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2024年12月 9日 (月)

新・私の本棚 古田 武彦 「倭人伝を徹底して読む」 里程・戸数論 2/5 追訂

大塚書籍 1987年11月 ミネルヴァ書房 2010年12月
私の見立て ★★★★★ 必読書 批判するなら、まず読むべし  2020/10/30 追訂 2023/04/21 2024/05/29, 12/09

*加筆再掲の弁
 最近、Amazon.com由来のロボットが大量に来訪して、当ブログの記事をランダムに読み囓っているので、旧ログの揚げ足を取られないように、折に触れ加筆再掲したことをお断りします。代わって、正体不明の進入者があり、自衛策がないので、引きつづき更新を積み重ねています。

〇「倭人伝道里」の意義
 古田師は、まずは『「倭人伝」に「普通里」(ここでは四百五十㍍程度)の六分の一程度の「倭人伝道里」(七十五㍍程度)が採用されている』(以下「倭人伝道里」)と見た上で、史官たる陳寿の「倭人伝」書法は、「倭人伝道里」で一貫しているとの「仮説一」を得たと思われます。
 念のため言うと、四百五十㍍も七十五㍍も、当記事の便宜上の表記であって師の表記ではなく、また、当記事筆者は、メートル法(SI)で切りのいい厳密な数字を主張しているものでもありません。ただし、三世紀当時、小数の無い算数であったため、実施されていたとすれば、整数倍率、六倍/六分の一であったと「確信」しています。

 この「仮説一」は、古田師自身によって克服され/乗り越えられ『陳寿が「三国志」全巻を編纂した以上、偶々「倭人伝」で顕在化したものの、魏晋朝で国家制度として全国で採用されていた』という(仮称)「魏晋朝道里」 「仮説二」に至ったと判断されます。

 「仮説二」において、師は、まず、「三国志」魏書を探って、「曹魏文帝が、後漢献帝から、天下を禅譲され、継承した際に布告した礼制において里制を変更した」との説を唱え、次いで、『「三国志」道里行程記事に書かれている「里」は、現代比定地の実道里評価から判断して(仮称)「魏晋朝道里」に即している』との「考察三」を提示し、これらの仮説に対する反論と再反論が交錯して、大量の論考が重ねられていますが、一向に収束の兆しがありません。

*「仮説二」の否定、「仮説一」の維持
 当方は、既に、古田師の「仮説二」が成立しがたいと論証し、したがって「考察三」の検証は無用と断じましたが、一方、「仮説一」は、倭人伝記事の解釈として合理的であり、依然として有力な仮説と考えました。

 ここまでは、既に私見を詳解したので繰り返しません。以下、古田師著作の「仮説一」論証過程の「誤謬」を指摘し、その由来を探るものです。

〇「誤謬」の深意
 因みに、世間には、「誤謬」を感情的に捉える方があるようですが、要は、単に、個別の考察に適用されている「部分的な見解」が、勘違い、速断であって、正しいものでないと言うだけで、勘違い、速断は、誰でもある事なので、感情的に受け取る必要はないのです。
 勘違いや速断による謬りでない」となると、根本的な錯誤、大局的錯誤の表れであり、大変な非難になります。勘違いは慎みたいものです。

〇「方里」序章
 さて、師の里程論における重大な懸案の一つは、「方里」に対する誤解です。
 師は、「一大国」「方四百里」を一辺四百里の方形領域と見て、検証のために、現代地図上の壱岐島に想定した四辺形から一里は七十五㍍程度と算定しています。
 これに先だって、韓伝の韓地「方四千里」の「一辺四千里」を、現代地図で見て三百㌔㍍程度であることから、一里七十五㍍程度と概算した事例と合わせて妥当と判断されたようです。
 「方里」に関する考証は、奥が深いので、後ほど改めて述べます。

*地図の責任~余談
 古田師は、古代史書の数値の諸般の事情による大まかさを承知で、「壱岐島が二千年の風濤海流で減縮した可能性」にまで言及されています。在来論者が、現代地図を、制作機関の保証しない二千年前の考察に起用する無責任さと大違いです。
 但し、諸資料を見る限り、壱岐島周囲の海流は、流量豊かで滔々たるものの、激流というよりむしろ穏やかであり、倭人伝」で「瀚海」、つまり、綾絹を敷き詰めたようだと形容されるにふさわしいものと見えます。
 古田師は、時に、直観的な判断で余人の思いつかない明晰な意見を提示しますが、ここでは「勇み足に近い言いすぎ」になっているようです。もちろん、そのような勘違いや勇み足は、古田師の論考全体に対する信頼性を揺るがすものでは有りません。

 ただし、本書に掲載された「地図」の根拠となっているデータの責任者が明記されていなければ、不満の持っていきどころがないし、仮に明記されていても、二千年前の地形は保証されていないから、責任所在が不明、つまり、無責任な地図なのです。これは、著作権とは別の学術論ですから是正、つまり、出典とその限界を明記してほしいものなのです。いや、これは、古田師だけの問題では無く、当世論者諸兄姉に共通する誤謬です。

                                未完

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