今日の躓き石

権威あるメディアの不適切な言葉遣いを,きつくたしなめるものです。独善の「リベンジ」断固撲滅運動展開中。

2023年5月20日 (土)

今日の躓き石 NHKサタデーウォッチ9の【リベンジ消費】暴言

                      2023/05/20
 今回の題材は、普通に考えられない公共放送NHKの看板番組の暴言である。ここまでによく指摘するスポーツ番組の粗忽なでまかせ語りの失言では無いのである。

 本日土曜日の65分番組のメインの一つである「ディープな体験が人気-戻ってきた外国人観光客」と題するトピックで、ようやく回復してきた観光需要のはずが、突然「リベンジ消費」などと、侮るように口走ったのには、恐れ入った。国内の一般国民に対して言うのも、途方も無い大変な暴言なのだが、今回は、良識ある公共放送が外国人観光客に対して「リベンジ消費」と蔑称を貼り付けているから、大変な罰当たりである。インタビューで、"Is this consumption your revenge?"と訊くのだろうか。敬虔なキリスト教徒であれば、大変な侮辱、罰当たりと思うはずである。

 NHKの番組は、十分な編集過程を踏んでいるはずなので、このようなつまらない、とんでもない失言が公表されるというのは、公共放送への信頼性を、大きく損なうものなので、情けないものである。

 それにしても、最初に「リベンジ消費」 などと言いだした「やから」は、ちゃんとした口の利き方を知らない無責任なお方だろうが、よくも、罵倒、中傷に近い暴言を広めたものである。いや、褒めているのではないのは言うまでもないが、「頭が白くなった」などと、平然と口走る芸術家もいるので、念を押すのである。

以上

2023年5月17日 (水)

今日の躓き石 毎日新聞スポーツ面の病根 「リベンジ」見出し

                            2023/05/17 /19
   
 今回の題材は、残念ながら、毎日新聞大阪朝刊14版のスポーツ面のプロ野球報道である。

 探すまでもない。堂々と、横見出しで、「バウアーにリベンジ」と惨状を呈している。
 選手は、メジャーリーグ(MLB)で活躍したので、現地でrevengeを口にすると大変な非難の渦を巻き起こすことをご存じのはずである。そうした「教訓」を、「プロ野球」だけで無く、国内の関係者全体に伝えてほしいものなのだが、どうしているのだろうか。関係者には、口に出したり、記事に書いたりするのを職業としているメディア関係者を含めるのは言うまでもない。

*なれ合い疑惑
 記事本体から推察するに、縦見出しの主語で横見出しに流れ込んでいると見える選手は、独断で「来日初勝利」を献上したらしい。個人でチームの勝ち星を進呈するのも情けないのだが、今回は、独断で「報復」したらしい。チームの意見はどうなのだろうか。
 そもそも、前回の対戦で「納得して献上」したはずなのに、「借り」を返せとばかり、血の復讐「リベンジ」に及ぶとはどういう意味なのだろうか。つまり、前回の「献上」試合は、「なれ合い」であり、野手だから打席で凡退して進呈したと読めてしまうのではないか。これは、固く禁止されている敗退行為を示唆するものであり、毎日新聞記者としては、不穏当な発言である。
 このあたり、当の選手の混乱なのか、担当記者の混乱なのか、大問題と見えるが、紙面左上の大記事なのに署名がない。毎日新聞の方針は、誠に、ウナギのように掴みがたい。

 どうも、毎日新聞社は、真っ当な編集を経ていない記事紙面を読者に振る舞っているらしい。気の早い読者が、見出しの連携を読み損なうのは、どちらの責任だろうか。定期購読者として長年お付き合いしてきたが、誠に、悲しいことである。

*追記 2023/05/19
 ついでながら書き足すと、当記事の翌日18日のスポーツ面は、「ヘッスラ」なるいかがわしい見出しで、読者を歎かせたのである。善良な読者は、毎日新聞に対して、誹謗中傷の横行するネット記事並の乱文を期待しているのでは無い。

 どうも「ヘッドスライディング」をネット上で書き殴っているのに倣ったらしいが、全国紙は、程度の低い、聞きかじりのいい加減な言葉を普及するのを期待されてはいないのである。ちゃんと、まともな言葉に言い換えるだけの時間と給料は貰っているものと思いたい。

 それにしても、三塁打を獲得するためにスライディングするのは常識として、通常は、大けがを防ぐために、足から滑り込むものであり、三塁手も、スパイクを畏れて、緩むものである。それを、スライディングの「行きすぎ」を避けるために頭から行くのは危険そのものであり、こどもたちが真似しないように努めるのが、プロ選手では無いかと思われる。天下の全国紙が、無謀なプレーを讃えるのはどうしたものだろうか。
 大新聞は、タダでなだれ込んでくるネット記事と違う、購読料の元が取れる価値ある見識を示して貰いたいものである。いくら、若者に媚びても、読者獲得にはならないのである。
 悪く取ると、毎日新聞は、ネット記事を盗用しているのではないかと危惧するのである。「ヘッスラ」 に著作権は成立しないかもしれないが、無断利用は感心しないのである。

*「プロ野球」は、悩まないで選手を守るもの
 毎日新聞の権威が地に墜ちていないのは、別のページで、「SNS中傷 悩めるプロ野球」と題して、ネットにはびこる「馬頭星雲」ならぬ「罵倒星雲」から送りつけられる「誹謗中傷」投稿について、担当記者が「書き返すリスク」と題してまとめている内容から伺うことができる。
 誹謗中傷発言に応答すると、論争と見なされて、泥沼に引きずり込まれ、対等の当事者となる可能性を想定しているようだが、それは、太古以来の「誹謗中傷」常套手段であり、いわば、感情的になって応答して「リベンジ」合戦に巻き込まれ、いわば、テロリストの仲間入りするのは、断じて避けねばならないのである。古来、「喧嘩両成敗」の止め方が出回っているから、そこにあるのは、「リスク」ではなく、確実にそこにある陥穽、あるいは、レンガの壁である。投稿者には、何も失うものが無いから、「両成敗」など、もっての外である。挑発に乗ってはいけない。

 この点、記者の認識、論法は、かなり投稿者の思うつぼに入りかけているが、最後に、これは、多数の法律家を擁している「プロ野球」つまり「NPB」が機構防衛のために全力で対処すべきものであり、そのために、各球団と選手会の共同声明などではなく、NPBが全国紙上に発表すべきものなのであり、これを、政府当局者が、新たな法的規制の形で具体化すべきなのであると、記者の本分に目覚めたようである。

 いや、この署名記事担当記者の言明は、毎日新聞社が、報道機関として健在であることを示したものであり、そのためにも、日常紙面から、不用意な暴言、中傷を撲滅することが望まれているのである。

*言論の護り人の務め
 毎日新聞社に対して、これまでも、これからも、手厳しい、つまり、遠慮の無い、率直な意見を呈するのは、毎日新聞社が、歴史的に権威を保ち続けていることに対して、尊敬の念を示したものである。当記事は、毎日新聞社に対する苦言であるが、当記事読者が、走り読みの聞きかじりで担当記者への誹謗、中傷だと解しないように、丁寧に言葉を足しているものである。

 それにしても、野球界に根強く蠢いている前近代的な感情論、報復論は、いつになったら消え去るのだろうか。

以上

2023年5月13日 (土)

今日の躓き石 奈良県立美術館 知財権論義  1/2

 「籔内佐斗司館長の部屋」第65回 技術革新 https://www.pref.nara.jp/58242.htm

*館長雑感批判~技術観の混迷
 館長籔内氏の専門は、「美術」、つまり、Fine Art分野であり、当記事で論じている工業技術論は門外漢とお見受けしますが、館長の意見として公式の場で述べるからには、専門家の助言が必要です。
 例えば、氏は軽率に「アナログ」なる評語を起用しますが、ことは、情報処理技術ではなく、機械的な「戦争技術」(Art of War)であり見当違いです。

 「19世紀の産業革命」と大すべりしていますが、「産業革命」は、18世紀後半に開始したと思います。ご確認いただきたいものです。
 「泥と血にまみれたアナログ技術の大量殺戮」と散々ですが、古来、戦争の齎すのは戦士の生命喪失であり、「アナログ技術」(意味不明)のせいではありません。

*画像盗用
 「左:19世紀中頃の英軍兵士の軍装 右:映画「1971」の英軍兵士」出所不明、権利者不明の画像盗用と見えますが、あえて掲示する趣旨不明でもあります。画像は、見る人ごとに受け止めが違うので、論理的な文章に似合いません。

*粗雑な歴史観
 第二次大戦が契機と決め付けられている大量殺戮論義が粗雑に展開され、氏の見識に不信が募りますが、文字情報としては、第三者の著作物を盗用しているとの証拠が見出せないので、氏が著作権を主張しても失当とは言えません。

*粗雑な技術認識
 続く、現代情報技術の展開に関する個人的な感想は、聞き流すしかないものです。認識不足と思われても、個人の信条を断罪することは不可能です。問題は、事実認識です。
 Wikipedia(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』によると明記)によると、「1990年に最初のバージョンである Photoshop 1.0 が発売された。」とあり、Adobe,Photoshopは、商標の注記が必要です。

*感傷的回顧と認識不足の露呈
 「これからは写真が信用できなくなる時代が来るね」と話したと回顧していますが、氏の認識不足から生じた「偽造」世界観表明であり、読者に意味の無い放言です。新規性を主張しても、文書証拠がないのでは無意味です。昨日今日のことではないので、つけるクスリが不明です。

 「映画や映像の制作においてAIを活用した動画編集ソフトは不可欠になり、ネットニュースにはまるで現実と見間違う虚構の映像で溢れかえっています」と現代での認識が書かれていますが、本来、古来、写真も動画(動く写真)も、カメラレンズを通じた記録を、成形、整備した創作物であり、現実そのものでないのは当然ですから、氏の「虚偽論」は、無意味な感情論です。

 そもそも、氏の管轄する美術品は、現実世界の切片の芸術的表現であって、現実の模倣ではないはずです。芸術的創造行為が、「見間違えられて」現実の模倣と解されることを論じるべきなのです。

*「グーグル検索の信頼性」の誤解
 続いて、氏は、何の関係も無い「グーグル検索」の信頼性を論じますが、「検索」が情報源の「信頼性」を保証しないのは明らかで、氏を初めとする利用者は、「グーグル検索」提供の出典の自己検証が求められています。

*百科辞典再考
 氏が言及する「百科辞典」(例えばEncyclopedia Britannica)は、専門分野の編集者がFact Checkを積み重ねているので信を置くことができるのです。書き飛ばすのでなく、正当に評価すべきです。

*「ツール」の主権
 素人が口を挟むと、ここに言う「技術」は、絵筆や彫刻刀のような「ツール」であり、それ自体が芸術創造の能力/知性/感性は無いのです。氏のように、無意味な感情論で、「ツール」使用者としての主権を放棄されては困るのです。
                                未完

今日の躓き石 奈良県立美術館 知財権論義  2/2

 籔内佐斗司館長の部屋 第65回 技術革新 https://www.pref.nara.jp/58242.htm

*Wikipedia論義
 因みに、Wikipediaの記事は、本質的に、多数の無記名寄稿者の持ち寄りであり、個々の寄稿者に信が置けなければ、Wikipedia記事は信用できないという当然のことであり、Wikipediaは、個別の寄稿者に対して、記事の論拠を求め続けることで、辛うじて記事の信頼性を維持されているものです。

 元来、記事持ち寄りで形成されるWiki形式は、管理者が怠慢であれば、「闇鍋」のように、信頼できないごった煮になるものです。

 氏の結論は、当該分野の技術の最高地点(State of Art)の諦観と見え、「その信頼性は日増しに改善されているとはいえ、善悪を判断しないAIが呼吸するように虚偽情報を垂れ流すこの機能を、誰が制御できるのでしょう。」と無責任なもので、氏のように影響力のある大家が改善尽力すると宣言し、然る可く締めくくらなければ、責任ある「結論」とならないのです。

*改善提案
 権威/影響力のない素人が添削すると、『「加工情報の信頼性を審査しないAIは、責任ある管理者が制御しなければ、識別不能な虚偽情報を放言する」ので、遅ればせながら、自己監査によるFact Check機能を組み込むべきと信じますので、ここに、審査機関の設置を提言します』と締めくくるべきでしょう。

*館名の誤解
 英文で"Museum of Art"と「美術」(Fine Art)に限定されないと敷居を下げた以上、奈良県立美術館館長に要求される見識は広大なのですが自覚されているでしょうか。
 今回は、館長の認識不足と見当違いな運命論に大変疑問を感じた次第です。

*「引用拒否権」の提案
 普通に感じて、いかなる個人も、公開の場で表明した意見を、意に反して引用加工されて、第三者に盗用されるのを拒否する権利「引用拒否権」を保障されるべきであると信じるものです。

*失言封印提案
 付記すると、「呼吸するように虚偽情報を垂れ流す」とは、要するに、失禁の形容であり、奈良県立美術館館長の品位を穢すこと夥しいのです。「失言御免」「斬捨て御免」のSNS発言でなく、だれもダメ出ししないサイト記事だからこそ、勢いに任せて書き飛ばさず、慎重に慎重を重ねて推敲して、ご自愛いただきたいものです。

◯奈良県ホームページの不用意な表現
著作権
 奈良県ホームページに掲載されている文章、画像等の著作権は、奈良県または提供者にあります。「私的使用のための複製」や「引用」など著作権法上認められた場合を除き、無断で複製・転用することはできません。

*コメント
 以上の宣言は、一般県民の誤解を誘うもので改善が必要です。現に、例示した記事には、第三者が著作権を有する画像、商標など知的財産権が、明記されることなく盗用されていると見えるので、同記事は、著作権を主張できないと思われます。

 要するに、同県ホームページは、無審査/無鑑査で記事を掲載している物と思われ、他記事にも、同様の不法行為が存在するものと思われます。
 違法な著作物に対して著作権は認められないので、「奈良県」は、県民の所有する知財権を適法に管理していないと見られます。

 よろしく、知財権に通暁した弁護士が助言する法務担当部門による審査、是正を要請します。
                                以上

2023年4月17日 (月)

今日の躓き石 ゴルフ新星の汚点 「リベンジ」絶叫 毎日新聞の大汚点 悲しい続報

                                    2023/04/17

 今回の題材は、残念ながら、毎日新聞大阪夕刊4版のスポーツ面のゴルフ報道である。朝刊のない月曜日の夕刊なので、時間の取れた報道のはずなのだが、署名が違う、つまり、別の記者が、「リベンジ」を叫んでいて、どうも、毎日新聞社は、会社ぐるみ悪習に耽っていると見える。悲しいことである。

 今回は、選手の談話のベタ引用ではないので、選手には、責任がないように見える。もちろん、いずれにしろ、記事の文章に責任があるのは、毎日新聞の編集長なので、もともと、当記事は、前回共々選手を咎めるものではないのである。

 ちょっと厄介なのは、担当記者の語彙の混乱なのである。

 カタカナ言葉の「リベンジ」は、もともと、仇討ち、復讐、テロリストの正義であり、少なくとも、キリスト教世界では、厳重に禁じられているものである。キリスト教精神に意識がない日本人が、「リベンジ」と気軽に言うのは、各地で発生しているテロの連鎖に寄りかかっていて、大変「反社会的」であることに気づいていないのである。

 近年はびこっているダイスケ「リベンジ」は、そんな物騒な言葉を「再挑戦」の意味に、気軽に使うものであり、主として、野球界ではびこっているものである。とんでもない罰当たりな言葉を広めたのが誰かは、知っている人は知っているのでここでは言わないが、不滅の成果になりそうで、困っているのである。何しろ、MLB移籍などで、現地メディアの英語インタビューを受ける際に、言葉の意味を勘違いしたままで、revengeと口走って、激しい顰蹙を買っているのだが、太平洋のこちら側では、公共放送や全国紙で不勉強な記者などが口走って、当ブログで叩かれているのである。(編集者の指導/監督の不備が原因ではあるが)いや、公共放送や全国紙以外では、結構はびこっている暴言と思うが、当方は、暴言狩りしているのではなく、報道担当者の自覚を求めているだけである。

 当ブログの影響かどうか、ここ数年、無神経な「リベンジ」は、大分影を潜めているのだが、今回の連続記事には、一流メディアにおける根深い蔓延を知らされるのである。悲しいことである。

 ついでに言うと、今回の記事の「リベンジを誓った」というのは、「リベンジ」自体の誤解に加えて、異次元の誤解が露呈している。
 記者は、「ダイスケリベンジ」のつもりで気軽に使ったのだろうが、それなら、今回、トーナメントに出場した時点で、リベンジしているので、無効なのである。「仕返し」としても、前回覇者は、昨シーズン年間賞金王に輝いているので、ぶち殺してやりたくても、まるで手が届かないのである。くやしかったら、自分も、賞金王を目指すべきなのだが、必要なのは、とかく「因習愛好のメディア」が復讐心」などとはまるで関係無い「向上心」であり、それは、紙面の他の記事のスポーツでも見られる、尊い精神である。正直なところ、昨今の「リベンジ」報道を見ていると、選手がそのように発言するようにけしかけている担当記者の「影」が感じ取れる気がするのである。選手の発言だけ取り上げていると、事実の報道と言いつつ、実は「やらせ」ではないかとの疑惑が振り払えないのであるが、れそは、あくまで臆測としておく。

 加えて、「誓う」というのは、誰が誰に対して何を誓うものか、書かれていないのである。フェアプレーを誓うのなら分かるのだが、復讐を誓ってどうするというのか。復讐できず返り討ちに遭ったとき、どう申し開きするのか。「誓い」の重みがわかっていないのである。とにかく、誠に不可解である。
 このあたり、記者が、直前に食べたものが良くなかった「とか」、ついつい臆測してしまうすが、明らかに意味の通らないものである。
 全国紙の紙面は、修行中の半人前の記者が、「書いて出し」、無鑑査、無審査、無校閲では、困るのである。

以上

 

2023年4月16日 (日)

今日の躓き石 ゴルフ新星の汚点 「リベンジ」絶叫 毎日新聞の大汚点

                                   2023/04/16

 本日の題材は、毎日新聞大阪14版のスポーツ面のゴルフ記事、男子ゴルフ・関西オープンの途中経過で、「単独首位」にたった新星の『暴言』である。
 どうやら、昨年、最終日で崩れて勝てず、動揺し尽くし泣き出したメンタルヘルス失調の「弱虫」が、やたらと強がって、独り合点で「血の復讐」を誓っている「暴言」を、天下の毎日新聞が支持/支援して、見出しに始まって、結末まで三度も繰り返し、不吉な「血塗られた記事」にしている。いや、記事にして掲載したのは、毎日新聞だから、責任は持ってもらわないといけない。別に、当人を非難しているのではない。念のため、付け加えた。
 とうにんの発言だけ見ると、力み返っているが、最終日を残しているから、勝ったわけでもない、中途半端な「復讐宣言」である。昨年だって、勝つつもりで最終日を迎えたはずである。

 大人なら分かるはずだから、昨年最終日に崩れた原因は、誰を恨むべきものでもない、要するに、自分の未熟さである。それにしても、「血の復讐」を高言して、勝ったら、血祭りに、誰の首を切り落とすのだろうか。犠牲者の子供や兄弟は、当然「リベンジ」を叫ぶ、血の連鎖である。何とも、血なまぐさい、不都合な発言である。
 むしろ、放送報道禁止用語に近いのを知らない担当記者は、専門家でありながら、何も指摘せずに、若者の恥を天下/世界中に曝しているのである。昨年はアマチュアであったから、「成人」失格の、感情をむき出しにした、無様な醜態が、あるいは許容されたかも知れない。それにしても、今年は、一人前の「プロ」のはずであるが、読む限りは、依然として半人前である。
 プロは、「転向」などではない。まして、きれい事の「成長」でもない、別世界である。プロゴルファーに求められるのは、スコアだけではないのである。このような汚い言葉は、さっさと捨て去って欲しいものである。修行不足である。

 そして、このような不出来で無様な記事が、誌面を汚しているのも、全国紙の報道姿勢として、大変不満である。
 どうか、若者に、終生消せない汚名を着せないように、まともな報道をして欲しいものである。署名記事とは言え、後世に残るのは、当人の名前である。よくよく、記事の重みを考えて欲しいものである。担当記者には、指導してくれる同僚も上司もなく、毎日新聞には、校閲部門はないのだろうか。大変、大変、不満である。

以上

2023年4月 3日 (月)

今日の躓き石 NHK「サイエンスゼロ」の非科学的提言紹介 「曇天革命の奇蹟」待望か

                                   2023/04/03

 本日躓いたのは、なぜ、NHKが公共放送の科学番組で、これほどあからさまに「でたらめ」なお話を広げるのかということである。いや、躓いたなどというものでなく、ごついレンガの壁であった。
 賑々しく提示された「課題」は、「太陽電池の変換効率が曇天時に低下する」欠点を解決し、これにより、利用できる電力量を拡大するというものである。

 しかし、これは、問題点を見損なっている。まず、太陽電池が、太陽エネルギーを電気エネルギーに変換する効率は、せいぜい十㌫程度であり、残りは、電池パネルを加熱しているのであるから、もともと、大して効率的なエネルギー源では無いのである。
 そして、曇天時には、降り注ぐ太陽エネルギーの量が、がた落ちであるから、自然、ほとんど役に立たないのであるが、それは、太陽電池の変換効率を上げてもどうにもならないのである。
 そもそも、「現存の太陽電池」の変換効率を、例えば、最高50㌫に改善できれば、つまり、五倍、十倍にすることができれば、曇天、雨天、降雪など、気にしなくてもいいのであるが、そんなことができないのは、周知の事実のように思える。出演者は、現在のシリコン太陽電池の変換効率は、100年近くかかっても、ほとんど改善されていないが、新素材は、急速に効率が上昇しているので将来性が期待できるなどとホラ話を捏ねているが、それは、非科学的な夢物語であり、所詮、成長が速ければ、短期間で天井にぶつかるだけである。

 そうした事情は、長年、何の変化もないことだから、大抵の関連技術者、科学者の知り尽くしていることなのだが、それを正直に言うと、政府からの支援(要するに税金からの支出)がなくなるので、今回の番組にあるような「呪文」を唱えて、視聴者を煙に巻いているのである。
 まして、新素材が低価格であろうと、太陽電池パネルの構造は頑丈でなければならないし、付随して、大容量の電力変換/蓄電設備/機構が必要であり、送電電線として、現在と同様の大量の銅やアルミを使用することに変わりは無いし、加えて、これまでに設置した太陽電池パネルの性能は、一向に改善されないのである。曇天時に変換効率が高い太陽電池が登場しても、何も改善効果はないのであり、何も改善効果が無い「新素材」の開発に「巨額」の費用/税金を投じても、それは、無駄遣いと言うべきであると考える。

 そのような「ごまかし」論法に、公共放送が加担するのはどうしたことか。巨額の財政赤字を抱えている国庫から、さらに、無駄遣いをさせるのは、NHKの姿勢として問題である。

 当方は、一介のやじうまであるから、公開されている気象データや表明されているであろう機器データを組み合わせて、年間の改善効果を算出して、経済的に評価することはできないが、これほど明らかな、暗算や筆算すら必要の無いような、明々白々な不合理を、科学的な追跡で批判しないのは、まずは、番組担当者の怠慢と思われる。

 以上、NHKには、もっと真剣に、最重要課題に取り組んでもらいたいのである。

 

2023年3月26日 (日)

今日の躓き石 NHKBS「球辞苑」の廃語趣味 「ナイター」乱発

                             2023/03/26

 本日の題材は、ヒット番組「球辞苑」のテーマ「デーゲーム」であるが、なぜか、みんなで無くそうとしている「ナイター」を無造作に乱発しているのが、大変耳障りであった。NHKには、よくない言葉を子供達に伝えないように、身体を張る「良心」がないのだろうか。公共放送が先頭になって、悪い言葉を蔓延させているとしたら、そんな媒体に受信料を払いたくないのである。

 確かに、「ナイター」は、世間に広く出回っている、典型的なでたらめカタカナ語であり、野球界は、先輩達が無造作に持ち込んだ悪習を、大変な努力で消滅を図っていると思うのだが、NHKは、そっぽを向いているようで、困ったものである。いや、頑張っているのは、メディアだけであり、選手は何も気づかないままであり、各球団が、ちゃんと研修していないと見えるのである。
 これでは、「名誉の殿堂」(Hall of Fame)の対極の「不名誉の殿堂」(Hall of Shame)に収まりそうである。

 ついでながら、実戦で勝ち試合の最後から二番目に出て来るピッチャーである「セットアップ」(setup)を、「セットアッパー」と噴飯ものの「でたらめカタカナ語」にしたのは、確か、いずれかのスポーツ紙だったと思うのだが、野球界の悪習は、中々断ちきれない(Die hard)、「死ななきゃ治らない」と見るのである。

 どうか、せめて、公共放送は、悪しき「伝統」、負の遺産を、忘却の彼方に押しやって欲しいものである。

 既に、「球辞苑」は、額にでかでかとに烙印を押されているのである。

以上

2023年1月29日 (日)

今日の躓き石 NHK E 低次元の「リベンジ」感染公開

                      2023/01/29

 本日の題材は、NHK Eの将棋番組であるが、事件が起きたのは、メインの第72回NHK杯将棋トーナメントでなく、前座の「将棋フォーカス」であった。個人攻撃では無いので、各人の名を伏せるが、おじさん棋士が目下棋界の頂点にある竜王に挑むのを前にした「登山行」の追っかけ取材で、何も知らない主人公が「リベンジ」と叫んだのを、担当記者が「ダブルテイク」のぼけを披露して、言い直させて、キャプションを大写しにしていたのには、呆れたのである。
 別に、ご当人は、それが放送事故に近い暴言だと知らないのだが、それを、公共放送の担当者が、でかでかと言い立てたのは、なんとも情けないし、MC気取りの二人が、それを何も窘めずに通し、結局、受信料のかかっている公共放送に、人前で言ってはならない暴言を垂れ流したのは、何とも、情けないものだった。これで視聴者が真似すれば、折角、大勢の良識ある報道人が葬ろうとしている「リベンジ」が、堂々と世間に出回るのである。百回抑止しても、一回のさばらせれば、帳消し以上なのである。

 当たり前のことだが、主人公は、別に、竜王に対して、全国視聴者に曝したい恨みが有るわけで無く、まして、前回恥をかかされたという記憶も無いのである。血なまぐさい天誅もないし、ぶちのめして憂さ晴らしする気も無い、はずである。主人公が、鬱屈した意気地無い気概を間違った形で吐き出したかも知れないが、その無様と言われかねない放言を、全国視聴者に知らせるべきだと「恥さらし」に報道したのだとしたら、制作意図が陰険である。

 主人公は、難関に挑む「チャレンジャー」のつもりなのか、それとも「ゴレンジャー」のつもりなのか、どうせいい加減なカタカナ言葉だからとばかり、「リベンジ」を叫んだのだろうが、公共放送の取材陣は、ちゃんと、罰当たりな言葉遣いをたしなめて、問題発言を闇に葬るべきだったのである。そうしていたら、世の闇に蔓延る暴言屋が、一人更生してテロリスト支援から離脱し、世の中が、其の分明るくなるのである。NHKは、暴言の宣伝、伝道屋でなく、言葉の護り人であって欲しいものである。

 と言うことで、今回の事件は、NHKの番組(の一部)が、無審査に近い野放し状態であることを暴露したのである。困ったものである。再発防止として、当番組関係者の指導を願いたい。受信料を値下げして、番組内容をそれに見合った低次元の物にするのは、最善の策とは思えないのである。

以上

2023年1月16日 (月)

今日の躓き石 毎日新聞記事批判 「わが町にも歴史あり・知られざる大阪」 /588

東高野街道/79 藤井寺市、羽曳野市 古墳巡り被葬者推理 /大阪  2023/01/14      2023/01/16

 古代史の話題になると脱線する毎日新聞記者は、またも暴言である。
宮内庁が指定する雄略陵は、津堂城山と岡ミサンザイの間に位置する島泉丸山古墳(同市島泉)だが、ここはその名の通りの円墳。この当時の大王墓は巨大前方後円墳なので、見当違いだ。

Wikipediaは、「丸山古墳」に関し以下の如く述べている。
 この丸山古墳は、出土埴輪より古墳時代中期の5世紀後半頃の築造と推定される[1][2]。古市古墳群では唯一の大型円墳である点で特筆される古墳になる[1]。被葬者は明らかでないが、前述のように現在は宮内庁により第21代雄略天皇の陵に治定され、隣接する島泉平塚古墳と合わせて前方後円形に整形されている。ただし立地・墳形・規模の点では疑義も指摘されており、雄略天皇の真陵を他古墳に求める説も挙げられている。

 あくまでも「疑義」であり、治定訂正はされていない。「推定無罪」原則から「疑義」が立証されるまでは、宮内庁治定が「正しい」とみるべきである。

 同記事に付説されているように、当該墓陵は、江戸時代以来の多年/多大な学術的考査の結果、適法、かつ、学術的に妥当な内容で公式治定されている。決して、記者の告発のように、「宮内庁」が「見当違い」に治定しているのではない。
 端的に言うと、毎日新聞が掲載した当記事の「断定」表現は、誰が見ても宮内庁誹謗である。

 少なくとも、全国紙なる報道機関の担当記者は、合理的な権限無しに、かつ、学術的な摘発無しに、単なる「臆測」に基づいて、全国紙の紙上で誹謗中傷すべきではない。毎日新聞は、多年の報道活動で、読者から絶大な信頼/信用を得ていて、今回の記事も、「真実の報道」として、受け入れられるものと想定されている。在野の無名の情報源、例えば、当ブログのように、世に知られることなく埋もれるものとは、比較にも何にもならない、絶大な権威なのである。本来、報道人として、責任重大と言うべきなのである。
 要するに、当報道は、宮内庁に対する「威力業務妨害」に類するものであるが、従来、宮内庁が、従来あえて訴追しなかったために、かくの如き暴言が出回っているものと見える。いやこれは、あくまで一民間人の推測であるが、そのようななれ合い紛いの行動は、納税者に対する背信行為と見えることを申し添えておく。

 本件は、不適切な報道であり、毎日新聞社は、謝罪/訂正を行うべきである。(社告せよとまでは云わない)
 
 念のため確認するが、当ブログ記事で摘発しているのは、毎日新聞社が流布した根拠の無い風評報道(「フェイクニュース」発信、拡散。「ファクトチェック」の欠如)であり、「当該報道の客観的な当否」を云うものではない。

 因みに、宮内庁の担当部門は、内閣府の一部局である宮内庁「書陵部陵墓局」であり、常識的には、其の言動/挙動に異議があれば、まずは、当該部局に是正を働きかけるべきであり、いきなり、全国紙上で「宮内庁」を指弾するのは、非常識、乱暴、かつ「見当違い」である。
 因みに、同記者の宮内庁誹謗は、今回記事が初出例ではない。

 ついでながら、「宮内庁」は、ここに称されている「巨大前方後円墳」なる「俗称」でなく、あくまで、「墓陵」として治定している。
 同記者の報道陣としてふさわしくない無思慮な勘違いは、毎日新聞社として、早急に教育/是正すべきであろう。


                                以上

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