新・私の本棚 刮目天ブログ 春秋二倍年歴?つじつま合わせの空想 1/2
春秋二倍年歴?つじつま合わせの空想・妄想だよ!(;^ω^) 2024-08-15 古代史 2024/08/16, 8/19
◯はじめに
かねて私淑している刮目天氏ですが、概して、「日本古代史」論議なので、口を挟まないようにしていますが、今回は、当方が専念している「倭人伝」解釈の補足説明が必要と見えるので、ご高説に異議を唱えるということで、無礼にも氏のご高説に対し講釈を垂れさしていただいています。
◯都度対応
「春秋二倍年歴?」から混乱します。誰がいつ言い出したのか調べようもない「トンデモ」タイトルです。存在しない新説の否定は不可能です。
日本書紀が春秋二倍年歴説をはっきりと否定していますよ。
春と秋で2年とかぞえるなら天皇紀は1年おきに春・夏の記事と秋・冬の記事になるはずですが、そうはなっていませんよ。1年は12ケ月としています。
主旨不明瞭ですが、普通の言い方とすると、「書紀」編者は「二倍年暦」を否定してないと見受けます。裴注版「倭人伝」を承知で否定するなら、明解に書いたはずです。「春秋二倍年歴」は、現代新説であり、書紀編者の知ったことではないのです。
「倭人伝」は三世紀筑紫であり、ご提案は、数世紀後の「纏向史蹟」新説であり、辻褄が合わないのは、全て「後世」側の責任です。
ちなみに、当時の暦には閏月があり、一年十二ヵ月とは限らないのです。
「魏志倭人伝」裴松之注に「魏略ニ曰ク、其ノ俗正歳四節ヲ知ラズ、但、春耕秋収ヲ計ツテ年紀ト為ス」とあります。
要するに、裴松之が魚豢「魏略」を所引したのですが、陳寿が棄却した意見が陳寿の真意を示すとは、凡愚の素人には、とんと見当がつきません。
「正歳四節」つまり、中国最初の夏王朝に起源のある「正月から始まる四季のまつり」のことを倭人は知らず、四季のある日本では人々の活動は春耕秋収がひとつのサイクルですから、「倭人は春と秋の祭祀によって一年としている」という話なのです。
「倭人」の者が中国太古の制度を知らないのは、当然ではないでしょうか。
「春秋農暦」は、中国由来の水田稲作の基本なので、南朝劉宋の裴松之は承知で窘(たしな)めたのでしょうが、稲作地帯の蜀漢育ちの陳寿は知っていても、雒陽人には、通じないと見て割愛したと見えます。
中国で制定・運用されていた太陰太陽暦は、大変複雑で、正歳、つまり、月の満ち欠けを刻んで作られた太陰暦の二十四ヵ月のどの月を「正月」にするかは、以後、殷暦、周暦を、秦始皇帝も変え、天子の公布についていくしか無いのです。定期的に、閏月を追加しないと正月の位置がずれてしまうので、これも高度な計算の産物なのです。繰り返しますが、一年は、十二ヵ月ではないのです。特に、景初から正始にかけての改暦は複雑怪奇です。そして、当時、遙か西方のローマで採用されていた「ユリウス暦」(ユリウス・カエサルが指導したとされる)なる太陽暦は、全く知られていなかったのです。但し、二十四節気は、中国太古以来の太陽観測に基づき、日食予測までできた高精度の「天文学」の成果であり、そのような科学を知らない東夷の知るところではないのです。
ということで、「二十四節気」は、太陽の運行に従って、毎年定義されるものであり、春分、秋分、夏至、冬至を始め、年間二十四回の節目を太陰暦の月々に重複しないように配置するのは、難題でしたから、東夷の知るところではなかったのです。要するに、「正月」と「二十四節気」は、連動していないのです。丁寧に言うと、「正月」は、太陰暦であり、これに対して、「二十四節気」は、太陽の運行に基づく、言わば「太陽暦」のものなのですが、当時、太陽暦が運用されていたわけではないのです。
*水分(みずわけ)~余談
ということで、「二十四節気」は、年間の農作業を、太陽の運行に従って決めるという合理的、崇高な制度です。遙か遙か後世の「日本」でも、太陰暦の世界に「八十八夜」、「二百十日」(にひゃくとおか)が継承されているので、月日で伝えることのできない農事暦(こよみ)に関して尊重されていたとわかるのです。何しろ、地域集団が揃って行うのであり、年に二回、聚落総会で日程徹底するのは、もっともなことです。
特に、田植えの際の「水分」は、集落間の諒解が無いと大事件になるので、各集落が集う氏子総会の場で、一日刻みで決定する必要があるのです。全くの私見ですが、「卑弥呼」の「卑」は、天からの恵みの雨粒を受けて「水分」する「柄杓」であり、巫女である卑弥呼の「水分」は、全集落に支持されていたように「倭人伝」から読み取れます。してみると、卑弥呼は水神に事(つか)えていたのであり、太陽神とは別のおつとめとなりますが、余り強調すると粛正されかねないので、ここでひっそり呟くだけにしておきます。
それに対して、倭人は春と秋でそれぞれ一年と数える二倍年歴を使用しているというのは、書かれたものが正しいはずなので、つじつま合わせで発明された全くの珍解釈なのです。
未完
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