新・私の本棚 出野 正 張 莉 「魏志倭人伝を漢文から読み解く」⑴ 1/2 追補
「倭人論・行程論の真実」 明石書店 2022年11月刊
私の見立て ★★★★☆ 待望の新作 2023/06/26 改訂 2023/08/14, 11/09
*加筆再掲の弁
最近、Amazon.com由来のロボットが大量に来訪して、当ブログの記事をランダムに読み囓っているので、旧ログの揚げ足を取られないように、折に触れ加筆再掲したことをお断りします。代わって、正体不明の進入者があり、自衛策がないので、引きつづき更新を積み重ねています。
*ご注意 2024/11/10
今更ながら、注意書きを追加するのです。本書掲題で提示されている「漢文」は、中国語の文章という意味でなく、丁寧に言うと、周秦漢魏晋代に、文書作成で参照されていた「古文」、つまり、太古以来の「文語」という意味なのです。
現代人は、漢文の素養がないのに加えて、「文語」という概念が欠けているために、本来は「外国語」と解釈すべきなのですが、飛んだ勘違いなのです。
昭和世代の旧世代の教育では、漢文読解の素養が含まれていたので、原文を噛みしめれば文意が伝わるという漢文解釈が知られていたのですが、現代人には、そのような素養がないので、「外国語」として解釈するのが当然の道なのです。
本書は、読者に高度な漢文素養が備わっているという前提で書かれているようですが、それは、とんでもない勘違いです。本書は、現代日本人が、手持ちの素養、つまり、大学教養課程までの知識で、すらすら「倭人伝」の「漢文」の適切な解釈できるとの幻覚を与えているのではないかと危惧する次第です。ほかにも、「倭人伝」は、簡体字教育の染みついている現代中国人が正しく解釈できるとの幻想も出回っていて、危惧の山です。
本書のタイトルは、恐らく、出版社の政策であり、両著者は、以上の危惧は把握してると見ますが、当プログ記事の読者諸氏は、一目散に、心地良い「誤解」に走っているのではないかと危惧してつまらない警句を発しているものです。
◯始めに
両著者共著の前著は、国内古代史学界で見られない、中国語を母国語とし、かつ、国内史学者に対する忖度のない、そして、白川勝師漢字学の学徒である張莉氏の出色の著作であったので、さらに、漢文解釈で、一段と未踏の高みに前進した著作を期待したのである。
本書で不満なのは、大半の章が出野正氏の力作となっていて、張莉氏の担当は、第三章「日本列島における倭人(国)の成立」、第四章『金印「漢委奴国王」』に限られ、特に、当方の主眼の「倭人伝道里行程記事」に関する第七章は、出野氏の難解なご高説を拝聴する仕掛けで、当て外れと言わざるを得ない。
ともあれ、ここは、第七章でも局部的で、論点限定の批判である。
◯第七章「魏志」倭人伝の行程から歴史を解読する 出野正
出野氏は、史料を引用する際に、出典を明らかにしないのが不満である。
*「翰苑」史料批判の不備
出野氏は、「翰苑」においては、誤字、誤記の多い断簡である原史料を、校訂無し/史料批判なしに採用している。
いや、「翰苑」の史料批判に於いて、諸兄姉が見過ごしている先行論考を、すらすらと見落としているのである。
学術的に論ずるなら、中國哲學書電子化計劃に収録されている《遼海叢書》本《翰苑 遼東行部志 鴨江行部志節本》で校訂済みの整然たる資料を参照すべきである。印影に見られる誤字乱調/乱丁の不備が校訂された、整然たる活字本であって、例えば、誤解が広く出回っている「卑弥娥惑」は「卑弥妖惑」に、適確に校正されている。
出野氏ほどの大家にしては不用意であるが、張莉氏は、何も指摘しなかったのだろうか。いや、公刊されている影印を見る限り、誤記、誤字満載で、誤字ですまない大事故も散見されるから、とても、「翰苑」に依存した提言などできないと思うのだが、なぜか、無校正で引用されているのである。
出野氏は、太宰府所蔵本の影印を見て信頼しているのだろうか。それとも、いずれかの先人の解説書を丸呑みしたのだろうか。止まる枝は慎重に選ぶべきではないか。
翰苑が、粗雑に所引している諸史料を、厳密に史料批判しているのだろうか。疑問が残るのは、もったいないことである。
*「水行」の「謎」
中國古典で「水」は河川であり、『正史蛮夷伝行程道里定義に於いて、「水行」は海の移動に一切使わない/使えない』ことは自明である。張莉氏が異を唱えないのが不可解である。
今般、末尾追記で文献考証を試みたが、すべて、既知の文書史料に立脚しているので、この程度のことは、素人の指摘を待たずとも、発見できるのではないかと思うのである。
*「循海岸」「問題」と「解答」を遮る迷い道
古田武彦氏が「循海岸水行」を「海岸に沿って船で行く」と誤解した「愚行」に悪乗りしているが、「循」を「沿」と改竄した古田氏の誤謬は明白である。「循」の字義で、張莉氏の潤沢な漢字学から「誤解是正」がないのは不可解である。
私見では、「海岸」は海を臨む崖の陸地であり、「海岸」に沿うのは陸上街道しかない。陸上街道に沿って海を行く船は、岩礁、浅瀬、砂州で難破必至である。この点、郡官人に常識のはずである。
むしろ、道里記事中の「渡海」で、対岸州島である対海国に向かい「船で渡る」行程の予告解説と見るべきであろう。渡船は中原街道ではありふれているが、道里行程に含まれない些細なものとされていて、「倭人伝」では、それぞれ一日を要する渡海を「水行」行程と特筆して予告したものと見るものではないか。
当時高官は、韓国南部狗邪韓国へは既存官道の韓国中央縦断が、「絶対」確実/安全/安心であり、かつ、最短経路でもあるので「水行」は道を外れた危険行程の指示であり、官道たり得ないと絶対視していたはずである。従って、そのような「素直な」解釈であれば、「倭人伝」は、早々に棄却されたはずである。そこで、史官の真意を察することができなければ、合理的な解明は不可能である。
出野氏は、山東半島からの魏船がここで荷下ろしして陸送に切り替える不合理を、堂々と示しているが、世上の諸兄姉と同様に、大きく勘違いしている。当記事は、郡と倭の文書通信の日常任務の規定であり、景初/正始の一度限りの荷運びの報告などと一言も書いていない。
と言うか、公式道里は、皇帝に下賜物輸送の魏使を献策する前提に不可欠であり、魏使帰国後の制定とみるのは、大変な時間錯誤/倒錯になっている。
少し常識を働かせれば、このあたりの錯誤は、いつでも、どこでも、誰にでも是正できると思うのだが、百何十年経っても、誰も気づいていないようである。いや、氏は、大勢に流されているだけかもしれないが、「文献解釈」を丁寧に進めれば、不合理が不合理として見えたはずである。
して見ると、氏は、「文献解釈」に於いて、いきなり正史史料を、随分原文から乖離して、創作していると見える。
*中間報告
ここまで、出野氏が、史料引用の際に出典を明らかにしない事が多いのが、大変不満である。氏は、自ら、在野の「研究者」であっても、既存の解説書に頼る安易な道を採らず、史料原文解釈に敢然と取り組んだと主張されているが、それなら、出典明記は必須事項ではないだろうか。あえて苦言する。
未完
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