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2024年9月13日 (金)

新・私の本棚 KATS.I ブログ =水行20日、水行10日...  2稿 完

陸行1月の呪縛= 後漢書東夷傳(その2)-禾稻麻紵ー(ママ) 2024-09-08
私の見立て ★★★★☆ 前途遼遠  2024/09/13

◯逐条審議辞退の弁
 前回記事は、異議の随時提起でしたが、今回は総論とします。
 当方の范曄「後漢書」東夷伝倭条范書(以下、范書「倭条」)観は既に述べていますが、重複を承知で書き留めてみます。

*結論予告
 当方は、范書「倭条」は、全虚報であり、陳寿「三国志」魏志倭人伝(以下、陳書「魏志倭人伝」)と対峙させるべきではないと主張します。

*史料欠落の弥縫策~年代ずらしの秘法
 范曄は、後漢書掉尾に范書「倭条」を構想したが、原史料の欠落のため、献帝建安年間以降の「魏志倭人伝」原資料を、年代移動して創造的に埋めたと見えます。

*時代史料の欠落
 念のため言うと、范書「倭条」の光武帝、安帝本紀「倭」記事は、別史書袁宏「後漢紀」にも記載があるので、当記事の対象外です。
 同時代、まだ、後漢洛陽の東夷管理が健在であり、楽浪郡から鴻臚に万二千里の東夷から貢献があったとの報告があれば皇帝から賞されますが、そのような画期的な記事は、孝霊帝本紀、考献帝本紀から欠落しています。要するに、范書「倭条」は「虚報」なのです。

*露呈した欠落事項
 蕃夷は、中国辺境郡太守治所に身上書を上程し服属を申し出ます。必要事項は、国名、国王名、国王居城名、居城に至る行程道里、戸数、口数、国内城数であり、粗品で誠意を見せれば、相当の手土産と印綬をもらえます。
 行程道里は、郡太守発文書が何日で蕃夷の王の手元に届くかという実務上重要な規定であり、服属の証しであって、誇張などありえないのです。
 范書「倭条」には、国王居城名だけであり、国王名不明、戸数不明、行程道里も公式申告無しであり、後漢末期に「倭」は、正式参上していないと分かるのです。
 して見ると、范書「倭条」に物々しく書かれた「倭国大乱」とか「女王共立」は、「おとぎ話」です。出所は、百五十年以前の陳書「魏志倭人伝」の不出来な節略であり、范書「倭条」は、史料として考慮すべきでない「ジャンク」として、はなから排除されるべきなのです。

*検証の方法―精読あるのみ
 たとえば、今回論じられた范書「倭条」民俗記事ですが、明らかに、陳書「魏志倭人伝」帯方官人現地報告の節略、当世流行りの「読みかじり」であり、深意を解しないまま、やっつけ仕事で短縮しています。これを、要件を取り出した「要約」というなら、それは、とんでもない勘違いと言わざるを得ません。

*結論 范書「倭条」廃絶の時 再挑戦の勧め
 貴兄の集中力をもってすれば、今少しの点検で拙速さが読み取れるはずです。もっとも、そのような范書「倭条」考察は、上田正昭氏以来、諸兄姉が上程しているので、貴兄が復習する意義は疑問です。
 貴兄の掲げる考察は、先ずは不確かな史料を排除して、原点と言うべき、「魏志倭人伝」解釈の第一歩から再挑戦されることをお勧めします。

*「後漢書倭条聖典主義」の妖怪
 併せて、一部論者が、范書「倭条」の瑕疵を新規事項と見誤る「後漢書倭条聖典主義」の妖怪に踊らされないように、ご注意申し上げる次第です。
 以上、敢えて、心ないとも言われかねない苦言を申し上げました。

                                以上

*追記
 前回記事でも述べましたが、当記事だけ取り出して、范曄「後漢書」について、全面的に否定的であると解釈されると不本意なので、少々補足します。
 笵曄は、史官としての訓練を受けたわけではないので、史官の職業倫理に縛られていない文筆家だったのです。
 と言うものの、既に世に出ている諸家後漢書の史書としての品格に疑問を持ったので、いわば、身命を賭して、あるべき「後漢書」の実現を図ったのですが、ご承知の通り、後漢二百年の厖大な公文書は北方異民族の侵入で洛陽が陥落したために失われ、笵曄は、先行後漢書と民間史書の山から、范曄「後漢書」の完成を目指したのです。その成果が、今日読むことのできる明晰、流麗な范曄「後漢書」となったのです。
 惜しいことに、完成以前に、笵曄が時の皇帝の排除を企てたとする陰謀に連坐し、一族連座して刑死したので、ついに完成に至らなかったのです。未完成の顕著な原因として、范曄が「志」部編纂を委嘱した文筆家に対して、劉宋皇帝側近が提出を命じたが、范曄「後漢書」に無関係として、シラを切り通して隠匿したため、范曄「後漢書」は、南朝梁の劉昭が 別史書で補填するまで志」部を欠く未完成の史書だったのです。
 つまり、范曄「後漢書」は、まだまだ未完成であり、諸処に不備が想定されているのです。なかでも、先行諸「後漢書」に欠けていたと思われる蛮夷伝は、西域、東夷ともども、范曄にしては不出来な物になっていますが、これも、当人に責めを負わせるべきでなく、いわば、穴あきの残った仮普請、二級品であったとしても責められないのです。

 この点で見ると、陳寿「三国志」は、「権力者」なる妖怪から干渉を受けることなく、史官として最善の推敲を尽くして、完成稿としたものです。存命中に上程の機会を得られなかったものの、史書の完成度では、范曄「後漢書」と別格の一級品なのです。

以上

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