新・私の本棚 岡 將男 季刊邪馬台国 第140号 吉備・瀬戸内の古代文明
「吉備邪馬台国東遷説と桃核祭器・卑弥呼の鬼道」 2021年7月
私の見立て ★★★★★ 考古学の王道を再確認する力作 記 2021/07/13 2024/08/19, 12/11
*加筆再掲の弁
最近、Amazon.com由来のロボットが大量に来訪して、当ブログの記事をランダムに読み囓っているので、旧ログの揚げ足を取られないように、折に触れ加筆再掲したことをお断りします。代わって、正体不明の進入者があり、自衛策がないので、引きつづき更新を積み重ねています。
◯はじめに
著者は、フェイスブック「楯築サロン」代表と自称している。吉備地方の「楯築」墳丘墓の在野研究者と拝察する。要領を得ないが、本誌で示された実直な研究活動には賛嘆を惜しまないものである。
◯私見~纏向と吉備 桃種異聞
以下、当記事の一端を端緒として、他地域遺跡の発掘事例の瑕疵を考察したものであり、岡氏の著作を批判したものではない。よろしくご了解いただきたい。当ブログ筆者は、纏向遺跡出土の桃種のNHK/毎日新聞報道が提灯持ち報道(もどき)と批判したので、当記事での事実確認に、まずは歓迎の意を表したい。
*纏向大型建物「事件」
敢えて付け加えるなら、現在もNHKオンデマンドで視聴可能である「邪馬台国を掘る」で公開されている「桃種」出土時の学術対応について指摘したい。
画面では、「桃種」が、纏向遺跡の土坑、一種のゴミ捨て穴から出土したとき、無造作に水洗いして付着物を除き、シート上で陰干ししたように見える。個々の桃種の出土位置と深さを記録していないのも難点だが、別に「非難」しているのではない。考古学関係者も、一般視聴者も、何とも思わなかったはずである。
他の考古学的な発掘では、有力な遺物については、前後左右上下関係を記録した上で取り出し、発見時の位置が再現できるものと考えるが、今回の事例では、後日、桃種サンプルを年代鑑定したものの、出土位置不明では、新旧不明と見える。建物建設との前後関係も不明。歴年か一括かも不明である。後悔は尽きないと思うのである。
*遺物蒸し返しの愚
近年になって、それらしいサンプル(数個)の年代鑑定を行ったようであるが、もともと、考古学的に適切な発掘、保存がされていなかった以上、莫大な経費を投じた悪足掻きになっている。何しろ、三千個の攪拌された母集団から、ランダムに数個取り出して鑑定しても、統計的に全く意味がないと見えるのである。
*纏向式独占発表の愚
纏向当事者は、発掘成果を実験して、他の考古学的発掘の「桃のタネ」事例を調べることなく「未曾有」としたのは不用意である。想定外の大当たりを自嘲している暇があれば、大規模墳墓の出土地域に、前例の有無を、謙虚に問い合わせれば良かったのではないか。
学会発表であれば、論文審査で疑義が呈されて克服するから粗忽を示すことはないが、実際は、NHK、全国紙など一部「報道機関」に成果発表を独占的/特権的に開示し、真に受けて追従した「報道機関」に誤報の負の資産を課した。NHKなどは、勝手な「古代」浪漫を捏造し、懲りずに継承している。懲りて改めなければ、負のレジェンドとして、"Hall of Shame"の「裏殿堂」に永久保存されるだけである。
以上の批判は、別に素人が勝手な思い込みで記事を公開したわけでなく、大筋は、前後はあっても、当誌の泰斗である安本美典氏が、誌上で論難していることは、読者諸氏には衆知であろう。一方、「報道機関」は、毒を食らえばなんとやら、纏向桃種の「奇蹟」は、多数の努力と巨費を空費して、まことに国費の浪費であり、勿体ないのである。会計検査院は、監査しないのだろうか。
岡氏は、別に、纏向遺跡の桃種について「非難」しているわけではなく、土坑出土の桃種の年代鑑定に疑義を淡々と提示しているが、当ブログ筆者は、素人で行きがかりも影響力もないので、率直、真摯に論難した。直諌は耳に痛いが、社交辞令にすると、大抵無視されてしまうのである。
◯まとめ
因みに、当記事で説かれている「吉備邪馬台国」は、各遺跡で出土した万余の桃種の年代鑑定に依存してはいない。文字史料の伴わない遺物の宿命であり、遺物考古学論考の限界で「倭人伝」記事との連携はこじつけと見えるが、遺跡遺物考証に基づく世界観は、盤石と感じる。
以下は、岡將男氏に対する個人的な批判でないことは御理解いただけると思う。
考古学界では衆知であろうが、遺跡遺物の考古は、文字史料と括り付けしてはならないのである。多数、広汎の発掘成果を、万余の研究者がつなぎ上げた、言わば、独立して築き上げた「歴史観」は、中国正史の記事と「ぴったり」整合するはずがないのである。その際に、歴史観をずらし、撓めて、文字史料に整合させることはできないとして、寄って集(たか)って、文字史料を書き矯めているのが、素人目には、現下の混乱の根源なのである。岡氏は、考古学界の一員である以上、大勢に背くことはできないのであろうから、素人、門外漢の余談として述べるに過ぎないのである。
これまた、岡氏に責任もなにもない余言である。近来、本誌の刊行について「邪馬台国の会」ホームページに、予定どころか刊行の告知も、とんと見かけない。論敵「古田史学の会」が、古賀達也氏のブログで、細かく進度報告を公開しているのと大違いである。学ぶべき所は、謙虚に学ぶべきではないか。
以上
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