新・私の本棚 古田 武彦 「倭人伝を徹底して読む」 里程・戸数論 1/5 追訂
大塚書籍 1987年11月 ミネルヴァ書房 2010年12月
私の見立て ★★★★★ 必読書 批判するなら、まず読むべし 2020/10/30 追訂 2023/04/21 2024/05/29, 12/09
*加筆再掲の弁
最近、Amazon.com由来のロボットが大量に来訪して、当ブログの記事をランダムに読み囓っているので、旧ログの揚げ足を取られないように、折に触れ加筆再掲したことをお断りします。代わって、正体不明の進入者があり、自衛策がないので、引きつづき更新を積み重ねています。
〇本書の意義
前置きを怠らないで言うと、古田武彦師が、『「倭人伝」が提示し、先賢諸兄姉が読み損なっていた「問題」、即ち「課題」に対して、新たな視点から明解な「一解」を与えた偉業』 に絶賛を惜しみません。そして、「解」に至る論証過程を明記した事に絶賛を重ねます。後生のものには、古田師の論証を追試、検証する務めが与えられているのです。
と書き留めていたため、追従記事だと速断する方もいるようですが、相当辛口の批判を加えているので、よくよく読んでほしいものです。
*本書の由来
本書は論文集でなく、古田師の大阪「朝日カルチャーセンター」での連続講義を、主催者事務局が席上収録、文字起こしした記録を底本としたものであり、論文集と異なり日常表現に近い成り行きで、多少「ウケ」狙いのメリハリがついているようです。ただし、古田師が、責任を持った著作と感じるので、ここに、率直な批判を加えたのです。事実、書かれている論旨は、古田師のものです。
*当記事の意義~第五章 「里程論」、第七章 「戸数問題」の部分書評
つまり、本書の追試過程で、個々の論証、つまり、「解」の階梯構築に瑕瑾があって是正が必要だと感じたら、率直に提示するのが其の務めのもたらす派生的課題(問題)なのです。以下は、そうした派生的課題の一解であり、古田師の提示した最終的、総合的な一解を揺るがしているのではありません。
*誤謬の意味
世間には、素人後のみのお考えで、古田師の個々の論証に誤謬を見つけて指摘する論者がいらっしゃり、それが、古田師の解を全否定する根拠と見る追従論者があちらこちらにいらっしゃるようですが、それは、ものの筋道を解しない、浅薄な思い付きのお考えに過ぎません。
いや、ここでは、あくまで、一個人として、師の論考の階梯をここで論考し、自身の「一解」の優越を個人的に称しているだけですが、論者は、ひたすら、階梯が誤れば解が誤りと断言されます。本来厳密なはずの論争が混迷を極め、感情を込めた誇大表現の大安売りとなっていますが、学術的な議論は、子供(賈豎)の口喧嘩にならないように、おだやかに進めたいものです。
*部分的批判のはなし
と言う事で、当ブログ筆者は、既に、古田師の提唱した「魏晋朝短里説」の当否を論じ、史料考察から同説は「不成立」と断じました。これにより、後生の務めを果たしましたが、本稿は、師の里程戸数論を、更に追試して、師の誤謬の起源を探り是正を図るものです。
学問論議では、未開の荒野に針路を見出すために時に、先人の轍を辿りますが、無批判に辿るのでなく、地に足の着いた論考が、どこで道を外したか、先人の過ちを知る事が有益と考えたものです。
〇「魏晋朝短里説」の起承転結
古田師は、第一書から本書までに「短里説」を一部修正しています。
まず、師は、『正史の一小伝である「倭人伝」(通称「魏志倭人伝」の略称)が、晋朝史官陳寿が、自身の参照した原史料に対し、史官に求められる責務として、許される範囲において適確な考察を加えた著作である』との前提で、その真意を探るところから始めています。
*批判事始め~私見の形成
当ブログ筆者は、本書で師の論考を辿った上で、郡から狗邪韓国(郡狗)まで七千里の部分道里と倭に至る(郡倭)一万二千里の全道里に対して、当記事は、「倭人伝」の「道里行程」記事が、「郡狗」が七千里となる『独特の「里」』を物差しに「郡倭」道里を定めたと理解したものです。
そのような「倭人伝道里」については、陳寿が、その場で創出したと見る、特に根拠の無いとみえる意見/偏見/思い込みが有力/支配的/絶対的のようですが、これについては、以下、可能であれば、論義を加えます。というものの、ここまでは、さほどの飛躍は要しないと思います。
但し、本記事の初稿以後、さらに、丁寧に考察した結果が展開されているので、「追補改訂」、さらに「追訂」(2024/05/29)としています。
*「普通里」~不滅不朽の制度
因みに、「里」は、中国で太古、つまり、殷周代以来、連綿として施行されていたものであり、「普通里」は、四百五十㍍程度と見られ、私見では、秦代に一歩六尺、一里三百歩の原則で「普通里」が、統一された帝国の全土に施行され、その際、土地制度に刻み込まれた「里」が、尺の変動に関わりなく、「後世」の制度革新まで、精確に/広汎に継承されたと感じているのです。「後世」とは、おそらく、南北朝の分裂時代を克服し全土を統一した大唐の創業期でしょうが、ここは、それを議論する場ではないので、魏晋朝を経て南朝歴代まで維持されたとされていました。
「全土」と断ったのは、先立つ、周代、「普通里」が、諸国に普(あまね)く施行されていたかどうか、確信が持てないことによります。
未完
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