新・私の本棚 仁藤 敦史 「卑弥呼と台与 倭国の女王たち」 2/2
山川出版社 日本史リブレット001 2009年10月刊
私の見立て★★★☆☆ 癒やしがたい「屈折史観」 2024/09/14
*退路無き文献論
氏は、苦し紛れに/戯れに、陳寿「三国志」のテキストが南宋刊本までしか遡れないと言うが、それは、素人考え、大きな考え違いである。
*時代錯誤させる「ルーツ」乱入
氏は、古代史に何の因縁もない俗語「ルーツ」まで持ち込んで論旨を混濁させるが、「ルーツ」は、アフリカから拐帯され米国に売り飛ばされた黒人の末裔が、遥か後世になってアフリカの地を訪ね、先祖の後裔と邂逅した物語であり、氏のような良識の体現者が持ち出すべき言葉ではない。
*「ソース」談議
ことが「ソース」、原典探索であれば、陳寿没後百五十年の南朝劉宋史官裴松之が、当時健在であった民間風評まで含めて史料考証の上、蛇足めいた冗語を、ヤボを承知で付加したことを見落としている。なにしろ、後漢書決定版を半ば以上まで完成していた范曄を、皇帝廃絶の隠謀に加担したと一家連坐して処刑し未完稿を没収して私蔵した「取り巻き」を重用していた劉宋文帝の勅命であるから、清濁併せて、山ほど補追して、三国志完成の栄誉を望んだ皇帝の宿願を叶えて見せるしかなかったのである。
ちなみに、范曄は、後漢書「志部」編纂を共著者に附託し「志部」は完稿状態にあったのだが、范曄受難を知ったことから、連坐を恐れて、志部完成稿を隠匿し遂(おお)せたということである。おかげで、范曄は、正史として肝要な志部編纂を怠ったとの汚名まで被ったが、それは、裴松之の三国志補追の価値を損なうものではない。裵松之注(裴注)は、劉宋時点で、西晋崩壊を越えて継承された陳寿原文と峻別できるので、堅持しているのである。
さらにちなみに、北宋以前の「三国志」善本は、裴注挿入の際に改行していて、南宋以降の諸本のように、本文の一行を二分して、半分の文字で記入する「割注」はしていないようである。「割り注」は、写本工にたいへんな負担/労力をかけ、また、誤写の原因となるので、常用されていなかったと見るものである。世上、高級写本以外は、略字を常用していたとの説が唱えられているようなので、ますます、「割注」は、南宋以後の木版による刊本時代の産物と見えるのである。もっとも、刊本が登場しても、地方への配付はなかったはずであり、依然として、写本が行われていたものであるから、以上の理窟は、絶対的なものではないのである。
誤解が出回っているので是正を図ると、三國志の同時代最高のものは、あくまで、写本謹製のものであり、世間に誤写本が出回っても、影響を受けずに継承されたものと考えるべきである。
*有り得ない「同一」願望
勿論、陳寿原本と現存刊本が完全に同一のはずはないが、テキストとしての一貫性を克明に検証すべきである。年代ものの子供だましの冗談は休み休みにして欲しいものである。
*付け足しの「邪馬壹国」論
氏は、ここまで放念していた「邪馬壹国」を論じるが、遙か後世「三史」と尊重されたのを根拠に後漢書「邪馬臺国」を崇拝するのは、勿体ない。御自愛いただきたいものである。ちなみに、「臺與」は「倭人伝」にも「倭条」にもない「絵空事」である。
つい先ほど、生齧りの「ルーツ」まで持ちだして、三国志「魏志倭人伝」の岩盤の如きテキストに喧嘩を売ったのに対して、一転、范曄「後漢書」東夷列伝倭条を崇拝する不当さに気が回らないのだろうか。
ちなみに、范曄「後漢書」は、劉宋文帝が、范曄を斬首して、その時点の未定稿を押収したものであり、当然、確定稿でない仮普請であり、范曄原本は、もともと存在しない。氏は、どう考えて、范曄「後漢書」東夷伝「倭条」を、無謬聖典と崇拝するのだろうか。
史料考察に原本確認は要らない、氏の豊かな常識で、自覚いただけるはずである。
ちなみに、ここで信頼性を問われているのは、范曄「後漢書」全般でなく、東夷伝の端っこの「倭条」であり、氏の史料批判を逃れているのが不思議である。
*夢幻の東夷世界
以降、公孫氏時代を含めた遼東・東夷形勢が綴られるが、氏の限界なのか原資料の混乱なのか、楽浪郡の混乱期、東夷倭人の雒陽参上が論じられる。卑弥呼の生まれる遙か以前の後漢中平年間に「卑弥呼」の使者が参上したという仮定は、無謀と言われかねない。
『「倭人伝」によれば』と称して、卑弥呼が、二世紀後半に倭の乱を平定したしているのはとんだ神がかりである。「倭人伝」が確実に述べているのは、景初から正始にかけて、それ以前に年少にして女王に就職した卑弥呼が、成人(数えで十五歳か)に達したことであり、半世紀時間錯誤されている卑弥呼の出生を、はるばる遡らせているのは、むしろ滑稽である。俗に「卑弥呼」襲名説まで担がれている。そのため至って普通な言葉である「年長大」を、強引に老婆説としている。やんぬるかな(已矣乎)。
「倭奴国」の後漢光武帝参詣以後、定期的貢献の記録が乏しいのに、突如、公孫氏時代になって殺到したのが、不審ではないのだろうか。
要するに、氏の周囲には、厳格に史料批判されていない後世史料/創作文芸がのさばっているのであり、それを担ぎ出すのは、氏の見識を疑わせるものである。「倭人伝」解釈は氏の圏外なのだろうが、氏の批判精神が休眠して、祖霊のお告げに対して口移し状態にあるのは、困ったものである。
◯結語
以上は、あくまで当ブログの見識の限界/圏内である。やたらと調子のよい「倭女王評判記」などは、部外者の知るところではない。
以上
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