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2024年7月24日 (水)

新・私の本棚 前田 晴人「纒向学研究」第7号『「大市」の首長会盟と…』3/4 補充

『「大市」の首長会盟と女王卑弥呼の「共立」』 「纒向学研究」 第7号 2019年3月刊
私の見立て ★★☆☆☆ 墜ちた達人 2022/01/15 2022/05/30 2023/07/08, 12/21 2024/07/24

*加筆再掲の弁
 最近、Amazon.com由来のロボットが大量に来訪して、当ブログの記事をランダムに読み囓っているので、旧ログの揚げ足を取られないように、折に触れ加筆再掲したことをお断りします。代わって、正体不明の進入者があり、自衛策がないので、引きつづき更新を積み重ねています。

*時代錯誤の連鎖
 氏は、想像力を極めるように、女王となった卑彌呼が、新たな王制継承体系を定めた」とおっしゃるが、周知のように「倭人伝」にそのような事項は、明記も示唆もされていない。つまり、ここに書かれているのは、史料文献のない、当然、考古学の遺物考証にも関係ない、個人的な随想に過ぎないのである。

 真剣に考えればわかるはずなのだが、卑弥呼は、「一女子」、即ち、男王と「男王の娘が嫁いだ婚家での外孫」という親族関係の絆が明記されていて、氏の夢想するような「新たな王制継承体系」など、示唆すらされていないのである。そもそも、巫女、つまり、祖霊に仕える「墓守」として不婚の身分であった卑弥呼が、何故、後継者を選ぶ体制を築いたのか、不可解もいいところである。
 「共立」すら、男王の家男王の娘が嫁いだ婚家の妥協から自然に生み出されたものと見えるから、それを持って画期的とするのは、大変な考え違いであろう。要するに、氏は、根拠とすべき「倭人伝」を適確に解釈するのに不可欠な「教養」を有さず、自前の、お手盛り物語を創作しているのではないかと危惧されるのである。
 本誌は、「纏向学研究」と銘打たれているから、前田氏の示された創作は、個人的なものでなく多くの支持を集めているのだろうが、「纏向学の達人」として令名を馳せるのは、前田氏である。

 だれも、ここに示された前田氏の提言に対して、素人目にも明らかな当然の批判を加えていないようだから、この場で、率直に苦言を呈するのである。他意はない。

 以下、前田氏の提言として、「盟約」が提起されているが、現下に、「コメント」として異議提示できるのは、困ったものである。

「第一の盟約」―王位には女子を据え、卑弥呼と命名する
 コメント 「命名」は、当人の実の親にしか許されない。
   第三者が、勝手に実名を命名するのは、無法である。
   卑弥呼が実名でないというのは詭弁である。皇帝に上書するのに、実名を隠すことは許されない。大罪である。
   併せて言うと、陳寿がことさらに「女子」と書いた意味が理解されていない。
   古典的には、「女子」とは、国王のむすめ(女)が、嫁ぎ先で産んだ孫娘(子)、つまり、「外孫」である。
   中国古代史では、常識であるが、氏は、ご存知ないようである。

「第二の盟約」―女王には婚姻の禁忌を課す

 コメント 女王の婚姻禁忌は、無意味である。
   女王は、端から、つまり、生まれながら生涯不婚の訓育を受けていた「巫女」と推定される。
   当時の上流家庭は、早婚が当然であるからそうなる。王族子女となれば、ますます、早婚である。
   ほぼ例外無しに配偶者を持っていて、恐らく、婚家に移り住んでいるから、婚姻忌避など手遅れである。
   中国古代史では、常識であるが、氏は、ご存知ないようである。

「第三の盟約」―女王は邪馬台国以外の国から選抜する

 コメント 『「邪馬台国」以外から選抜』と決め付けるのは無意味である。
   要するに、諸国が候補者を上げ「総選挙」するのであろうか。奇想天外である。
   新規独創は、史学で無価値である。
   となると、「邪馬台国」はあったのか。大変疑問である。「倭人伝」原文を冷静に解釈すると、女王共立後に、
   その居処として「邪馬壹国」を定めたと見える。
   つまり、天下第一の巫女である女王「卑彌呼」が住んだから「邪馬壹国」と命名されたとも見え、女王以前、
   いずれかの国王が統轄していた時代、殊更「大倭王」の居処として「邪馬臺国」を定めていたと解される
   笵曄「後漢書」倭条記事と整合しなくても、不思議はない。
   どのみち、笵曄は、「倭条」を「根拠となる確たる史料のない臆測」として書き残したように見える。
   いずれにしても、漢制では天子に臣従を申し出たとしても「伝統持続しない王は臣従が許されない」
   王統が確立されていなければ、単なる賊子である。代替わりして、王権が承継されなかったら前王盟約は反古
   では、「乱」「絶」で欠格である。蕃王と言えども、権威の継承が必須だったのである。
   当然、共立の際の各国候補は、厄介な親族のいない、といっても、身分、身元の確かな、つまり、
   しかるべき出自の未成年に限られていたことになる。誰が、身元審査したのだろうか。
   

「第四の盟約」―王都を邪馬台国の大市に置く
コメント 「王都」は、「交通の要路に存在する物資集散地」であり、交通路から隔離した僻地に置くのは奇態である。
   因みに、東夷に「王都」はあり得ない。氏は、陳寿が「倭人伝」冒頭に「国邑」と明記した主旨がわかって
   いないのではないか。史官は蛮夷に「王都」を認めないし、読者たるうるさがたが、そのような不法な概念を
   認めることもない。
   そもそも、「大市」なる造語が不意打ちで、不審である。
   氏の造語では無いのだろうが、古代史文書で、「市」(いち)は、多くの人々が集い寄って「売買」する
   盛り場であり、國邑にある市は天下一の盛況であったろうが、氏が想定されているような「都市町村」なる
   聚落の大小階梯で最大の「都」(もっとも大きなまち)に次ぐ「市」(おおきなまち)とは、異なる
   言葉/概念なのである。
   朝、多数の庶民が集い来たり、昼には、それぞれの居宅に引いてしまう「市」は、王の行政の中心とは
   なり得ないのである。

   率直なところ、氏は、『当時信頼に足る史料は「魏志倭人伝」だけである』と理解した上で、『そこに提示
   された概念を理解し、その基礎の上に、自己流、つまり、無教養な蛮夷の言葉/概念を形成しないと、
   客観的に、つまり、同時代「中国」人に理解されない』という謙虚な自覚を出発点とすべきでは無いだろうか。

   言うまでもないが、氏が依存している時代錯誤の世界観は、氏の独創では無く、「多数の」「史学者」に
   共通の理解だろうが、だからといって、意味不明な用語の泥沼を形成しているという指摘は
免れ得ないと思う。
   (2024/01/10追記)


「第五の盟約」―毎年定時及び女王交替時に会同を開催する
コメント 毎年定時(?時計はあったのか)会同は無意味である。
   筑紫と奈良盆地の連携を言うなら、遠隔地諸国からの参上に半年かかろうというのに随行者を引き連れて連年
   参上は、国力消耗の悪政である。せめて、隔年「参勤交代」とするものではないか。
   女王交替時に会同を開催すると言うが、君主は「交替」できるものではない。天子は、更迭、退位できるもの
   でもない。
   女王の生死は予定できないので、「交替」時、各国は不意打ちで参上しなければならない。
   通常、即日践祚、後日葬礼である。揃って、大半の各国国主は、遅参であろう。
   あるいは、そのような、突然の交替を避けるために女王に定年を設けるとしたら、前女王は、どう「処分」
   するのか。
   王墓が壮大であれば、突然造成するわけにはいかないから、長期計画で「寿陵」とすることになる。
   回り持ちの女王、回り持ちの女王国であれば、墓陵造成はどうするのだろうか。
   以上、ざっと疑問を呈したように、随分ご大層な「結構」であるが、文書化できない時代に、どのように法制
   化し、布告し、徹底したのだろうか。どこにも、なぞり上げるお手本/ひな形はない。

*不朽の自縄自縛~「共立」錯視
 総じて、氏の所見は、先人の「共立」誤解に、無批判に追従した自縄自縛と思われる。
 「共立」は、古来、二強の協力、精々三頭鼎立で成立していたのである。両手、両足指に余る諸国が集った総選挙」など、一笑に付すべきである。陳寿は、倭人を称揚しているので、前座の東夷蛮人と同列とは、「倭人伝」の深意を解しない、無教養な不熟者の勘違いである。
 先例としては、周の暴君厲王放逐後の「共和」による事態収拾の「事例」、成り行きを見るべきである。
 「史記」と「竹書紀年」などに描かれているのは、厲王継嗣の擁立に備えた二公による共同摂政(史記)あるいは、共伯摂政(竹書紀年)である。未開の関東諸公を召集してなどいない
 陳寿は、栄えある「共和」記事を念頭に「共立」と称したのが自然な成り行きではないか。東夷伝用例を漁りまくって手に馴染む事例を拾い食いするでは無く、真に有意義な事例を、捜索すべきではないか。

*会盟遺物の幻影
 「会盟」は、各国への文書術浸透が「絶対の前提」であり「盟約」は、締盟の証しとして金文に刻されて配布され、配布された原本は、各國王が刻銘してから埋設したと見るものである。となると、纏向に限らず各国で出土しそうなものであるが、「いずれ出るに決まっている」で済んでいるのだろうか。毎年会同なら、会同録も都度埋設されたはずで、何十と地下に眠っているとは大胆な提言である。

 歴年会同なら「キャンプ」などと、人によって解釈のバラつく、もともと曖昧なカタカナ語に逃げず、「幕舎」とでも言ってもらいたいものである。数十国、数百名の幕舎は、盛大な遺跡としていずれ発掘されるのだろうか。それとも、強制収容所に収監したのだろうか。
 もちろん、諸国は、「幕舎」など設けず、「纏向屋敷」に国人を常駐させ、「朝廷」に皆勤し、合わせて、不時の参上に備えるものだろう各国王は、継嗣を人質として「纏向屋敷」に常駐させざるを得ないだろう。古来、会盟服従の証しとして常識である。

*金印捜索の後継候補
 かくの如く、「会盟」「会同」説を堂々と宣言したので、当分、宝捜しの大規模発掘作戦の省庁予算は確保したのだろうか。何しろ、「出るまで掘り続けろ」との遺訓(おしえ)である。いや、先哲(レジェンド、大御所)が健在な間は「遺訓」と言えないが、お馴染みの「まだ纏向全域のごく一部しか発掘していない」との獅子吼が聞こえそうである。

*「会盟」考察
 氏に従うと、「会盟」主催者は、古典書を熟読して各国君主を訓育教導し、羊飼いが羊を草原から呼び集めるように「会盟」に参集させ、主従関係を確立していたことになる。つまり、各国君主も、古典書に精通し、主催者を「天子」と見たことになる。
 かくの如き、壮大な「文化国家」は、文書記録も文書通信も存在しない時代に、持続可能だったのだろうか。

 繰り返して言うので、あごがくたびれるが、それだけ壮大な遠隔統治機構が、文書行政無しに実現、維持できたとは思えない。文書行政が行われていたら、年月とともに記録文書が各地に残ったはずであるが、出土しているのだろうか。記録文書が継承されたのなら、なぜ、記紀は、口伝に頼ったのだろうか。

 いや、本当に根気が尽きそうである。

                              未完

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