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狗奴国: 新古代史の散歩道 2025/04/06
私の見方 ☆☆☆☆☆ 文献学逸脱 遺跡遺物考古学権威の旦那芸か 2025/04/09
◯はじめに
一応、「南畝」が記名とも見えるが、タイトル冒頭二文字で「新古子」と敬称する。同ブログの本分は、各地考古学研究者労作の集成と見えるが、圏外なので、業界仁義とみて、敬遠する。逆に、正史考察を門外漢放談と無視すると、たいへん失礼なので、丁寧に批判した。
*引用とコメント
このブログについて 日本古代史の出来事と問題点の考察を行う。
考古学の成果も取り入れ、事実に基づき、合理的な歴史の再構築を図る
狗奴国 ― 2025年04月06日 18:49
狗奴国(くなこく、くぬこく)は『魏志倭人伝』に登場する国のひとつで、3世紀に邪馬台国と戦ったとされる国である。
概要
『魏志倭人伝』記載の「其の南」とは邪馬台国の南(に狗奴国がある)と解釈される。ただし、『魏志倭人伝』の方角はあまりあてにならない(水野祐(1982)、p.262)とされる。中略『魏志倭人伝』における狗奴国の説明は「其南有狗奴國、男子爲王、其官有狗古智卑狗、不屬女王」だけと解釈するのが、多数説である。しかし水野祐(1982)は「其南有狗奴國」、から「(儋)耳・朱崖同」までを狗奴国の説明とする(水野祐(1982)p.251)。 中略
水野祐氏大著は、「『魏志倭人伝』の方角はあまりあてにならない」と読みかじりされているが、大著を労作された水野氏の本意と見えない。
ちなみに、水野氏は、狗奴国は、女王管轄諸国のすぐ南、地続きと順当に、「倭人伝」を史料解釈している。続いて、「後漢書」を考慮して動揺しているが、それは、氏の私見であり、史料解釋が動揺しているわけではないと見える。大著は、幅広く吟味するものではないのだろうか。
水野氏の意見は、当該段落を「狗奴国条」と解釈する有意義な作業仮説であり、同書において具体的に論証されているものと見える。それ以外の解釈は、誰のどんなものか、ここまでの読解では不可解である。
取り上げている一行は、普通に考えれば、「倭人伝」原文編集の際のありがちな齟齬と見るものではないだろうか。古人の一行編集ミスで、以下、水野氏は、史料解釈を揺るがせたが、「新古子」は引用を憚っていて、水野氏はたまるまい。
たとえば、黥面文身が狗奴国独特の習慣であって、「倭国」にも「日本」にも伝わらなかった、つまり、一切後世に伝わらなかったとみるのは、相当自然な解釈である。なぜ、素人が読み囓って口を挟むのだろうか。
狗奴国の位置論
『魏志倭人伝』では「その南に狗奴国あり」(其南有狗奴國、男子爲王。其官有狗古智卑狗、不屬女王。)と書くが、『後漢書』では「女王国より東、海を渡ること千余里、狗奴国に至る」(自女王國東度海千餘里至拘奴國,雖皆倭種,而不屬女王。)と書く。中略 安藤正直(1927)は『後漢書』楽浪郡吏の報告をもとにし、『魏志倭人伝』は帯方郡吏の報告がもとにしていると指摘する。もとの報告『後漢書』では『魏志倭人伝』の記載の誤りを訂正したとみることができる。中略 近畿説を取るなら、間の海は伊勢湾を指すと解釈できるし、九州説をとるなら、狗奴国は四国にあり、間の海は瀬戸内海と解釈できる。いずれも想定している邪馬台国の東にある。
なぜか取りこまれている笵曄「後漢書」の「拘奴國」は、「倭人伝」の「狗奴国」とは、明らかに所在地が異なり、明らかに国名も異なるから、明らかに別の国と判断すべきである。何故、史料に明記されているのを正確に読めないのだろうか。不可解である。
「『魏志倭人伝』の方角はあまりあてにならない」と決め込んでいるのに、笵曄「後漢書」東夷列伝「倭条」の方角が信用できるという根拠は示されているのだろうか。
未完