私の本棚 田口 裕之 『金印は「ヤマト」と読む』 季刊「邪馬台国」131号 総括
私の見立て ☆☆☆☆☆ いやしがたい瓦礫 2017/02/28 2020/01/15 2024/07/14, 11/26
*加筆再掲の弁
最近、Amazon.com由来のロボットが大量に来訪して、当ブログの記事をランダムに読み囓っているので、旧ログの揚げ足を取られないように、折に触れ加筆再掲したことをお断りします。代わって、正体不明の進入者があり、自衛策がないので、引きつづき更新を積み重ねています。
□結語
これに先立つ16回の連載で、とことんダメ出ししたはずであったが、誰でも気づくような子供じみた欠点を列記しただけで、一番大事なダメが出せていなかった。反省と自戒を込めて、総括記事として追加する。
(なお、16回分の記事は、公開する意義は無くなったものと思うので、非公開とした。何の反応も無かったので、徒労であったということである。「つけるクスリがない」とか「Ignorance is fatal」と言いたいところだが、言わないことにしておく。)
それは、当論文のタイトルに書かれている新説が、既に、言い古されたものであったにも拘わらず、先行する文献が適切に参照されていなかったということである。
既に、100年を大きく超える古代史論議の中で、本当に多くの「新説」が提言されているから、現代人が思いついた「新説」の先行論文を全て検出するのは無理かも知れないが、無教養な後学の徒は、もっともっともっと謙虚になって、徹底的に調査すべきではないかと思うのである。
また、投稿された論文が新説であるか、旧説の踏襲であるかは、論文審査の不可欠な手順と思うので、編集部の手落ちは罪深いと思うのである。論文筆者は、このような不名誉な形で名をとどめたくない筈である。
◯資料紹介
参照資料は、次の一点であるが、そこで引用されている明治時代、ないしは、それ以前の資料は、必読書とも思われるので、知らなかったでは済まないと思うのである。
史話 日本の古代 二 謎に包まれた邪馬台国 倭人の戦い
直木孝次郎 編 作品社 2003年刊
「邪馬台国の政治構造」 平野邦雄
初出 平野邦雄編 「古代を考える 邪馬台国」 吉川弘文館 1998年刊
さて、妥当な推論かどうかは別として、書き留められている先行論文と論旨を書き出すとする。
『後漢書に見られる「倭国王帥升」記事が通典に引用された際の「倭面土」国が「ヤマト」国と読まれるべきだ』という説は、明治四十四年(1911年)に内藤湖南氏によって提唱されたものである。(明治四十四年六月「藝文」第二年第六號〕
文語体、旧漢字で読み取りにくいだろうが、「倭面土とは果して何國を指せる。余は之を邪馬臺の舊稱として、ヤマトと讀まんとするなり。」と明言されていて、その後に、詩経などの用例から、太古、「倭」を「や」に近い発音で読んでいたと推定している。
ついでだから、原点である内藤湖南「倭面土国」をPDF化した個人資料を添付する。
原資料に関する著作権は消滅しているが、PDF化資料に関しては、プロテクトしていないとはいえ、無断利用はご遠慮いただきたい。(まえもって連絡して欲しいとの意図である)「k_naito_yamato1911.pdf」をダウンロード
『「倭面土」国と併せて、「倭奴」国も「委奴」国も、「ヤマト」国と読むべきだ』とする説も、明治四十四年(1911年)に稲葉岩吉(君山)氏によって提唱されたものである。(明治四十四八月考古學雜誌第一卷第十二號)
湖南氏は、後続として同様論旨の論文を準備していたが、稻葉氏の論文を見て発表を断念し、原論文を「讀史叢録」に「倭面土国」として収録する際に、付記として、『「稲葉君山君」が翌々月号に「「漢委奴國王印考」といへる 一篇を發表され、委奴、倭奴ともに、倭面土と同一にして、單に聲の緩急の差あるのみと斷ぜられたり」』と要旨を紹介しているものである。
いや、そもそも、そのような概念は、「釈日本紀」にすでに示されているという。影印を見る限り、そのような趣旨で書かれているように見える。
つまり、「古代史書で多数見られる倭国名の漢字表記と思われるものが、全て、ヤマトと呼ばれるべきだ」とする論旨は、数多くの先例があると言える。
してみると、本論文の大要は、所詮、先人の説くところを踏襲/盗用していて、特に格別の考察を加えているとは見えないので、新説として独創性を頌えることはできないと思う。
むしろ、先例を伏せて独創性を訴えたと見られる論調は、先人の功績を踏みにじるとのそしりを招きかねない。
以上、今後の活動の際の戒めとしていただければ幸いである。
□季刊「邪馬台国」誌の不手際
それにしても、懸賞論文としての審査に於いて、「選外佳作」、「公開不適」と判断したのに、欠点を是正せずに、稚拙な体裁のままで、多数のページをいたずらに浪費して、掲載誌を膨満させた醜態を掲載した編集部の不手際は、かなり深刻だと思うのである。
「浪費」の一端は、行間ツメなどの当然の編集努力を怠って、それでなくても希薄な論文をさらに希薄に引き延ばして、雑誌刊行のコストを引き上げ「邪馬台国」誌の財政を悪化させた点にも表れている。雑誌編集部は、文字内容だけ吟味していればいいのではない。雑誌の紙数を勘案し、投稿者に制限を与え、必要であれば、部分を割愛して雑誌の体を保つのも、編集実務である。筆者が、指定に従わない、締め切りを守れないときは、断固落とすべきである。今回は、何ともお粗末であった。
以上
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