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2024年10月 8日 (火)

新・私の本棚 サイト記事 塚田 敬章 「魏志倭人伝から見える日本」4/16 2024

塚田敬章 古代史レポート 弥生の興亡 1,第二章、魏志倭人伝の解読、分析
私の見立て ★★★★☆ 必読好著 2020/03/05  記2021/10/28 補充2022/08/10, 12/18 2023/01/18, 07/25 
 2024/01/20、 05/08, 08/02, 10/08, 10/28

*加筆再掲の弁
 最近、Amazon.com由来のロボットが大量に来訪して、当ブログの記事をランダムに読み囓っているので、旧ログの揚げ足を取られないように、折に触れ加筆再掲したことをお断りします。代わって、正体不明の進入者があり、自衛策がないので、引きつづき更新を積み重ねています。

*重大な使命~Mission of Gravity
 使者が使命を全うせずに命を落としても、文書や宝物が救われたら、留守家族は、使者に連座するのを免れて、命を長らえるだけでなく、褒賞を受けることができるのです。陸送なら書信や託送物が全滅することはないのです。

 以上、別記事で延延と述べた論旨をここに敷延しているのは、「循海岸水行」の誤解が蔓延しているので、殊更丁寧に書いたものです。
 因みに、「沿岸航行」が(大変)「危険」なのは、岩礁、荒磯、砂州のある海岸沿いの沖合を百千里行くことの危険を言うのです。一カ所でも海難に遭えば、残る数千里を無事であっても、一撃で破船、落命するのです。
 ついでに言うと、海上では、強風や潮流で陸地に押しやられることがあり、そうなれば、船は抵抗できず難船必至なので、出船は、一目散に陸地から遠ざかるのです。
 これに対して、後ほど登場する海峡「渡海」は一目散に陸地を離れて前方の向こう岸を目指すのであり、しかも、通り過ぎる海の様子は、岩礁、荒磯、砂州の位置も把握していて、日々の潮の具合もわかっていて、しかも、しかも、日常、渡船が往来している「便船」の使い込んだ船腹を、とことん手慣れた漕ぎ手達が操るので、危険は限られているのです。その上、大事なことは、大河の渡船であれば、万一、難船しても両岸から救援できるのです。恐らく、周囲には、漁船がいるでしょうから、渡船は、孤独ではないのです。
 このあたりの先例は、班固「漢書」、及び魚豢「魏略」西戎伝の「二文献」に見てとることができますが、文意を知るには、原文熟読が必要なので、誰でも、すらすらとできることではありません。
 しかして、海峡渡海には、代わるべき並行陸路がないので、万全を期して、そそくさと渡るのです。
 ついでに言うと、渡し舟は、朝早く出港して、その日の早いうちに目的地に着くので、船室も甲板も厨房もなく、水や食料の積み込みも、最低限で済むのです。身軽な小船、軽舟なので、その分荷物を多く積めるのです。

*橋のない川
 そもそも、中原には橋のない川がざらで、渡し舟で街道を繋ぐのが常識で、僅かな渡河行程は、道里行程には書いていないのです。
 東夷が、海を渡し船で行くのは、千里かどうかは別として、一度の渡海に一日を費やすので、三度の渡海には十日を確保する必要があり、陸上行程に込みとは行かなかったから、本来自明で書く必要のなかった「陸行」と区別して、例外表記として「水行」と別記したのです。

*新規概念登場~前触れ付き
 念押しを入れると、「循海岸水行」は、『以下、例外表記として「渡海」を「水行」と書くという宣言』なのです。
 因みに、字義としては、『海岸を背にして(盾にとって)、沖合に出て向こう岸に行く』ことを言うのであり、「彳」(ぎょうにんべん)に「盾」の文字は、その主旨を一字で表したものです。(それらしい用例は、「二文献」に登場しますが、寡黙な現地報告から得た西域情報が「二文献」に正確に収録されているかどうかは、後世の文献考証でも、論義の種となっています)
 ということで、水行談義がきれいに片付きましたが、理解いただけたでしょうか。

 要は、史書は、不意打ちで新語、新規概念を持ちだしてはならないのですが、このように、先だった宣言で読者に予告した上で、限定的に、つまり、倭人伝の末尾までに「限り」使う「限り」は、新語、新規概念を導入して差し支えないのです。何しろ、読者は、記事を前から後に読んでいくので、直前に予告され、その認識の残っている間に使うのであれば、不意打ちではないということです。

*新表現公認
 その証拠に、「倭人伝」道里記事は、このようにつつがなく上覧を得ていて、後年の劉宋史官裴松之も、「倭人伝」道里行程記事を監査し、格別、指摘補注はしてないのです。
 ここで、正史たるべき倭人伝」で「水行」が史書用語として確立したので、後世史家は、当然のごとく使用できたのです。例えば、沈約「宋書」「洲郡志」は、劉宋代の会稽の地理記事として、「去京都水一千三百五十五,陸同」、つまり、京都建康までの行程として常用されるのは「水道」であるが、並行して、「陸道」があり、道里は共通であると簡明です。恐らく、東呉時代も同様であったのでしょうが、曹魏に報告はなかったので「魏志」に地理記事はなく、また、東呉の史書「呉書」に地理記事があったとしても、「魏志」にない地理記事は採用されなかったものと見えます。沈約は、しきりに、三国志に地理記事がないことを歎いていますが、つまり、同様の記事は、後世、補充したものと見えます。

*「従郡」という事
 「従郡至倭」と簡明に定義しているのは、古来の土地測量用語に倣ったものであり、「従」は、農地の「幅」を示す「廣」と対となって農地の「縦」「奥行き」の意味であり、矩形、長方形の農地面積は、「従」と「廣」の掛け算で得られると普通に教えられたのです。(出典「九章算経」)
 「従郡至倭」は、文字通りに解すると、帯方郡から、縦一筋に倭人の在る東南方に至る、直線的、最短経路による行程であり、いきなり西に逸れて海に出て、延々と遠回りするなどの「迂回行程」は、一切予定されていない』のです。
 念押ししなくても、塚田氏も認めているように、郡から倭人までは、総じて南東方向であり、その中で、「歷韓國乍南乍東」は、「官道に沿った韓国を歴訪しつつ、時に進行方向が、道なりに、東寄りになったり、南寄りになったりしている」と言うだけです。解釈に古典用例を漁るまでもなく、時代に関係ない当たり前の表現です。

コメント:里程談義~弾劾法廷
 因みに、塚田氏は「三国鼎立から生じた里程誇張」との政治的とも陰謀説とも付かぬ「俗説」を理性的に否定していて、大変好感が持てます。文献解釈は、かくの如く「合理的」でありたいものです。
 岡田英弘氏なる高名な先哲が、ご自身が折に触れて批判している「二千年後生の無教養な東夷」であることを自覚せず、「三国志」に書かれていない「陰謀」を「創作」して、「西晋代の陳寿が、後漢代の記録にまで遡って、魏朝の記録に干渉/改竄/捏造し、あり得ない道里記事をでっち上げた」と弾劾しているのと大違いです。

 子供の口喧嘩(賈豎争言)でもあるまいに、「高名な先哲」は、弾劾には「証拠」提出の上に「弁護」役設定が不可欠であり、『根拠の実証されていない一方的な非難/弾劾は「誣告」とよばれる重罪である』のを見落としているのですから、氏の厳正な姿勢には、深甚なる賛辞を呈します。

                                未完

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