新・私の本棚 秦 政明「三国志」里程論 「市民の古代」 第15集 1/2 三掲
「三国志」における短里・長里混在の論理性 市民の古代研究会編 新泉社 1993年11月刊
私の見立て ★★★★☆ 古田短里説の限界を示す 2020/02/16 2023/05/09 2024/10/21, 12/08
*加筆再掲の弁
最近、Amazon.com由来のロボットが大量に来訪して、当ブログの記事をランダムに読み囓っているので、旧ログの揚げ足を取られないように、折に触れ加筆再掲したことをお断りします。代わって、正体不明の進入者があり、自衛策がないので、引きつづき更新を積み重ねています。
▢総評
本論の掲載された冊子は、古田武彦師の古代史論に啓発された諸兄が論考を寄せた好著であり、本号まで、氏の最新論説を巻頭に、適確な編集と相まって、赫々たる成果を世に送り出していたものと思います。
本論は、古田氏提唱の「魏晋朝短里」説、「本説」の論証において、先だって提唱されていた安本美典氏を代表的な提唱者とされていた「地域短里」説の論破を図ったものであり、今日も確たる位置を占めているのです。
本稿の結論として、本論は、古田氏の本説に対する強い思い込みに影響され、史料解釈を外した強引な論考の「論理性」が破綻していると見られます。
*再掲の弁 2023/05/10
本記事を、最近閲覧頂いているのに気づいたので、この機会に、補筆し、再掲したものです、趣旨には変更がありません。
〇序論展開
氏は、本説の提唱経緯と反論論者との間で展開された論戦を復習していますが、当然ながら、用語、表現が撓んで論議の正確な理解を妨げています。
まずは、「韓伝・倭人伝に見える短里」としていて、仮説論証の視点をいきなり逸脱しています。また、「いまだに短里を一切認めない守旧派の専門家」を総ぐるみで指弾、排除するのは不当と見えます。守旧派の意見は、『里制は国家の制度の根幹であるから、「倭人伝」の「里」が、国家制度の基幹である魏制「里」(周代以来の「普通里」)一/六程度に短く「見えても」、「短里」が公的に施行されていたとは言い切れない』との堅実な議論であり、氏の指摘は感情的で粗暴です。粗暴な意見は、声量が甲高くて、広く響いたとしても、聞き入られることは少ないのです。
それはさておき、「地域的短里説」は、安本氏が、ほぼ主唱したことから、広く知られ、また、妥当な説として、現に広く深く支持されているものと思われます。一部、通説派が、根拠の無い、感情的な「誇大」「誇張」節にしがみついてるのとは、一線を劃す科学的な議論とみえます。
本説は、古田氏が、安本氏の提言に触発され、「倭人伝」の道里、里程を解釈する上で必須の作業仮説と認めたことから出発したと見られるものです。但し、古田氏が、里制は、国家制度であり、地域的な限定はありえないとの見解から、「中国全土で里制が変革された」と主張するに至ったため、次第に、里程考察のための作業仮説の域を脱して、魏晋朝の国家体系に拘わる論議となっていて、素人目にも、本来の目的である里程論の解明という目的を踏みにじって、今日に到るも収拾困難な混沌を広げているように見えるものです。
そして、安本氏も歎いたように、いち早く提示された明確な否定論に対して、古田氏は、遂に、冷静で客観的な理解を示すことができなかったのです。そして、その遺命により、同説は、依然として保持されているのです。
古田氏没後、古田氏の諸説は、不可侵な「レジェンド」と化し、後生訂正の可能性を排除されていて、まことに勿体ないことです。
*地域的短里説への批判
秦氏は、当然、古田氏の主張を堅持していて、古田氏の本末転倒と見える主張を裏付ける論法に本質的な批判を課することなく推し進めているのです。
*限定的里制の提案 2024/10/21
まず、「根本的批判」と称して、地域的短里施行を証する根拠が示されていないと断罪しますが、大きな勘違いを披瀝していて同意できません。「倭人伝」には、「郡から狗邪まで七千里」の「地域里」が明記されています。また、「倭人伝」には、郡から倭への行程記事が収録され、それぞれ付された里数がどのような里長かとの質問に対して、「地域里」を予め示して整合を確保しているのです。「論理性」などと大げさに言うことではありません。「地域里」というと、帯方郡が、漢魏制と異なる独自の里制を敷いていたと断定しているようにみえますが、それは、陳寿が、曹魏公文書に明記されていた「郡から倭まで一万二千里」なる公式記録を、いわば臨時に正当化するために編み出した「地域時代用例限定」の「里」としたものと見えます。結果として、秦代以来、中国全土に適用されていた、いわば「普通」の「普通里」(四百五十㍍程度)のほぼ一/六の七十五㍍程度の「倭人伝里」とみえる「地域里」が、「倭人伝」限りで最小限に適用されていたものと見えます。と言うのは、倭人伝に先行している
韓伝以前の東夷伝には、遡行して適用されているとはみえないのです。と言うのは、正史購読は、順次注目している「視点」が、一方向に移動するものであるから、「郡から狗邪まで七千里」の定義が、それ以前の記事に適用されることは、有り得ないのです。そして、「倭人伝」は、魏志全三十巻の巻末なので、以後の適用は考える必要がないのです。
このような限定的な用語定義は、コンピュータープログラミングの世界では、Local、ないしは、Privateとして、規定することができ、文書全体に適用される暗黙のGlobalとは別の性質であることが明示されるのですが、それは、別に現代になって発明されたものではなく、古来、法律や契約の文書において「定義」Definitionとして行われていたものであり、三世紀に至る古代の史官には常識であったが、二千年後生の無教養な東夷には、素直に理解できないものと危惧しているものです。
字数からも意義からも、陳寿「三国志」の中でも、編纂方針が一貫していると見られる「魏志」全体に対して、「倭人伝」は取るに足りない瑣末と見られますから、「倭人伝」記事の「地域里」をもって、魏の全体里制を示すと見るのは本末転倒です。史官は、「郡から倭まで万二千里」として既定のものになっていた「倭人伝里」と「普通里」の輻輳を懸念して「地域里」を宣言していると見るべきです。
陳寿は、当時最高の史官であり、「倭人伝」の編纂には、字数相当を遥かに超えた随分の労力と知力を注いで、「倭人伝」里と普通里の両立が保証される筆法を確立したとみるべきです。一部で固執されている「誇張」「誇大」論議は、後世、児戯に類すると言われかねないので、目だたないように撤回されることをお勧めするところですが、NHKBSの古代史番組などで高言されているのは、言わば、不滅にして周知の失言なので、どのようにして撤回されるのか、他人事ながら憂慮しているものです。
未完
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