新・私の本棚 番外 サイト記事 M・ITO 邪馬台国と日本書紀の界隈 3/3 三掲
私の見立て ★☆☆☆☆ 論旨瞑々、覚醒期待 2018/05/29 2018/11/25 2022/11/19補筆 2024/07/03
*加筆再掲の弁
最近、Amazon.com由来のロボットが大量に来訪して、当ブログの記事をランダムに読み囓っているので、旧ログの揚げ足を取られないように、折に触れ加筆再掲したことをお断りします。代わって、正体不明の進入者があり、自衛策がないので、引きつづき更新を積み重ねています。
*個別確認4
4の主張は、3.までの推定が根拠を確立できていないため、根拠のない暴論となっています。
丁寧に言うと、かりに、推定されている事態が起こって、敦煌残簡以後に(呉国志)特定部の改竄があったと証明する証拠が得られたしても、それは、国志の別の部分に改竄が行われたという確たる根拠にはならないのです。当然自明のことなので、大抵は書き立てませんが、読者が鈍感かも知れないので、念入りに書きます。
この部分の結論として、国志に「改竄」が行われたという確実な証拠は「全く存在しない」と断定されます。
*誤解列記
写本、刊本時の皇帝僻諱を改竄の事例としていますが改竄の定義をご存じないようです。僻諱は、特定文字の置き換えなどで皇帝実名などを避けるだけであり、氏の好む「改竄」によって文意を変える意図でなく、刊本ならぬ私的写本で僻諱が適用されたかどうかも、全巻確認しない限り不明です。
また、裴注を改竄の事例としていますが、これも、改竄の定義を外れた暴言です。紹興本、紹凞本などの刊本現存品は、本文の半分の文字を使用して、一行二分割する割注であり、素人目にも、本文との区分が可能ですが、元来、裴注は、改行して新たに書き出されていて、見わけが付いていたものです。
丁寧に説明すると、陳寿原本が継承された劉宋代を越えて、長く続いた簡牘巻物時代は、各行各条に正確に書写するのがせいぜいであったのです。一本の簡牘に二行書き込むのは、メダカを三枚おろしするような曲芸に近いものであり、裴注にしばしば見られるような長文の注記を誤写無しに書き上げるような神業は存在しなかったのです。これは、北宋咸平本にも見られていて、現存の南宋刊本に於いて、初めて一行を二分する割注が導入されたのです。何しろ、刻本では、時代最高の職人が版木に刻みこめば、以後、正確に印刷されていくので、大幅に紙数を減らせる割注が当然になっていますが、別に当然ではないのです。
何れにしろ、裴注追記は、陳寿が決定稿とした原文/本文と区別されていて、原文を書き替えることはありません。
世上、『裴注が正史「三国志」の一部であると誤解した途轍もなく不出来な論義』が底辺にあるので、氏も、ついついつられて追従したかも知れませんが、追従するのは先行者の審査を経た上で、「奈落落ち」の道連れを避けるものです。善良な読者を、自身の誤謬の道連れにするのは、何としても、回避してほしいものです。
*用語混乱
「改竄」、「善意」、「悪意」などの法律用語を、日常感覚で書き連ねるのは、まことに不用意であると考えます。
*類推の主張
視点を反転して、国志に一切改竄が無かったと断定する絶対的な証拠は無いから改竄の可能性を認めるべきだと力説されているようですが、それは、とてつもない考え違いです。
漠然たる一般論であれば、根拠不確かな推定を押し出さなくても、単なる思いつきの主張として、存在を赦されるものです。
ところが、主張されているのは、特定の部分で特定の内容の改竄があるとの具体的主張であり、それは、確証を持って正しく主張しなければ、単なる暴言だということです。
1-4のような不確かな/棄却されるべき推定の積み重ねを確証とみているということは、学術的な論証に対する判断能力が欠けているということであり、著者に対する評価が、大きく低下するものです。
*助言
と言うことで、このように無法な論法は、大変損ですよ、と忠告するものです。
所説を主張したいのであれば、正攻法で論証すべきです。世に、曲芸的と揶揄される主張はごまんとありますが、論理の曲芸は、褒め言葉ではなくて、欺瞞の類いとして、排斥されているのです。
おそらく、著者は、嫌われても良いからと苦言を呈してくれる友人をもっていないと思うので、ここに、とびきりの苦言を書き記したのです。
完
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