新・私の本棚 岡上 佑 季刊 邪馬台国 144号「正史三国志の史料批判...」 3/4 補追
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私の見方 ★★★★★ 渾身の偉業 2024/01/11 02/13 07/16
*加筆再掲の弁
最近、Amazon.com由来のロボットが大量に来訪して、当ブログの記事をランダムに読み囓っているので、旧ログの揚げ足を取られないように、折に触れ加筆再掲したことをお断りします。代わって、正体不明の進入者があり、自衛策がないので、引きつづき更新を積み重ねています。
*魚豢誤認
ついでに言うと、魚豢は歴とした官人であり、氏の言う「ほぼ」付きでは、編纂の際に極秘扱いである帝国公文書「とか」を参照できない。機密の公文書を利用して史書を私撰するのは大罪であり、厳格に処断されると親族も連座、刑死である。漢書班固も後漢書笵曄も呉書韋昭も、最後は、刑場の露となった。暗合であろうか。
何れにしろ、史官は専門家であり、卑位の官であって、高官有司でない。
魚豢は、曹魏史官であったため、後漢・曹魏公文書の渉猟を許されたのであり、その鋭い筆法は、陳寿「三国志」魏志第三十巻末の魚豢「魏略」「西戎伝」全文で窺うことができる。
*魚豢「魏略」「西戎伝」の演出と「魏志」の写実
「魏略」「西戎伝」は、明らかに、雒陽公文書であった後漢「西域伝」草稿によるものであり、原文書の乱調を模倣している貴重な資料である。「魏略」「西戎伝」の大半は、後漢西域都護を承継していて、後漢末の西域撤退以後は記録がない。「魏志」「西域伝」は、魏朝の無策を露呈することになるから、成立しなかったのである。
*史論「情熱派」
氏ご自身がどんな「情熱」にお持ちかは不詳だが、陳寿は、「倭人」を天下の東方を極める偉業とみた曹魏明帝の「情熱」が早計で、夭逝後、霧散したと明示している。「倭人」後日談を割愛するのは、むしろ、明帝偉業の顕彰である。それとも、司馬懿の無策が、両郡撤退につながったと明示すべきだったのか。因みに、陳寿「三国志」「魏志」に「司馬宣公伝」は、書かれていない。
*「鴻臚」の錯誤
ついでながら、韋誕「大鴻臚」の職務を「外務大臣」とは時代錯誤である。
かつて、漢高祖劉邦親征軍を殲滅の危機に追い込み匈奴単于の昆弟として屈服させ中国に匹敵した匈奴が衰退した後、対等の国交を結ぶ可能性があったのは、西方安息国だけで他はすべて蛮夷だった。但し、「蛮夷」呼称は相手が漢字を読解したときに激怒を買うので「客」と美称したのである。
要するに、「鴻臚」の役目は、「蛮夷」使節に、中国礼節を教えて拝謁させた後、印綬と手土産を重ねて、定期的な来貢を代償に外臣として認めるものであり、今日言う「外交」とは全く異なる撫夷策である。この点、世上、中国式美辞麗句/誇張に惑わされている例が多いから、釘を刺すのである。
*栄えある「匈奴」
因みに、「匈奴」は教養のある漢人官人を抱えいたから「匈奴」が蔑称なら紛争必至である。「匈奴」が、武勇を尊ぶ草原の風雲児に相応しい麗名/敬称とわかる。漢高祖劉邦は、親征軍が匈奴の大軍に包囲されて、降服同然に和平していたから、長年、匈奴を兄として平伏したのである。蔑称など、できるわけがない。
*「焦土」作戦の犠牲者
氏は、『陳寿「三国志」「魏志」「倭人伝」の信頼性を毀損し、日本「古代史」と切り離そうとする、小論で言う「焦土作戦」』に巻き込まれるのを避けたと認められるが、諸処に「焦土作戦」の影響を受け、もったいない。
*史料評価の錯綜/是正
氏は、厖大な「類書」「太平御覧」に収録された「所引魏志」と「現存刊本」である紹熙本などとを対比し、「所引魏志」は北宋期、「現存刊本」は南宋期成立と言い放っているが、年代ものの「浅慮」である。
「所引魏志」は、参照した「魏志」写本の精度が不明であり、誤写が必然のものである。さらに、大著の一部である所引の編集精度には、更なる疑問がある。
孤証の極致「翰苑」を論じるときは、断じて、国宝断簡の不慣れな解説で無く、誤字、乱丁、行格が整備された「遼海叢書」版が必須と思われる。一流正史ですら、時代原本を発して、世俗の通用写本を重ねたときには、必ずしも万全と言えない/誤写必至であるのに、正史の通用写本から、適当な写本を繰り返した果ての粗忽な「所引」で、精度が保証できるはずがない。
未完
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