私の本棚 長野正孝 鉄が解いた古代史の謎- 消されていた古代倭国 1/6
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「古代史15の新説」別冊宝島その3
鉄が解いた古代史の謎- 消されていた古代倭国 長野正孝
◯はじめに
この論者の著作は、アマゾンで内容抜粋を読んで、とてもついて行けないとさじを投げた経緯を発表している。著者が心をこめたはずの「抜粋」が「乱脈記述」で判読不可能であれば、後は、野となれ山となれ、ほっとけば良いはずなのだが、ついつい「ムック」に精選されたらしいということで、しぶしぶ読むことにした当記事も、ついて行けない「乱脈記述」でさじを投げた。いや、かれこれ三カ月ほどどうしたものかと悩んだのである。結局、他の「書評」と同様に、筋の通らない議論は、率直に指摘することにしたのである。
*果てしない暴論
その一つは、古代史関係で珍しくもないのだが、時代錯誤の語彙起用である。現代人の素人語感で古代記事を書くものだから、文の意味が混乱するのである。論者の脳内は、どのような構成になっているのだろうか。到底、常人の知り得ない境地なのかも知れない。いや、そんなことは、個人の「プライベート」な「奥」の世界なので、当方の知るところではないのである。論者は当記事で、その内なる世界を外部に投影して、読者に伝えようとしているはずだが、一向に、外から見える「パブリック」な「表」(おもて)に出てくれないのである。
*背景事情
一般的な理解として、「通説」によると中国の鉄器は、戦国時代後半頃に鋳鉄による鋳物で始まったという。これに対して、論者は、意味不明の独断で紀元前三世紀頃から、九州北部への「鉄」流入が始まったと説いているが、流入した「鉄鋳物」を加工したというのであれば、そこから、鍛冶屋が、「鉄器」をたたき出すことも始まったというのだろうか。言うまでないが、「鋳物製品を鍛冶屋が叩いて鍛造することなど(絶対に)できない」のである。それとも、鋳鉄を鋼鉄に吹き替える高温炉が、未開の地に造成できたというのだろうか。物は自分の「足」で遠路を越えて伝わるが、工業技術は、多数の担い手が移動しなければ、遠隔地に伝わらないのである。肝心の背景を読者に知らせずに、勝手な「ホラ話」を言い募る趣旨がよくわからない。
それにしても、鉄に関する肝心な事項の説明がないのが不思議である。無造作に「鉄」というものの、『鋳鉄の鋳物と鋼の利器とでは、製造方法が違えば、得られる「鉄器」の用途がまるで違う』のだが、論者は何もかも一緒くたにして、読者の理解を妨げたがっているようである。
そのような事項を放置して、二世紀頃、つまり、先の事象から四,五百年を経て、鉄器が大量に流入したと言うが、ここでもどんな「鉄」なのか語られていない。誠に、杜撰である。
更に読者を混乱させるのは、「倭人や渡来人が鉄を運んだ時代は、『日本書紀』の時代とほぼ一致する」とのいい切りである。突然持ち込まれた『「日本書紀」の時代』がいつのことかわからないから、読者には、同感も批判もできないはずである。普通に考えれば、「日本書紀』の時代 は、「書紀」の編纂された時代のはずであるが、著者は、大事な時代指定をごまかしたままで(いわばズルして)突っ走るのである。
自分なりの語彙を紡いで、ご自身の脳内に架空世界を描いて悦に入っているのだろうが、このような文書の形で公開するためには、現実世界の語彙につなぎ替えなければ、善良な一般読者に理解されないのである。言いっぱなし、書きっぱなしでは、著者の人格が疑われるのである。というか、所謂「ペテン師」として「確信」されるのである。誠に残念では無いか。
独り相撲は、見えない神を負かすための芸であるが、論者は、どんな観衆にどんな芸を披露しているつもりなのか。
未完