心と体

2017年3月16日 (木)

今日の躓き石 将棋に「メンタル」とは残念

                                2017/03/16

 今回の題材は、毎日新聞大阪第13版朝刊の新王将紹介記事である。

 今回は、タイトル戦勝者であると同時に、タイトル失陷を経た復活であるから、何か、気の利いたことを言わないと記者の沽券に関わるとでも思ったのだろうが、前回タイトル獲得時の訳のわからない経緯を書いている。
 そして、訳のわからないカタカナ語が出て来る。スポーツ界にはびこる、意味不明の悪霊のような「メンタル」である。こうして、苦言を書かざるを得なくなってしまった。

 スポーツに「心技体」の要素があるのはわかる。ただ、最近のスポーツメディアは、意味不明(統一されていないまま)の「メンタル」を、説明無しに書き散らして、心ある読者を歎かせている。
 「メンタル」とは、心の弱さか、驕りか、闘志不足か、闘志過剰か、内なるパニックなのか、症状も解決策もないまま、ただ、「メンタル」のイリュージョンをまき散らしている悪弊がある。
 記事では、「メンタルを強くする」と書いているが、実態のないもの、計測できないものをどうやって強くするのか疑問である。混沌は、混沌のままである。

 そうした、巨大な闇の渦は隣のこととして、将棋で、「メンタル」とは、何を言うのだろうか。心の病(メンタルヘルスケア)を言うのだろうか。しかし、将棋で、一番大事なのは、本人も現在の境地と語っているように、「研鑽」つまり「技」(テクニカル)ではないのだろうか。

 今回の記事でも、ある言葉を知ったことを契機にタイトルを獲得した過去の経験が語られているが、程なく二冠を失って失意の時を過ごしたようである。「心」の「ある境地」だけで勝てるわけではないと言うことだろうか。ここで、貴重な字数を費やして書き立てる趣旨がよくわからない。

 将棋は、「技」の世界だから、振飛車の孤塁にこだわり続けたために、将棋界の大勢を占める新技術、新戦術の奔流に一人刃向かうことになったのが、ここまでのテクニカルな「敗因」ではないだろうか。素人は、無責任にそう思うだけである。今回は、「孤塁は強い」と証明したように思う。

 つらつら思うに、今回の記事が不出来なのは、担当記者の見識が整っていなかった気がする。今回の記事は、そもそも、挑戦決定の段階から予定稿として想を練っていたはずなのに、畑違いのカタカナ語の転用や過去の経緯の蒸し返しとかを利用しないと、新王将を顕彰する記事が書けないとは、どういうことなのだろうか。
 記者ほどの人は、もっと内容のある記事が書けるのではないか。

 以上、記者当人には不愉快であろうが、あえて率直に指摘したのが、別に、大きな悪徳ではないのだから、更なる高みを求めた記者の研鑽を祈る意味である。言うまでもなく、当方は、単なる定期購読者であり、別に権限も何もないから、一介の素人の苦言を気にしなくても良いのである。

以上

2015年6月14日 (日)

今日の躓き石 メンタルを保つ

                                     2015/06/14
 今朝も、昨日に続き阪13版スポーツ面で、つと引っかかったのである。

 言い訳は毎回なので省略する。こうした苦言を聞くのは不愉快だろうから、早く、言わずに済むようになって欲しいものである。言う方だって、別に愉快ではないのである。

 63戦で100安打を打った若き好打者の談話に、「メンタルを保っている」とあるが、何のことかわからないので、折角の自慢話の真意が伝わらないのである。そこまでは、技術論が具体的なので、素人なりにわかった気がするが、この部分は、理解できない。

 一般に言われる言葉を取り出して言うと、「メンタル」ヘルスを保っているのだろうか。それとも、勝手な造語で、「メンタル」パワーを保っている、と言っているつもりなのだろうか。躓くと言っても、その場に倒れ込むほどの邪魔物ではないが、完全に足が止まるのである。

 別の戦評では、投手の突然の大乱調について、当人の談話も引用して「パニックに」陥って、「感覚が狂って」とあるから、素人ながら、どんな心理状態にあったかわかる。
 何しろ、人が「パニック」状態になると、血圧や脈拍が動揺し、視覚が揺らぎ始め、そして、筋肉の制御が効かなくなるから、ドクターストップで降板するしかないと納得するのである。
 つまり、投手の心の状態が、ほぼ的確に読者に伝わってくるのである。

 読者は、投手の「心技体」の、「」(技術)や「」(体調、故障)の問題ではなく、また、油断や過緊張のように、気を落ち着ければ回復する程度ではなく、深刻な「メンタル」プロブレムであったか、と一応納得するのである。

 これに対して、「メンタル」と言うだけで、意味の通らない記事は、報道の役に立っていないと言える。
 これまでも、機会のあるごとに指摘しているように、「メンタル」は、もともとできの悪いカタカナ言葉であり、困ったことに、あちこちで色々崩して使われているから、この4文字だけでは、何を言っているのかわからないし、この急造カタカナ言葉を、英語のmentalと見立てて英和辞書を引いても、解答はないのである。

 記者は、その選手独自の「メンタル」の一言で意味がわかるなら、どうか、言い換えの言葉を足して伝えて欲しいのである。もし、自分にもよくわからないのなら、読者に丸ごと投げつけるのではなく、選手に問い返して欲しいのである。それで、選手も、自分の言葉がファンに通じないと言うことを知るのである。

 「気負わずに日々同じことを続けていられる」と、大人めいた表現で記事を締めているが、それだから高みに立てるとは信じられないし、「平常心」と「メンタル」は、どう繋がるのだろうか。むしろ、「それでメンタルを保っている」と言う意味不明の下りを省略した方が、選手の真意が伝わるように思える、と感じたことを付け加えておく。

 報道に当たる記者は、もっと、報道の基本に忠実に、そして、読者の乏しい知識と理解力を忘れずに、丁寧に語って欲しいのである。

以上

2015年4月14日 (火)

今日の躓き石 「メンタル面」って何? マスターズ記録付

                                                                    2015/04/14
 4/14日付毎日新聞大阪版のスポーツ面は、若きプレーヤーのマスターズゴルフでの健闘ぶり、特に終盤の追い上げを総括する大振りな記事を載せていた。

 記者は、一般メディアの取材陣の典型として、定型的な「愚問」が得意らしく、パット数の減少という数値の目に付く変化を捉えて、その原因を問いただしたようであるが、プレーヤーの回答で、「(原因が)わかれば第1日から上位で戦えるかな」と鋭く切り返されている。短気なプレーヤーであれば、「わかってりゃ、初日から独走して優勝だ」、と怒鳴り返しそうなものである。愚問から切り出せば真剣に相手してくれないと思うのである。 

 若いとは言え、一流プレーヤーとして実績のある人だから、実際は、ある程度自身のスコアの成り立ちを掴んで、来年に期するものは形を取り始めているだろうが、詳しくは、支援スタッフととことん議論して、自分なりに築き上げるものだろう。

 大事な心構えは、簡単に口に出すものではない。余程気心の知れた、信頼できるインタビューアーなら、答え甲斐のある質問を繰り出して、身のある問答を繰り返し、その辺りを引き出せるだろうが、そうでなければ「愚問」には「愚答」を返すのである。

 当方は、ゴルフをプレーしたこと一切がなく、ながら視聴のテレビ中継や一回きりのオーガスタナショナルでの練習ラウンド見学程度の知識しかないのだが、それでも、素人であるから、言いたいことは言うのである。

 現場に行った証拠というわけでもないが、ご参考まで当時の写真を末尾に並べている。

 「ボギーなしの正確なゴルフ」と、記者がスコアの数値から高評している「正確」さが、プレーヤーの取り組みが変わったのを示しているのか、それとも、運営者のコース管理が変わったことを示しているのか、ぐらいの「掘り下げ」があっても良かったのではないかな。

 20年前の練習ラウンド見学で見聞した様子から見ると、オーガスタのグリーンは、短く切り詰めた芝をビリヤードテーブルのフェルトのようにつるつるながら、高低のうねりも目立つし、芝目は遠目にはわからないものの、世界最高峰の名手でも、実際に打ってみなければボールの方がわからないほど癖のあるグリーンと見たのである。

 何しろ、素人でもよく知っている名選手たちが、グリーンを十分学習した上なのに、1メートル以内のショートパットを左右いずれかに大きくそらすのであった。

 その上に、期間中、グリーンを乾燥させるのか、ある程度湿らせるのか、プレーヤーに気づかせないで管理して、グリーンの速さを予測困難に変えているとのことであった。

 因みに、知る限り、オーガスタナショナルは、極めて限定されたクラブ会員制であると共に、マスターズ向けのコース設定は、長期間クラブ会員の利用を止めて、時間をたっぷりかけて、極限まで研ぎ澄ますと聞いている。

 とすると、「正確さ」は、プレーヤーの当日の緊張感が呼び起こしたアグレッシブなプレーが、コースの求めた積極的なプレーと、たまたま整合した結果ではないかと憶測するのである。であれば、初日から同様のパッティングをしていたら、どんどん決まったかどうかは、不明である。

 あくまで、素人の勝手な憶測であるが、熟練したコース管理者がコースを設定する際には、何らかの謎と正解が設定されていると思うのである。グリーン上のある秘密の場所に、ある方向、速度、回転のボールが落ちてきたら、そのボールは、パットの困難さが緩和されるような場所に転がって落ち着くような「正解」ショットがあるような気がするのである。いうまでもなく、単なる空想であるが。

 記事の最後で、記者は訳のわからない「大舞台でも物おじしない充実のメンタル面」などと、意味不明の「メンタル」に逃げ込んでお茶を濁しているが、これまで敗退してきた先輩プレーヤーが、一人残らず「物おじした」から負けたと決めつけて逃げるのは、専門記者として怠慢ではないかと思う。

 特に、記者は、「メンタル」という意味不明、人によって使い方まちまちの造語を放り込んで、読者を混乱させているが、書きぶりを見ると、昔ながらの精神主義なのかと思わせる。逃げるな、びびるな、もっと頑張れ、と野次馬気質で言っているだけである。スコアの数字の上っ面を見てそう言い立てるのなら、現地密着取材する必要のないコメントである。

 「心技体」とは、昔ながらの言い回しで恐縮だが、以上の書き方でおわかりのように、素人考えでは、今回、初日から「正確な」ゴルフができなかった原因の大きな部分は、コース戦略という知的な面を含めた「技」の不足ではないかと思うのである。

 以上、知識の足りない素人の勝手な意見であるが、物事が不可解な様相を呈しているときは、物事に密着して、掘り下げて、理解できるまで調べるという姿勢は、全国紙の報道取材の姿勢として万事に通じると思うのである。とにかく、修行である。

以上

練習ラウンド見学記録 1994年4月5日(火)

コース展望(何ホールだったっけ?)

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グリーン遠望(何ホールだったっけ?)

1994405augusta042

グレッグ・ノーマン(大本命といわれながら、またも優勝を逸した)

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2015年3月23日 (月)

今日の躓き石 「ウエアラブルでメンタルまで?!」

                                                                            2015/3/22
 今日は、躓いたどころではない、ぶっ倒れそうになった話である。

 何しろ、NHKEテレ(旧称 教育テレビ)のご贔屓番組「サイエンスZERO」で、「メンタル」などという、意味不明の言葉が飛び出したのである。

 とにかく、天下のNHK、天下のEテレ、そして天下の「サイエンスZERO」は、知性ある言葉の守り人であり、誤用をたしなめるものであって欲しいのである。

 同情すべきなのは、「スポーツ」ネタだったために、業界方言に晒されたのだと思う。この手の言葉遣いは、うつりやすいのである。そうは言っても、スポーツ界では、みんなそう言っているから」、「大学の先生も言っているから」などの言い訳は無しである。

 今日は、「ウエアラブルでメンタルまで」とでかでかと画面にでているのを見て、どこか民放のお笑い系コメンテーターの字幕かと思って、しみじみ情けないのである。録画したのを見返すまで、本当にそう書かれていたのか自信が持てなかったほど、とんでもない言葉遣いである。

 折角、こうした番組の聞き手としては異例の、わめかない、騒がない、賢い聞き手を起用して、安心して見ていられる番組にしているのに、世間のボケた言葉づかいに迎合したのには、失望したのである。

以上

2015年3月10日 (火)

今日の躓き石 「メンタル」の極み

                                 2015/03/10
 毎度おなじみの毎日新聞スポーツ欄ですが、今回朝刊の記事を題材として取り上げたのは、毎日新聞の責任と言いきれないものがあります。何しろ、今回は、共同通信の配信記事なので、中身は、そちらの責任と言うべきなのでしょうが、堂々と紙面に載せた以上、無関心ではいられないはずです。

 それにしても、今回、テニスのデビスカップの対抗戦でカナダチームに勝てなかった事への論評は、どんな名選手が執筆したのか署名がないのでわかりませんが、非常に高い視点からの論難であり、まことに不思議です。報道機関は、いつからか、スーパー評論家になっていますが、今回の記事も相当なものです。

 指摘は、トップ4に入る選手の偉業はあっても、一人だけでは対抗戦に勝てない、と当たり前の結論を掲げ、二人目の選手に「精神力」が足りなかったことを敗因として指摘しています。しかし、現実には、両チームの勝敗を分けたのは、ダブルスの勝敗であり、敗因をどこかに押しつける論法は、全国紙の報道から排して欲しいものですが、記者の論法を辿ると、日本チームの敗因は、ダブルスの負けとも言えるはずです。ダブルスが勝ちなら、シングルスで二勝した選手の功績が称えられていたはずです。

 記事では、二人目の選手への非難に言葉数を費やしていて、まずは、「(相手の)強力サーブを気迫で押し返す姿勢は見られず」と断罪されているのですが、一方、エースの美点として、「追い込まれた場面で強靱なメンタルで踏みとどまった」、と賞賛しています。ここで書かれている「メンタル」が何なのか意味不明ですが、二人目の選手に対する論難からすると、気迫のことなのでしょうか。

 つまり。両者の差は、「気迫」、「精神力」であると断じているようなのです。愚考するに、記者の眼力は、超能力の部類に見えます。記者が、選手の「姿勢」を見通したことを受け入れるとして、では、どんな「姿勢」が必要だったかは語られていません。高速で飛んでくるテニスボールを、ラケットで打ち返すのでなく「気迫」で「押し返す」方法があれば、この場で開示して頂きたいものです。これでは、まるで、劇画、漫画の世界を文字にしているように見えます。

 当の記者は、折角、現場で実際の試合に臨んで、膨大な情報を受け止めているはずでする。報道の使命はまず第一に事実の報道であり、記者が自説を唱えるものではないと思うのです。

 共同通信の編集姿勢については材料が少ないので、お説教はこの程度にとどめるが、毎日新聞ともなれば、報道に際しては、元々得られた情報を個人の狭量な見識で解釈して意味不明な論評に置き換えてしまわずに、生の情報をできるだけそのままで伝えて頂きたいものです。配信記事は編集で機なのでしょうが、毒消しにもっと健全な記事をすぐ近くに載せられなかったものかと思います。

 それにしても、ここまで指摘したところによれば、事スポーツ界に限っても、「メンタル」という言葉の意味は、かなりバラツキがあるようです。ここでは、何か、スパイクか、ラケットか、武具のように見えます。
 もともと、mentalという形容詞だけで後に何も続いていないと何のことかわからないのであり、そんな(いい加減な)言葉使いで何かを読者に伝えようとするのは、報道の使命をおこたる(横着という)ものではないかと考えます。

 最後に、自明なことを伝えると、テニスに限らず、「勝負」というものは、大抵は、技術と戦略で、あらかた、勝ち負けの行方が決まってしまうものであり、そのような判断からして勝つべきものが「油断」や「過信」で自滅して負けることはあっても、「気迫」などで、負けるべきものが勝ち負けの行方を覆すことは、滅多に無いものです。要は、技量が相手に及ばなかったと見るものです。伝統的な「心技体」の心情を見直して欲しいものてす。

以上

2015年3月 7日 (土)

今日の躓き石 「メンタル」

                                      2015/03/07
 いや、新しいネタではありません。

 最近、NHKニュースの字幕で「メンタル」とカタカナ4文字が見えたので、耳を澄まして聞き取ると、「メンタルヘルス」の話題とわかりました。

 一般人向けのニュースなので、表現に配慮していますが、「メンタルヘルス」の問題と言うことは、「こころのやまい」と言うことになります。
 実際、メンタルが健康な人は、ニュースで採り上げるものではないのです。

 数日前にも、毎日新聞の地域面だったかの小見出しで、「メンタル」のとカタカナ4文字が見えたので、記事の内容に注目したのですが、やはり採り上げられているのは、「メンタルヘルス」の問題と言うことでした。

 つまり、両メディアでは、放送ないしは紙上で、「メンタル」と書かれているときは、同じ概念を思い出すことが予定されているように思うのです。

 ここまで、スポーツ界の業界方言(方言が悪いと言っているのではないですよ)が、無調整で一般人に拡散することの危険を説いていますが、両メディア共に、スポーツ関係者の発言をたしなめもせずに報道しているので、同じ言葉を目にしたとき、あるいは、耳にしたときに、何を思うか、安定していないのです。言葉の守り人が必要です。

 私見では、いずれかのテレビ番組で、思慮深く言い換えていたように、プレーヤーの気持ちの問題は、日本語でそのように言うべきであり、安易に「メンタル」と言い放つべきではないように思います。スポーツ選手が、社会人として尊敬される言葉遣いは、そうあるべきです。

 因みに、スポーツ関係者の発言で不思議なのは、「メンタル」(心理)と「フィジカル」(体力)の二要素が声高に言われるだけで、技術面(art)、芸術面(art)への言及がないと言うことです。

 伝統的な言い方で言うと、「心・技・体」の三要素がそろっているのが、良い「選手」の備えるべき特質でした。「心」は、結局は「平常心」であり、「体」は、「力」以外に俊敏さを求められていたように思います。そうした「古い」見方は、「世界」に通用するスポーツ選手には、不要なのでしようか。

 新しい言葉遣いで、新しい視野が開けたとしても、それまで長く養ってきた言葉遣いが乱れ、大事にしていた概念が念頭から、後生に伝わらないままに消え去ってしまうようでは、新しい言葉遣いによって、スポーツ「文化」が後退したことになるように思います。

 正直言って、スポーツ選手が、いくら、ファイト満々で、体力もりもりでも、技術的に未熟であるとき、あるいは、スポーツらしい美的センスがないときは、スポーツ選手の価値を低く見てしまいます。

 そうした大人の視点を取り戻すように、若者達を導くのも、メディアの使命であるように思います。

以上

2014年12月14日 (日)

今日の躓き石 「メンタル課題」-誰の?

                               2014/12/14
 今回の話題は、毎日新聞朝刊(大阪)のスポーツ欄記事の「あら探し」である。

 当カテゴリーにスポーツ欄がよく登場するのは、もともとスポーツ欄担当記者が、報道担当者としての本分を取り違えて書いたと思われる記事が散発しているからである。

 かねがね述べているように、スポーツ欄といえども、全国紙の紙面の一面であり、当然全国紙として記事のチェックがあるはずが、どうも、ゆるゆるになっているようで、長年の愛読者として憤慨しているのである。

 ちなみに、当記事は、日曜日当日の20時近くなって書いているので、結果は出ているのだが、一切見ずに書いている。「負けの無い」結果論ではないのである。

 「きょう実業団女子駅伝」と題した囲み記事が不思議な構成と構文を取っているのである。「不思議」とあえて言うのは、常識に照らして、意図不明だからである。

 「オーダー分析」と題して、駅伝の各チームの走者構成に論評を加えているのは、「下馬評」記事のならいであるから、特に不思議な点はない。と言いたいが、昨年実績を元に、順次論評されている後に、上位格付けされるべき特定のチームの論評が避けられていて、ことさらに特定のチームの監督談話が報道されているのが、まずは、不思議である。

 その見出しが、まず振るっていて、「新人のメンタル課題」。すでに述べているように、「メンタル」というプロスポーツ業界の符牒は、低劣、俗悪、粗雑で、不具合てんこ盛りの代表的な悪文であるが、監督談話の一部では無いので、見出しをつけた担当記者の迷妄とわかる。ただし、今回の問題は、もっと奥深いものがある。

 4行の談話だが、読んですぐに感じられるのは、天下の毎日新聞の記事とも思えない粗雑な記事だな、というものである。

 くだんの監督談話は、チームの状態が良くなっていると言明した後に、(実名を挙げた)「新人の心の部分が心配」とある。失礼だが、それは、新人の課題でなく、監督、コーチ、先輩、同僚の課題と思える。

 これでは、チームは勝てる状態にあり、負けるとしたら新人の「メンタル」トラブルであると、前もって逃げ口上を述べているように見える。

 談話に先立つ署名記事では、「その(若手選手の)出来が勝負の行方を左右しそうだ」、と妥当な言い回しで書いているが、駅伝はどこかで「大崩れ」すると、チーム全体が崩れてしまう競技であるから、おっしゃるとおりであり、それでも、若手選手が果敢に激走して崩れずに完走し、チームに勝利をもたらすのが、駅伝の妙味である。何事も良い方にとらえてあげたいものである。

 今回の事例では、当日朝刊の記事で、自分が敗因となるものと監督に予言された新人は途方に暮れるのではないか。

 気負って無理な飛び出しをするなとか、前の晩十分睡眠をとれとか、具体的な指導事項であれば、まだ、受け止めようがある。

 また、自分への懸念を、全国紙の朝刊で報道されると、発言内容が子供への小言のようで不満であり、チームの問題が自分の「メンタル課題」と言われても、対処のしようがあるまい。

 何しろ、初めての大舞台で、「負けるとしたら、おまえのせい」、と言われては、心穏やかではあるまい。

 素人目にも、「西日本大会」以来の期間をとらえても、監督と新人の間で解決出来ないような、この場で後悔しなければならないような、どんな問題があったのだろうか、と不思議である。

 この記事を読んで思うに、カウンセリングを受けて心の問題を解決すべきは監督ではないのだろうか。

 また、そのように、素人目にも明らかな「心の問題」を抱えた監督があらぬ事を人前で口走ったときは、その発言内容をこのように報道して、監督と新人に、後々まで消せない汚点を残させないのが、メディアの良心では無いか、と思うのである。まさか、担当記者は、必殺仕事人を気取って、監督に筆誅を加えているのだろうか。

 往年の監督やメディアの語り口では、「新人は、最初の大舞台に、気負うことも、気後れすることも無く、のびのびと実力を発揮して欲しい。後は、仲間や先輩が引き受けるから、悔いの無い走りをして欲しい」とでも言うものである。

 駅伝はプロスポーツでは無いのだから、報道するメディアには、心意気を引き立たせるような語り口が望まれるのであり、今回、あえてそう書かなかった担当記者は、なにか、「メンタル」の課題を抱えているのだろうか。このような不出来な記事が報道されるのは、誠に不思議である。

 メデイアが見聞きするのは大量の生データであるが、その中から、自己の見識に従い、報道にふさわしいデータを精選し、精選されたデータを元に、自己の見識に従いペンを振るうのが、メディアの使命では無いかと考えるのである。

 今回は、当記事が関係者に与える癒やしがたい傷みを思うと、「メディアの暴力」に近い記事になってしまっていると思うのである。

以上

2014年11月17日 (月)

今日の躓き石 「メンタル」騒動記

                                 2014/11/17
 毎度おなじみの毎日新聞スポーツ欄ですが、今回朝刊の記事を題材として取り上げたのは、毎日新聞の記者の落ち度と言いきれないものがあります。

 どうも、質問で、日本人が年長者を負かすことに対して心理的な抵抗があるのが影響しているのではないかという問いかけだったようです。これは、選手に対して大変失礼であり、そんなことはないとする回答は、丁寧な言い回しでした。

 その後に、質問が通訳された際の「メンタルは変わったのか」と言うへんてこなカタカナ言葉誤訳が災いして、選手が業界用語の落とし穴にかかったのでしょう。つまり、通訳が、外国人記者の質問を正しい日本語に訳していれば、選手が、変な言葉遣いをすることがなかったのです。こうしたことは、英語でmentalityと言いそうなものなのであり、まさか、Is your mental changed?とは言わないでしょう。

 結局、質問が「誤訳」されたのが第一の原因であり、それに加えてテニス界で、インチキカタカナ語が蔓延っているのが、決め手となったようです。

 それで、聞かれてもいないのに、「メンタルが強くなった」と口を滑らせて恥をかいたのです。

 
毎日新聞の記者も、選手の言い間違いをそのまま伝えるのが、「報道」と勘違いしているのでしょうか。世間は、毎日新聞が紙面に載せると言うことは、毎日新聞の厳しい用語基準に合った、正しい日本語だ、と見るものであり、今回の記事は、誤解を広げているのです。折角、自信、確信、、焦り、意識改革、などと、格調高く選手の内面を分析しているのに、この一点で着地に失敗して、全てぶちこわしている感があります。

 それにしても、折角、世界のトップテンに入っても、国内テニス界のインチキカタカナ語に影響されて、正しい言葉遣いができないようでは、無教養と思われてしまいます
 2014年の旅が終わったので、しばらくは、トッププロにふさわしい言葉遣いを学ぶ時間ができたということでしょう。来年は、トップ4入りと並んで、それにふさわしい言葉遣いを身につけて、インチキカタカナ語を捨てられるものと期待しています。

 困ったことに、今日の記事を何気なく読むと、外国人記者まで、「メンタル」なるカタカナ語に汚染されているように読めるのです。毎日新聞には、インチキカタカナ語の汚染拡大に対して責任があるということです。「記者のバイブル」(毎日新聞用語集)には、こうした注意は書いていないのでしょうか。筆者は、在職中、1989年版を愛用していたので、記者諸氏は、当然、正確な言葉遣いと書き方が身についていると思うから、これまで手厳しく指摘してきたのですが。

 毎日新聞も、夕刊記事では、ジョコピッチについては、「精神面も充実している」、「体力面。意識も高いレベルにある」と、格調高い言葉遣いで内面の充実を書いているのに、朝刊記事のこの下りは、大変不公平な扱いになっています。

以上

2014年11月 9日 (日)

今日の躓き石 「同級生、フィジカル」 スラング考

                               2014/11/09
 以前あった問題の続きなのだが、NHKのルール遵守への疑問である。

 BS1の特番で 「世界の壁を越えろ」と題して、若手プロゴルファーの闘志と努力が描き出されている。専門チャンネルでもないのに、専門性のある硬派のドキュメンタリーを堂々と展開するのは、NHKの総合的な報道力を示すものである。

 しかし、男性ナレーターは、場所柄もわきまえず、堂々と「同級生」と怒鳴りまくっている。二人は、出身校は別だし、ジュニア時代に一緒にコースを回ったことも、一回あったかどうからしいから、別に、同じ環境で時間を共有したわけではないと思う。

 かたや、女性ナレーターは、ちゃんと「同い年」、「同世代」と言っている。別に、何の違和感もなく言い換えられるのである。

 男性ナレーターからは、別の問題用語である「フィジカル」も出てきた。当然の如く、説明抜きで出てくる。

 かたや、アダム・スコットの談話にmental strengthという言葉が出たが、ちゃんと「心の強さ」と字幕が出ている。海外の一流プロは、ちゃんとした言葉遣いで語っている。ゴルフは紳士のスポーツである。

 してみると、NHKとしての言葉の常識は、壊れてしまったのではなく、生きているのである。問題は、言葉の常識を徹底する努力に陰りが見られると言うことである。

 この番組は、実況放送ではないのだから、当該ナレーターが音入れしているときに、誰かがだめ出しすべきである。

 繰り返しになるが、NHKは、報道のプロである以上、言葉遣いにちゃんとした基準があるはずであり、基準がある以上は、ちゃんと守ることを期待されているのである。

 たとえ、プロの言葉使いが世間の常識から外れていても、それを、視聴者の知る言葉と互いになじませて伝えるべきであり、訳のわからない業界スラングを、説明無しに視聴者に押しつけるものではないと思うのだが、間違いだろうか。

以上

 

2014年10月28日 (火)

今日の躓き石 「フィジカル」って何?

                                  2014/10/28
 NHK BSだからと安心していたら、11/3のゴルフ関係番組「世界の壁を越えろ」の告知、番宣で、聞かずに済むと思った珍語(複数)を聞いてしまった。

 一つは、死語となったはずの「同級生」。NHKは、この言葉は、同じ学校(小中高)の同じ教室でともに学んだ生徒達のことに限るようにしているのかと思っていた。出身地も違うし、学歴も重なっていないようなのだが、勘違いなのか。

 もう一つは、意味不明のカタカナ語「フィジカル」。どうも、体力のことを言っているらしいが、後に続くべき言葉が付いてこないので、良くない連想が先に立つのは、「メンタル」と同じく不幸な言葉である。せいぜいが、世間に知られたくないので言い方を変えている、業界方言、符牒という奴だ。

 NHKは、この言葉は、定着していないカタカナ語として、さけているはずだ。意味不と明なので、一般的に使われることはないだろう。英語として意味の通るサッカー用語の「ニアサイド」、「ファーサイド」でも、ちゃんと説明して使うくらいである。

 そんな「かす」言葉を、一般人向けの番宣で食べ散らかして、どんなことを言うつもりなのか、説明があったとは思い出せない。

 NHKには、言葉のルーブックや言葉の校閲委員会があると思っていたのだが、スポーツ番組なら、何を言ってもいいことになっているのだろうか。どうも、特定の「無免許」喋り屋が居るらしい。すぐ忘れて、地の業界方言に帰るのだったら、禁句集でも目の前に貼り付けてやったらいいのではないか。 

 問い合わせたら、社員にそのような者は居ません、と言って逃げるのだろうか。

 今回は、安心して聞いていたので、見事にこけてしまった。ちゃんと受信料払っているのだから、文句を言う権利はあるはずなのだが。

以上

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