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2024年12月 8日 (日)

新・私の本棚 大平 裕 『古代史「空白の百五十年間」の謎を解く』 第一章 1/2 補追

卑弥呼(天照大神)から神武・崇神・応神へ (PHPエディターズ・グループ)
Kindle版 公開サンプル 一頁 短評(評価外) 2022/12/20 単行本 2021/12/06 書評2024/11/26, 2024/12/08

◯前置き
 本件は、日本古代史著作の典型的な一例でしょうが、序章に続き当ブログ圏に干渉しているので託宣します。
 ご承知のこととは思いますが、「魏志倭人伝」「後漢書倭条」は現代人向け文書では無いのです。ご自身で解釋を極められないなら、先覚諸兄姉の論稿を具体的に参照して、身を委ねるべきです。

 本稿は、本書において、期間の出発点を確保する重要な序章につづく第一章ですが、以下のごとく、文献考証の基底に事実誤認があって、正確な確保がされていないことを具体的に指摘するものです。本書における氏の論考全体に対して総括的な批判を加えているものではありません。

*不都合な創作史談
 氏は、当該部分で、隋使来訪故事を評価する際に、ことわりなしに、書紀「推古紀」と隋書「俀国伝」を混用する、素人目にも不都合な論考に希望的誤解を込めて「美談」を綴っています。要するに、史論で禁物の創作記事なのです。

*書紀創作記事の不都合
 既に、両史料の考証は、衆知事項となっていますが、日本書紀(書紀)の「推古紀」は、中国正史の一伝である隋書「俀国伝」に整合しない「創作」記事と証されています。「創作」に正史記事でツギを当てる思考は、信頼できないものと断じられます。

 ところが、第三三代推古天皇(在位五九三〜六二八年)十六年(六〇八)、全国統一を果たした大陸の隋からの使者が、倭国の飛鳥京にやってきます。倭国からの遣隋使の答礼として、皇帝煬帝の好意からとも思われますが、当時世界一の大国である隋は、裴世清という文部省の高官ともいえる人物(迎賓館長)を倭国に送ってきたのです。彼は、筑紫、難波から飛鳥京に至り、推古天皇と会見、大饗宴が催されるなどの歓迎を受けますが、帰国後の報告では、短いながらも核心をついたレポート(『隋書』俊国伝)を提出しています。

 隋書によると、煬帝は、東の旭日天子が西の落日天子に挨拶するとの蕃夷国書に激怒して、氏の願望に酔った筆に反して、天子に蕃夷に対する「好意」など無いのです。もっとも、書紀「推古紀」は、非礼文書を隠蔽して、隋帝の好意と善解していますから、氏は、隋書に眼をつむっていると見えます。

 ちなみに、当時世界一の大国決定は至難です。「ローマ」、「ササン朝」との比較大小は、誰も知らず、「アメリカ」諸国は未検証です。

*隋使文林郎
 裴世清は、文書担当の下っ端とはいえ幹部候補生である「文林郎」であり、職掌柄教養豊かですから、煬帝は、使い捨て覚悟、使命達成すれば取り立てる想定で、未知の蕃夷に送ったのです。ちなみに、隋に「迎賓館」など存在せず、書紀の「鴻臚寺掌客」は蛮夷対応の最下級職で、蛮夷に知られていたから、隋使は務まらないのです。この辺り、氏は、中国官制に暗いので、書紀編者の無教養に載せられています。

*核心欠落の怪
 氏は、目をそらしていますが、信頼すべき「俀国伝」に竹斯到着後の渡海は無いのです。尊重している書紀の飛鳥京旅程は、核心の渡海長途が中抜けでは、「俀国伝」の会見記事と齟齬して不適当な推古天皇会見を含め書紀創作と見えます。氏が気まぐれで言及するように「俀国伝」が「短いながら核心を突いた」報告とするなら、重大な長途も「女王」会見も欠落している点が、核心から漏れていて失念されています。

*突然の「「倭人伝」」回顧
 『魏志倭人伝』の不明確な記述の二つが二つとも、この文章でハッキリするのですが、この隋使の報告は、ほとんどの日本の学者には無視されています。そのレポートの内容は、「外夷の者たちは里数〔を用いること〕を知らず〔距離を〕日数で計るのだが、俀国の境域は、東西徒歩五カ月、南北は徒歩三カ月で、おのおの海に至る。東が高く西が低い地勢で、邪靡堆を王都とする。ここが、すなわち『魏志』(『三国志』倭人伝)にいう『邪馬臺』である」というものでした。『魏志倭人伝』の伝える魏の使節(役人)は、倭国までやってきたものの、それは伊都国、奴国、不弥国止まりです。近隣を徒歩、車駕で見聞きし、観察する以外わからない事柄は、伊都国に常駐するヤマト<邪馬堆>の役人から仕入れていたのです。
 これに対し隋使は、筑紫から瀬戸内海に入り、難波から大和川を遡り、海石榴市を経て飛鳥京に入っています。自ら倭国の東西を旅し、昔からの王都であったヤマト<邪馬堆>に到着したのでした。隋使の入京を歓迎する倭国側の心配りは至れり尽くせりで、『日本書紀』はその様子に数ページを費やしているほどで、初めて大陸の使節を迎えた心の昂ぶりが伝わってきます。

*郡使怠慢の告発
 突然の「倭人伝」解釈で、魏使(郡使)が伊都国止まりとは苦しい言い訳です。隋使来訪が初見で、推古帝も感涙にむせんだとでも書くためでしょうが、無理の二段重ねです。
 郡高官であった郡使が、曹魏皇帝の命を確実に遂行せず、女王に接見せず、下賜物も呈さなかったと言うには、随分説明が必要です。もちろん、読者の大勢、各陣営に反対の声が満ちているはずです。じつに豪胆な書きとばしです。感服します。
 ちなみに、現在、書紀推古紀の原本は、継承されていないし、原本の行格・体裁は報告されていないので、その文書体裁は、皆目不明です。氏は、何を見て数ページと称しているのでしょうか。不思議な御意見です。

*徒歩行の謎~2024/12/08
 見過ごして書き漏らしていたのですが、「東西徒歩五カ月、南北は徒歩三カ月」とあるのは、どんな根拠で宣言されているのか不明です。確かに、「倭人伝」には、「牛馬なし」と明記されていて、移動、運送は、すべて人力と明記されています。つまりは、荷車もなかっただろうということですが、ここは、数世紀を経た「俀国伝」なので、「徒歩行」は、何かの思い込みかと見えます。いや徒歩行の移動距離は、騎馬行の数分の一ですから、想定される「俀国像」は、東西、南北が入れ違いと見るなら、九州島程度に納まるので、大事件です。もちろん、「倭人伝」で導入された「水行」は、水上歩行しない限り不可能ですから、周辺の小島を除いた「絶島」の描写となります。これも、ちょっとした事件です。
 とはいえ、示唆されているような結構広大な領域を統治するには、街道整備と騎馬文書使による郵便や車両輸送の運用が必須であり、なにも書かれていないのは、当然の事情だからと見るべきでしょう。騎馬や馬車で往来するからには、宿場には、蹄鉄を叩き出す鍛冶が常設であり、つまり、鉄塊でなく、鋼鉄の工具、農具が普及していたと見て取れます。いや、氏の目には、木鍬の牛曳き農耕、石斧林業、そして、草鞋履きの馬匹が写っているのでしょうか。ちょっとした疑問ですが、そのような原始的な社会で、九州から畿内に到る移動が可能であったとは、信じられないのです。もちろん、そのような社会に、長途移動できる船便が運用されていたとも思えないのです。帆船の造船、保守には、鉄斧、ノコギリ、カンナなどの鉄鋼具が必須であり、そのためには、鍛冶工房が必須なのです。

 是非、一度、じっくり考えていただけたら幸いです。

           以上

                     未完                    

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