新・私の本棚 安本 美典 「卑弥呼の墓はすでに発掘されている!?」 2/2 追記
●福岡県平原王墓に注目せよ● 季刊「邪馬台国」第129号 梓書院 2016年5月
私の見方 ★★★★☆ 広汎堅実な老舗の見識 細瑾確認 2025/04/11, 05/02 追記 2025/08/09
*中国史書の世界観
以下述べるのは、「倭人伝」は、三世紀中原人の編纂した公式史書であり、解釈に際しては、編纂した史官である陳寿の見識による斟酌が優先するとの趣旨です。つまり、陳寿が教育、訓練を受けた基礎教養を理解することが前提と見えるのですが、いかがでしょうか。
曹魏臣従の「邪馬台国」の「冢」は、漢制律令の中国里制、度量衡、戸籍/地籍制度に従うのに対して、「延喜式」は、日本律令に従う点に議論が生じます。
端的に言うと、臣従蕃夷は漢制律令に従い、独自律令制定施行は厳重に禁止されていました。蕃夷律令が制定されるとすると、そこでは、必然的に、天子は蕃王であり、それは「天子」にたいする大逆となるからです。
すなわち、後世国内史料である「延喜式」に記録された天皇陵は、漢制に従った尺度に従っていないので、漢制で記録されている卑弥呼の「冢」に類推することは論外です。かりに、造営の際に漢制に基づいたとしても、そのような文書記録はないので、記録されたのは漢制に基づく測量でないことは明らかです。ちなみに、円丘の盛土の直径を測量するのは、実際上不可能であるので、記録されたのは、墳丘の直径でなく墓域の外形を残すものと見えます。ついでながら、漢制で、円丘は頂部で拝天する祭礼のためのものであり、埋葬するための墳丘でないと見えます。中国では、貴人の墓所は、死者の世界である黄泉、つまり、地下に穿つものであり、地上に盛り土して埋めるものではないのです。
もちろん、祭礼の場である円丘に、葬礼の場である方丘を連結する造墓は、法外です。
あわせて、天皇陵が漢制に基づくものではないとする傍証です。
*漢制「径百歩」の考証
して見ると、「径百歩」真意は、漢制造墓の基礎となる「算数」理解なしに知ることはできません。 端的に言うと、「径百歩」が墓域広さ/面積表示とすれば、自動的に「方百歩」、辺十歩、六十尺領域の面積表示です。官人に必須の基礎教養ですから、「方…歩」と面積表示を明示しなくても「冢」記事文脈から自明であり、さらに、「径」を頭書して「冢」が円形であると、史官及び史書読者に対して明確に示唆したと見えます。
明確な示唆は、明示に等しいものです。史官は、一字一句疎かにしないのは明らかです。
この際、「九章算術」の面積「歩」(ぶ)を、ご一考いただきたいものです。
*従来候補の一括欠格
とはいえ、この解釈に従うと、卑弥呼の墓と比定されている各地の候補墳墓が、軒並み欠格となるので、大利に反するとして黙殺されるでしょうが、理論的に考慮いただけるものとして、あえて、安本美典氏に異を唱えるものです。
3.「徇葬」百余人の検証
安本氏は、「徇」が「殉」と同義であるとしているので異議を提起します。
*「徇」の字義
「徇葬」の「徇」は、部首から「行く」「行う」の意義であり、卑弥呼「冢」造営に尽力したと見るのが順当です。先に示したように、縦横十歩、15㍍の墓域の陵墓造営は、百人程度の専従で十分と見るものです。
*殉死、殉葬考察
かたや、「倭人伝」にない「殉死」は、東夷伝で蛮習とされますが、「倭人」は礼節を知るものとして格別なので、「親魏倭王」の葬礼で蛮習を行ったとするのは筆誅に近いものであり、「倭人伝」の文脈に沿わないものです。
ただし、「殉死」ならぬ「殉葬」は、「徇葬」と類義の葬礼の一環とすれば穏当と見えます。それにしても、無教養な読み替え、書き換えが蔓延して居るのは、何とも、勿体ないことです。
是非、ご一考賜りたいと、伏して懇願するものです。
4.位置比定の検証
本項は、当ブログの圏外であり、何も異論を唱えるものではありません。
◯最終結論
当ブログ筆者の意見では、平原王墓は、卑弥呼「冢」の寸法十倍、面積百倍、用土千倍の隔絶規模ですので、この一点だけで不適格と断定できます。
◯まとめ
以上、安本氏に対して、敢然と異を唱えるために、断定的な文飾が見られますが、もちろん、無礼を覚悟でご賢察を仰いでいるものです。
同誌巻頭の「時事古論」第3回「卑弥呼の宮殿はどこにあったか」は、縦横広汎の論議であり、多々異論があるので、手に負えていないのです。決して、黙殺しているのではありません。
なお、本項の参考史料は、既知のものであり、逐一言及すると随想が膨張することもあり、また、大半が衆知公知のものなので、ここからは割愛しています。機会があれば、「論文」なみに表記したいと考えます。
以上
追記: 2025/08/09
水野 祐『「魏志」倭人伝をめぐって』(「東アジアの古代文化」1987秋・53号)は、水野氏の労作『評釈魏志倭人伝』の主要な問題について、同紙主宰大和岩雄氏との対談を掲示していますが、就中「卑弥呼の墓について」の章において、まずは、「倭人伝」に書かれている「大いに冢を作る」と書いてあるが、これは、大体100余歩の共同墓域の中に卑弥呼の墓を設け、土中に甕棺を埋葬した後、盛土をしたのに対して、報告者の筆で、冢、即ち封土になったのではないかとされています。
続いて、徇葬については、字義に忠実に、卑弥呼の墓を造成した人数なのか、葬儀に参列して野辺の送りをしたのか、とにかく、葬儀に携わった人の数を言うのであって、「殉死」などではないと明言されているのを見出して、孤説ではなかったと意を強くしたのです。
この分野では、論義がされずに、成り行きで流しているということが、浮かびあがってきて誠に残念です。
冷徹な安本美典氏が、水野氏の提言に一顧だにされていないのは、まことに勿体ないことです。
以上
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