新・私の本棚 11 川谷 真 季刊「邪馬台国」第35号 「里程の謎」1/1 補追
11 「末羅国放射式」批判 川谷真
私の見立て ☆☆☆☆☆ 前途遼遠 2019/01/31, 02/08 追記 2020/10/07,2021/12/09,2024/10/15, 12/20
*加筆再掲の弁
最近、Amazon.com由来のロボットが大量に来訪して、当ブログの記事をランダムに読み囓っているので、旧ログの揚げ足を取られないように、折に触れ加筆再掲したことをお断りします。代わって、正体不明の進入者があり、自衛策がないので、引きつづき更新を積み重ねています。
*序論
論者は高校一年生(1988年当時)。見聞が熟していないまま、軽率な屈託を進めています。
書き出しで、謝銘仁氏と張明澄氏が、ともに中国人ながら解釈が一致していないとしていて、「中国人」は、同一の古文解釈力を有すると大々的に誤解しています。留学生や観光客に聞けば、そのような断定は、単なる誤解とわかります。あるいは、身辺の知り合いに「古代史」に関して相談いただけば、「日本人」同士で、国内史書に関する意見が一致しないのは、むしろ当然と理解できるでしょう。
中国人にも広大な個性があり、特に、張氏は「普通」でないのです。
張明澄氏は、日本統治下の台湾で生まれ、12歳まで戦前の日本式教育、つまり、日本語教育を受けています。それ以降、中国の伝統的な「学門」復興、維持を重視した中華民国の高等教育を受けているので、社会主義政権下の中国本土の中国人とは言語教養が大きく異なります。最終的に、日本に移住されたので、著書の大半は、日本国内で、日本語書籍として出版されています。そして、張明澄氏の古文解釈能力は、個人の資質、教育、教養に帰すべきものであり、一括りに論じるのは余りに乱暴です。
とかく誤解されますが、張明澄氏は、李白を代表とする厖大な唐詩について、該博な見識を示していて、むしろ、古文解釈で名声を博した方です。唐詩は、唐、つまり、中国中世の文学作品ですが、漢詩に不可欠な漢字音韻、平仄の知識と四書五経の古典書全体を通じた引用を鏤(ちりばめ)ているため、古代漢文に関する教養も絶大なものがありました。そして、古来、日本人、つまり、中国語詩文の理解に不可欠な教養を欠いている蕃夷の軽率な「誤解」を摘出しているため、伝統的な「唐詩」論者から排斥されていた実績の持ち主です。
少し柔らかに言うと、現代日本人の薄っぺらな見識、知識とは、ケタ違いの学識の人であったので、現代人に調子を合わせた崩れた言い方を採用したために、無知な野次馬が軽薄な「中国人」と誤解した批判を見受けますが、張氏の真意に気付かず、表面的な理解で、古文を解しないなどと批判するのは、現代風に言うと「自爆発言」なのです。
それはさておき、謝銘仁氏は、知る限りでは、真正「中国」文化の体現者として、尊敬に値するのですが、こと、「倭人伝」論義に立ち入ると、「日本」側のいわゆる「定説」論に遠慮して、筆が鈍っていると見られるのです。
ということで、ものを知らない読者からは、どちらも「中国人」でないという批判が沸いてきそうですが、それは、大変な勘違いです。
中国本土の現代「中国」人は、現代の「日本」を侵略国家として敵愾心を抱く教育を受けているので、古代史料である「倭人伝」などの冷静な考察が困難という事も無視してはなりません。
中国古典の教育は、反社会主義的な保守思想なので、そのような「文化」を棄却して、新時代の「文化」を採用せよという「文化大革命」の嵐が吹き荒れた時代、古典書の学習は反社会的とされたのです。ここに名の出たお二人は、「文化大革命」の濁流に呑まれなかったと思いますが、中国古典書の解釈に「中国人」が最適という保証はないのです。
現代日本人にとって、漢文解釈は『「語学」問題、つまり、正答の用意された試験問題』などではなく、歴史文献の解釈という実戦の世界ですが、国内史料に基づく頑固な意見(思い込み、勘違い、政策的な決め込み)が災いして、中国史料解釈の方途を見失っている方が大変多く(ほとんど全員)、多年に亘り混乱を極めている影響で、提示される論議は、堂々たる論理を失ったもので、発言者当人の感性、知性次第であり、まことに個性的です。後生の方(若い方達)は、真似しないでほしいものです。
川谷氏は、史料解釈が「語学的に決着がつけにくい」とおっしゃいますが、論者が「語学」に何を求めているのか不明であり、案ずるに、議論の出発点が全く間違っていますから、いくら考えても、「語学」から適確な回答は得られないものと思います。見当違いもいいところです。
*批判の提示
続いて、批判と言えない誤解満載の(若者に似合わない)「グチ」が述べられています。
⑴ 「遠い国を先に書くのは普通ではない」と断定しますが、「普通」の意味が不明です。同様に「道理はない」も意味の無い断言です。「倭人伝」の時代の史官にとって何が「普通」、「道理」か、「二千年後の現代、正当な教養を持っていない蛮夷/東夷の素人論者が知るはずはない」のです。
⑵ 『奴国記事が「簡単」で「差別」』とは、ものを知らない論者の偏見です。
「倭人伝」に、奴国の詳細記事のない理由は不明であり「差別」非難は不都合です。直線式なら奴国を「差別」しても良いとする意味が不明です。要するに、「倭人伝」が「従郡至倭」と書き下した「倭人伝」道里行程記事に、行程順路を外れた奴国の紹介は、本来必要ないのです。このあたり、相談する相手を取り違えて、迷路にはまっている感じで、勿体ないところです。
くどいようですが、「魏志倭人伝」は、論者の友達が気軽に書いたものでなく、二千年前の帝国史官が、高官の購読のために全力を尽くして、推敲を重ねて書いたものなので、論者の気に入らない書き方であったとしても、そんなことは、史官の知ったことではないのです。
⑶ 『「奴国が博多付近」との「通説」』は「漢文に弱い」日本人の勝手な解釈であり、加えて、国名と後世国内史料を安直に結びつけるのは、いくら、日本でもて囃されているとしても、不都合です。
陳寿は、「国内史料」を一切目にしていないし、「日本人」に読みやすいように筆を矯めることはなかったのです。
⑷ 『太平御覧「魏志」の「又」表現を信用すると放射式には「絶対」読めない』とするのは、二千年後生の無教養な東夷である「日本」人に気に入られるとしても、史料批判不備の素人判断で「絶対」不都合です。
「すると」と言うのは、そのように言い立てている人の見識不足の産物、つまり、誤釈であって、大変な誤解の可能性がある(誤解していると断定)のです。
丁寧に分析すると、まず、なにより、「御覧」は、長期に亘って塗り替えられた編纂過程の産物であり、とにかく、編者は史家でなく、巨大な大鍋料理のようなごたまぜの類書「御覽」編纂時に「普通」の見識不足、古代知識不備であるので、誤引用/誤記所引史料で魏志を曲解した可能性が無視できないのです。(参照する参考史料のない「倭人伝」は、校正不能なのです)
いわゆる「太平御覧」所引魏志は、正確な魏志引用ではなく、いわゆるぱっと見の「囓り取り」であり、「邪馬壹国」を「耶馬臺國」と誤記したように、誤記例多発であり、常習的な症例の観があります。或いは、散見されるように、笵曄「後漢書」倭条から誤引用した可能性が濃厚です。(粗忽な引用/所引では、その度に誤記、誤写が、雪だるま状に積み上げられていく可能性がある/否定できないことは「普通」の「常識」です)『信頼できないに決まっている史料』に無批判に寄り添うのは、論理的な自滅行為です。是非、もう一度、一から学び直してほしいものです。
三木太郎氏の「倭人伝より古形をとどめたもの」発言が、仮に正確な引用とすると、三木氏は、伝家の秘法で、倭人伝紙背に古形を見出したようであり、不思議な発言です。史学は、神がかりの世界なのでしょうか。
そのようなことを。根拠を示さずに勿体ぶって発言するような人に、相談するのが間違っていたのです。
*不都合な指導助言
伊都国放射式について、誰の意見か根拠を示さずに「語学的に無理」と決め込んでいますが、ここでも相談する相手を間違えたようです。
張明澄氏は、行程文に二度表れる「到」の語義を読み取って、狗邪韓国が帯方郡管内街道行程の終点、そして、伊都国が全行程の終点と見きわめていて、まことに明解です。張明澄氏が、そのように古代史史料の文法、語法を適確に指摘していることを、氏特有の饒舌に惑わされて、見逃してはならないのです。いや、いわゆる「定説」派の方々は、この点を認めると、行程が伊都国で終わってしまって、まるで畿内に届かないので、多数の優等生が総力を上げて混ぜっ返していますが、この程度の明解な提言をごまかすのは、さすがに無理のように見えるでしょう。
既に、氏は、「語学的」な判断では正確な解釈ができないと断定しているのであり、この発言は「中学生でもわかる」自己矛盾です。自分で書いたことを忘れるのなら、読み返すか、信頼できる方に読んで貰うか、何れかです。それができないなら、顔を洗って出直すべきです。
また、当特集で論じられるのは、文献解釈による「里程」論であって、「語学」、つまり、漢文の文法について審議したいのではありません。どうしてもと言う事であれば、意見を公開する前に、「語学」的な判断を文献批判して、適確な発言だと確証する必要があります。
不勉強な個人の私見を無造作に持ち込まれても、相手をしていられないのです。
本論文について誰かの指導、助言を仰いでいるとしたら、それは、相談する相手を間違えたと言うべきで、本誌に寄稿するなら、安易な受け売りや思いつきでなく、自前の判断力と論考力の整備も必要不可欠と思います。
*課題論文の不出来~編集の不備
結局、当方は、ここでも、論文としての体裁を備えない、論証のない、随想風の選外佳作論文を添削指導させられ、編集姿勢に疑問が募ります。安本氏の示した編集方針は、ご当人の目前で、風化崩壊していたのでしょうか。
論文の校閲を怠り、不出来な文章を掲載しては、このように、署名した当人の不名誉が、長く保存されるのです。担当編集者の氏名は、誰も伝えないのです。
この項完
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