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2024年11月 9日 (土)

新・私の本棚 出野 正 張 莉 「魏志倭人伝を漢文から読み解く」⑴ 2/2 追補

「倭人論・行程論の真実」 明石書店 2022年11月刊
 私の見立て ★★★★☆ 待望の新作 2023/06/26 改訂 2023/08/14, 11/09, 11/17 

*加筆再掲の弁
 最近、Amazon.com由来のロボットが大量に来訪して、当ブログの記事をランダムに読み囓っているので、旧ログの揚げ足を取られないように、折に触れ加筆再掲したことをお断りします。代わって、正体不明の進入者があり、自衛策がないので、引きつづき更新を積み重ねています。

*題目と定義文
 漢文の定型をしばし忘れて、文意を理解しようと努力すれば、「従郡至倭」は、文章主語でなく、短文の掲題/タイトルとも見える。続いて、後続記事で特に採用した用語の独自の定義が二件見て取れる。
 ➀ 以下で、「水行」は、海岸を発って、対岸に向かう渡船行程を言う。
   河川の渡船を海で行うから、渡海を「水行」と呼ぶのである。
 ② 以下で、「道里」は、郡から狗邪韓国までを七千里とするものである。
   皇帝が公認した郡から倭まで万二千里の道里を按分するので、狗邪韓国までが七千里とした。
   つまり、皇帝公認不可侵の「郡倭万二千里」を按分し、狗邪韓国まで七千里とする。
   郡から狗邪韓国までの街道は、弁辰産鉄輸送路が整備済みで、「普通里」数は
   既知であったが、余儀なく「郡倭万二千里」の原器としたのである。
  倭人伝」道里記事を頑として規正していることを示していたのである。

 言うまでもないのだが、このような構文は、皇帝を含めた同時代「読者」に明快に理解されたものである。後世東夷の誤解は、陳寿の知ったことではないというか、まさか、二千年後に、無学の野次馬に寄って集って誹(そし)られるなど思いもしなかったのである。

*「倭人伝」は、時の試練を経た名著~「時の娘」
 「倭人伝」に関して、西晋宮廷の知識人からも後代の史官からも「水行」と「道里」に非難がないのは、陳寿が慎重に、定義文を織り込んだからではないだろうか。文句を言うのは、大局を知らない二千年後生の無教養な東夷ではないか、と思うものである。
 以上は、読んで頂いて分かるように、出野氏批判/個人攻撃などではない。「無教養な東夷」とは、世上山成す落第生を述べただけである。
 古人曰く、「真実は時の娘」である。
 後生東夷にとって、「真実」は覆い隠されていても、かならず覆いを外して現れるはずである。

*古田氏道里説の不備~余談
 古田氏の「魏晋朝短里説」は、理不尽である。また、「部分里数合算が全里数に等しい」との提言は、「千里単位/余里」概数を見過ごして罪深い。早計の誤謬は、最優先で正すべきであった。子孫に遺すべきではなかった。

*異例の筆法/明快な示唆~余談
 異例の筆法は未曽有であり、未聞事態収拾に先例はない。文献は文献をして語らしめよ、である。東夷伝を探り、魏志を辿れば、題意は明らかと見える。
 何しろ、皇帝閲読の場で先例確認するには、皇帝書庫の簡牘巻物を取り出す「汗牛充棟」になり排斥されるだけである。その場の巻物を展開参照できる魏志第三十巻に依存できれば明快になる。
 「倭人伝」は、時に「条」と揶揄される端(はした)に過ぎない。

◯本項まとめ
 魏志第三十巻の掉尾を占める「倭人伝」を的確に理解するには、少なくとも編纂者である陳寿の真意/題意を想到するのが不可欠である。
 と言っても、大したことではない。「倭人伝」道里記事は、郡倭行程道里を端的に書くのが至上命令で、解読の手がかりは当時読書人の「容易想到事項」が前提である。少考で解読できなければ、魏志全体が却下されかねないから、明解に書かれているのである。二千年後生の無教養な東夷は、自身の無教養で、いきなり落第している。
 要するに、二千年来提示、出題されている「倭人伝道里」「問題」(Question, Problem)が明解できないのは、解答者の知識不足「問題」である。
 このあたり、随分、厳しい言い方になったが、それだけ、出野氏と張莉氏の共著に求められるものは、高いのである。出野先生には、絶大な漢文教養を持つ張莉老師が付いているのだから、当記事への反論を検討頂けたら幸いである。

                              以上

追記
 2024/11/09
 太平御覽 地部二十三 水上では、秦漢以来教養人の必須教養であった字書「爾雅」を引用して、「水」にまつわる言葉を説き聞かせてくれる。
 水行曰涉
 「水行」を「川(水)を渡(涉)る」と定義すると共に、続いて、「川(水)を上る」、「川(水)を下る」、それぞれ別の言葉を定義している。川の流れに沿って進むと行っても、「上り」と「下り」は、当然、別別である。海にも、海流があるのは常識であろうから、「水行」は、あくまでも渡船であり、海流に沿うか、逆らうかなど言わないのである。
 ついでであるが、枯れた川(水)を渡ることを「乱」、衣類を改めずに川(水)を渉ることを「厲」、膝まで浸かって下ることを「揭」、ひざによって上ることを「渉」という。
 川(水)を渡る処を「津」という。川(水)に身を潜(ひそめ)て下ることを「泳」と言う。
 と、定義を述べているようである。
《爾雅》曰:水行曰涉,逆流而上曰溯洄,順流而下曰溯游,亦曰沿流。
    絕流而渡曰亂。以衣涉水曰厲,由膝以下為揭,由膝以上為涉。
    渡水處曰津濟。潛行水下為泳。

 確認して頂きたいのであるが、再三確認しているので、顎がくたびれるが、「水」は、河川の流れのことである。「水行」につづく規定は、これらは、街道を行く際に、水に遮られたときの対応を述べているのである。
 既に述べたように、「倭人伝」で言う「循海岸水行」は、正史に於いて「水行」なる用語が、先例が無いために事前に定義を要する「新規事項」であって、塩水の流れる大海を「渡し船」で渉ることを言うのである。くり返しの念押しであるが、正史蛮夷伝で言う「大海」は、二百年後生の無教養な東夷がすらすら誤解するようなも世界を囲む「海洋」ではない。西域の大きな水たまりカスビ海で示されるように、しょっぱい塩水の溜まっている塩水「湖沼」であり、「倭人伝」では、塩水に流れがあることから、「大河」に見立てて、渡船で渡る(渉る)のである。
 ついでに言うと、西域の「沙漠」は、「流沙」、つまり、砂の流れに見立てられていて、「流沙」に浮かぶ「オアシス」集落を、沙漠の舟である駱駝で渡り継ぐとされているのである。どちらも、「瀚海」として、絹布のそよぐさまに例えられているのである。

 閑話休題。
 もし、「水行」が、本来の字義の通り、河川を渡るのであれば、何も説明はいらないのである。狗邪韓国で、川岸に立って、渡し場から対岸の渡し場にすらすらと渡るのであれば、何も書く必要はないのである。ここでは、三度の渡船が、それぞれ、一日を越える日数を要するから、そして、渡船は、並行する陸路がないから、総じて「水行十日」と書かざるを得ないのである。まして、一度の渡船ごとに、一国に表敬して、過所を承認させる必要があったから、それぞれの国に至ることと、国状を記録せざるを得なかったのである。
 ということで、「倭人伝」独特の記法として、それぞれ、千里の渡海であることを示し、官人を記録し、国状を記録し、各国条としたのである。ということで、各国条の上位区分は「倭人伝」と呼ばざるを得ないのである。
 それはさておき、そのように、各国記事が、条立てである以上、もはや、表記を省略することもできないので、前例のないことであるが、三度の渡海を「水行」と書くことにしたのである。
 その程度のことは、史学者には自明(Elmentary)と見たのが、「二千年後生の無教養な東夷」は、全員落第のようなので、わかりきったことまで書き連ねたのである。張莉老師には、「朝飯前」であろうが、御容赦いただきたい。

以上

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