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2024年11月 9日 (土)

新・私の本棚 番外 英雄たちの選択 追跡!土偶を愛した弥生人たち~2/2

 縄文と弥生をつなぐミステリー 2019/12/04 NHK BSプレミアム
*私の見立て ★★★★☆ 旧悪を雪ぐ好番組     2019/12/19, 2024/11/09

*加筆再掲の弁
 最近、Amazon.com由来のロボットが大量に来訪して、当ブログの記事をランダムに読み囓っているので、旧ログの揚げ足を取られないように、折に触れ加筆再掲したことをお断りします。代わって、正体不明の進入者があり、自衛策がないので、引きつづき更新を積み重ねています。

□浮かび上がる合理的な考古学史観
 以下は、言うならば、行間、紙背から浮かび上がる古代史の史観です。

*まほろば史観絶賛
 弥生文化博物館秋山浩三副館長の意見が炸裂します。「近畿は西日本と別だ」発言は、日本全土が、瞬時一様に時代を歴たとの「通説」に堂々と異を唱えます。いや、話題は河内圏であり、奈良~河内圏一帯一路で近畿と括っていると思いますが、奈良盆地は、西の河内圏との間の山地が防壁となるまほろば/壺中天で、西方との交流が乏しく、さらに「別」、つまり、西日本全般の進歩から随分取り残されていたとみられるのは承知で断言したと見るのです。
 ここで、弥生と縄文の平和共存と一口に片づけていますが、弥生で紛争が起きるのは、稲作の水争い、土地争いですから、稲作に手を染めていない縄文人は弥生人と抗争することは少ないのです。それを全近畿の後代まで敷衍するのは不審です。

*九州先進説確認
 次に、九州北部の進展について、歴博教授にして古墳考古学の権威と目されている専門家松木武彦氏から駒澤大学教授寺前直人氏と連携でそそくさと発言があり、九州北部は外来船舶で文物流入が多く進展が急で、抗争が多くなったと総括した所から、先の断言の史観が裏付けられます。
 それにしても、中国などからの外来文物が、天地の果てと言える近畿まで伝搬するには、数か月、数年、十数年、数百年の時が必要なのは自明ですから、先の発言も、宜(むべ)なるかなと思われます。

*唐突な九州行き詰まり説
 さらに、九州で水田耕作の平地が限定され抗争を招いたとしていますが、壱岐、対馬の耕作地事情を良田不足と明記している「倭人伝」が、末羅国上陸後は、一切そのような泣き言を書いていないのを見ても、三世紀当時、北九州に耕作地不足は見えなかったと思えます。人口過密で粗暴な心理状態になるとは途方もない言いがかりです。案ずるに、玄界灘沿岸の後背地として、筑後、有明海沿岸もあり、成長限界は先と思われます。因みに両地区は山地で隔てられてはいません。
 卒爾ながら、人口増加は、土地の風土、特に農作の好不調に左右されていて、食料不足であれば、人口増加は抑制されると見えるのです。

*隠された憶測で断定思考~乞う ご再考
 それとも、松木教授は、専門外の中国正史の解釈で遅れを取っているのか、「倭人伝」戸数記事の俗読み派で、倭地全体を、どうも十五万戸程度らしいと勝手に目算したためでしょうか。合理的な解釈では、北九州に拡がる倭地全体は、せいぜい七万戸らしいと「明記」されているとの読みもあり、俗読み派の目算のほぼ半分となるのです。戸籍不備の遠隔地である投馬国が、期せずして最大になっていて、これは、どうやら、域外の四国、中国らしいとの疑惑が拭えない上に、戸籍不備では、どうも五万戸らしいかな、という程度のものですから、これも、憶測の根拠にすらならないのです。それにしても、「倭人伝」に対して不審を掻き立てる戦略のはずが、なぜ、戸数についても怪しげな異説を持ち出すのか。不可解です。
 冷静に考えて、「倭人伝」に従うならば、「倭人」諸国は、中国太古の「国邑」並で千戸代の小ぶりな集落であると明記されていて、そのような国状と、数万戸の戸数は、明らかに整合しないのですから、その点を言いたてて、七万戸という想定戸数は、信用できないと考えるのが、適正な史料批判と見えるのです。目先の論争で有利になるために、史料解釈の視点を左右に動揺させるのは、信用を無くすのではないでしょうか。
 口に出せない憶測で、強固な推定を行うのは、時間感覚の混沌も含めて、身勝手な主張と思います。一度、根底から考えなおしていただく方が良いでしょう。失礼ですから、「不勉強」とは言いませんが、そのような事情は承知のはずの松木教授が、断定的に三世紀ならぬ、遙か以前の時代の耕作地不足を言うのが不審です。おそらく、神がかりで口走ったのではないかと思われます。かたや、近畿が平穏なのは、当時覆い隠しようのなかった過疎状態の故でしょうか。それにしても、大問題としたいのは、端から出遅れていて、進展もはっきりと遅い近畿は、いつ、どのようにして九州を追い越したのでしょうか、と言う素人の質問です。

*奈良湖と竹ノ内峠
 仄聞するに、同時期の奈良盆地は、西南部に湖沼が残存し、まとまった耕作地が取れなかったようです。更に進歩が遅れても不思議はありません。現に、巻向地区の公道は、まずは河川氾濫で起伏の激しい低地を避け、山地下部の等高線沿いに曲折の多い「山辺の道」が設けられように見えるのです。時代の進行で、奈良湖は干上がり、纏向(遺跡)付近の平地は、多数の労力を投入して均されたでしょうが、それはいつのことだったのでしょうか。(三世紀当時、現地は、生きた古代集落で、「遺跡」でなかったと愚考するのですが、頑固に「遺跡」呼ばわりする方がいらっしゃるので、追従しています)

 また、素人の限られた見聞でも、奈良盆地から西方への街道は幾つか存在したと門外漢にも知られています。
まずは、幾重にも重なったつづら折れで竹ノ内峠を越えた経路です。最初の古代街道は、そうでもしなければ、荷を背負って越えられない、途方もない山越え難路だったのです。俗説では、地図上の直線距離だけ見て、容易な輸送路と称している例が少なからずありますが、一度、提唱者自ら、そこそこの荷を背負って、早朝発進の前提で、登坂の容易さを実証いただきたいものです。
 別の俗説が決め付けているように、大和川沿いに適当な沢道がずらりとあれば、同地域で最初の公的街道に起用されたでしょうが、古代も今も、現場には騎馬走行できるような道どころか、普通の体力の人が難なくたどれるような道は、作れない(かった)のです。
 つまり、古代の大和川を上り下りする河川運送もなかったのです。渓流の遡行には、側道からの曳き船が不可欠であり、漕ぎ手が何人いようと自力で名うての早瀬の急流を遡行することなどできなかったのです。こちらの俗説も、提唱者自ら、実証漕行されたらいかがでしょうか。

 従来、遺跡、遺物に年代が書かれていないことから、考古学界としては、(西)日本全般の進歩をほぼ同一歩調とみていたようですが、その拘束が解かれると斬新な史観が見えてきます。

 いや、以上のような個人的な番組解釈を公開すると、発言者に不都合が生じるかとも思ったのですが、報道は報道であり、学問的な論証はされていないので、当方も、個人的な感想として提示するものです。

*まとめ
 本番組は、行間、紙背を含めて、NHKが、久々に報道機関としての機能を全開にした好番組と見るのです。

 これを契機として、当方の受信料も受けとっていただいているはずの公共放送ですから、たちの悪い全国一律紙芝居は、ご勘弁いただきたいものです。

                               以上

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