歴史人物談義

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2021年9月15日 (水)

私の意見 范曄「後漢書」筆法考 孔融伝を巡って 1/3 総論 改訂版

                             2021/03/08 補充2021/09/15
〇はじめに
 当記事で論じているのは、范曄「後漢書」の史料批判にあたって、編者范曄が、原典史料にどのような編集を加えたか、推定するということである。そのために、後漢献帝期の著名人であった孔融の「伝」をどのようにまとめたか、同時代を記録した他の史書と比較したものである。
 孔融は、聖人孔子の子孫の中でも、同時代では、随一の位置付けであった。名門、名家の中でも、格別の偉材であった。

 范曄「後漢書」は、列伝において「孔融」伝を立てている。袁宏「後漢紀」は、列伝を持たないが、献帝紀に孔融が処刑されたとの記事を書くに際して、孔融の小伝を書き起こしている。それぞれ、孔融なる偉才に、伝記を書き残す価値があるとみたことがわかる。因みに、袁宏「後漢紀」は、東晋期に編纂されたものであり、范曄「後漢書」に先行している。つまり、笵曄の執筆時に参照されたことは確実である。

 一方、陳寿「三国志」「魏志」は、「孔融」伝を持たない。つまり、陳寿は、孔融が著名人であったが、伝を立てるに及ばないと見たものと思われる。これに対して、裴松之は、崔琰伝に司馬彪「續漢書」から引用、付注 している。つまり、南朝劉宋の時代、魏志に孔融伝が欠落していると見なされていたので、衆望に応えて補完したとみられるが、魏志に孔融伝を追加すると原著を改竄したことになるので、崔琰伝に補注する形式を採用したとみられる。つまり、魏志は改変されていないのである。
 言うまでもないが、裴松之の補注、裴注は、陳寿の編纂したものではないので、陳寿「三国志」の史料批判に起用することはできない。参考になるとすれば、司馬彪「續漢書」の孔融記事は、陳寿が否決したものなのである。
 因みに、范曄「後漢書」編纂時に司馬彪「續漢書」が参照されたことは確実である。

 素人読者が范曄「後漢書」孔融伝を通読して感じるのだが、笵曄は、先行する諸家「後漢書」を熟読した上で、自身の文筆家としての沽券にかけて、熱意を持って執筆したことは確実である。その際、江南圏教養人が、周秦漢の古代語、古典用語が、十分理解できないと見て、手心を加えたと思われる。范曄「後漢書」が、唐代に流麗な文章と賞賛された由縁と思われる。

 以下、范曄「後漢書」の特徴を示すと思われる用例を見出して、用語、構文を対照する。因みに、袁宏「後漢紀」の該当部は、日本語訳が刊行されているので参考にした。陳寿「三国志」魏志の該当部分は、筑摩書房刊の『正史「三国志」』所収の日本語訳を参考にした。
 また、当記事は、笵曄の筆の冴えを賞味することにあるので、續漢書、後漢紀が、原資料に忠実な、保守的なものとして、それを基準に、范曄『後漢書』の用語を批判している。

〇用語、文例比較
*十余歳~十歳
 范曄「後漢書」は、まずは、「十余歳」を「十歳」としている。

 つまり、笵曄は、年齢表記で「余」概数を避けたのである。今日でも、中国古代史書の語法を解しない人は、「十余」歳を、本来の七,八歳から十二,三歳程度の範囲と見ないで、十歳から十五歳までの範囲と解釈(誤解)する人が大変多いから、誤解を避けて賢明である。 
 十歳は、キッチリ十歳という断言でなく、八歳から十二歳程度としても、孔融は後に十三歳で父を亡くしたとあるので、成数ないしは所数で、十歳とした方が字面が滑らかである。
 太古以来、戸籍は整備されていたから、およそ、子供に正式に「命名」する程の名家では、それぞれの子供の名前と年齢は、確実に知られていたのである。

 言うまでもないが、当時は、日本で言う「数え」年齢であるから、現代風に「満」年齢で言うと、一,二歳若くなるのである。
 当時、現代の日本のように小学校はなかったし、どの道、四月から学年開始するのではないが、まあ、今日で言う、小学生という程度である。

*周旋~「恩舊」(古い付き合い)
 当記事の筋書きでは、孔融少年が、しかるべき紹介者を通じてではなく、一介の無名人として面会を申し込んだのに対して、当然、門前払いになるところを、気の効いた口上でしゃしゃり出たのである。(偉人伝の冒頭を飾る挿話である)

 李姓の李膺は、少年の口上で、老子「李耳」の末裔と扱われて気を良くしたので、孔子「孔丘」の子孫孔融との両家交流を、あっさり認めている。つまり、紹介者の要らない旧知の間柄と強弁したのである。

 ここで、「周旋」は、古典用語であるため、当時の教養人に理解されない可能性があるので、笵曄は、「恩舊」(古い付き合い)と言い換えた。普通、周旋とは、二地点、あるいは、両家の間の交遊、往来という意味なのである。
 正体不明の領域をぐるぐる巡るという意味でないことは確かである。

*長大~(言い換え放棄)
 「高明長大、必為偉器」で、同時代人に「長大」は理解されない可能性があると見たようだが、適当な言い換えが見つからないで省略したようである。大差ないとも言えるが、「この小僧、成人すれば、大物になるぞ」の意味が消されている。
 因みに、魏志倭人伝にも見られる表現であるが、現代中国語にも伝えられていて、さらには、現代の有力辞書である「辞海」(三省堂)にも収録されているから、日本でも、教養人の語彙として継承されているようである。
 当時成人が十八歳とすると、十余歳は「数年中」となるので、ぼかしたのだろうか。「末恐ろしい」というには、微妙である。

 また、今日に至るまで、「長大」に老齢の意味は見られないように思う。

*早熟談義~笵曄の本領
 笵曄の真骨頂は、『陳煒後至,曰「夫人小而聰了,大未必奇。」』、つまり、「小才の利いた子供は、大抵、大した大人にならないものだ」と評されて、すかさずこたえた名セリフを「書き換えている」所にある。

 先行史料は、「さぞかし早熟だったのでしょうね」と激しく切り返しているが、笵曄は「お話を聞くと、高明なる貴兄は、神童ではなかったのですね」(觀君所言,將不早惠乎) とやんわりこなしている。「早恵」は、同音の「早慧」と同義で、早熟の意味であるが、ここでは、「不早惠」と否定されているので、後漢紀、續漢書と逆の意味であると思う。つまり、神童などではなく長じて智者になったという尊敬の趣旨である。

 本来は、孔融が生意気な皮肉で高名な官人に反駁したことになっていたが、笵曄は、衆人の前で高官の面子を潰したら「ただで済まない」から、如才のない受け答えをしたはずだと解したのである。

 孔融は、晩年、権力者曹操に楯突いてきつい諫言を度々奏したため、遂に刑死しているから、巷では、少年時代の毒舌伝説と語られても、当時河南尹の李膺が、生意気な子供の肩を持って賓客の顔を潰すはずはないと言う、賢明な解釈を採用しているのである。

 笵曄は、「不」の一字で毒消しし、李膺は、孔融少年の爪を隠すことを知っている才覚に感嘆したとしている。話の筋は滑らかであるが、史料に忠実でなく創作である。笵曄の「本領」とは、そういう意味もこめたのである。

*陳寿の孔融観
 因みに、三国志の孔融関連記事は、むしろ乏しい。
 「太祖本紀」では、時に、高官としての行状が語られるが、最後は、先に書いたように、時の権力者曹操に、しばしば反抗したとして、誅殺の憂き目に遭っている。孔子の子孫という事もあって、随分高名でありながら、魏志に列伝はない。
 魏志の孔融記事は、大半が裴注によるものであり、子供まで連座して孔融の家系は絶えていたから、裴松之が、孔子子孫の孔融を殺したのは曹操の大失態との「世評」にこたえて、十分に補追したようである。と言って、このように補注されるように敢えて孔融伝を採用しなかったのは、陳寿の見識を示すものであり、また、裴松之は、決して陳寿を誹っているのでは無いのである。

 孔融十歳時の逸話は、魏志崔琰伝に司馬彪「續漢書」が付注されていたので、後漢紀、後漢書と比較したが、陳寿が認めた記事ではない。
 むしろ、陳寿が、魏志に無用として排除した一連の孔融記事の中でも、最悪と見なしていた記事と思えるのである。

 このような扱いに、陳寿の史官としての判断が厳然と示されているのである。孔融伝を収録するとしたら、裴注で補充されているような、不本意な記事も、加筆、訂正できないまま収録することになるから、陳寿の史官としての志(こころざし)が曲がるのである。もちろん、陳寿は、儒教を信奉していたわけではないし、曹操も、同様である。
 と言うことで、陳寿は、孔融の記事を「割愛」したのである。

*不本意な引用
 結局、三国志に孔融伝は無いにもかかわらず、世上の孔融神童(異童子)挿話に、三国志本文ならともかく、裴注記事が引用されているのは、割愛した陳壽の身になっても、労作を物した笵曄の身になっても、大変不本意であり勿体ないことだと思うのである。

*范曄の「脱史官」宣言
 総じて、續漢書と後漢紀の書きぶりには大差がない。古来の史官は、忠実な引用を旨としていたためと思われる。

 そして、范曄「後漢書」は、三国志が提起した確実に歴史を語るという提言を離れて、また別の一つの正史像を示したものである。

                                未完

私の意見 范曄「後漢書」筆法考 孔融伝を巡って 2/3 対照篇 再掲

                              2021/03/08 確認 2021/09/15

〇史料対照篇 後漢書に「孔融列伝」あり。續漢書は、魏志崔琰伝裴注
【後漢書】孔融字文舉,魯國人,孔子二十世孫也。
【後漢紀】融字文舉,魯國人,孔子二十世孫。
【續漢書】融,孔子二十世孫也。

【後漢書】融幼有異才。年十歲,隨父詣京師。
【後漢紀】幼有異才,年十餘歲,隨父詣京都。
【續漢書】融幼有異才。融年十餘歲,

【後漢書】時河南尹李膺以簡重自居,不妄接士賓客,敕外自非當世名人及與通家,皆不得白。
【後漢紀】時河南尹李膺有重名,敕門通簡,賓客非當世英賢及通家子孫,不見也。
【續漢書】時河南尹李膺有重名,勑門下簡通賔客,非當世英賢及通家子孫弗見也。

【後漢書】融欲觀其人,故造膺門。語門者曰:「我是李君通家子弟。」門者言之。膺請融,
【後漢紀】融欲觀其為人,遂造膺門,曰:「我是李君通家子孫。」門者白膺,請見,
【續漢書】欲觀其為人,遂造膺門,語門者曰:「我,李君通家子孫也。」

【後漢書】問曰:「高明祖父嘗與僕有恩舊乎?」
【後漢紀】曰:「高明父祖嘗與仆[僕]周旋乎?」
【續漢書】膺見融,問曰:「高明父祖,甞與僕周旋乎?」

【後漢書】融曰:「然。先君孔子與君先人李老君同德比義,而相師友,則融與君累世通家。」眾坐莫不歎息。
【後漢紀】融曰:「然。先君孔子與君李老君同德比義、而相師友,則仆[僕]累世通家也。」眾坐莫不歎息,僉曰:「異童子也。」
【續漢書】融曰:「然。先君孔子與君先人李老君,同德比義、而相師友,則融與君累世通家也。」衆坐奇之,僉曰:「異童子也。」

【後漢書】太中大夫陳煒後至,坐中以告煒。煒曰:「夫人小而聰了,大未必奇。」
【後漢紀】太中大夫陳禕後至,同坐以告禕。[煒]曰:「小時了了者,至大亦未能奇也。」
【續漢書】太中大夫陳煒後至,同坐以告煒,煒曰:「人小時了了者,大亦未必奇也。」

【後漢書】融應聲曰:「觀君所言,將不早惠乎?」
【後漢紀】融曰:「如足下幼時豈嘗〔常〕惠乎?」
【續漢書】融荅曰:「即如所言,君之幼時,豈實慧乎!」

【後漢書】膺大笑曰:「高明必為偉器。」
【後漢紀】膺大笑,謂融曰:「高明長大、必為偉器。」
【續漢書】膺大笑,顧謂曰:「高明長大,必為偉器。」

【後漢書】年十三,喪父,哀悴過毀,扶而後起,州里歸其孝。
【後漢紀】年十三,喪父,哀慕毀瘠,杖而後起,州裏稱其至孝。
【續漢書】該当記事なし
                    未完          

私の意見 范曄「後漢書」筆法考 孔融伝を巡って 3/3 原典篇 再掲

                             2021/03/08 確認2021/09/15

〇原典史料 出典 中国哲學書電子化計劃 維基文庫

范曄「後漢書」鄭孔荀列伝

孔融字文舉,魯國人,孔子二十世孫也。
七世祖霸,為元帝師,位至侍中。父宙,太山都尉。
融幼有異才。年十歲,隨父詣京師。時河南尹李膺以簡重自居,不妄接士賓客,敕外自非當世名人及與通家,皆不得白。融欲觀其人,故造膺門。
語門者曰:「我是李君通家子弟。」門者言之。膺請融,
問曰:「高明祖父嘗與僕有恩舊乎?」
融曰:「然。先君孔子與君先人李老君同德比義,而相師友,則融與君累世通家。」眾坐莫不歎息。
太中大夫陳煒後至,坐中以告煒。煒曰:「夫人小而聰了,大未必奇。」
融應聲曰:「觀君所言,將不早惠乎?」
膺大笑曰:「高明必為偉器。」
年十三,喪父,哀悴過毀,扶而後起,州里歸其孝。
性好學,博涉多該覽。

袁宏「後漢紀」卷三十 孝獻皇帝紀 建安十三年

融字文舉,魯國人,孔子二十世孫。
幼有異才,年十餘歲,隨父詣京都。時河南尹李膺有重名,敕門通簡,賓客非當世英賢及通家子孫,不見也。融欲觀其為人,遂造膺門,
曰:「我是李君通家子孫。」門者白膺,請見,
曰:「高明父祖嘗與仆[僕]周旋乎?」
融曰:「然。先君孔子與君李老君同德比義、而相師友,則仆累世通家也。」眾坐莫不歎息,僉曰:「異童子也。」
太中大夫陳禕後至,同坐以告禕。曰:「小時了了者,至大亦未能奇也。」
融曰:「如足下幼時豈嘗惠乎?」
膺大笑,謂融曰:「高明長大必為偉器。」
年十三,喪父,哀慕毀瘠,杖而後起,州裏稱其至孝。

魏志崔琰傳 裴松之付注
司馬彪「續漢書」:

融,孔子二十世孫也。高祖父尚,鉅鹿太守。父宙,太山都尉。
融幼有異才。
時河南尹李膺有重名,勑門下簡通賔客,非當世英賢及通家子孫弗見也。
融年十餘歲,欲觀其為人,遂造膺門,
語門者曰:「我,李君通家子孫也。」
膺見融,問曰:「高明父祖,甞與僕周旋乎?」
融曰:「然。先君孔子與君先人李老君,同德比義而相師友,則融與君累世通家也。」衆坐奇之,僉曰:「異童子也。」
太中大夫陳煒後至,同坐以告煒,煒曰:「人小時了了者,大亦未必奇也。」
融荅曰:「即如所言,君之幼時,豈實慧乎!」
膺大笑,顧謂曰:「高明長大,必為偉器。」 

                                以上

2021年7月30日 (金)

私の本棚 相見 英咲 「魏志倭人伝二〇〇〇字に謎はない」 最終  1/30

 講談社 二〇〇二年一〇月刊
 私の見立て☆☆☆☆☆   詐欺である                               2018/04/12 追記 2019/07/22 2021/07/30

*前置き
 本書は、刊行以来十五年間当方の目の届くところに来ず、二〇一八年になって初めて目について購入した。
 書評も見かけないので好評ではないようである。
 いや、タイトルを大きく構えた書籍は、見かけ倒しが多いので、大抵は御遠慮申し上げるのだが、今回は、手元の書き物の参考にと購入、一読したのである。

*総評
 結構迷ったが、最悪の判定、星ゼロとなった。「金返せ」である。

 当方の好みに合わないだけなら、買わない、読まないで、何の迷惑もないが、本書は、「確実な史料に基づき、先入観、俗説を廃して、まじめな議論を進める」と銘打って読ませながら変節して裏切っているのである。
 より重大なのは、そのような変節の兆しを表明せず、読者を落とし穴に導く書法を取っているからである。重大な策謀であるので、ここに高らかに宣言するのである。それでも、あえて買い込んで読むのなら、それは、ご当人の「酔狂」である。できれば、図書館の利用をお勧めする。

 当方も人間であり、見せかけの抱負に共鳴して、肯定的な書評を書き始めたが、当方が支持できる発言を拾おうとして飛ばし読みして、出てくるのは、トンデモ発言ばかりで、座り直し、読書眼鏡を磨いて、丁寧に読み進んだのである。評価が手厳しいのは、騙されたからである。

 資料購入代金は、やりくりで埋め合わせするとして、否定的な書評を何とか建設的な苦言にと書き整えた努力は、当方に特に得るところがないから、限りある時間を奪われた恨みは尽きないのである。

*プロローグの酔狂
 冒頭の一幕は、新説開示の枕として、別に異例でもないが、「著者が天啓を受けて、本書の論説の理路を幻視した」というのは、当人にはそうだろうが、他人が一切知り得ない思考世界なので、自慢されて同感も否定もできない。
 大事なのは、「神がかり」を契機として構築した所説が実証できたかどうかである。実証のない天啓は、個人的な幻想である。ざっくり言って、天啓の90%は「ゴミ」である。それが耳障りなら単なる「錯覚」である。高々と謳い上げるべきものではない。
 ちなみに、古田武彦氏は入浴中に、道里説解決の天啓を受け、そのまま飛び出したので「アルキメデス的天啓」だが、大事なのは、実証であり、氏は、それ以降順当に論証しているが、本稿で当方の指摘で「アルキメデス的天啓」は覆っている(と、勝手に思う)。
 当方は、やはり湯船で、今書いた、氏の天啓説への反論を思いついたが、別に興奮せず、飛び出さずにそのまま入浴を続けた。成り行きは、まことに陳腐だが、反論は有効だと信ずる。

*安請け合いの非
 末尾に「知的興奮」と言うが、推理小説でもあるまいにどんでん返しや犯人捜しは論外であり、読者は、真理に触れ、知識を深めたいのであって、心地よく騙されることを期待して読んでいるのではない。

 盗まれたと思われることは「絶対にないであろう」と言うが、口先だけの強調表現の大安売りで騙すのは、盗みとどう違うのか。要は、騙りは犯罪なのである。

                                          未完

 

私の本棚 相見 英咲 「魏志倭人伝二〇〇〇字に謎はない」 最終  2/30

 講談社 二〇〇二年一〇月刊
 私の見立て☆☆☆☆☆   詐欺である                               2018/04/12 追記 2019/07/22 2021/07/30

*約束破りの書き出し
 ノンブル(ページ番)はプロローグから始まっているものの、論議はここから始まる。
 本書で、早々に、倭人伝解釈を、「中華書局本」に基づくと高々と宣言していながら、そこに、妥当な根拠を示すことなく誤字論を導入しているが、唯一の依存史料が誤りとの根拠は示せるはずがない。端から不合理で、「虚言 」癖を疑わせるが、まだ早々なので、辛抱する。

 諸兄の倭人伝の地理・行程論を「既存諸説の批判」の形で展開するが、「諸説」とその批判は、勝手に選別されている。
 
また、その際、地理・行程論に不可欠な倭人伝「里」の長さに対する議論が欠落しているのは、大変お粗末である。

 著者の結論として、倭人伝には、「邪馬壱国」が九州島内と書かれていると断じた上で、一転、倭人伝は誤記と断じているが、史料による妥当な根拠は示されない。まさしく、神がかりである。

*根拠なき先入観
 著者は、はなから「邪馬壱国」は、遥か東方の今日言う奈良盆地方面にあったとの確信/錯覚で、そこまで書き立てている倭人伝の史料解釈を捨て去る。諸説批判は無意味な字数稼ぎでしかない。嘆きたくなるのである。

 誰やらの「古代史家全員嘘つき」論を想起させる。

*ボロボロのエピローグ
 「エピローグ」では、本書は、思いつき(神がかり)の論旨を短縮日程でまとめて一丁上がりとし、編集部に超特急校正させて(もろに書いてはないが)、(不備だらけで、ごまかし満載の)著書を(無理矢理)世に出したと誇っている。そんな著者のやっつけ書籍を、一流出版社が世に出したのは、会社ぐるみのペテンとの疑惑が否定しがたい。

 また、当人は、少なからぬ私財を投じたと示唆しているのだろうが、読者には、関係無い話である。
 私財を投じて購入する読者にしてみれば、とんでもない話である。

 参考文献一覧と謝辞を備え、用語索引を整備する水準の著作を志したのではないか。

 当書評は、しきりに本書の用語の混乱を語っているが、用語索引を作れば、初出箇所と後続の箇所が目に見えるので、初出時に、誤解を防ぐ手当をするなり、自己校正で低次元の用語混乱は、容易に発見でき、是正できたたと思うのである。失敗も、世に出す前に発見して是正すれば、ないのと同じである。と言うか、誰でも、勘違いや思い違いはあるから、何とかして、手の内にある間に、誤謬を発見して是正するのである。
 著者は、その程度の初歩的な、つまり、最低限の必須手順を手抜きして、何を得たというのであろうか。
 それが、素人に思いつかないことととしても、一流出版社「講談社」の編集子には、当然の手順であったはずである。

 してみると、ここに氏名入りで、編集不備の責任を押しつけられた両編集子は気の毒である。
 
ただし、当書評で批評されているのは(最高かつ最終)責任者たる発行者であり、一流出版社としての業務基準と是正ルールの欠如である。担当者を責めているのではないから、御安心いただきたい。
 これでは、星無しにせざるを得ない。いや、マイナス評価が書けないのが残念なほどである。

                      未完

私の本棚 相見 英咲 「魏志倭人伝二〇〇〇字に謎はない」 最終  3/30

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*批判の幕開き
 単なる思いつきで非難したと思われると、ブログ筆者としての沽券に関わるので、くどくどと丁寧に指摘する。
 言うまでもないが、当記事全体は、一私人の個人的な意見であり、他人の意見を押しのける排他的なものを意図したものではないが、一説として意義のあるものと自負しているので、あえて公開しているのである。

*看板に偽り~高度なタイトル論議

 大事なタイトルに、著者の時代錯誤が現れていて、読むに値しないと門前払いになりかねないのである。

 二〇〇〇とあるのは、古代中国になくて、遥か後世に紹介された零の概念とか、位取り多桁計算とかの視点であるが、そのようなものは、魏晋朝時代の中国にも、倭国にも存在していなかったことは明らかである。
 当の時代・地域に存在しなかった、後代・別世界概念を言い立てる時代錯誤は却下されるべきである。

 次に問題なのは、倭人伝を二〇〇〇字と称している点である。現代人感覚と言うか、学校での教育訓練によれば、二〇〇〇字とあれば、一字の多少もない二〇〇〇字キッチリであるから、これは誤っている。つまり、間違っている。

 と言うことで、数値表現の時代錯誤と不始末を避けるには、魏晋朝に存在しない概念を、一切導入せず、「魏志倭人伝二千余字に謎はない」と書かねばならないと「史学素人」は信じるのである。倭人伝「余」論は、すぐ出てくる。

*概数の理解欠如 普通の誤解
 百字単位に何らかの意味があるなら、千九百余字と書きそうなものであるが、そう書かないのは、百字単位概数の意義を適切に理解しているように見せている。つまり、偽装である。

 著者が、この理屈を理解していないのは、行程論(p114)で、一五〇〇余里と、時代錯誤の多桁表示で一里単位まで表示しているのでわかる。つまり、里数には、一里まで意義があるように表現し、かたや、世上の誤解に追従して、「余」を端数切り捨てと決めている。

*倭人伝「余」論
 倭人伝の里数、戸数は、例外を除き、「余」であるが、全て、プラス端数、端数切り捨てだろうか。

 『倭人伝の「余」』は、程度の意であり、多少は不明と解すべきであると考える。義務教育の算数程度の知識があれば、容易に理解できるはずであるが、著者に理解できなくても、当方は、著者の教師ではないので理解不足を恨まないで欲しい。
 簡単な常識であるが、概数がすべて切り捨てだと、戸数や里数の加算計算は、項目が増えれば、切り捨てが累積して、とんでもない誤算になるのである。当時、「世界」唯一の文明国が、そのような統計管理をすることは、あり得ないのである。
 少なくとも、史記以来の史書は、周代以来の算数教育を経た、「数字に強い」筆者を擁しているので、そのようなつまらない誤算はしないのである。端的に言えば、「余」は概数の中心値を示しているのであり、項目数の多い加算でも、個別の端数が打ち消し合って、誤算しないのである。
 戸数で言えば、五万余戸と二万余戸を足せば、七万余戸であり、これは、当時の教養人なら、暗算できる程度である。他に、千戸単位、ないしは、それ以下の端数戸数/家数があっても、全国戸数の計算で無視できるのである。

 世に、倭国三十国の戸数表示のない国にも、戸数があるはずであり、『塵も積もれば』で推定すれば、千や二千の戸数が出る」と、勝手な推測を述べている向きがあるが、何重もの誤謬を重ねているので重症である。
 まず、戸数は、何軒の民家があるかという数字ではなく、戸籍に登録され、農地を割り当てられ、耕作と貢納、徴兵の義務を背負っている、いわば、有産者の数であるから、国によって、戸籍がないと戸数の把握はできず、あえて申告させれば、国主含めて、一戸とか数戸のところが多いはずである。
 帯方郡の指示に対して戸数が表明されていないのは、戸数があっても、万戸どころか、千戸にも届かない「はした」であることを明示しているのである。
 つまり、倭人伝に表明されている公称戸数、全国七万余戸が「正しい」のである。国別の戸数明細は、倭人伝の記事体裁を整えただけであり、郡は、個別に管理しているわけではないから、国ごとの戸数には大した意義はないのである。まして、行程上の千戸台の戸数は、それぞれの「国邑」が、太古以来の、隔壁集落であると示しているのである。誠に、史官の寸鉄表現は、寡黙に見えて雄弁であり、決して、饒舌ではないのである。(後記中等教育の範囲だが、わかるかな)

 著者は、榎一雄氏の言う「唐六典」の歩行一日五〇里記事に関して、ここでは何も言わないので同意したかに見えるが、後段では、「独自の道を行く」、倭人伝とは関係無いと明解に断罪、否定している。悪質な詐話ではないかと疑惑が募るのである。
 素人の勝手な予告であるが、読者が、著者の片言を真に受けて、不意打ちを食わないように言い添えておく。

 高名な岡田英弘氏のような自分に理解できないことは、ことごとく頭から断固否定する蛮勇は、著者は示していないから救われる。いや、示していないだけで、実は、場当たりな出任せなのかも知れない。

未完

私の本棚 相見 英咲 「魏志倭人伝二〇〇〇字に謎はない」 最終  4/30

 講談社 二〇〇二年一〇月刊
 私の見立て☆☆☆☆☆   詐欺である                               2018/04/12 追記 2019/07/22 2021/07/30

⚪巨大な三大難点
 タイトルのダメ出しを終わって、内容評価を開始すると、三つ(も)の(巨大)難点がある。
 とにかく、論旨不明瞭なので、走り読みでは、変節点が見えず誤解しかねない。困ったものである。

一.旗幟隠蔽
 本書の論旨展開の本旨は、明解に語られていない。
 倭人伝論読者は、プロ野球ファンと同様、ご贔屓の応援本は買うが、敵の応援本には、目もくれない

 と言って、旗幟を隠して毛針で無辜の読者を誘い込んでも、疑似餌でだまし通すことはできず、ばれたとき憤激を巻き起こす。販促大事の欺瞞的な執筆は、感心できない。

二.言行不一致

 前項と相通ずるが、著者は、後世人のとらわれがちな先入観を脇に置いて、倭人伝の原典の明解な読み方を提案しようとしていると宣言しているが、遺憾ながら、著者も人の子、資料より優先する、濃厚な先入見が漂っていて、宣言はむなしいのである。

 先入見はあって当然で、明言すれば良いのである。口先だけで、なくするというのが、俗に言う舌先三寸の「リップサービス」であり、根っから不誠実なのである。

三.構成不備
 目次を見てわかるように、目に付くのは、論文系に必須の構成の不備である。
 各論は、本文に順次述べるとして、冒頭には、第一章に先立ち、準拠テキスト、執筆方針などが開示される緒言に当たる段がないのが目次から見て取れる。

 自然科学系の論文では、冒頭に、概要、要約が示されるが、史学関係では、まず見かけないから、こんな相場かもしれないが、感心しないのは間違いない。

 また、結論部に当たる段も存在しないし、謝辞も、参考文献一覧も、少なくとも、目次に見当たらない。

 いや、実際は、それぞれ書かれているというかもしれないが、目次などから見て取れないのである。道ばたの石ころまで、全部確認せよというように見える。

*小まとめ
 いずれも書籍としての品格・価値を損ない、総じて全て致命的である。いや、ただ単に、書籍を構築するのが、下手だということに治まらないかもしれないと思うのである。書籍を商品と見ると、商品を形づくる技術が未熟で、かくも無様なゴミ屑を上梓したのである。

 敬愛する白川静氏は、七十四才にして教職を辞して、本格的に著作を開始し、二十年余に亘り膨大、かつ、燦然たる業績を残したから、著者は手遅れではない。(なかったというべきか)

 と言うことで、以下、順次批判していくことになる。

                                         未完

私の本棚 相見 英咲 「魏志倭人伝二〇〇〇字に謎はない」 最終  5/30

 講談社 二〇〇二年一〇月刊
 私の見立て☆☆☆☆☆   詐欺である                               2018/04/12 追記 2019/07/22 2021/07/30

*第一章
1.邪馬台国論争と「倭人伝」の正しい読み方(P12)

 「魏志倭人伝」は、冒頭で紹介済みだから、改めて「仮に」は、不首尾である。「忘れてはならない」と二重定義に力むのは、まことに混乱している。著者は、用語提議を読み返さないのだろうか。不審である。

*私撰論の見当違い(P12)
 三国志を、陳寿の私撰史書と無造作に書いているが、官命で着手した可能性が高いから、これは、風評に過ぎない、誤解である。

 先行王朝曹魏の国史を、私的に編纂することは大罪であり、官命の裏付けがなければ、洛陽に収蔵されていた後漢・魏朝公文書を参照した史書編纂などできないからである。また、編纂に要する人材、資材、資金は、官命無しには調えられないのである。
 陳寿は、政府高官や大富豪の道楽で、私的に三国志を編纂したわけではない。この点、当然なので、余り論じられないが、事情に通じない論者は、好んで暴論を構えるのである。

 その後、母親の不幸や晋朝政争で、最終的には官職を解かれたようだが、魏国史編纂の使命自体は解かれていなかったようであり、依然官命のもと、編纂を続けていたように思う。言うまでもないが、かりに私撰であっても、晋朝皇帝に上申、嘉納され、後年正史に列された三国志の価値は、いささかも減ずるものでない。
 それにしても、つまらない難癖は、言っている当人への評価が下がるだけである。ご自愛いただきたい。


*解けない「邪馬台国論争」問題(P12)
 続く(目次にない)小見出しでも「邪馬台国論争」と書いているが、「邪馬台国論争」は、初出語である。不意打ちは不用意である。

 「論争」は解くものではない。
とんだ、見当違いである。「問題」は、時には、学習者の理解度を試す「課題」であり、時に、ものごとの破綻を示す非難でもある。意味が不定の言葉の乱用は、差し控えるべきである。(読者がどの意味で理解するか、不確かなのである)

*倭人伝研究の歴史(P12)
 「倭人伝」の研究はもう二〇〇年をこえる歴史があると言うが、いつ始まったか不明では、読者には確認できない。

 私見では、十八世紀に倭人伝の邪馬壹国を邪馬臺国の誤記と唱えた松下見林の放言以来三百年である。立証に失敗している説を教義として崇めるのはいい加減にして、「除籍」すべき時期を考えるべき「遺物」と明言すべきと思うが、この世界ではまだ生きている。当世言葉で言う「レジェンド」である。新説への無批判追従も感心しないが、骨董品を崇める趣味は、感心しない。

 それにしても、「倭人伝研究」と「邪馬台国論争」は、定義不備の上に互いの関連も不明確である。本書に相応しくない、不用意さである。

*「大問題」論(P12)
 続く「邪馬台国の所在地をめぐる論争」と「邪馬台国論争」の関係がわからない。「大和朝廷」(倭人伝に記載なし)が「大問題」と結びつくのが唐突であるが、「大問題」とは、単なる謎なのか、致命的難点なのか。問題の大きさは、何で測るものなのか。不思議である。

 古代史の「論争」は、大半が、混乱した世界観の交錯であり、用語の意味があやふやなために、攻防が空を切っているのだが、そんな中の参入して、やたらと強弁を振るっては、議論の振興にも沈静にもならない、まるで、子供の喧嘩に、また、子供が飛び込んでいるのである。


 そして、論争自体は、「要するに」「大和説」、「九州説」の二択とするが、なにが「要するに」なのか、混乱した本書から読み取れるはずがない。「大和説」すら「プロローグ」に説明がなく、松本清張「畿内説」との関連も不明である。

 こんなふうに、著者の「議論」は、個人的な、つまり、不出来で異常な言葉遣いが定義無しに蔓延、暴走していて、不明確で不安定、つまり混乱しているのが理解を妨げ、以下巻末まで一貫している。いかに、紙数を積み、多大な言葉を費やしても、肝心の言葉遣いが乱れていては、読者に意図が伝わらない。

 それとも、「一貫して乱れている」のを尊いとすべきか、苦笑ものである。

                      未完

私の本棚 相見 英咲 「魏志倭人伝二〇〇〇字に謎はない」 最終  6/30

 講談社 二〇〇二年一〇月刊
 私の見立て☆☆☆☆☆   詐欺である                               2018/04/12 追記 2019/07/22 2021/07/30

*百花斉放
 そのあと、読者が十分了解できないまま、先賢諸説のこき下ろしが続くが、根底となる「倭人伝」なる史料が未確定だから、何を提示しても、しょうがない。
 以下、松本清張氏の露払いに続き、「大和説」「九州説」の概要が示されるかと思ったが、概要無しに深入りしているのは、困ったものだ。
 まるで、酔っ払いがくだを巻いているようで、何を言っているのか明解で無いから、逃げ出す方が適確かも知れない。

*アキレス腱(P13)とネック(P14)
 それにしても、「大和説のアキレス腱」という言い方は、失笑ものである。弱点は、これ一つだけで、後は不死身だというのである。実際のアキレス腱断裂は、重傷だが致命傷ではないし、正しく治療すれば、かなりの程度回復する。両脚同時でなければ、全く自力で移動できないわけではない。比喩は、適切でないと意味不明、むしろ逆効果となる。生かじりは禁物である。

 もっとも、九州説も、同様の嘲笑を浴びている。「最大のネック」とは、何のことか。意味不明の極みである。
 
調べると「ネック」は、瓶の首、つまり、「ボトルネック」が、瓶の吐出を制するという意味らしいが、「アキレス腱」の重大性と不揃いである。大体、寸胴な容器をわざわざ多大な労苦と高度な技術を動員して「ネック」に絞っているのは、「ネック」に絶大な効用、価値があるからである。
 重ねて言うと、比喩は、適切でないと意味不明、むしろ逆効果となる。生かじりは禁物である。 まるで、散歩中に路上に「落とし物」を見つけて、拾い食いしているようである。せめて、泥を落として、匂いを嗅いで、誰か通りがかりのものに毒味させてから食いつくべきである。因みに、奈良公園名物の「落とし物」は、はやり歌で言う鹿の「ふん」である。

 念押しすると「最大のネック」は、比喩を掴(つか)み損ねたと失笑ものである。ネック部が太ければ、ネックの段差、隘路は緩和するのである。時分で何を書いているか、理解していないのではないか。

 また、「ネックを解決」とは、どんな比喩なのか。絞ったクビを膨らませて、どうしようというのか。

 後先考えない比喩起用は不用意である。自滅である。自罰である。


*「商品化期」の意味(p14)
 続いて、「商品化期」なる独りよがりの小見出しに続いて、諸氏の意見がさらし者になっているが、肝腎の「商品化期」の意味が不明だから、著者に付いていけない。
 いや、この愚は三品彰英氏の造語のようだが、著者が、鸚鵡返ししているので、独りよがりの小見出しと見える。拾い食いは、慎んで欲しいのである。読者に毒味させているのだろうか。

 著者に「議論が粗雑」「恣意的に過ぎる」と非難されても、批判された論者はおまえごときに言われる筋合いはないと言うだろう。まことに同感である。勝手な思い込みで、勝手な主張をしていては、誰も、相手してくれないのである。

 繰り返すと、まるで「一人スカッシュ」である。さすがに、武光誠・山岸良二の二氏の批判発言を引いているが、それについても、「妥当」(意味不明)としか言わない。

 所在地論者列伝は、松本清張氏に始まるが、引用批判されているのは所在地論ではないので、ヘンテコである。

 また、松本氏の論法は、元の倭人伝にあったが以後失われたと紹介され、著者は、「このような議論が許されるなら、どんな議論も可能になろう」と指摘するが、これは、実は松本氏論法に対する褒め言葉であり、著者は、以下の「議論」と言うか、仮説構築で、大いに見習ったということなのだろう。「春秋の筆法」マニアなのだろうか。

                      未完

私の本棚 相見 英咲 「魏志倭人伝二〇〇〇字に謎はない」 最終  7/30

 講談社 二〇〇二年一〇月刊
 私の見立て☆☆☆☆☆   詐欺である                               2018/04/12 追記 2019/07/22 2021/07/30

*殿御乱行(p15)
 著者は、ぞんざいに「古田武彦氏の議論には問題が多い」と言い放っているが、ここでは、重箱隅の投馬国所在論を資料改竄と難詰している。重大な所在地論の全貌は、伏せている上に、巻末「注」によれば、著者が、ここで参照したのは、古田氏の最初の著作「「邪馬台国」はなかった」だけのようである。いや、ここで言う問題は、算数教科書のように、「問題」ばかりで解答が書かれていないという苦情かも知れない。語彙がずれているとしたら、問題に対して解答できるはずがない。

 衆知の如く、古田氏には倭人伝関連書が多数ある。全体を読んでいないのに、一般論として古田氏を「罵倒」するのは、著者の誠実さを疑わせるものである。倭国への行程が九州島内に収まる趣旨は、承知で忌避したのか。
 因みに、榎一雄氏は、逃げずに古田説批判を書き送っている。

*百花斉放続く(p16)
 水野昌弘氏説は大胆で隙が多く批判容易であろう。
 大和岩雄氏は「大和説」の提唱者・主導者ではないが、その仮説が断定的でないせいか、「大和岩雄」
説は、不倶戴天の敵、両説のいいとこ取りと非難される。感情的な「論戦」で、素人目にも、両論の折り合いを付けてまとめるのは、火中の栗を拾うものであり、賞賛すべきと思う。要は、著者の独解力が不足していて、大和岩雄氏 の論議を理解できないと言うだけではないだろうか。

 少なくとも、長年にわたり「東アジアの古代文化」誌を主宰し、各派の「論文」を掲載し続けた労は、大いに賛嘆すべきである。

*みんなウソ(p16)

 ここで、大御所らしい岡田英弘氏が登場して、倭人伝欺瞞説、つまり、道里、戸数の数値は、全てウソと武断していると紹介されている。
 この大家の意見には、「古代史家はみんな嘘つき」とでも取れる後継、追従発言まで登場している。著者の論法で「このような議論が許されるなら、どんな議論も可能になろう」というと、本書の議論は全て無意味であり、それこそ「邪馬台国はなかった」になる。

 それにしても、いきなり「岡田氏の資料論」と言われると、何のことかと戸惑うが、単に「史料全否定論」のことなら、「論」と呼ぶほどのものではない。単なる、個人的な気まぐれに過ぎない。

*嫌いだからきらい
 因みに、当方の見る限り、岡田氏は算数嫌いであり、倭人伝の戸数・里数論のように、概数の計算という難業は受け付けず、自分に理解できない議論は、大嫌い、だから、全てウソ、との主張に見えると言うだけけである。一人前の大人が、人前で、金を獲って発表する事ではない。

*書記官の魂

 素人としては、倭人伝の筆者が、中原人が未踏の異郷の、最初の見聞の忠実な記録を記すという栄えある務めを捨てて、でたらめな造り話を捏造したというのは、それこそ、無責任で途方もない大嘘と思うのである。

 いかなる思い付きも、論拠無しに公開すべきでは無いと思う。特に、誹謗中傷は、そのような発言をものしたものに跳ね返るのである。

                      未完

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