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2025年2月13日 (木)

私の本棚 番外 資料批判「翰苑」 現存写本 更新

                  2014/07/11 再掲2022/02/15 2025/02/14
*加筆再掲の弁
 最近、Amazon.com由来のロボットが大量に来訪して、当ブログの記事をランダムに読み囓っているので、旧ログの揚げ足を取られないように、折に触れ加筆再掲したことをお断りします。代わって、正体不明の進入者があり、自衛策がないので、引きつづき更新を積み重ねています。

〇はじめに
 「翰苑」は、日本で、太宰府天満宮が所蔵する写本が、天にも地にもこれっきりという孤本であり、文化財として国宝指定されている大変貴重な存在です。
 ここでは、「翰苑」の史料としての価値を探るものです。

 まず、添付しているPdfファイルは、太宰府天満宮文化研究所が昭和五十二年に発行した書籍である「翰苑」(製作 吉川弘文館)の影印から複製したものであることをおことわりしておきます。ここに引用するについて事前了解をいただいておりませんが、資料引用として許される範囲と理解しています。

Kanen60_61e_2

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  • 信頼性の低い写本-文献資料として利用困難(不可能の意味)

 さて、今回、上記書籍を購入したおかげで、「翰苑」を目にすることができたのですが、素人目にも、史料として不審な点が多いものと感じます。批判の結論としては、現存する翰苑は、原本の写本として信頼性の高いものでは無く、慎重に他史料と読み合わせる必要があると考えます。早い話が、当写本は、文献資料としては、ものの役に立たないと言うことです。

 こう言ってしまうと身も蓋もないのですが、遠慮してしまうと、科学的な主張ができないことになるので、あえて、角を立てているものです。
 言うまでもなく、ここに述べるのは、不作法な一私人の仮説なので、採用するのもしないのも、その人次第です。

  • 「失敗の原因」

 失敗の原因、つまり、 信頼性の低い写本となった原因を推定すると、おそらく、信頼できる、つまり、高価で時間のかかる写本工を動員せず、低廉で仕事の速いのが取り柄の写本工に頼った点に因ると考えます。

 低廉というのは、頭数が揃っていれば良いいと言うことであり、仕事が速い、というのは、写本の質を問わないと言うことです。
 また、何らかの原因で、写本と原本の照合がされていないことも、失敗の原因です。

  • 「無校正・無修正」

 誤字、脱字が多い点は、諸賢の評価にもうかがえますが、写本の信頼性評価が低くなる原因として、写本工自身の技量、知識に問題があるばかりでなく、写本されてきたものに対する校正の形跡が見られないことを指摘したいと考えます。

 写本工の仕事が不出来でも、顧客がとことんだめ出しして良い写本に書き直させればば望む成果は上がるのですが、不出来な写本に気づかずに代金を払ってしまえば、取引はそれでおしまいです。

 我が国の平城京の時代でも、「写経生」の成績評価として、写経枚数による「アメ」と誤写に対する「ムチ」とがきっちり運用されたと伝わっていますが、このような管理制度は、遣唐使が将来したものでしょう。

 余談はさておき、とても、依頼した方も、依頼を引き受けた方も、貴重な資料を写本する態度とは思えないのです。

  • 「高麗傳」後魏書綺譚

 たとえば、「高麗」(高句麗)に関する記事の冒頭37ページで、「魏収魏後漢書曰」と書き出されています。

 これは、単なる誤字の類いを超えた深刻な問題をはらんでいます。

 ここで引用されているのは、「魏収」(人名)の編纂した「後魏書」(南北朝 北魏の史書)であり、笵曄の「後漢書」とは無関係です。原本には「魏収後魏書曰」と書かれていたはずです。

  • 「誤写放置」

 粗忽な写本工は、「魏収」と書いたのに続いて筆の勢いで「魏」と書いて、途端に原本に目をやって「後」を飛ばしたのに気づき、続いて「後」と書いたもののそこまでに書き癖の付いていた「後漢書」(笵曄後漢書と書いた例もある)と書いてしまったのでしょうか。

 ひょっとして、この部分の写本工には、「魏収」が人の名前という認識はなく、また、何度も出てきた「後漢書」も、ここで初めて出てきた「後魏書」も、同じようなものと言う認識だったのでしょうか。

 写本工は、字の違いに気がついたとしても、修正を加えることも目印を付けることもなく、そのまま書き進めるのです。

 ついでに言うと、その後には、「朱蒙」と書くところで、「蒙」の字を書き損なったのをそのままに、「蒙」を書き続けています。「朱*蒙」となっています。(*は、ゴミ)これは、さすがに気づかずに済まないでしょうが、何もしていないのです。

 ちなみに、この部分の註は「後魏書」の高句麗創世記を、ほぼ正確に引用しているので、翰苑の原本は、豊富な資料を参照して、大変丁寧に書かれていることがわかります。

 好対照として、48ページでは、高句麗伝の掉尾として、「魏収後魏書東夷傳曰」と正しく書写した上で、後魏書東夷傳の高句麗の風俗記事が、ほぼ正確に引用されています。同一人物の写本仕事とは思えないほどです。

Kanen37_48e

  • 「倭國傳」観察

 さて、肝腎の倭國傳ですが、「後漢書」、「魏略」、「魏志」をはじめとする史書、資料の引用段落に、翰苑独特の華麗な趣向を凝らした見出し記事を付けて、編纂者の深い教養を思わせます。
 後漢書や魏志の記事引用に、引用終りを明示せずに、別系列記事を書き連ねている例がありますが、原本の書き忘れなのか、写本時の脱落なのかはっきりしないのが、渋いところです。

 ともあれ、当写本は、字数が不揃いで、行が傾斜、蛇行しているのに加え、異体字が多発して、原文を知っていても、読み取りに苦労するていたらくです。

 魏志倭人傳の紹凞刊本を見ておわかりのように、優れた写本とそれに基づく刊本は、活字印刷を見るように、規則正しく刷られていて、各文字の書体は一貫し、ここに見られるような低次元の誤記、誤字は見当たりません。

 優れた写本工は、写本の際に、罫線を引いた台紙を下敷きにするなどの工夫で、整然とした写本を書き続けていたはずですし、原本の配列を忠実に複製するからこそ、誤字、脱字の発見が容易になっているのですが、ここではそのような手慣れた職人芸が見えません。

  • 「阿輩雞弥自表天兒之稱」

 それに加えて、62ページに見られる奇態な誤写が、写本行程のぼろを暴露しています。
 | 髮文身以避蛟龍之吾今                                  宋   |
 |                 阿輩雞弥自表天兒之稱        | 
 | 倿人亦文身以厭水害也                                  死弟 |
 と、訳のわからない「宋 死弟」三文字の分註が行末にぶら下がっていますが、原文は、そのように不出来であったはずがなく、次のような配置になっていたものと考えます。

                                       宋書曰永初中倭國有王曰讚至元嘉中讚
 阿輩雞弥自表天兒之稱
                                       死弟珎立自稱使時節都督安東大將軍倭

 配置のずれた記事を、後先考えずに書き進めたので、行末空きに、何も考えずに原文分註の次の一,二文字を転記して埋めたものの、次の行を書き継ごうとして手違いに気づき、件の三文字は書かなかったことにして分註を書き継いだようです。(翰苑原本に比べて随分寸足らずの用紙に写本したようですね)

 ちなみに、「天児」は、要するに「天子」のことですが、大逆罪で馘首される罰当たりな用語ですから、いくら蛮夷の自称にしても、ここには書けなかったのでしょう。

 また、63ページの最終行は、分註記事を1行ベタに書くという不思議な配置を採っています。各ページ偶数行ではなかったのか。筆の勢いに任せて、隙間を埋めてしまうのは、素人くさくて不思議な話です。

  • 「卑弥妖惑翻葉群情」

 こんな離れ業を見てしまうと、61ページ最終行で、「卑」が「早」に、「妖」の旁が「我」にそれぞれ完全に化けていて、「呼」がすっ飛んでいるなどは、かわいいものだと言うことになってしまいます。

 さて、この八文字句は「卑彌娥惑」の四文字句と「翻叶群情」四文字句に前後二分されます。それぞれの四文字句は、更に区分すると二文字単位で構成されていると推定されます。つまり、「卑彌娥惑」は、「卑彌」の二文字句と「娥惑」の二文字句とに前後二分されるのです。
 それぞれをもとの文字に戻し、「卑弥(呼)妖惑翻葉(=叶)群情」 『卑弥呼は、群衆の感情を妖しく惑わし、(木の葉のように)翻させる』とでも読むのかと想像するしかありません。

*追記 2025/02/14
 本稿が一人歩きしているようなので、銘記しておくと、「娥」は、古来、「妖」の異体なのでサッサと書き換えて良いのです。
 曹魏当時は、新朝の王莽が布令した「二字名の禁」が厳守されていて、中国人の名前は一文字だったことは、唐代以降の二字名世界の教養人には知られていたものです。
 副使、「都市牛利」も、「都市」が官職名、「牛利」が姓名であって、「牛」が名字、「利」が下の名前とみられます。現代風に言うと、「牛都市利先生」かも知れません。また、実名は、君主以外呼ぶ事はできないとすれば、日常は「牛都市」と呼ばれていたようにも見えます。いうまでもなく、倭人世界で「卑弥呼」と呼び捨てにできるものはいなかったはずです。いや、実父は、「卑弥呼」と命名したわけでもあり、私的な場では、呼び捨てにできたかも知れませんが、あくまで例外中の例外です。
 帯方郡太守は、一応、親魏倭王の上位者ですが、おそらく、実名では呼ばなかったでしょう。あくまで、曹魏皇帝だけが、こだわりなく実名で呼べたのでしょう。 

*追記 この部分については、後続記事で更に考察を加えているので、ご一読こう。 
 34. 翰苑再考

  • 「拙速乱造」された「並」写本

 おそらく、翰苑写本に際しては、新米写本工、おそらく、見習い徒弟を何人か動員して、とにかく、速くしろとせき立てたのでしょう。見習い徒弟は、いつも通り、自分たちの写本は親方や兄貴分の仕事の踏み台でしかなく、親方や兄貴分は、へぼな徒弟の間違いを、すぐにそれと気づいて直すのだから、自分たちがへたに訂正する事は無かったのでしょう。
 そう思わないと、書き間違いに気づいていながら、そのままに先に進む仕事ぷりが理解できないのです。

 それにしても、これだけ法外に不正確な写本であり、卑が早になっても気づかない写本工が、それでなくても間違いやすい、東夷の固有名詞を正しく写本したと信じろというのが、無理というものです

 さて、駆け足で書き連ねていくのがこども見習い工であれば、我流の変則文字も多いのも無理ないし、史料内容はこどもの理解を超えていたから意味を考えて見直すこともなく、気楽に書き流したのでしょう。
 まさか、写本として、「上中並」の「並」にもほど遠いこども仕事が、一千年先にそのまま残るとは思いもしなかったでしょう。

 こうしてみると、小論筆者は、随分、翰苑編纂者の張楚金に対して、かなり偏見を持っていたようです。現場、現物、本人に当たらずに、憶測で勝手な評価はしてはならないのだと思いました。

 なお、「翰苑」のテキスト全文が中國哲學書電子化計劃の維基に収録されていますが、俗字を多用した文字の異同が多々見られるので、注意が必要です。

翰苑倭國傳
「kanen_wakoku.pdf」をダウンロード

以上

・追記
 「翰苑」断簡の影印本が、京都帝国大学から公開された直後に、文字テキストを取りだした上で、校訂を施した善本が、下記公開されていて、本項で指摘した稚拙な誤謬は是正されている。「翰苑」論議で言及されていないのは、誠に奇怪である。後出論考ではこの点に触れているが、本項だけ読みかじりされると不本意なので、ここにも掲示する。

翰苑 遼東行部志 鴨江行部志節本
*出典:遼海叢書 金毓黻遍 第八集 「翰苑一巻」 唐張楚金撰
據日本京都帝大景印本覆校
自昭和九年八月至十一年三月 遼海書社編纂、大連右文閣發賣 十集 百冊

以上

 

 

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