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2025年5月 1日 (木)

新・私の本棚 番外 NHKBS空旅中国 悠久の大地を飛ぶ 曹操の峠道

[BS] 2025年05月01日 放送日:2023年3月20日
私の見方 ☆☆☆☆☆ 美観を塗り尽くす誤解・欺瞞     2025/05/01 05/07 一部補充

*番組概要
BSプレミアムで放送したドローン映像による紀行番組「空旅中国」から、三国志の英雄の一人、曹操の物語を紹介。後漢王朝の役人をしていた曹操は、天下統一を夢見て、時の皇帝を都・洛陽から連れ出した。追手が迫るかもしれない中、200キロほど離れた自らの拠点を目指し、険しい峠道を越えた。美しい山々の風景と山中にあるカンフーで知られる少林寺も紹介。ライバル劉備の武将・関羽と曹操の涙ぐましい物語も!

◯異議あり
 いや、これまで何気なく「見過ごし」ていたのだが、今回のように取りだしてでかでかと言い立てられると、異議を唱えなければならない。
 視聴者の受信料をもとに運営されている公共放送であるNHKの歴史番組は、入念に時代考証されているはずなのだが、今回の「物語」には、根拠となる資料が示されず、誰かのホラ話が書き綴られているのである。「番組概要」が語っているのは、そうした失態なのである。
 NHKは、「教養番組」の台本を校閲、審査しないのだろうか。受信料返せである。当ブログとしては、取り敢えずは、「番組概要」に示された制作方針に異を唱えるのであり、番組の中でばらまかれているらしい「お話」には、一々口を挟まないのである。

*曹操の皇帝拐帯
 同時代最大の英傑であった曹操は、中原大乱の中から頭角を現した建安年間に、時の皇帝献帝を、根拠地許昌に収容したことには間違いない。ただし、少帝として暴漢董卓に擁立された皇帝は、後漢帝都であった「東都洛陽」に安住していたのではなく、少帝の身分で、後見役にして宰相となった董卓によって半ば廃虚となっていた旧都、「西都長安」に遷都させられ、董卓誅殺後、「長安」で名ばかりの皇帝として躍らされていた境遇から脱走して、僅かな手兵と共に、僻地に孤立していた時期があり、辛うじて、洛陽に帰還したものの「時の皇帝」などとは、何かの皮肉としか見えない。

 曹操は、国体が崩壊していた後漢の再興に必ずしも乗り気ではなかったが、だれも皇帝の招請を図っていない、言わば、無競争情勢であることから、「奇貨居くべし」(格安の掘り出し物)と見て、渋々ながら、獲得に乗り出したとされている。と言うことで、皇帝は、食うに事欠く窮状から曹操の派遣した重臣に従って召喚された。この辺り、皇帝に命令はできないので、丁重に招請したと丁寧に言うしかない。皇帝は、窮地を脱して、天子の権威を回復できることに、心底感謝したに違いない。
 それにして、引き続く大乱の最中、最高指揮官が、自ら、皇帝拐帯に乗り出すなど、何かの戯画としか言いようがない。
 
 以後、曹操は、後漢宰相を経て格別の魏王の尊称を受けた。と言っても、あくまで、皇帝の臣下であり、天子となったわけではない。
 当たり前の話しであるが、皇帝は、帝国の象徴であり、現代風に言う諸官庁官僚が行政命令を発して、税収、官吏俸給支給などの国家行政を行ったので、洛陽、長安両都が行政執行し、以後、天子の仮住まいである行在(あんざい)許昌も、帝都として行政執行したと見える。
 許昌に皇帝を招請した曹操の心境は、二千年の後世の凡人からは、拝察するしかない。自力で王朝を興すのは、武力闘争に勝ち抜いたときに初めて獲得される境地であり、既に、道半ばで身内の犠牲を重ねて身の細る思いであったろうから、「孫子兵法」の教えに従い、後漢の形骸を復旧して天子の威光を借りることにしたと見える。

 但し、後漢の形骸が復旧すれば、二流でしかなかった曹家の位置付けが復旧するのであり、亡国の天子とは云え、名目を回復した献帝から禅譲を受けて天下に君臨するには、洛陽に屯(たむろ)する「亡霊」が妨げになると見て、あえて、許昌に「世界」の中心を置いたと見えるのである。

 このあたり、今回提示されたNHK「三国志」物語から見えてこない高度な世界観であり、当番組が誤った曹操観を定着させるのでなければ幸いである。

 とはいえ、大軍を擁して睥睨していたそうそうは、後漢の役人風情ではなく、時の皇帝(献帝)は、かっての東都洛陽の仮住まいにいたとは言え、

*三国時代前史の「けじめ」
 曹操は、時の後漢宰相として帝都許昌を中心として皇帝居処を支配しただけであり、「魏」を創業したわけではない。「呉」は、天下大乱時代に長江下流域「江東」を実効支配したが、あくまで、後漢郡太守であった。劉備は、その時点では根拠地を持たず、配下の軍団と共に流浪していたが、時の皇帝から、皇叔(叔父さん)と尊称されたように、あくまで、後漢臣下であった。ただし、呉と共に、曹操宰相/魏王には、服従しなかったのである。
 それにしても、天下大乱時代に於いて、劉備の際だった弱小さは、関羽「美談」でも明らかである。

 総括すると、番組は、「魏」「呉」「蜀」「三国」を唱えて、視聴者を愚弄している。

*墓所談議 余談
 ちなみに、曹操地下墓所は、生前に施工されていたものの、葬礼は、武帝と尊称された曹操を継ぎ、後漢から禅譲を受けた文帝曹丕の事業であった。同墓所は、地上に墳丘など、一切、設(しつら)えなかったので、二千年後まで秘匿できたのである。

*首都宣言 余談
 初代皇帝曹丕は、後漢末、董卓による長安遷都の際に手ひどく略奪・破壊された洛陽を整備して帝都とし、許昌、長安から引きつづき発信される行政命令を超える「首都」(新語)宣言した。以後、諸管庁を復旧し、解雇されていた諸官僚を再雇用し、帝都洛陽の復旧を進めたが、往時帝国各機関の運用と地方統制の実務采配を担っていた宦官が董卓によって一掃されたこともあり、また、曹操が構築した法と秩序の体制を、文帝曹丕、明帝曹叡の治世が短期であったため充実できなかったこともあって、後漢盛時の威勢は、杳(よう)として復興しなかったと見える。

*NHKの偏向報道について
 ということで、端的に言うと、今回の「教養」番組は、NHKの「特製三国志」に基づく特製番組であって、正確とほど遠い「拵え物」と見える。
 NHKは、視聴者の信頼に甘えて/媚びて、壮麗な絶景に乗せた、見映えがして耳触りがよい歴史絵巻に専念して、歴史の正確さなど無視するのであろうか。誠に困ったことである。

*文字校正
 書きもらしていたが、「峠」は、漢字に存在しない「嘘字」であるので、曹操の知らないものである。日本語として、何の問題も無いのだが、中国史について書くときは、同様の境遇にある「辻」ともども、控え目にした方が良いと愚考する。

                                以上

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コメント

名無しさん
 折角コメントいただいたのに、口調が「高圧的」なのは、真剣に応答しているからである。ご了解いただきたい。

 「わかりにくい」というのは、ご自身の理解力の不足なので、回答しようがない。例えば、記事冒頭に引用した「番組概要」で、「洛陽」にいた皇帝を「自身」で迎えに言ったと書いているのが、大嘘だと明解に書いているので十分ではないか。
--引用開始--
後漢王朝の役人をしていた曹操は、天下統一を夢見て、時の皇帝を都・洛陽から連れ出した。
--引用終了--
 当記事で長々と述べているように、ここに書かれているのは、とんでもないホラ話ではないだろうか。短い文章で、これほど誤解が続いていると、何を見て書いたのか訊きたくなろうというものである。
 番組自体は、読者が見ていなければ、引用してもしようもない。まさか、動画を添付しろというのだろうか。無理を言わないで欲しい。
 「偏向報道」というのは、正確に時代考証せずに番組作りをしているから、強調しているだけである。NHK自身が反論するならともかく、理解力に乏しい野次馬に言われたくないものである。
 「根拠資料」を論じたのは、誰でも、正史「三国志」に基づいた読み物や歴史小説を読めば分かることを、制作陣の好みで、うろ覚えで書いているから批判しただけである。例えば、宮城谷昌光氏の「三国志」を読めばいいのである。NHKは、伝統と権威のある「公共放送」であるから、吉川英治原作の人形劇「三国志」とでも言わない限り、視聴者の大勢は、史実だと信じるはずである。フィクションである「大河ドラマ」すら、史実通りでないと批判されるのだから、「教養」番組に批判があっても、当然と思われる。「放送の制約」とは、どこか雲の上から批判されるとでも言うのだろうか。
 思い直して、読み直し、言い直してみると、確かに、ようやく「長大」、つまり、「元服」した献帝は、長安脱出後、白波谷の盗賊と南匈奴の単于に辛うじて保護され饑餓を免れた窮状を経て半ば破壊された東都洛陽に戻ったようであるが、番組概要からそのような惨状が読み取れたであろうか。何しろ、その時点で、曹操は、後漢の役人などではなく、大乱の天下を争う最大勢力であり、四方に軍団を派遣していたから、洛陽を支配下に置くのはたやすいことであったはずであるが、その気がなかったようである。最終的に、少数の部隊を派遣して堂々と招聘したはずである。追っ手などと書かれているが、洛陽の没落勢力が曹操を攻撃するなど、到底ありえなかったのであるが、番組概要からは、そのような情勢は見て取れないのである。

 いずれにしろ、手短な中に丁寧に時代考証を込めたブログ記事を読解できないで、NHKの代弁をされるのは十年早いのではないか。

以上

>名無しさん
>
>NHK放送のどの部分が「時代考証されていない」「ホラ話」「偏向報道」というのか、わかりにくい。具体的に示してほしい。
>根拠資料については放送の制約であり、学会発表ではないから参考文献がないのは、やむをえない。

NHK放送のどの部分が「時代考証されていない」「ホラ話」「偏向報道」というのか、わかりにくい。具体的に示してほしい。
根拠資料については放送の制約であり、学会発表ではないから参考文献がないのは、やむをえない。

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