今日の躓き石

権威あるメディアの不適切な言葉遣いを,きつくたしなめるものです。独善の「リベンジ」断固撲滅運動展開中。

2022年11月24日 (木)

今日の躓き石 社会人野球復活「エース」の恥さらし~毎日新聞スポーツ面報道の病根か

                          2022/11/24

 今回の題材は、毎日新聞大阪14版スポーツ面の1/2に詰まった本日の「朝刊野球記事」の大半を占める、本来立派な記事である。だから、こんなコメントは付けたくないのだが、ほっておけば、お手本として永久保存されそうなので、釘を刺さざるを得ないのである。

 「骨が折れていても 雪辱か手術か」との見出しであるが、どうも、二年前に、社会人野球界で人も知る剛腕の右腕投手が、練習試合で左足に骨折を生じたということである。よく知らないが、ままあることと見るしかないが、以後の展開が信じがたい。
 素人考えで申し訳ないが、野球選手のこのような骨折は、治療だけで手術もせずに、言わば、ほっておいてくっつくのを待つようなものかと思う。その結果、このケガを抱えて「投手陣の柱」として戦い続けた挙げ句、骨折に靱帯損傷まで重なった患部に、一年たって、ようやく外科手術を行ったというのは驚きである。骨折自体は、カルシウム分が成長して繋がるかも知れないとしても、靱帯は、成り行き任せで、自然に損傷部が繋がるものだろうか。ちゃんとした医師の見解を聞きたいものである。
 それを「自己犠牲」と言いたいらしいが、どんな「神様」に生け贄を献げて何を誓ったのだろうか。
 それにしても、チームの責任者や医師が、なぜ止めなかったか不可解である。

 それはそれとして、辛うじて、見るに見かねたトレーナーが、出場継続は「ダメ」と断言したものの、監督は、本人の判断に任せるとし、結局、不承不承手術に踏み切ったという、素人目には非常識な推移だったと思うが、担当記者は、何も評していない。
 むしろ、当人の「問題発言」をそのまま流して、ことは、当人のわがままによるものとして、当人を世間の晒し者にしている。
 記者は、これを「美談」として報道し、全国の若者が、自分のケガや病気を二の次に、チームに尽くすべきだと教訓を垂れているのだろうか。

 この態度は、全国紙の署名記者として、大変疑問に思える。記者には、報道の者として大事な務めがあるような気がする。

 その勢いが、当人に、これが「リベンジ」だと言わせたことにしている。
 一体、誰を恨んでの復讐談なのか、記事からは一切読み取れない。
 記者は、何を納得したのだろうか。このような血なまぐさい言葉を世間に広める責任は感じていないのだろうか。記者には、報道の者として大事な務めがあるような気がする。
 記者は、どんな辞書を引いたのか、「リベンジ」を「雪辱」と解したようだが、スポーツ選手がケガをしたら、それは、「誰のせいで、誰を恨み、誰に仕返しを企てるのか」全国紙の読者が快く察してくれると思い込んでいるのだろうか。誠に奇特な話である。

 結局、ケガを抱えた自分自身の身体の悲鳴を騙し騙し一年間投げ続けた挙げ句、(恐らく、親身になって気遣ってくれた身辺の人々の説得を受け入れて)手術の恐怖をようやく乗り越えて、苛酷な外科手術を受け、苦しい長期のリハビリを経て、ようやく復活したから、要するに、弱気に負けてチームに迷惑をかけたのである。記者の書きぶりでは、選手は、周囲に見放されて、誰も、当人の心得違いを癒やすことができなかったような書きぶりであるが、毎日新聞報道を真に受けるとすると、世も末である。

 そして、選手は、公の場で罰当たりな「リベンジ」を口にしてまで、外科手術を先延ばしにし、遂に、大変な苦痛を受け入れた対価は得られたのだろうか。「リベンジ」は、血しぶきを上げて達成されたのだろうか。記者は、何も語っていないのである。

*別人糾弾
 概して言うと、野球界は、高校野球からNPBまで、テロリスト紛いの「リベンジ」の血なまぐさい魔力を借りないと、困難に立ち向かえない風潮があるようだ。
 毎日新聞でも、野球担当からフットボール担当に転入した記者が、早速口癖の「リベンジ」を吐き出して、世間に恥をさらしていたのは、ごく最近のことである。野球界は、野蛮な新大陸文化の世界であるから、不信心な暴言が出回っているとしても、イングランドには、高貴な倫理が生きているように思うのである。まして、大陸諸国は、英語圏ではないから「リベンジ」など、無意味である。いや、これは、別人に対する苦言であった。何かの折に、「忠告的指導」をしてあげて欲しいものである。

*まとめ
 国紙の署名記者は、平成の怪物がまき散らし、令和の野球界にはびこる罰当たりな「遺産」発言、「ダイスケリベンジ」が、これ以上広がらないように、未来を担う若者達に「負の遺産」を残さないように、真っ当な報道に挑むべきでは無いかと思われる。

 事実の報道は、ゴミためやドブに落ちている「事実」を、そのまま読者の食卓に投げ出すものではない
と思うのである。

 そう、当記事が不適切なのは、担当記者の怠慢から来ているのである。一読者として、大変不満なのである。

以上

2022年11月19日 (土)

サイト記事 「魏志改竄説」批判 1/3 再掲

                          2018/05/29 2018/11/25 2022/11/19補筆
邪馬台国と日本書紀の界隈
『三国志』「魏志倭人伝」後世改ざん説の可能性を考える〈1〉

*コメント
 通常、商用出版物でないサイト記事批判は、よほどでない限り公開しないのですが、今回も例外としました。

 サイト記事のトップで、「邪馬台国熊本説」の中核をなすのが、「魏志倭人伝」後世改ざん説と明言されていて商用出版物に次ぐ位置付けとします。
 「邪馬台国熊本説」自体は、史料である「倭人伝」の一解釈ですから、それ自体は、個人の思いつきであって、他人がとやかく言えるものではないのですが、その中核として採用している正史改竄、差し替え論については、途方もなく大きな誤解を持ち出しているので強く批判せざるを得ないのです。

*批判の主旨
 タイトルを「可能性を考える」としていますが、ここに主張されているのは、ご自身の主張を裏付ける「特定の記事改竄」が行われたが、原資料を含めてその証拠は消されているとの決めつけであり、その「特定の記事改竄」が、「邪馬台国熊本説」を成り立たせるのに欠けている「証拠」の重責を背負っているのだから、大変な暴論なのです。

 氏が高々と掲げている「邪馬台国熊本説」が、山成す所説の群れから抜きんでて、世上の考慮に値するとしたら、そのような強引なこじつけは要らないはずです。所在地のこじつけは、世上溢れている「誤記」「誤写」「曲筆」論を起用すれば、世間並に支持されて良いはずです。

 ということで、ここで取り上げる「魏志改竄説」(改竄は、後世でないとできないのです)とは、聞くからに暴論で、国志権威とされる古代史家の「古代史家全員嘘つき」説に匹敵する暴論と聞こえて辟易しそうです。

 どんな史料も、歴史上、絶対内容が変化していないという絶対的な保証はないから全体が信用できないと言われると、信用できる史料は一つもないとなります。
 本件における学問的態度は、確証がない限り正史史料は、適確に管理、継承されているとする前提で議論を進めるものです。「推定有効」、つまり、決定的に無効とされない限り有効と見るものです。無効を主張する者は、確固たる証拠を提示しなければなりません。立証義務というものです。
 どんな史料も、「改竄の可能性を絶対的に否定できない」という主義の確固たる証拠を提示するのは、不可能でしょう。まず、自身の手元証拠が、改竄されてないという証拠を確立しなければならないのですから、自己攻撃が不可欠の前提になっています。

 また、自己の主張を保って、既存の主張を理解していないままに全て排斥する「排他的」な論証は、全論客を敵に回す攻撃であり、余程の覚悟が必要であり、視点の定まらない安易な類推は控えたいものです。

*論考の確認
 同サイトの論法は、次のようなものと思われます。

    1. 敦煌残簡は、呉国志「特定部」の写本である。
    2. 残簡特定部は、特定部と行文が一部異なる。
    3. 残簡特定部は、写本時の国志写本を正確に写し取っている。
    4. 現存刊本は、敦煌残簡以降に改竄されたものである。

 しかし、この段階的論証は、以下順次述べるように確実なものとは言えません。むしろ、可能性薄弱、と言うか、「皆無」と思われますから、諸説を覆すことのできるものではないと思われます。

*個別確認1
 1.は、基本的な論証が欠けています。
 著者は、残簡特定部が、「呉国志」(韋昭「呉書」との混同を避ける)の特定部と同様記事であったことから、敦煌残簡は、呉国志の写本と速断していますが、これは有力な推定であっても断定できないのです。残簡には、「呉国志」の一部であることを示す編集事項が書かれていないと考えます。基本的な論証が欠けているというのは、論拠とならないという事です。論拠「不正」です。
 そのような「不正」論拠に基づいて提示される論義は、はなから無効であり、以下の論義は不要とも言えます。


                                      未完

サイト記事 「魏志改竄説」批判 2/3 再掲

                          2018/05/29 補充 2022/11/19
*個別確認1 まとめ
 残簡記事が、誰も知らない、誰も知り得ない「史実」を正確に記録しているかどうかは、本論に無関係であり、倭人伝が問い掛けている「問題」でもありません。論点がそっぽを向いています。

 また、敦煌残簡が、呉国志以外の史料、例えば、韋昭編纂の呉書稿、あるいは、私的史稿を写した可能性は、否定も肯定もできないものです。裴注が見当たらないのも、その傍証です。
 正体不明、由来不明の史稿残簡が、呉国志と異なる構文としても、何かを証明するものではないのです。

*個別確認2
 2.の論証は、物証の示すとおりです。だからといって、何かを証明するものではありません。

*個別確認3

 3.「残簡は、その時点の国志写本を正確に写し取っている」とは、時点の国志写本が確認できない以上、検証不能です。
 つまり3の論証は、論者の私的な推定に過ぎません。
 残簡作成者が、参照写本の正確な書写を指示されていたかどうかも不明です。孫氏政権の功臣事歴を、個人的な目的で綴り上げたかもわかりません要は何もわからないのです。

*巻紙談義~余談
 残簡は、明らかに巻紙に書き込まれたものであり、行当たりの字数が一定していません字数を揃えるのは、正確な写本の基礎であり、それが守られていないということは、厳格な写本がされていないことを物語っています。
 それにしても、国志写本が、当初、巻紙だったのか、冊子だったのかは断言できません。

 後漢朝末期の混乱期間に洛陽周辺の紙業も大いに混乱したと思われ、国志編纂時に定寸単葉紙が大量に調達できたかどうか不明です。慣用表現とは言え、国志が巻表示なのも、重視すべきでしょう。つまり、当時、帝室書庫に厳重保管されていた国志写本は門外不出とは言え、巻物形式であった可能性が高いと思われ、敦煌残簡が巻物形式であること自体は、不審の原因とはならないようです。
 国志各巻は、長巻物と予想され、残簡上に写本上必要と思われる目印が見られないのは、若干、否定的な要素です。
 なお、写本、刊本が、袋綴じの単葉紙になったのは、遅くみると、北宋咸平年間の木版刊本時と思われます。巻紙は印刷できないためです。

*改竄重罪
 当代最高写本工まで巻き込む「正史改竄」は、以後の写本に引き継がれても、世にある写本は書き替えられないので、いずれ露見します。「正史改竄」は皇帝に対する大逆罪であり、最高の重罪で、関係者一同とともにその一族の連座処刑もあり得るので、同志を得られず、実現不能と思量します。
 それにしても、それほど大がかりな改竄を、あえて、どこの誰が、企画し命がけで 実施したのでしょうか。露見すれば、共犯者も同罪であり、事情を知らない協力者も、又、同罪です。連座を免れるには、「密告」しかないので、到底秘密を守れないのです。

 くり返しになりますが、そのようにしてまで、「倭人伝」記事を改竄するのは、なぜなのでしょうか。

                       未完

サイト記事 「魏志改竄説」批判 3/3 再掲

                          2018/05/29 補充
*個別確認4
 4の主張は、3.までの推定が根拠を確立できていないため、根拠のない暴論となっています。
 丁寧に言うと、かりに、推定されている事態か起こって、敦煌残簡以後に(呉国志)特定部の改竄があったと証明する証拠が得られたしても、それは、国志の別の部分に改竄が行われたという確たる根拠にはならないのです。当然自明のことなので、大抵は書き立てませんが、読者が鈍感かも知れないので、念入りに書きます。
 この部分の結論として、国志に「改竄」が行われたという確実な証拠は、全く存在しないと断定されます。

*誤解列記
 写本、刊本時の皇帝僻諱を改竄の事例としていますが、改竄の定義をご存じないようです。僻諱は、特定文字の置き換えなどで皇帝実名などを避けるものであり、改竄して文意を変える意図でなく、刊本ならぬ私的写本で僻諱が適用されたかどうかも、全巻確認しない限り不明です。

 また、裴注を改竄の事例としていますが、これも、改竄の定義を外れた暴言です。紹興本、紹凞本などの刊本現存品を見ても、裴注は原文と区別され、原文を書き替えることはありません。
 世上、裴注が、正史「三国志」の一部であると誤解した不出来な論義があるので、無批判に追従したモカもませんが、追従するのは、先行者の審査を経た上で、「奈落落ち」の道連れを避けるものです。

*用語混乱
 「改竄」、「善意」、「悪意」などの法律用語を、日常感覚で書き連ねるのは、まことに不用意であると考えます。

*類推の主張
 視点を反転して、国志に一切改竄が無かったと断定する絶対的な証拠は無いから改竄の可能性を認めるべきだと力説されているようですが、それは、とてつもない考え違いです。
 漠然たる一般論であれば、根拠不確かな推定を押し出さなくても、単なる思いつきの主張として、存在を赦されるものです。

 ところが主張されているのは、特定の部分で特定の内容の改竄があるとの具体的主張であり、それは、確証を持って正しく主張しなければ、単なる暴言だということです。

 1-4のような不確かな/棄却されるべき推定の積み重ねを確証とみているということは、学術的な論証に対する判断能力が欠けているということであり、著者に対する評価が低下するものです。

*助言
 と言うことで、このように無法な論法は、大変損ですよ、と忠告するものです。

 所説を主張したいのであれば、正攻法で論証すべきです。世に、曲芸的と揶揄される主張はごまんとありますが、論理の曲芸は、褒め言葉ではなくて、欺瞞の類いとして、排斥されているのです。

 おそらく、著者は、嫌われても良いからと苦言を呈してくれる友人をもっていないと思うので、ここに、とびきりの苦言を書き記したのです。

                        完

                        

2022年11月 3日 (木)

今日の躓き石 プロ野球日本一の「野牛 勇者」の「メジャー失格/人間失格」宣言

                     2022/11/03

 今回の題材は、プロ野球NPBの日本一チーム「野牛 勇者」の殊勲選手のつまらない失言不用意なNHK報道である。

 多分誰も教えてくれなかったのだろうが、「リベンジ」、「revenge」は、日本以外では、大変罰当たりな言葉で、米国メディアのインタビューで口走ると、大変な顰蹙を買うのである。何しろ、「血なまぐさい復讐」、「天誅」を言い立てる罰当たりな言葉であり、キリスト教をはじめ、中東起源の世界宗教では、私的な復讐は、絶対神によって、厳重に禁止されているから、自動的に罰当たりなのである。人前で自慢げに言い放って良い言葉ではない。
 何しろ、世界で横行している「テロリスト」は、罰当たりな不信心者などではなく、絶対神に代わって制裁している正当な「信者」である。

 このあたり、そのような教えを耳にしていない大半の日本人は、言わば無縁の衆生なのだが、この世界で生きていく以上は、知らないでは済まない、無視してはならない重大な「契約」事項である。

 まして、今回のシリーズ制覇は、別に「だまし討ちされた仕返し」でも、「当然勝つと思っていたのに脚をすくわれて恥をかかされた報復」でもなく、要は、力が及ばずに負けたが、今年は、幸運にも力を出し切って勝ったのであって、互いに正正堂々の勝負だから、負けた方も、一切、恨みなど残してはならないのである。せいぜい、「リターン(マッチ)」とでも、しゃれて見せるしかないのである。

 と言うことで、野牛軍団の優秀選手はMLB志望のようであるから、移籍先で、考え違いのつまらない暴言で顰蹙を買わないように厳重に注意することである。日本選手が不法に復讐を仕掛けたら、それこそ、「人間失格」宣言であるから、天に代わって仕置きしても許されるということになりかねない。

 このあたり、どうも、女子野球チームとの交流試合で猛打賞を得た「怪物」が言い出した(ダイスケ)「リベンジ」の変異体のようだが、学生野球の指導者が、悪乗りしてご丁寧に教え込んでいるようだから、NPBでは、人生経験豊富で知恵の深い監督、指導者が、最優先事項として、こんこんと教育指導すべきである。もちろん、球団の広報担当は、こうした「禁句」を知り尽くしているのだろうが、今回のように当人が無造作に放言しては、何とも止めようがないのである。もったいない話である。

 それにしても、いくら談話の引用とは言え、公共放送NHKが、このような問題発言を、堂々と定時ニュース枠で報道するとは、どういうことなのだろうか。一度電波に乗って広がった言葉は、はっきり否定しない限り、長く人の心に汚れたシミを残すのである。是非とも、このような罰当たりな言葉の普及に手を貸さないようにお願いしたいものである。

*余談 嘆かわしいNHKの汚染体質
 つまらない余談かも知れないが、NHKには「リベンジ」愛好家がいるようで、郷ひろみドラマの番組宣伝で、「リベンジマッチ」なるドギタナイ惹き句が、公共放送の画面に踊っているのは、何とも、残念である。これでは、まるで、名画に泥団子をぶつけているようで、みっともない。出演者当人に責任は無いので、大変気の毒だが、NHKのご乱行で、全国に汚名を被るのは当人である。

以上

2022年10月 6日 (木)

今日の躓き石 毎日新聞記者の曇った「記者の目」 祝福の場に汚辱の「リベンジ」

                             2022/10/06
 30周年迎えたOMF 小澤征爾さんの情熱、つなぐ

 今回は、一日遅れで「昨日の躓き石」になった点をお詫びする。題材は、10月5日付毎日新聞大阪朝刊14版「オピニオン」面の「記者の目」コラムである。

 問題なのは、当記事で、中見出し付きの強調で、シャルル・デュトワ氏が「リベンジに燃えている」と暴言を放っている』と報道されていることである。その果てに、マエストロが「サプライズで登場した」 と書いていることである。
 全国紙の報道であるから、厳正に飜訳チェックがされ、ご当人の真意も確認したことと思うが、この発言は、記事全体とそぐわないのである。取り敢えず、シャルル殿は、血迷ったのかと思うしかないのである。
 それとも、現場の通訳担当か「記者」殿の勘違いかとも見える。と言うのも、この扱いでは、マエストロは、バケツの氷水を指揮者に浴びせるようなsurpriseを犯したことになるので、どうも、記者殿が、当世のカタカナ言葉を、まるでわかっていないのではないかと見えるのである。

 続く記事を見る限り、真摯な来場者は三年振りの開催を心待ちにしていたのであり、血なまぐさい「リベンジ」など思ってもいないはずである。もっとも、復讐の刃を振り上げても、振り下ろすべき邪悪な敵(人間ども)はいないのである。少なくとも、世界に広がる病原体に天誅を加えることなど、人の手の及ぶところではない。

 そもそも、当記事は、「30周年迎えたOMF」なる祝福記事の筈であり、この場で、「リベンジ」などと冷水を浴びせるサプライズは、ありえない。いや、いくら「オピニオン」面であっても、読者の多様極まりない個人的な意見を紹介する記事ではないから、購読者としては、ここには、全国紙たる毎日新聞の良心が現れている期待するのである。それとも、担当記者は、シャルル氏やマエストロに、私怨を抱えているのだろうか。不審である。
 全国紙記者たるものは、自分が書き付ける言葉が、どのように読者に理解されるか覚悟した上で書いているものと見ているのである。
 たとえば、「鳥肌」と何気なく書いて、多数の読者が、これを心地良い感動とみるとしても、多数の読者は、背筋の凍るような不快感を身を以て連想するから、良心的な記者の心情として、一部の読者であろうと大変な不快感を与えると確実に予想される「鳥肌」の場違いな採用を、何としても避けるものと理解しているのである。

 まして、正体不明の「リベンジ」を、失敗後の「リターン」と同意義と見るのんきな若者が多くても、広い世間には、テロの連鎖を連想させる、血なまぐさい悪習とみる読者もいるのであるし、英語に直訳されれば、大抵の英語圏読者は、「キリスト教を信じない日本人の蕃習」と悪く取るのである。
 天下一の全国紙の署名コラムを任される記者が、こんな風に素人に意見されるようでは、専門家にして勉強不足と見えるのである。

 近頃はびこり始めている「サプライズ」も、宣戦布告無しの不意打ちで、休養している真珠湾軍港を、「サプライズ攻撃」した帝国陸海軍の猛攻を想起させる」ことは、ロシアの不法な不意打ち攻撃を受けたウクライナ大統領が、これは、「真珠湾攻撃同様のサプライズアタック」と口を極めて非難し、後に、真珠湾の部分を撤回したことからも、世界的に、つまり、快挙、痛快と言いかねない日本人以外の全世界にとっては、忌まわしい余韻を引いているである。もちろん、当のアメリカ人の憤激は、同時代の人々の胸に焼き付いているのである。

 そうした危険極まりないなカタカナ言葉を、何気なく書いて済ましていては、「記者の目」は、節穴に見える。学芸部員だろうが、スポーツ面担当であろうと、是非とも、ご自愛頂きたいものである。

以上

2022年9月24日 (土)

倭人伝の散歩道 番外 纏向 「驚き桃の木」の 毎日新聞古代史報道 2018 補充再掲

私の見立て★☆☆☆☆                  2018/05/14 補充 2022/09/24

◯旧聞紹介のお詫び 
 今回やり玉に挙げるのは、2018年の毎日新聞大阪夕刊一面の古代史記事である。当時、いち早く批判したのだが、他の全国紙の報道姿勢と比較検証できていなかったので、ここに改めて、公正に批判することにした。

▢「驚き桃の木」2018/05/14
 「驚き桃の木」とは、「纏向で卑弥呼時代の種」と断定的な大見出しを付けているからである。
 卑弥呼時代のモモの種 邪馬台国、強まる畿内説
 ニュースソースは、桜井市纒向学研究センターの研究紀要とのことだが、同センターのサイトに発行の告知はないし、当然、公開されていなくて、どこまでが発表内容であって、どこからが記者の私見なのか内容確認のしようがない。

 
通常、このような大発表は、各社担当記者を集めて、「プレスレリース」なる概要資料を配り、それに基づき記者会見と質疑応答をするものだと思うのであるが、「プレスレリース」は、発表されていないように見える。古代史学界の報道対応は、どうなっているのだろうか。

*2018/05/16追記 補充 2022/09/24

研究紀要の刊行案内が掲示されたので、ここに紹介する。相変わらず、意味なく右クリック禁止なので、メニューから「コピー」した。
目次紹介も何もないので、内容は一切不明のままである。

2018年3月刊ものが今公表された理由もわからない。
-----引用
***纒向学研究 第6号 2018年3月刊
桜井市纒向学研究センターでは、センターで行われた研究の成果を広く学会や社会に発信するために研究紀要を刊行しています。
第6号となる本号には、所員1名のほか、外部研究者6名の方々に寄稿いただいた、「纒向学」に関わる研究・分析の成果をまとめた論文などが収録されています。
1部 1000円。(公財)桜井市文化財協会(桜井市芝58-2 市立埋蔵文化財センター内 TEL 0744-42-6005)にて頒布しています。
---引用完

 仕方ないので、ライバル朝日新聞、日経新聞のサイト記事と比較せざるを得ない。
 毎日新聞
 見出し 卑弥呼時代のモモの種 邪馬台国、強まる畿内説 (ネット)
     纏向で卑弥呼時代の種 畿内説更に強まる (紙面)
 まとめ 今回の分析は、遺跡が邪馬台国の重要拠点だったとする「畿内説」を強める画期的な研究成果といえる。
 おまけが、解説欄である。
 解説 所在地論争終熄間近
 まとめ 近畿か九州かという所在地論争は終熄に近づいていると言っていい。

 どなたが、このような厳めしいご託宣を下されたかというと、山成孝治なる署名記者だが、どんな資格で仕切っているのかは、書かれていない。「卑弥呼時代」などと、新規造語を曝け出していて不自然である。天下の毎日新聞記者は、何を書いても批判されない神のごとき叡知の持ち主と自画自賛しているのではないか。このような低劣な記事が誌面を汚しているということは、編集部門内で、ダメ出ししなかったことを示しているのは、情けない限りである。

 
正直、このような、不勉強で子供じみたご託宣を見せられるくらいなら、宅配読者としては、相当分白紙紙面の方が、まだましである。

 また、論争は、双方が納得して初めて終熄(収束?)するのであり、一方の陣営が何か発表しても、他方の反論を見ないままに、新聞社が意見を固めていいわけではないのは、衆知のことである。
 因みに、朝日新聞、日経新聞の記事は、以下のように、賢明にも一方的な決めつけを避けている。賢明というが、全国紙として当然の態度である。

 あるいは、参照困難なので割愛したが、産経新聞紙記事では、次のように異論を明示している。
高島忠平・佐賀女子短期大学名誉教授(考古学)は「遺跡の年代を示す複数の資料がないと確実性が高いとはいえず、桃の種だけでは参考にしかならない。もし年代が正しいと仮定しても、卑弥呼とのつながりを示す根拠にはならず、邪馬台国論争とは別の話」と反論している。

報道は、特定の機関の「提灯持ち」に耽らず、冷静に、公平に。報道の姿勢は、かくありたいものである。

 朝日新聞
 見出し 卑弥呼の世の?桃の種か 纒向遺跡で出土、年代測定
 まとめ 『今回の分析結果は所在地論争に影響を与えそうだ。』と評している。
  古代史学の「イロハ」として、遺物、遺跡から打ち出される考古学的な見解と史書の文献解釈から来る意見は、付き合わせるべきではない、ということがある。

 まとめ 発表内容を紹介した後、『邪馬台国畿内説に立つ専門家からは「卑弥呼の居館では」との声も出ている。』と、言わずもがなの「風評」を付け足している。

 今回の記事で言うと、毎日新聞は、学術的に書かれているはずの「紀要」が断言していないと思われる事項を、記者の個人的な偏見に基づいて、勝手に断定していて、まことに不穏当/不謹慎である。特に、毎日新聞文化面の「解説」欄は、記者の私見書き放題の感があり、何とも、もったいないのである。
 「紀要」が表明しているのは、桃の種の時代鑑定のはずであり、それが、遺跡の時代鑑定に連動して良いかどうかは、まだ、疑問の余地が残されているはずである。

 まして、古代史文献「倭人伝」に書かれている「卑弥呼」の時代について考えると、CE135ー230年とされた時代が、卑弥呼の存命中の時代なのかどうか、明記されていないから、不確定としか言いようがない。
 CE135であれば、後漢朝が、まだまだ元気だった順帝の時代であり、倭国が乱れたとされる桓帝、霊帝代以降の後漢代末期に比して、遙か以前である。卑弥呼は、影も形もない頃であることは間違いない。
 そうでなくても、考古学上の年代判定は、50年程度の前後は、当然想定済みなのである。「年月」が書かれていない遺物からは、推定しかできないのであり、今回のC14鑑定も、最後は、鑑定者の手加減、さじ加減、親の欲目で、大きくずれ兼ねないのである。
 ここで言うように、中国史書に書かれた「卑弥呼」の住まいが、どこにあったかという決定的な議論に辿り着くには、解決すべき課題が、幾重にも、幾方向にも山積しているのは衆知、自明である。簡単に結論に飛びつくのは、不勉強な半素人である。

 もし、センターが、今回の鑑定結果が、年代論に終止符を打つとか、所在地論争を終熄
(収束?)させる、などと書いていたら、それは、国費、公費で成立している学術研究団体として自滅行為である。
 と言うことで、「解説」は、毎日新聞(記者)の独断・暴走と思われる。
 それにひきかえ、朝日新聞と日経新聞は、当然ながら、メディアの分を堅持していて、見事である。
 ただし、朝日新聞も、無造作に『邪馬台国は中国の歴史書「魏志倭人伝(ぎしわじんでん)」に記録され、その時代は卑弥呼が倭(日本)王に共立され、死去するまでの2世紀末~3世紀前半とされる。』と書いているのは、全国紙にしては低次元の誤解表現である。
    1. 邪馬台国は、魏志には書かれていない。
      文献(魏志)に「邪馬壹国」と書かれていることに異論はない。
    2. 邪馬台国の時代は書かれていない。
      文献(魏志)に 卑弥呼の死去時期(三世紀前半)は書かれているが、共立時期は明確ではない。
    3. 「魏志倭人伝」という「中国の歴史書」はない。
      魏志(魏書)第三十巻の一部であって、独立した「書」ではない
      ことに異論はない。
    4. 三世紀当時に「日本」はなかった。
      日本が八世紀冒頭に誕生した
      ことに正当な異論はない。
    5. 「その時代」は不明である。
      「その国」がいつ始まったか、いつ終わったか、文献(魏志)には一切書かれていない。
      この誤解は誠に独創的であるが、正当な「新説」ではない。
  このように、質の悪い誤解を蔓延させているのは情けないのである。

以上

2022年9月21日 (水)

今日の躓き石 恥知らずな造語と手ひどい蔓延 「リベンジ消費」

                             2022/09/21

 今回の題材は、「無教養」と言われそうなスポーツ界のカタカナ語漬けの世界ではない。「会社四季報オンライン」のネット記事である。

 『リベンジ消費期待高まる宿泊業は「ビジホ」の進化に要注目』と引用記号無しの堂々たる見出しで、「ビジホ」の 片言の割に物々しいが、物知らず、恥知らずの悪乗り姿勢は、スポーツ面記事の褒めそやす、無差別テロ紛いの血まみれの「復讐譚」礼賛と変わらない。
 道ばたの落とし物は、うまそうに見えても、食べ物とは限らない。まして、通りすがりの「拾い食い」に品位がないのは、当人が気にしなければ、野次馬が言ってもしょうがないのであるが、せめて、健康のために、はしたない行いは控えた方が良いと思うのである。

 それにしても、権威ある経済記事を求めているはずの読者にしてみると、世も末である。

 「廉恥を知らない」、つまり、破廉恥な言い出しっぺは、飲み屋の声のでかいおっさんなのか、政府の知恵袋なのか知らないが、いきなり世間の高みに怒声が響き渡るから、結構高貴な方の造語なのだろう。それにしても、ダメだしなしの結構な身分である。このような新造語は、発案者に著作権があるはずだから、ちゃんと広報に実名を掲載して欲しいものである。無断流用、絶対禁止である。

 それが無理でも、発案者の実名が「リベンジポルノ」の破廉恥さと同等の品性の持ち主として、長期掲示されたら良いのにと思うのである。

 それまでは、会社四季報オンラインが、恥をさらすことになる。いや、記事署名もあるのだが、武士の情けで、トドメはささない。

以上

2022年8月31日 (水)

今日の躓き石 NHK BS1 野球中継の度しがたい「リベンジ汚染」

                          2022/08/31

 今回の題材は、NHKBS1のプロ野球中継であるが、アナウンサーや解説者が「禁句」を口走ったわけではない。

 ゲームセット後の「ヒーローインタビュー」は、外国人選手となると、当然通訳付きであったが、インタビューアーがしきりに、「リベンジ」を押しつけていたのが、困ったものであった。ヘンテコな「カタカナ語」には、通訳も困ったと思う。何しろ、聞く限り、スペイン語会話で「revenge」が通じるわけでなく、多分プロの技で言い換えていたのだろうが、インタビューアーは、お構いなしで問い詰めるのであった。どんな回答があっても、聞くと決めた事を言わせたのだろうか。

 英語で「revenge」と決め付けられたら、敬虔なクリスチャンは、最悪、激怒したはずである。スペイン語で良かったと言うことか。以後、「厳重注意」いただきたいものである。

 因みに、回答には、随分たくさんの単語が含まれていたように聞こえたが、途中で通訳が省略したのか不思議である。インタビューアーが黙認して、視聴者は、選手の言葉を聞く権利を奪われたのだろうか。それで、報道の使命を果たしているのであろうか。まさしく、"Lost in Translation"なのだろうか。

 それにしても、公共放送で受信料を取り立てているNHKともあろうものが、罰当たりなカタカナ語を内部で野放しにしているのは、スタッフの日頃の不勉強丸出し「情けない」。視聴者は、日本語の部分しか聞き取れないから、選手が、忌まわしい「ダイスケリベンジ」に感染していると思うのではないだろうか。重ね重ね、「情けない」。放送されてしまった暴言は、取り消せないから、三度目の「情けない」である。

 NHKには、確たる信念があるはずだから、それが、末端まで浸透するよう、努力していただきたいものである。

以上

 

2022年8月29日 (月)

今日の躓き石 毎日新聞の全国高校軟式野球 無用の血祭り「リベンジ」礼賛

                       2022/08/29

 今回の題材は、毎日新聞大阪朝刊14版スポーツ面の「全国高校軟式野球」「きょう決勝」記事である。

 何しろ、いきなり「待ちに待ったリベンジ」と踊り出しているが、「昨年の決勝で敗れた」とあるが、別に同じ相手と再戦でもないから、「人違い」の仇討ちは、相手にとって迷惑だろう。まして、同校は、昨年4連覇を逸しているから、その間、決勝の相手の恨みを買ってきたことになる。決勝で勝てば、その度に相手の恨みを買うという見方で行くと、まことに、「反社会的」な怨念話である。

 思うに、当世のリベンジには二種あって、復讐の血祭りは、「おっさんリベンジ」の筈で、高校生には無縁の筈だが、今回は、準決勝で勝つことで、「その舞台に立つ権利を得た」と勿体ぶって書き始めているから、やはり、おっさんの書いた記事なのだろう。

 現代の若者は、「ダイスケリベンジ」の筈である。要するに、もう一丁、「リターン」の心意気であって、相手が違うとか、権利を得たとか言わないのである。

 そうした意味の違いは、新聞記者すら知らないのだから、世間に理解されるわけはない。まして、英訳すれば、日本の高校生は、テロリストなみの復讐心が普通だという事になってしまう。あるいは、英語でインタビューされて素直に答えたら、そういう意味で伝わってしまう。毎日新聞は、高校生に負の遺産を伝えて、どうしようというのだろうか。

 思うに、冒頭段落の「血の復讐宣言」は、毎日新聞記者の贈り物ではないだろうか。まことに、高校生にとっては、迷惑な話と思うのである。

 因みに、記者は「全国制覇」などと、これまた血なまぐさい宣言を述べているが、優勝したとしても、それは、たまたま対戦相手に勝ったと言うことにすぎない。全国には、対戦したことのない高校が山ほどあるはずである。十一回優勝したからと言って、「全国制覇」などではない。いや、これは、当ブログ筆者一人の意見である。
 加えて、「優勝旗を取り返す」など、十一回優勝しても、優勝常連校の私物でないから、随分思い上がったものと思う。

以上

 

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