちもどっちだと申し上げた通りです。貴兄も言われているように、文章解釈は、書き手の深意を探ることにはじまります。それは、言葉として明記されているもの以外に示唆されていることも含まれます。独解力が問われるのです。
 小生は、随分出遅れていますが、当ブログ記事の累積がどうにか千ページを超えているように、多少の資料、先賢の著作を読んで、理解に勉めています。その成果として、陳寿が倭人伝編纂に投入した努力のかなりを推定できていると自負しているのです。倭人伝、特に里程記事、道里行程記事は、バラバラの時点に書かれたバラバラな書きぶりの記事を、筋の通った「伝」記事にまとめることに、少なからぬ努力が費やされているとみても、不思議ではないでしょう。そして、それは、魏志全体の編纂努力に比べると、質量共に分量不相応と推定して良いでしょう。
 史官は、「述べて作らず」が、至上の課題ですから、得られたばらばらの史料を改竄することなく、辻褄の合った、つまり、当時の読者の是認できる態にまとめたのは、倭人伝上申にかける動機があったと見るべきでしょうが、それが何であったか、知るすべも推定する手がかりもありません。それは貴兄の説かれる妄想の世界です。
 以上の提言は、世上言われているように、陳寿が元史料を寄せ集めただけで、何も編纂の手を加えていないとする推定に比べると、随分、理性的な推定と思う次第です。
 次に、新たに服属した蕃夷の列伝は、国名、王名、王の素性、居城、乗数、戸数、口数、帝国拠点からの道里、行程、所要日数を所要条件とすることは、漢書など正史夷蕃伝の示すところです。陳寿が、所要条件すべてでないにしろ、大要を満たしたところから見て、陳寿が倭人伝を、魏志の掉尾を飾る一大「列伝」と見ていたのは、むしろ明らかであり、それ故、不似合いな努力を払ったと推定しているのです。
 史学は、論証することのできない学問です。より所は、自身の推定の理路の健全さだけです。
 残念ながら、貴兄には、小生の推定を査定することはできないものと推定しますが、どうして他人の内面がわかるのかと問い返されると、笑ってごまかすしかないようです。
頓首頓首死罪死罪
以上


  まず、一番に問題なのは、 「陳寿が、倭人伝道里行程記事の総括、と言うか、辻褄合わせに、大変な苦労を重ねたあげく、少なくとも二件の限定的用語定義を創案した。もちろん、後世の東夷のためではなく、魏志に倭人伝を記載するための苦吟だったのです。」などと言うのは、どこにもあなたが論証がなされていないものですし、論証もできないものですし勝手に自分に都合の良いように思いこんでいるだけですよ。これは妄想の類とでもいえるでしょう。論理的で客観的なあなたが、このようなこと(陳寿の心の内面まで)を自説の擁護のために述べるのが残念でなりません。
 あなたは陳寿をよく理解しているとは思いますが、ましてや「行程道里が整っていなければ、「伝」を立てることができないからです」などと言うのは理解に苦しみますね。霊媒師のようですね。

N.Nさん
 貴重なご批判に感謝します。
 ただ、貴兄にしても自説を客観的に批判できていないことを理解されていないと感じる次第です。
 『当時の文人や政府高官は『山海経』や『漢書』などからだれでも「水行」という文句を「河川の旅、行程」と認識して読んでいます。』と仰いますが、貴見では、「水行」と言う「河川槽運」に限る古典的な用語を河川・街道混在の移動形態を指すものと拡大解釈しているのです。どっちもどっちっではないでしょうか。
 因みに、当方の主張は、郡から狗耶韓までは、陸上の街道を粛々と進んだというものであり、「海の航行」は、あり得ないということを営々と述べているものです。何か勘違いされたのでしょうか。渡し舟で海を渡るのは「海の航行」などでなく、川の渡し舟と同様だから、この際「水行」と定義する、と言うだけです。ご承知の通り、後者には、「船行」なる用例が、ほかならぬ「漢書地理志」海南島談義の末尾に表れています。
 陳寿が、倭人伝道里行程記事の総括、と言うか、辻褄合わせに、大変な苦労を重ねたあげく、少なくとも二件の限定的用語定義を創案したのは、もちろん、後世の東夷のためではなく、魏志に倭人伝を記載するための苦吟だったのです。行程道里が整っていなければ、「伝」を立てることができないからです。
 誰もが自説を主張するときは、自信があって言っているので、口調か固くなりますが、直感的な反発で批判されても、同意できません。ご自愛ください。感情的な中傷でなく、建設的な反証をいただきたいものです。これでも、当ブログは、口調が迂遠で卑屈だと、野次馬の嘲笑を浴びているのですよ。
以上


 一言だけ。
 当時の文人や政府高官は『山海経』や『漢書』などからだれでも「水行」という文句を「河川の旅、行程」と認識して読んでいます。ですから、陳寿は史官でもありますから、基本として、当時の多くの文人や政府高官などが理解できる語句を用いて史書を書いており、陳寿が「水行」という文句に新たな「海の航行」という意味を付与しているなどという解釈や意見は、自己の海の航行説に有利なようにとの独善的な恣意的なもので論理性や科学性が全くないと思います。理知的なあなたですが、自説では目が曇るのでしょうか。あなたのために陳寿は「魏志倭人伝」を書いていないと思いますが。

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