新・私の本棚 古賀達也の洛中洛外日記 第3461話 倭人伝「万二千余里」のフィロロギー (3) 改訂
倭人伝「万二千余里」のフィロロギー (3)『史記』大宛列伝、司馬遷の里程計算 2025/03/29 初稿2025/04/01, 04/19
*議論の確認
今回の論議は、却って、古賀氏の「倭人伝」解釈の未熟さを示しているように見えます。「伊都国から奴国への百里は傍線行路であり、郡より女王国に至る一万二千余里に含まれない」としながら、伊都から不弥の行路が傍線でなく万二千余里に含まれるとするのは、承服することが困難です。まして、「倭人伝」に触れられていない「島巡り半周読法」なる「古田新説」により百里単位の追記を詰め込むのは、「公理」に反すると見えますが、いかがでしょうか。
*第一法則「部分の総和は、総計に等しい」の締め
今回蒸し返されている議論は、前回、古田師の提言として明快に示された「帯方郡治から邪馬一国までが一万二千里。帯方郡治から狗邪韓国までが七千余里、そして海上に散らばっている島々(倭地)を「周旋」(周も旋もめぐるという意味)してゆくのが、五千里」なる明快な解釈に対する「蛇足」(一切ぶち壊し)になっています。まずは、ここで「第一法則」の論証を、一度締めて異議を求めるべきです。議論は小刻みに収束させるべきであり、拡大混乱させるべきでないというのは、世間一般の通則と思うのですが、古代史学は、共感していないと見えて残念です。
ついでながら、明快解釈に茶々を入れる野田氏の解釈は、折角ですが、目下の議論の邪魔になるので、後回しにすべきです。時間は、タップリあります。
*蛇足の確認
「蛇足」部を混乱させるのは、追加された「末羅伊都間 五百里」の解釈です。
古来の定則の根拠は[千余里]単位概算の整合であり、古来の漢数字で、七に五を加えればピッタリ十二なので、間違いようがないのです。古来の算数には小数は無いので現代風に言う0.5[千余里]は、無法なのです。
周知のとおり、古代中国では、[千余里]の一桁数字の算木計算で、加算結果の繰り上がりはあっても、下位桁相当の小数は排除されているのです。
古賀氏が忌避しているようなので再確認すると、提案された異議は、[千余里]単位概算では端たの百里単位は計算しないので、島巡り半周読法など「無用」との意見でしょうから、今回も反論できていないのです。
*参問倭地、周旋
案ずるに、古田氏の「海上に散らばっている島々」は、「參問倭地」「或絕或連周旋可五千餘里」の意味を軽視されたもので、提言として、不用意です。
本件は、郡から倭に到る行程の当初、つまり、後漢献帝建安年間、遼東で君臨していた公孫氏の概念説明であり、狗邪韓国からの渡海以下の行程は、末羅まで洲島、中之島を渡船で水行し、上陸直ちに陸行伊都国に到り、以下の行程は書かれていないであったと見えるのです。正史行程記事の「行程」は、陸上街道で目的地まで最短で結ぶのです。
と言うことで、追加された「不弥国」論は、「行程」外に道草し、(古田氏自身の迷い道とは言え)古田氏の明快な解釈が溶け落ちています。提言は、ここで確立すべきだったのです。
*規範の取り違い
ちなみに、氏が「倭人伝」のお手本と見た司馬遷「史記」大宛伝は、班固「漢書」西域伝転用と推定され、議論に影響しない「雑音」の混入です。陳寿は、饒舌な史記でなく朴訥な漢書を範例としたはずです。
*算数教科書 不朽の「九章算術」
お言葉ですが、測量実務の根幹は、あくまで「九章算術」であり、検地や初歩的な土木工事実務教科書であり、高度な理論展開の場ではないのです。流し読みするだけでも、同書の深意を察することができます。
ちなみに、これら算術書は、おそらく、周代門外不出の「秘伝」であったものが、東周滅亡時に秦朝に献上され、同国国内で「教科書」として施行されていたものが、秦始皇帝が、秦律の一環として全国地方官吏に配布、普及して、国政の根幹として運用したと見え、以後、文官の必須教養と思われます。
もちろん、「部分里程の和が総里程」との「公理」は基本の基本で「証明不要」であり、金銭計算にも通じるので文官全員が通暁していたと思われます。但し、金銭計算は概算しないので諸兄姉は勘違いされるかも知れません。
以上
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