新・私の本棚 井上 よしふみ 季刊邪馬台国137号 「卑弥呼の墓は朝倉の山田にあった」 1/1 三新
【総力特集】邪馬台国論争最前線
私の見立て ☆☆☆☆☆ 不得要領意味不明のジャンク 2020/01/30 2024/01/27, 02/27, 10/21, 11/11
*加筆再掲の弁
最近、Amazon.com由来のロボットが大量に来訪して、当ブログの記事をランダムに読み囓っているので、旧ログの揚げ足を取られないように、折に触れ加筆再掲したことをお断りします。代わって、正体不明の進入者があり、自衛策がないので、引きつづき更新を積み重ねています。
〇駆け抜け書評
筆者は、幻覚境にあるのか、意識が穴だらけ、躓き石だらけなのか、栄えある記念号の誌面を汚しています。言い方がきついのは、「自著の提灯持ちの商用文」と見られるからです。合わせて、このようなお粗末な「エッセイ」(論文)を審査せずに生のまま掲載している編集部に警鐘を鳴らしたいからです。
〇粗雑な用語管理 「論外不作」の態
大事な冒頭部分、枕で、著者の粗雑さが露呈しています。「初見」、つまり、「国内史料初出」とぶちかまして、いきなり「書紀」「斉明天皇条」(斉明紀?)で誤記/誤解奮発です。朝倉山・朝倉社と書きつつ、直後、『朝倉に朝倉山と朝倉神社が「ない」』と断言です。「朝倉社」が神社かどうか証されていないのに無頓着なのでしょう。
そもそも、「朝倉に」なる朝倉はどこなのでしょうか。また、何かが「ない」とは、何を根拠に言うのでしょうか。どんな資料を引いたのでしょうか。捜索範囲の記録にないと言っても、実際に「なかった」と言うには、随分証拠不十分なのです。また、初見の「草書殺字」は、井上氏の「理論」に初対面の読者には、殺生です。
これで当エッセイはゴミ箱入りです。
*意味不明、独りよがりの地名談義
と言うことで、読者をほったらかしの地名談義は、当ブログでは「全然無視」です。
*混迷の「魏志倭人伝」「撰述」談義
何がそうさせたのか、「倭人伝」談義は支離滅裂です。「本文」とわざわざ言う意味が不審です。「固有名詞」に出所不明の発音を当てはめた「借字」と言うものの、初見の「借字」は、新参の読者にして見ると趣旨不明であり、「倭人伝」冒頭の「帯方」と「韓国」は、どこから来た借字なのか、なぜ、公式と思える著名地名に対して誤字山積というのか、理解困難(不能)です。
なぜ、「倭人伝」が『最初から「正史」と思われがち』と談じたか,「ガチ」で不可解ですが、誰も、一片の「倭人条」が「正史」であるはずがないと思うでしょう。すくなくとも、最初の陳寿「三国志」は、裴注以前であるから簡潔であったとしても、山成す大部であり、皇帝が上覧後に『「座右」に置いたはずはない』というか、せいぜい、置いたかどうか知るすべはありません。貴重な国宝的な原本は、公開の場に放置すべきものではないはずだからです。
また、どの時点から「倭人伝」二千余字が正史とされたかの解明もありません。当時、陳寿「三国志」全巻は、司馬遷「史記」全巻、班固「漢書」全巻に列なる、第三の正史の全巻とされていただけであり、世間に出回るべきものでなく、特に、混同を避けるために「正史」と定義する必要もなかったでしょう。
因みに、陳寿生家は蜀地であり曹魏首都雒陽付近にはありません。随分杜撰な校正です。
*一日にして成らず
「楷書が隋、唐で正式書体になった」のありがたいご託宣は、一応聞き置くとして、隋初から唐末まで四世紀あまりあるので、どの時点か、明記してほしいものです。
また、何をもって楷書「未確立」と決め付けるのかよくわかりませんが、公的(?)に確立されていないだけで、紙上筆書が普及すると共に、楷書前身書体が実用に供されたかと愚考します。なお、公式史書は「実用書」などでは絶対にないのです。「当時の資料は一切現存せず、当時の資料を読んだものも誰も現存しないので、確認しようがない」と言うのは、古代史学界で出回っている惹き句なのですが、当ブログ筆者は、それなりの見識を持っているので、とてもついていけないのです。
*陳寿遭難
三国志編纂四年間は、途方も無い勘違いでしょう。魏志、呉志、蜀志、それぞれ、構想~編纂完了は別々であり、また、陳寿が全ての書記を行ったとは思えないのです。特に、大半が呉史官の手になる呉書の編纂期間は、知るすべがないのです。
もちろん、三国志編纂は、陳寿が一人でやってのけたものではないのですから、人海戦術で手分けして取り組めば、期間短縮はできたとしても、最終段階は、陳寿がその手で書き付けていく以外に無いので、五年どころか十年かかっても不思議はありません。云うまでもありませんが、陳寿は任官していたので、在職していた担当部署に「出勤」しないと、給与(粟)を受け取れなかったものです。
編纂の間、不眠不休で、国志編纂に専念/没頭/苦吟していたわけではないのです。氏は、どのような日々を送られているか知りませんが、官吏は用務繁多なのです。
陳寿が草書らしき「達筆」で草稿を綴ったとすれば、誤字解消に十分対策を講じたでしょう。また、行間に意を込めた自筆稿を自身で誤読するとは思えないのです。史官をそんなに見くびるものではありません。
「邪馬台国」談義で、許慎「説文解字」の引用に当時存在しないアルファベット表記は重大な錯誤でしょう。まして、カタカナ表記は愚の骨頂です。
*卑弥呼の墓 掃き溜めの鶴か
最後、唐突に「卑弥呼の墓」比定ですが、こんな雑駁なエッセイで発表するような半端な事項ではないはずです。勿体ないことです。
数万、数十万(多い、少ないでは、余りにも不明瞭で議論にならないので、数値らしきものを提示します)の関係者が頼りにしている筈の「畿内説」纏向王宮説の大楼閣が根底から覆る主張です。まるで、中東古代の英雄サムソンの神殿崩しの荒技です。ここで示されたように、半人前の論者が「大楼閣」に喧嘩を吹っかけても、相手にされずにゴミ箱入りになるか、お呪い代わりに桃種満載の土坑に放り込んでいただけるか、たぶん前者が分相応でしょう。
ちなみに、「卑弥呼の墓」 は、「魏志倭人伝」に、一切書かれていない時代錯誤です。書かれているのは、小規模な「冢」(ちょう)、あるいは「つか」であり、「倭人伝」記事で見る限り、せいぜい、直径15㍍程度の小ぶりな土饅頭です。一方、NHKもお気に入りの「畿内説」纏向王宮説の大楼閣は、 所謂「前方後円墳」であり、縦方向200㍍に及びそうですから、寸法比で10倍以上、用地面積で、150倍程度、労力の指標になる用土の要領で言うと、2000倍にもなる大差ですから、比較などできないという所でしょうか。
卑弥呼の「冢」の探索に関しては、これら両極端の中央と言うか、所謂「前方後円墳」直径150㍍程度の円墳という有力な提言があり、用土で言うと、1000倍程度ですが、近来、有力な論者である刮目天一氏が、候補となる大規模な円墳を提言しています。
井上氏の思いつきは、どの分類に属するのか不明であり、単に、所在地を提唱されても、せいぜい、ゴミ箱入りが精々でしょうか。
今回は、折角タイトルに提示したものの、延々と導入部で与太話を流し続けたので、読者の意識はそっぽを向いていて、この場で何を主張しても、またもや夢想かと解釈され、お話として多少面白くても、とても信用できないどころか、まともに耳を傾ける気にならないのです。其の意味では、自滅エッセイでしょう。
〇結語
やはり、本エッセイは、選外佳作どころか立派な「論外不作」であり、読者が本誌の該当ページを不良品として送りつけたら、版元は、品質保証として、その分返金すべきものでしょう。いや、ただの冗談ですが。
念のため言うと、本号の各記事は、ここまで徹底的に無残な出来ではありません。本号全体の評価は、私見では★四個なので、安心して購入してください。
以上
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