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2024年9月17日 (火)

新・私の本棚 番外 毎日新聞【文化財のあした】「邪馬台国 畿内説の現在... 

...日本初の都市? 纒向遺跡の遺構」 毎日新聞大阪朝刊12版文化面 2024/09/15
私の見立て★★★★☆ 文化面相応の堂々筆致。疑問点少々のみ 2024/09/16,09/22, 10/02

◯おことわり
 読みかじりでないのを部分引用で示したが、字数制限しているので、...中略記号 御免。

*記事引用
 纒向遺跡は3世紀初めに突如として出現し、4世紀初めまで営まれた大規模集落遺跡だ。...水田などが発見されておらず...日本初の「都市遺跡」...を象徴するような遺構が2009年に見つかった。
 ...3世紀前半の大型建物跡(南北19・2メートル、東西12・4メートル)が発見された。...周辺で同時代の遺構は確認されておらず、...纒向遺跡の特徴として...外部から搬入された土器の割合が高い...
 ただし、纒向遺跡の範囲は南北約1・5キロ、東西約2キロに及び、1970年代に始まった発掘調査は遺跡範囲の約2%しか終えて...いない。
 畿内説を裏付けるものとして、纒向遺跡の区域内にある巨大前方後円墳「箸墓(はしはか)古墳」(全長280メートル)の存在が大きい。国立歴史民俗博物館は...箸墓古墳の築造年代を...240~260年代と発表した。卑弥呼が亡くなったとされる248年に近く、卑弥呼の墓とみる研究者は多い。

◯コメント 全国紙の一般読者対象記事とみるので周知事項は御免。
*初歩的な指摘
 素人考えで、「纏向」が「日本」の萌芽と見るなら、「日本初」は別の意味になる。「奈良盆地初」なのか、筑紫も入る「日本列島初」のか。

*食糧事情
 農地遺構が未出土としても、何か食料を持続して手に入れなければ、生きられない。高名な磯田氏が、NHK番組で突如開示した提言の「略奪」は、たまたま一度は成果が出ても、何度も出撃してはいられない。
 「都市」は現代用語とみるが、食料生産を二の次にして商業立国しようにも、鉱工業資源が無ければ、食料は手に入らない。集落単位でも、鍛冶職人など、売るものが無くて食料は買えない。
 農地も市場(いちば)も見つかっていないと言うが、当てはずれ/見当外れか。

*全貌画定のなぞ

 「纏向遺跡」全貌を、発掘進度ゼロの時点で、「南北約1・5キロ、東西約2キロ」と画定した根拠は不明である。最初から、「遺跡」の全貌を想定していたとしか思えないのだが、見あげたものである。当時、既に、子々孫々発掘事業を担保する絵を描いたのだろうか。

 「周辺で同時代の遺構は確認されておらず」とあるが、では、周辺の「遺跡」では、何が発見されていて、その関連は、どうなっているのか。
 「纏向遺跡」指定領域の内部に「三世紀前半の大型建物跡」「遺構」が発生する以前は、どんな有り様だったのか。井の中の蛙ではないのだろうか。井戸の「外部」は、どうなのか。

 「建物遺構」が、何か得体の知れないものの「象徴」なら、首長居処、兵舎、食料庫は、何処にあったのか。
 事の成り立ちを考察してみると、「箸墓」は墓地であり、当時「荒れ地」だった「遺跡」の纒向川対岸に、随分、先だって造成されたのではないかとも思われる。

*「外来」土器のなぞ
 「外部から搬入された」と言うが、「外部」のものがタダのはずがない。普通に仕入れたのが、地域の「市場」で売買されていたと思われる。大物土器類を税納入したのなら、木簡荷札が出土するはずである。
 「人と物の往来」の街道遺跡は出土したのか。三世紀、纏向付近の南北径路は山沿いの「山辺の道」だけで、「纏向」水郷に南北街道はなかったはずである。
 「倭人伝」で当時牛馬役務はないから、全て「痩せ馬」なる人の背で運んだはずである。でなければ「纏向遺跡」の遺構に牛舎や馬小屋があったはずである。

 以上、遺跡遺物考古学門外漢の素朴な疑問に答えていただければ、幸いである。

*畿内説の裏付け
 「畿内説を裏付ける」と言うが「巨大前方後円墳...が大きい」とあるのは苦笑である。「畿内説」は古墳の巨大さしか言う事がないのだろうか。

*卑弥呼の冢 考察~「余談」記録された史実 2024/09/22,10/02 補充
 「魏志倭人伝」によれば、卑弥呼を埋葬した「冢」は、大型墳丘墓どころか「大塚」ですらなく、在来の土饅頭に類するものとされていて、ずいぶん小ぶりと思われる。大型墳丘墓の外形寸法の1/10程度であり、用地面積は1/100程度、用土は1/1000程度に収まるから、周到な計画で、広範囲に指示を出す必要のある大規模な土木事業でなく、先祖以来の墓地の増設工事であり、担い手としては、近隣の少人数の「通い」でよいから、別に急拵えしなくても短期間に出来上がるものになる。
 そうした順当な史料解釈を無視/排除して、大型墳丘墓だとしている理由が分からない。前提として、盛大に荒れ地を整地して、壮大に盛り土して、手堅く版築で突き固め、さらに、葺き石を遠隔地から大量に取り寄せて盛り土を保護するとか、埋葬のために、盛り土を改めて掘削して槨室を設けるとか、「倭人伝」を離れて迷走していることについて、判断が示されていない。
 「倭人伝」に還ると、在来の埋葬であれば、先祖以来の埋葬地で、甕棺に収めた遺骸を土中に収め、盛り土して、奴婢百人で徇葬することになる。つまり、少人数で埋葬、封土を含めた葬礼を行ったとある。
 女王府は、千人程度で運営していたとあるが、公共工事には動員しないのが常識であるから、周辺の農民に鋤鍬(すきくわ)持参の動員をかけることになったとしても、農作業に支障を及ぼさない短期間の「通い」で済んだと想定される。
 「倭人伝」は、女王に敬意を表して「大いに葬礼を執り行った」としているが、薄葬を厳命した曹魏武帝、文帝の訓示が生きていた時代、蕃夷の王が、伝統を破壊する/蕃夷の分に過ぎる、途方もなく大規模な造成を行ったのであれば、厳重な叱責の言葉が書かれたはずである。現に「魏志倭人伝」に書かれているのは、簡潔・明解な記事であるのは、そのようなとんでもないことが起こらなかったからではないかと思われる。

*「径百歩」の考証
 ここでは、これまで等閑(なおざり)にされていた「径百歩」考証を試みるものである。ようするに、三世紀に書かれた呉代史書が、どのような意味で書かれたか、手短に追及するものである。
 「魏志倭人伝」が、ここに、ほぼ初めて起用した、つまり、中国史書で滅多に見かけない「径百歩」は、ある意味、純然たる土木用語であり、直径十歩程度の「円冢」の敷地が、方百歩(百平方歩)縦横十歩程度であると報告したものである。たてよこそれぞれ十五㍍程度であって、直径十歩 の土饅頭を収めるに十分であるが、環濠を設ける必要などない。これにより、どの程度の規模の工事であり、どの程度の資材を必要とし、どの程度の労力を要したか、というか、言うに足る規模の工事で無かったと専門家が、容易に推定できるのであるから、正史夷蕃伝の記事としては、このような簡潔な記事でよいのである。
 かくして、一筆書きで「冢」の形状と土木工事の規模が把握でき、おさえに、百人程度が葬礼に専従したと示しているのが、まことに、異境の王の慎ましい墓容を示していて、筋の通った合理的な筆致であり、総合して正史夷蕃伝として、適確と思うものである。

 まして、「巨大前方後円墳」の余地はない。それが、陳寿が記録しようとして、現実に記録されている東夷の「史実」である。

 以上、陳寿「三国志」「魏志倭人伝」は、周到な編集が行われているので、「読みかじり」で自己流の書換など出来ないのである。

 「魏志倭人伝」が、当時「中国」の支配者であった司馬氏に忖度して、「巨大墳丘墓」を、卑俗な土饅頭に縮小したのであり、それが、いつかどこかで、「倭人伝」に改竄・記入されたと強弁する方がいらっしゃるのなら、その旨明言されるべきであろう。また一つ、陳寿繚乱説が増える。
 
 それにしても、「倭人伝」ほど素姓の確かな二千年ものの史料を、年代ものの盆栽のように「ちまちま」丹精して手入れするのは、程々にした方が良いのではないか。いや、これは、当記事の批評を、かなりはみ出しているが、御容赦いただきたい。

                                以上

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