新・私の本棚 大平 裕 『古代史「空白の百五十年間」の謎を解く』 序章
卑弥呼(天照大神)から神武・崇神・応神へ (PHPエディターズ・グループ)
Kindle版 公開サンプル 一頁 短評(評価外) 2022/12/20 単行本 2021/12/06 書評2024/11/26
◯前置き
本件は、日本古代史著作の典型的な一例でしょうが、当ブログ圏に干渉しているので託宣します。
ご承知のこととは思いますが、「魏志倭人伝」「後漢書倭条」は現代人向け文書では無いのです。ご自身で解釋を極められないなら、先覚諸兄姉の論稿を具体的に参照して、身を委ねるべきです。
本稿は、本書において、期間の出発点を確保する重要な序章であるので、以下のごとく、事実誤認があって、正確な確保がされていないことを具体的に指摘するものです。本書における氏の論考全体に対して総括的な批判を加えているものではありません。
*逐次解明 教育的指導の試み
「邪馬台国」は「ヤマト <邪馬堆>国」
もう一つは、「邪馬台(やまたい)国」論争という、不毛な論議が続いたことです。
戦後古代史学界で大論争となったのが、「邪馬台国」問題でした。
「論議」が不毛である/あったかどうかは、氏が他人事のように断じるべきものではありません。また、『「問題」は解答を要する出題』(Question)と言うのが本義であり、本来「大論争」とは無縁の極みです。
筆者は若い頃から、「ヤマタイコク」という呼称に強い抵抗感を持っていました。「ヤマタイコク」という呼び名は、日本語としてもそぐわない。『万葉集』『日本書紀』『古事記』にもこのような表現はないのですから、とても受け入れがたい呼称でした。よく調べてみますと、間違いのもとは、『後漢書』の編纂者が「やまと」という倭人の国名を「邪靡堆」(と)と漢字で表すところを間違え、「と」の漢字に「臺」(たい)の字を当ててしまったことです。
あっという間の「間違い」宣言ですが、見るからに中国史料に暗い氏の未熟な私見「抵抗感」が、なにを「よく」調べて「間違い」摘発の根拠としたのか、不可解です。
根拠の見えない指弾は、『後漢書』編纂者なる匿名「妖怪」の聞き取りで「やまと」が「邪馬臺」となったとのようです。一応、お話は伺っておきます。
続いて、『三国志魏書倭人伝』 (以下『魏志倭人伝』 )の編纂者が、『後漢書』が伝える「臺」の字を写し間違え、「壹」(い)の字にしてしまったのです。当然『魏志倭人伝』を引用しますと、「邪馬壹」(やまい)と呼ばなくてはなりません。多くの学者は、これを単純に編纂者のミスとして、原因を追及することはありませんでした。
氏は、「魏志倭人伝」編者なる匿名「妖怪」が、「倭人伝」編纂に際し、当時未刊と言うか影も形もない未生の「後漢書」、実は、東夷列伝の「はした」である「倭条」の伝える「臺」を「壹」に錯乱したと主張しているようにも見えますが、素人には、どうにも、氏がどうして「ミス」と断定されるのか、理解困難です。
ついでながら、「臺」(だい)は、代用される「台」(たい)と違って「と」と発音される可能性はありません。逆に言うと、言葉も文字も知らない蕃夷が「と」を「臺」(だい)と書き立てることは不可能であり、言葉と文字に通暁している郡官人が、蕃夷の発音する「と」を「臺」(だい)と書きとめるはずが無いのです。
氏は、ここに述べたような初歩的な認識事項に暗いために、いずれかの先賢兄姉が述べている見解を、ひたすら引き継いでいるようですが、志の壮大な構想の基点である以上、事実確認に一段と務める必要があるように感じる次第です。
素人読者が精一杯善解しても、当ブログ記事で言う「倭人伝」と「倭条」は諸所で輻輳していて、『「倭人伝」自己参照すら不能の「多くの学者」なる「妖怪」の過去の怠惰の指弾』と見えますが、遺憾ながら趣旨不明です。「論争」では指弾対象の具体化が不可欠です。一応、お話は伺っておきます。
氏が、論議のイロハ抜きに「妖怪」談議に耽る心境は当方の知ることではないのですが、言明された根拠は、ことごとく「間違い」と申し上げるしかないのです。どうか、このような残念な著作は撤回して、晩節を全うされるよう祈念します。
*史実誤認 ことの後先
新参東夷は、国名、王名、居城、戸数等を東夷管理拠点たる楽浪郡に申告するのが原則ですから、「国名」は、郡が、後漢霊帝代末期ないしそれに続く一大動乱時代に、漢武帝創設の栄えある辺境守護の重責に任じていたのであり、責任を持って聞き取ったものです。欠席裁判で弾劾の范曄の知らないことです。
高校生向きとも見える講釈は心苦しいのですが、氏は周知の事実を知らず臆測で書き進めるので、論議不要の事実を指摘せざるを得ないのです。要するに、「魏志倭人伝」編者陳寿は公文書を元に「倭人伝」を書き上げたのですが、それは「後漢書倭条」編纂に百五十年先立っています。
かくも、読者を誘い込むために精魂込めたはずの「サンプル」が、わずかな字数の乱脈さを素人に指摘される、論議根拠の不体裁さでは、肝心の本体部が全く信用できず、全文購読の意欲が大いに削がれます。
◯まとめ 妄言多謝
本稿は高校生も知る両史料前後関係未検証の素っ頓狂な異説です。この失態は氏が初心に復って学習するのが治癒策です。身辺の専門家にご相談いただいて再発防止策を講じて下さい。またの御来診をお待ちしています。
長年この調子で済んでいるからには「高樹多悲風」でもないのでしょう。
それにしても、学術書に不可欠の編集活動の見えない「書いて出し」は、本書は「出版社」不在の出版物ということでしょうか。
以上
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