新・私の本棚 サイト記事 塚田 敬章 「魏志倭人伝から見える日本」1/16 2024
塚田敬章 古代史レポート 弥生の興亡 1,第二章、魏志倭人伝の解読、分析
私の見立て ★★★★☆ 必読好著 2020/03/05 記2021/10/28 補充2022/08/10, 12/18 2023/01/18, 07/25
2024/01/20、 05/08, 08/02, 10/08, 10/28
*加筆再掲の弁
最近、Amazon.com由来のロボットが大量に来訪して、当ブログの記事をランダムに読み囓っているので、旧ログの揚げ足を取られないように、折に触れ加筆再掲したことをお断りします。代わって、正体不明の進入者があり、自衛策がないので、引きつづき更新を積み重ねています。
*三,四,五訂の弁
当記事は、16ページの長尺に、書き足しがあって、結構字数が多いのですが、そこそこ閲覧頂いているようなので、少しばかり書き足して、三訂版としました。いくら書いても、いくら閲覧があっても、世間の「俗説」が減らなければ、とは思うのですが、手桶から柄杓一杯の水を打てば、打たないより世の中が潤うと思うので、微力を尽くすことにしました。
なお、塚田氏は、2024年4月10日水曜日付けブログ記事「魏志倭人伝から見える日本のPDFファイル改定」において、今回の改訂は、Pdfファイルの再構築であって、内容の改訂に及んでいないとの趣旨を表明されているので、御言葉に甘えて、原文確認を控えています。勘違いがあれば、御容赦いただきたいものです。
又、氏が、CO-PILOTによるご自身氏名の検索で理解されたように、読み囓りした文字列を意味ありげに連ねるAI技術には、閉口しているので、間違いなく人間である当ブログ筆者は、古来の文章解釈の手順を堅持していることを明言します。いや、筋の通った論義を展開することのできない事例の多い「NI」(自然知能)に比べると、大部改善されている/躓き石が減っているのですが、比較評価の対象が誤っていると見えるのです。
*五訂のポイント
五訂のポイントとして、 3/16頁で展開していた「水行」論義の「結論」が挙げられます。
今回は、渡邊義浩氏から、行程用語としての「水行」の起源は、司馬遷「史記」夏本紀の禹の「行脚記事」に遡るまで存在しないとの保証をいただいたところから出発しています。結論を言うと「行脚記事」に書かれているのは、街道上を車で移動する「陸行」のみが「行程」であり「水行」は、対岸の街道に至る渡船であって「行程」ではないとの解釈に「到着」したものです。
このように、史記により『「水行」とは陸行移動の繋ぎの渡船を言う』(爾雅)と、漢代に明確に定義されていたので、「魏志倭人伝」道里行程記事の冒頭の「循海岸水行」は、「大海」を「大河」に見立てたと予告したものの大局として読者に周知であり、したがって、渡船で対岸に渡ることが自明であったことが明らかになったのです。もちろん、行程は街道移動しかないので、郡を出たら一路南下するのは、当然自明ですから、書かれていないのです。
くわしくは。当該ページを確認いただきたいものです。ただし、本記事は、あくまで、塚田敬章氏のサイト記事玉稿の書評であり、今回も、改訂と言うより、追記の形を取っているので、話の筋がすこしもたついていますが、取り敢えず、私人の論稿としては、特に混乱しているとは見えないので、このままで公開としました。
▢はじめに
塚田敬章氏のサイトで展開されている古代史論について、その広範さと深さに対して、そして、偏りの少ない論調に対して、かねがね敬服しているのですが、何とか、当方の絞り込んでいる「倭人伝」論に絞ることにより、ある程度意義のある批判ができそうです。
いや、今回は三度目の試みで、多少は、読み応えのある批判になっていることと思います。当ブログで連綿として展開している「書評」は、別の著者/著作の批判記事ですが、実際は、『未熟な論者が、適切な指導者に恵まれなかったために、穴だらけの論説を「でかでか」と公開してしまった事態を是正したいためにひたすらダメ出ししている』例が多いのです。「未熟」は、何時の日か、陽光を見出して、熟することを期待しているものですが、それは、よそごとであり、本件は、一代を築いた先賢に対して、敬意を抱きつつ、あえて批判を加えているものであり、歴然と異なっているものと思います。
言うまでもないと思うのですが、当記事は、氏の堂々たる論説の「すき間」を指摘しているだけで、当記事での一連の指摘が単なる「思い付き」でないことを示すために、かなり、かなり饒舌になっていますが、それだけの労力を費やしたことで、格別の敬意を払っていることを理解いただけると思うものです。とかく批評記事で饒舌になると、広げた風呂敷のほころびを言い立てられて「損」をすると思われるでしょうが、当方は、専門家でなく「素人」なので「利」を求めているわけではないからして、特定の営利集団から「百害あって一利なし」と指弾されても、むしろ本望なのです。
塚田氏は、「魏志倭人伝の原文をたどって、当時の日本を検証していく」のに際して、造詣の深い「国内史料に基づく上古史」論から入ったようで、その名残が色濃く漂っています。そして、世上の諸論客と一線を画す、極力先入観を避ける丁寧な論議に向ける意気込みが見られますが、失礼ながら、氏の立脚点が当方の立脚点と、微妙に、あるいは、大きくずれているので、氏のように公平な視点をとっても、それなりの「ずれ」が避けられないのです。いや、これは、誰にでも言えることなので、当記事でも、立脚点、視点、事実認識の違いを、できるだけ客観的に明示しているのです。また、氏の意見が、「倭人伝」の背景事情の理解不足から出ていると思われるときは、くどいように見えても、背景説明に手間を惜しんでいません。
どんな人でも、「知らないことは知らない」のであり、当ブログ筆者たる当方の自分自身で考えても、「倭人伝」の背景事情を十分納得したのは、十年近い「勉学」の末だったのです。対象を「倭人伝」に限り、考察の範囲を「道里」里程論に集中しても、それだけの時間と労力が必要だったのです。というような、事情をご理解いただきたいものです。
長文の記事から批判を読み囓って、片々をつまみ上げ/取り出して、「失礼、冒瀆」と悲憤慷慨、怒髪天を衝く向きには、いくら諄々と説いても、主旨が通じないかも知れませんが、当記事は、少なくとも「三顧の礼」なのです。
また、氏の「倭人伝」道里考察は、遙か後世の国内史料や地名継承に力が入っていますが、当記事では、「倭人伝」の考察は、同時代、ないしは、それ以前の史料に限定する主義なので、後世史料は、言わば「圏外」であり、論評を避けている事をご理解頂きたいと思います。
そういうわけで、揚げ足取りと言われそうですが、『三世紀に「日本」は存在しない』との仕分けを図っています。丁寧に言うと、三世紀当時、交通、輸送、交信の維持できた範囲は、徒歩で、せいぜい数日の範囲内のほんの近場であり、海山を隔てた地域との「遠距離恋愛」ならぬ「遠距離締盟」、「遠距離征伐」は存在しなかったと断定される以上、「日本」なる後代概念は存在しなかった/時代錯誤という見方です。もし、今述べたような批判が不成立だというご意見であれば、十分な論拠を持って批判頂きたいものです。
ちなみに、古代史学の大家上田正昭氏は、時代錯誤の原因となる「日本」の使用を限定し、前史時代については「日本列島」と括弧付きで示すことを提言されています。いかがなものでしょうか。
このように、論義の有効範囲と前提条件を明確にしていますので、通り掛かりの野次馬のかたが異議を提示される場合は、それを理解した上お願いします。
なお、氏が折に触れて提起されている史料観は、大変貴重で有意義に感じるので、極力、ここに殊更引用することにしています。
〇批判対象
ここでは、氏のサイト記事の広大な地平から、倭人伝道里行程記事の考証に関するページに絞っています。具体的には、
弥生の興亡、1 魏志倭人伝から見える日本、2 第二章、魏志倭人伝の解読、分析
のかなり行数の多い部分を対象にしています。(ほぼ四万字の大作であり、言いやすい点に絞った点は、ご理解頂きたい)
〇免責事項
当方は、提示頂いた異議にしかるべき敬意を払いますが、異議のすべてに応答する義務も、異議の内容を無条件で提示者の著作として扱う義務も有していないものと考えます。
とはいうものの氏の記事を引用した上で批判を加えるとすると、記事が長くなるので、引用は、最低限に留め、当方の批判とその理由を述べるに留めています。ご不審があれば、Pdf文書化が整っている氏のサイト記事と並べて、表示検証頂いてもいいかと考えます。
未完
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御努力に敬意を表します。後漢書の案今名邪摩惟音之訛也の着眼点におおいに惹かれました。さて倭人伝の東渡海千里倭種は後漢書では狗ではなく手偏の句ではないでしょうか。狗奴国とは別の国と考えておりました。いかがでしょうか。橋本吉治
投稿: 勿来関研究会 | 2023年7月24日 (月) 11時41分