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2024年8月29日 (木)

新・私の本棚 牧 健二 「魏志倭人伝における前漢書の道里書式の踏襲」

「史料」第45巻第5号 昭和37年9月 「邪馬台国研究総覧」三品 彰英 200
私の見立て ★★★☆☆ 画期的解釈        2024/08/29,09/03 

◯はじめに
 本書は、不朽の大著「邪馬台国研究総覧」に収録されているが、余り、参照されていないようなので、ここに顕彰する。

*概要
 当抜粋紹介記事では、以下の二点が目覚ましい指摘と考える。
⒈ 「列挙式」の常識
 前漢書西域伝の記事から、伊都国以降の記事は、「列挙式」記載と見られる。
 まことに至当、順当である。と言うのは、陳寿の魏志編纂時点で、先行する正史は、司馬遷「史記」と班固「漢書」の二史であり、「倭人伝」道里記事の典拠とすべき史書として「漢書」は唯一無二であったのである。

 魏志読者には漢書西域伝記事が「普通」であり、蕃王居城に至る道里の後に周辺侯国への行程を列挙する。俗に言う直線式なる「単純」解釈は「無教養な後生蕃夷の誤謬」と言えば論議完結のはずが、「纏向遺跡史学派」に政策的に黙殺されていると見える。

⒉ 非常識な「海路」

 杜祐「通典」「州郡」「日南郡」記事を「倭人伝」道里「水行十日陸行一月」の解釈に援用する。当記事は好例であり、諸郡も同様書式で書かれている。
 「通典」は、唐代史料である。日南郡は「ベトナム」であり、三国東呉の領域である。
 氏は、慧眼を駆使して「日南郡」記事で「倭人伝」の「水行十日、陸行一月」を処断するが、率直なところ、いわゆる国内史学界でしか通用しない勘違いと言わざるを得ない。正史の解釈という見地から云うと、氏ほどの碩学にしては、軽率の誹(そし)りは免れない。
 同記事の取り扱う地域は、三国東呉孫権政権の統治下であり、三国曹魏の圏外であったから、陳寿が「魏志」編纂で対処する「史実」、すなわち、曹魏「公文書」にないので、当然、「魏志」に援用されない。見当違いであろう。

 さらに、氏は、「水路」と「水行」とを同義と誤断し、更に、「水行」を「海路」と読み替える。正史を、国内史学の見識で「曲解」するのは、国内史学の積年の悪弊であるから、その責めを牧氏に負わせるのは酷である。いや、世上には、「正史」の語義を知らずに、中国における正史の伝統を堅持した陳寿「三国志」と「無学、無教養な文章家」が草した「読み物」である国内史料を同列視して一刀両断する武闘派が声を上げているから、中々、正論が通らないのだが、蕃夷に「正史」とは笑止と言うべきなのである。
 ただし、中国史料初学者の務めとして、中国史書解釈は中国史書語法に従うべきである。「水」は、河川であり海洋でないことは自明である西京長安、東京洛陽が並記されるが両「京都」に「海路」で到ることはありえない。「倭人伝」にも、提示された史料にも「海路」はない。

*史料引用 杜祐「通典」「州郡」 伝統的書法堅持
 日南郡東至福祿郡界一百里。南至羅伏郡界一百五十里。西至環王國界八百里。北至九真郡界六百里。東南到海百五十里。西南到當郡界四百里。西北到靈跋江四百七十里。東北到陵水郡五百里。去西京陸路一萬二千四百五十里,水路一萬七千里。去東京陸路一萬五百九十五里,水路一萬七千二百二十里。戶九千六百一十九,口五萬三千八百一十八。
 南海郡東至海豐郡四百里。南至恩平郡五百里。西至高要郡二百四十里。北至始興郡八百里。東南到恩平郡四百里。西南到高要郡界二百三十里。西北到連山郡九百里。東北到海豐郡界三百五十里。去西京五千四百四十七里,去東京四千九百里。戶五萬八千八百四十,口二十萬一千五百。

 「通典」が採用した唐代史料は、中世唐代の潤沢な用紙、用材を承けて、志部に字数を費やすことができたので、「郡治に至る道里」と「郡界に至る道里」が並記されている。「道里」は実地踏査、一里単位、「戸口」は、緻密な戸籍台帳を駆使して、一人単位で把握されている。古代の事情は不明だが、中世唐代には、「算盤」による会計、統計人材(官吏)が、中国全土に展開していたとも思われる。

*苦言 余談 追記2024/09/03
 以下、権威ある「史料」誌の審査に応えて掲載された本論に於いて「論文」形式を確実に踏まえた牧氏に対する批判ではない。先行諸論を克服する点で、不備があったわけではない。

*陳寿「三国志」不備論の不備
 陳寿「三国志」が「志部」をもたないのは、「魏志」は、あくまで、「曹魏」公文書に依拠していたから、存在しない文書は採用できなかったのである。正史を構成するに足る原史料がなければ、史官は割愛せざるを得ない。
 南朝梁の史官沈約は、選考する劉宋の正史「宋書」「州郡志」編纂にあたり、劉宋代に到るも、正史として、志部を備えた後漢書は未刊であり、陳寿「三国志」が志部を欠いているため、後漢代以来の諸郡地理が不明である点が多いと歎いている。「魏志倭人伝」会稽東治談議でよくいわれる、東呉会稽郡の分郡、建安郡創設などにしても、東呉が亡国時に西晋皇帝に遺贈した「呉書」の列伝記事に全面的に依存しているほどであり、道里記事は、収録されていないのであるから、「三国志」において「地理志」、「州郡志」は、編纂しようがなかったのである。

*失われた范曄後漢書「志部」
 ちなみに、笵曄「後漢書」曹皇后紀に付された李賢注は、沈約「宋書」謝𠑊伝(佚文)を引用して笵曄「後漢書」に収録される構想であった後漢書「志部」十巻の顛末を述べている。同伝によると謝𠑊は、後漢書「志部」十巻の編纂をほぼ完了していたが、時の劉宋文帝が、皇帝謀殺の隠謀という大逆罪に連坐したとして「范曄を斬罪に処し編纂中の後漢書を接収した」との報を受けて、編纂中の後漢書「志部」の私家稿を隠匿し、秘匿したので、ついに、范曄「後漢書」「志部」は世に出ることは無かったということである。ちなみに、笵曄「後漢書」として伝世されている范曄「遺稿」は、劉宋文帝が、言わば、不法に没収したものであり、范曄自身が上申したものでないので、范曄の著作として取り扱うべきではないという意見も、成立しうるものと思われる。ちなみに、笵曄「後漢書」現存刊本の志部は、先行して上程されていた司馬彪「続漢紀」の志部を併呑したものであり、唐代以前、笵曄「後漢書」は志部を欠いていたのであり、以降追加された志部は范曄の承知していないものであった。

*散乱した沈約「宋書」、未完成な范曄「後漢書」
 ちなみに、李賢注が依拠した沈約「宋書」謝𠑊伝は、沈約「宋書」現行刊本に収録されていない逸文である。南朝梁代に編纂された沈約「宋書」に散逸が多いのは、南北朝分裂期を、北朝側の隋が統一した際に、南朝諸国が賊として軽視されたためである。
 沈約「宋書」は、散佚状態から回復を図り、唐代に「正史」に新参したといえども、古来正史として認定されていた陳寿「三国志」の承継の確実さに遙かに及ばない。また、李賢によってにわかに正史に認定された范曄「後漢書」も、李賢がことさらに補注したように、范曄によって完成されたものでない、いわば「未完成」であったことも、史料批判に於いて、丁寧に審議すべきであると思われる。

*唐代全国統治の精華 「通典」「州郡」道里記事
 おそらく、唐代、全国統治の権威の裏付けとして、実地測量に基づく全国地理調査を行ったと見え、「通典」「州郡」は、古来の道里記事の存在しなかった当該地域の精読に絶える道里記事を完成したものと見える。いうまでもなく、先行する正史に於いて既に記述された公式道里記事は不可侵であったし、「倭人伝」道里記事に略記された以外の地域道里は、既に知るすべがなかったので、「通典」「州郡」の手が及ばなかったのである。
 ということで、「通典」「州郡」の記事を元に、「魏志倭人伝」の道里行程記事の解釈を図るのは、労多くして報われることが少なく、意義に乏しいと言わざるを得ない。

*余談の余談
 これも、牧氏には関係のない余談であるが、ことのついでに一言述べると、世に蔓延(はびこ)るあまたの俗耳に訴えたいからと言って、自説補強と勘違いして、あることないこと不平不満を募らせて、陳寿編纂を誹謗しないことである。仲間受けをよいことに、お手盛りの不合理を積み上げて、声高に罵っても、後世に至るまで乱暴な俗論として無視される原因となるだけである。ご自愛いただきたい。

                                以上

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