私の意見 ブログ記事 倭人伝「南至邪馬壹国女王之所都」の異論異説 <補追記事>
古賀達也の洛中洛外日記 第2150話 2020/05/11 などによる随想 2020/06/03, 06/06 2024/12/08
*加筆再掲の弁
最近、Amazon.com由来のロボットが大量に来訪して、当ブログの記事をランダムに読み囓っているので、旧ログの揚げ足を取られないように、折に触れ加筆再掲したことをお断りします。代わって、正体不明の進入者があり、自衛策がないので、引きつづき更新を積み重ねています。
〇はじめに 課題の明解
今回は、前記事に続いて端的な課題の明解を模索します。提言者である古賀達也氏は、広大な中国古典書籍の用例を網羅して、堂々たる解析を進めていますが、当方(一人称単数)は、何分、浅学非才なので、直近の文脈を解析するところから出発し、文意の結論が出せたら脚を止めるので、道が異なるのです。
当方は、電気工学技術者で、文系/理系の教養に乏しく、また、体系的に漢文解釈を学んだわけでなくて白川静師の漢字学著書や「字通」の教えを自分なりに展開します。史料の文献記事解釈は、素人なりに一歩一歩刻んでいく地道を進みます。権威者から主観的と叱責されかねないのは覚悟していますが、部外者による常道外れの異論提示が、当方の本分と見ているのです。
当方の行き方では、古典用例は直近の文脈に関連が薄いので重きを置かないのです。一種の遠近法であり、間近の用例は読者の意識に訴えるので、どこか書庫の奥の山成す古典書の用例より、理解されやすいというものです。勿論、比較して優先度が低いだけで、排除しているわけではありません。蟻が富士山と背比べするような無謀さは、持ち合わせていないのです。
〇本論
白川静師の「字通」、「字統」によれば、「王之所」は、それ自体「王の居城」を示す古典語法であり、「王之所都」と連ねるのは不自然と見ます。班固「漢書」西域伝では、数ある蛮夷の居処は、大概して「治」なのです。因みに、「所」は「ところ」を言う名詞です。
史書は、古典語法を遵守すると共に、平易、明解に務めることから、ここは「女王之所」で句切るのが、順当な解釈ではないでしょうか。蛮夷の王の居城を記録するのに、変則的な語法を起用するはずがないのです。
*「中華」思想の誤伝 余談として
つまり、陳寿「三国志」魏志東夷伝記事を「王之所都」と思い込むのは、時代観を見失っています。
余談ですが、四百年後世の七世紀、国内史料(日本書紀)は、中国天子の行人(隋使 文林郎 裴世清)を迎えたとき、急遽任じられた「鴻廬掌客」が蕃客接待したとしていますが、これは、中国古典を知らない別の東夷の粗忽の筆でしょう。
*「都」は「すべて」の意に落着
以上に従うと、この部分の後半は「都水行十日陸行一月」となり、「都」は、辞書に掲示される代表的な定義の通り、「すべて」の意であり、全所要日数を示すと解するのが、文脈から、順当、妥当と思われます。そのため、当用例は、唯一無二でしょう。
*倭人伝記事の落着
ここは、「従郡至倭」で始まった道里記事の総括として、全道里万二千里に相応の全所要日数が明記されたと見るのが、妥当と思われます。
帯方新太守が、東域都護気取りでもないでしょうが、急遽雒陽に上申したと思われる東夷銘々伝の中の「倭人身上書」の要件を端的に明示するため、「女王之所」と「都水行十日陸行一月」が繋がって解釈されない行文としたと見ます。
以上は素人考えの仮説ですが、一考に値すると感じています。
ちなみに、一部で頑固に唱えられている骨董品(レジェンド)異説では、「倭人伝」道里行程記事を「普通に」端的に読み解くと、行程の終着点伊都国に到り、女王之居処は近傍とする解釈が固定されてしまうので、倭人伝二千字の冒頭部を「ちゃぶ台返し」でぶっ壊す解釈が当然とされているようですが、「纏向」至高主義の党利党略最優先の勝手読みは、困ったものです。
*積年の弊を是正する偉業
それにしても、古来、史官の体得していた規律に従った行文を、後世の文献学者が句読を謬り、文意を誤解させた可能性がある、との古賀氏の指摘は卓見です。こうして見ると、先入観に囚われた史料誤読は、現代日本人の特技ではないのです。
*高句麗「丸都」の悲劇 余談として
古賀氏が類似用例とされた「丸都」は、高句麗の創世記神話に由来するものであり、天下りした高麗天子の治所を「都」と自称したのでしょうが、中国から見ると蛮夷の僭称であり、いずれ打倒されるべき「賊」なのです。
一方、高句麗の世界観では、隋唐の皇帝は、かって、高貴なる高句麗に敵対し、時に臣従したとも思われる蛮夷(鮮卑 慕容部、拓跋部など)の「俗人」が、勝手に天子を名乗ったに過ぎないから相克します。
どこかで聞いたような話ですが、それは、当記事とは無関係な空耳です。
以上
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