今日の躓き石

権威あるメディアの不適切な言葉遣いを,きつくたしなめるものです。独善の「リベンジ」断固撲滅運動展開中。

2024年4月17日 (水)

毎日新聞 歴史の鍵穴 地図幻想批判 1 宮町木簡の悲劇

 私の見立て☆☆☆☆        2014/10/15 再掲 2024/04/17
 =専門編集委員・佐々木泰造

*加筆再掲の弁
 最近、Amazon.com由来のロボットが大量に来訪して、当ブログの記事をランダムに読み囓っているので、旧ログの揚げ足を取られないように、折に触れ加筆再掲していることをお断りします。

◯はじめに
 歴史学者諸賢の学説は、拝聴することにしているのだが、毎日新聞(大阪)夕刊文化面の連載記事「歴史の鍵穴」 難波津と安積山 紫香楽宮を挟んで両極端は、ちょっと暴走したように見えるので、指摘させていただきたい。
 いや、これまでも、牽強付会の意味付けには、ちらちら首をかしげていたのだが、世間に良くあることなので、見過ごしていたものであるが、今回は、あんまりにも、あんまりなのである。

*「宮町木簡」悲劇の始まり
 本日の記事の導入は、宮町遺跡で発掘された木簡(仮称「宮町木簡」)の両面に書かれている難波津の歌と安積山の歌の読まれた舞台の位置が、地理的に対極の関係にあるという説である。

 また、記事の最後の部分の導入は、8世紀中期当時の「都」(みやこ)である紫香楽の宮から見て、難波津は南西の地の果て(断定)であり、安積山は北東の地の果てに近いと書き、記事を締めにかかっている。

*「地の果て」の向こう
 しかし、掲載されている地図を見るまでもなく、大阪湾岸の難波津が「地の果て」とは、何とも、不思議な見方で、とても同意できないのである。確かに目前に海はあるが、つい、その向こうには、別の陸地があるのは、漁民には衆知であり、また、一寸、北に寄って、今日言う山陽道を西へひたすら辿れば、下関あたりまで延々と陸地であり、そこで海にぶつかるとは言え、すぐ向こうに九州の大地がある。
 いくら、遙か1200年以上昔の事とは言え、大抵の漁民は、その程度の知識を持っていたはずであり、況んや、漁民達より深い見識を有する都人(みやこびと)は、難波津が地の果てなどとは思っていなかったはずである。

 全国紙毎日新聞の「専門編集委員」ともなれば、無検閲で自筆記事を掲載できるのだろうが、この程度の、中学生でもわかりそうな不審な言い分を載せるのは、どうしたことだろう。

 ここで地図を見ると、確かに紫香楽の宮から見て、 安積山は、遙か北東遠隔の地であり、到達に数ヵ月かかるから、現地確認など思うもよらず、ここが地の果てと言われても、同時代人は反論できなかったろうが、難波津は、せいぜい数日の行程であり、ほん近間である。これらの二地点を、対極というのは、字義に反するものである。

 また、大局的に見ると言うことは、さらに縮小した地図を見ることが想定されるが、そうしてみれば、難波津は紫香楽宮のすぐ隣である。ますます、字義から外れてくる。
 斯界の権威が自信のある自説をはるばると敷衍しようとするのは当然としても、なぜ、ここまで、遠慮のない言い方をすると、こじつけの域を遙かに超えた無理な見方をするのか、理解に苦しむのである。
 今回の記事の説が成立しなくても、前回までの議論に影響はないように思うのである。 

 都の東西に対極があるとする見方に固執するのであれば、安積山が大体このあたりとして、難波津は、地図の左にはみ出して、下関や博多あたりが、距離として適地である。実は、九州に難波津を想定しての発言なのであろうか。
 また、南西という方角にこだわるなら、宇和島あたりであろうか。それとも、いっそ都城か。
 対極をともに想定地に固定維持すると、都は、近畿にとどまることはできず、飛騨高山か飛騨古川あたりに、紫香楽宮の位置をずらさねばなるまい

 そうした、無理に無理で重ねる作業仮説が否定されて退場すると、木簡の裏に二つの歌が並べて書かれていたからと言って、同時代人が、両者の舞台を、地理的な対極に想定していたとは言えない、と言う至極当たり前の意見に至るのである。
 回答の選択肢から、可能性の無いものを取り除くと、残されたものが、正解である、と古人は述べている。宜なるかな。

 これほど、素人目にも明らかな齟齬であるから、「専門編集委員」と言えども、PCソフトに相談するだけでなく、発表以前に、生きた人間、それも、経済的に利害関係のない人間の率直な意見を仰ぐべきではなかったかと思うのである。

以上

2024年4月14日 (日)

今日の躓き石 囲碁女流が罹患した「リベンジ」悪疫 毎日新聞の手落ち

                  2024/04/14
 本日の題材は、毎日新聞大阪12版「くらしナビ」面の「囲碁将棋スペシャル」である。今回は、囲碁棋士の紹介であるが、「悔しさをバネに」と添え書きして、国際棋戦決勝進出のサクセスストーリーと見える。

 それで済めばよかったのだが、2年前に一回戦敗退したときの感慨として、「次に機会があればリベンジしたい」との思いを語っていて、大きく暗転している。担当記者は、既に悔しさをバネにと地の文で、程のよい決めことばを使ったために、つい、使ってはいけないことばを出してしまったのだろうが、折角の記事に泥を塗っているのは、プロらしからぬ不用意な失言と見える。この記事では、別に、主人公の発言をそのまま出さなくても良いはずである。それが、今後、永く読み返されるであろう重大な紹介記事で、このように失言を曝すのは随分残酷である。単に「借りを返したい」と言ったことにしておけばいいのである。別に「次は、ぶち殺して血染めにしてやる」と言わなくてもいいはずである。

 このあたり、担当記者の語彙が影響しているようである。「私はメンタルが強くない」とのぼやきも、不用意なカタカナ語で、主人公に残念なものなのが目を引く。直後に「勝ちたい気持ちが強くなりすぎると力んで実力が発揮できなくなる」と噛み砕いているが、まとめて「気負いがち」という言い方で、もっと切実に読者につながると思うのである。
 それなら、口数は少なくて済み、先ほどの失言と裏腹の落ち着いた言葉遣いである。ここは、速報で無く紙上囲み記事であるから、落ち着いて読み返して推敲すれば良いはずである。
 辛口で言うと、力んだら冷静な判断ができなくなるのも「実力」のうちというのが、プロの意見と思うのである。『どんなときにも緊張感が保たれていて、しかも、気負いがないのが「最強のメンタル」』との勝手な素人考えは、外野の野次馬の寝言として聞き流していただいて結構である。

 加えて、末尾で「私は意識しない方が良い結果が出る」と言う趣旨が、少し崩れた現代風の言葉遣いで語られているが、世界のトップレベルで戦う一流棋士が最早若者言葉でもあるまいと感じさせるのである。

 ということで、今回の記事に関しては担当記者に、今後一段の努力を戴いて、主人公が「淡々と自分のベストを尽くす」のを支援戴きたいものである。

以上

今日の躓き石 岡上佑の古代史研究室 【ちょっと待てい!】支離滅裂? 再掲

 【ちょっと待てい!】支離滅裂?ここが変だよ!!魏志倭人伝その①【邪馬台国】  Jul 28, 2023  初稿 2023/07/28 2024/04/14

*加筆再掲の弁
 最近、Amazon.com由来のロボットが大量に来訪して、当ブログの記事をランダムに読み囓っているので、旧ログの揚げ足を取られないように、折に触れ加筆再掲していることをお断りします。

◯はじめに
 今回の題材は、YouTube動画の独演会であり、信頼できる文字テキストがないので、引用・批評できない。書評としないのは、そのためである。評点も付けられない。
 以下の当家所感が適切かどうかは、原本動画を視聴頂きたいのである。

*本論 
 いや、ここまで堂々と自嘲されると、大丈夫かなと心配になるが、一応、『ご自分のことを「支離滅裂」というのは残念だ』と言っておく。
 要するに、古典史書をご自身の「視点」で読み解けないので「反省会」気取りで、一々降参してみせているだろうが、それを、『ご自身の「支離滅裂」さのせいだと「ぼけ」』て見せて、古典的な一人「スラップスティック」のつもりなのだろうか。

 その端緒が、原文解釈に岩波文庫版の読解を使用しているのであり、これに、二千年後生の無教養な東夷の現代人の無教養な語彙、現代地図、などなど、倭人伝解釈に不都合な道具立てを多数起用しているが、氏の「失敗」の要因として、世上の俗説を参照して、具合の悪いものを使い立てているから、野次馬精神旺盛な通りすがりの視聴者の耳には、わかりやすく、馴染みやすいかもしれないが、間違い必至の「必敗」法をまたもや確認いただいているように見て取れる。(地図に出典を書かないのも、自嘲しているのだろうか)

 いや、古典的なコメディ技法としても、ちょっと目先を変えているだけで創造性が見えないと思う。折角だが、お付き合いしかねる。

 また、氏の現代日本語の語り口は、古来の先賢諸兄姉には、重訳無しでは伝わらないものと見えるし、まして、原編纂者陳寿は、二千年後生の無教養な東夷蕃人に悪罵を浴びていても、理解しようがない。そもそも、陳寿「三国志」魏志「倭人伝」は、漫談でも「演義」でもなく、別に「ぼけ」ているわけではないから、氏が「ツッコン」でも、すべりまくりであろう。

 氏の動画の背景には、先賢諸兄姉の新書、文庫が見えるが、これら著作を『論者の「支離滅裂」のともがら/共犯者』とされては、皆さん、大いに御不満と思うのである。

以上

2024年4月12日 (金)

新・私の本棚 番外 大阪府立弥生文化博物館 講演会の味わうべき弥生時代観 再掲

                     2019/07/06 再掲 2024/04/12
*加筆再掲の弁
 最近、Amazon.com由来のロボットが大量に来訪して、当ブログの記事をランダムに読み囓っているので、旧ログの揚げ足を取られないように、折に触れ加筆再掲していることをお断りします。

 今回の題材は、毎日新聞大阪夕刊「夕刊ワイド」面の囲み記事である。

 大見出しに 異口同音「邪馬台国は畿内」とあって、何のことかとみたが、話題は、大阪府立弥生文化博物館(以下、弥生博)の館長代替わりの機会に、新旧館長が語り合う講演会が開かれたとの報道であった。

 失礼を承知で言うと、弥生博は、在阪であることから、当然、地域文化としての「畿内説」の支持者であり、館長はその「首長」であるから、これまた当然、畿内説支持以外の発言はあり得ないのである。
 さらに失礼を覚悟で言うと、古来、報道は、新規性のあるものを報道するのであり、いわば「犬が人をかんだ」のは、ニュースにならないのではなかったか。これほど、見出しの役に立たない見出しも珍しいのではないか。いや、これは、毎日新聞の落ち度であって、両館長及び弥生博には、一分の否もないのである。

 いやなことを先に言ったので、後は、真剣に両館長の発言を確認させていただく。

 新館長のお話として、弥生時代終末期の三世紀には、「初期国家」と呼べる要素が揃い始める、と大変慎重に言葉を選んでいて、弥生博としては、三世紀は「初期国家」の萌芽期と見ることもできる程度と限定していることがわかる。

 前館長(現名誉館長)は、七世紀から八世紀にかけて(堂々たる)古代国家の完成が見られるものの、そこから四,五世紀遡る三世紀は、まだ、国家として随分未熟な時代であり、国家形成の初期段階という確信は持てないのではないかと、これまた限定的な意見が窺える。

 両館長の見解表明が、慎重で、無用な断言を避けているのは、史学者としてまことに廉直な姿勢を示したものであり、大いに学ぶべきである。

 毎日新聞記者は、ジャーナリストの務めと感じてか、邪馬台国の所在地について見解を求めているが、公式見解しか出てこないのは明らかであるから、毎日新聞記者に似つかわしい、賢い質問とは言えないこれでは、まるで三流ジャーナリスト並である。それにしても、館長が、リハーサルでもしたのか「声をそろえた」というのは、まことに涙ぐましいものがある。そこまでさせて報道するとは、新聞記者は残酷なものである

 新館長は、纏向遺跡について、慎重に言葉を選んで、弥生博の受け持ちとして弥生時代中期から後期にかけての畿内社会について調査研究していくと述べている。まことに、慎重である。また、記事の末尾で、新館長は、新しい切り口で研究を進めると語られている。府民税納税者としては、頼もしい限りである。

 一読者としては、毎日新聞記者が、自身が使命感を持って担いでいる(風化に曝されてレジェンド化しかけている)畿内説を洗い直す/検証する活動を期待したいものである。そうなれば、わくわくするような見出しが期待できるのである。

以上

2024年4月11日 (木)

今日の躓き石 毎日新聞の暴言 「リベンジに燃える」JABA日立市長杯に暗雲

                    2024/04/11
 本日の題材は、毎日新聞大阪14版スポーツ面 [JABA社会人野球]「JABA日立市長杯」展望の署名入り記事である。

 「NTT東日本」は、言わば分別のある熟成されたチームの筈だが、昨社会人野球の二大大会(出場?)を逃がした(予選落ちした?)とかで、「リベンジに燃える」と汚名を着せられている。歴史のあるチームだから、試合の勝ち負け、特に敗北は、ぐっと呑み込んで挑み続けている筈であり、記者が言うように負けた相手に対する恨みを高言して恥を曝しているとは思えない。これは、担当記者の失言/暴言と見ている。間違っていたら、ご容赦頂けない。
 仮に、社会人野球の名門チームが、本大会の頂点で続けて苦杯を喫したとしたら、再戦での勝利を目指して闘志を燃やすのは言うまでもないことと思うが、名門チームが「本大会出場を逸したことで復讐に燃える」とは、何とも、志(こころざし)が貧しいと思うのである。
 担当記者なら、名門チームの顔に泥を塗るような記事は書かないのではないか。

 当ブログでは、「リベンジ」なる忌まわしい暴言が撲滅されることを願って、徒労に近い投稿を重ねているのだが、特に、「野球界に悪疫の種が潜んでいる」ことを歎いているのである。そして、報道陣が好んで「リベンジ」を煽るのが、最近、漸く、影を潜めているとみて、安心していたのである。今回の記事も、未熟な記者の手落ちと思うのだが、くれぐれも、先輩諸公の的確な指導を望むものである。

 全国紙の紙面から姿を消しても、高校野球の指導者に「リベンジ依存症」が跋扈していると、その発言が選手の意識に刻み込まれ、長じて、社会人野球やプロ野球の選手となったときに、世に出てしまうと思われる。本当は、指導者の意識改革が必要なのだが、それは、当ブログ筆者如きが何を言っても、聞く耳を持たないとみるのである。そこで、せめて、全国紙の担当記者が、そのような罰当たりなことばが、紙面に出てこないように芽を摘んでほしいと思うのである。

 ちなみに、当方の「摘発」は、公共放送と全国誌の巨峰である毎日新聞に限っているが、それぞれ、同業他社に対して指導できる立場にあると思うので、念入りに御願いしているのである。

以上

2024年4月 3日 (水)

今日の躓き石 NHK総合大阪 「午後LIVE 午後4時台」「リベンジマッチ」暴言連発

                        2024/04/03
 本件は、「ニュースーン」なる花形番組の街角「リポーター」の失言ならぬ「暴言」であるが、生放送につきものの暴走というものの、「キャスター」がけしかけた連発とも聞こえたから、番組ぐるみの「放送事故」としておく。ぜひ、責任を取って是正していただきたいものである。

 「リポーター」は、当然、公共放送の一員であり、一人前の「放送人」であるから。このように一人前扱いで叱責するのである。

 当ブログでは、なぜ「リベンジ」を撲滅すべきかとくり返し説教しているので、ここでは言わない。もちろん、「リポーター」を解雇しろなどと言っているのではない。子供達が面白がって真似するから、この発言が重大な「暴言」と感じ取って、口をつぐみ次の世代に広げないでほしいだけである。本当は、キャスターに、『「リベンジ」って悪い言葉だから、二度と言うな』と言ってもらいたかったのである。

 それが、言葉の護り人である「放送人」として、正しい責任の取り方と信じるものである。

以上

2024年3月17日 (日)

今日の躓き石 NHKの盗用疑惑 「古代史ミステリー 第1集 邪馬台国の謎に迫る」

                                  2024/03/17
今回の題材は、NHKが公開している番組案内である。
番組を見てしまうと、声が出にくくなるかも知れないので、話題を絞ったことを理解いただきたい。

-番組案内の引用である。
古代史ミステリー 第1集 邪馬台国の謎に迫る
初回放送日: 2024年3月17日
 私たちの国のルーツを解き明かす壮大なミステリー!古代史の空白に迫るシリーズ第1弾。謎の女王・卑弥呼の邪馬台国はどこにあった?発掘調査と最新科学が突き止めた新事実を紹介。人骨やDNA分析から見えてきた激動の東アジア。「三国志」に秘められた卑弥呼のグローバル戦略とは?最強の宿敵・狗奴国とのし烈な争いの結末は?未知の古墳のAI調査や大規模実験で徹底検証!日本の歴史を変えた卑弥呼の波乱万丈のドラマを描く!
-番組案内の引用終了である。

*「ルーツ」の由来~公知情報
 「コトバンク」によれば、新語として流入した「ルーツ」の意義は、次の通りと見える。
 ▷ roots (=根。 root の複数) アメリカの黒人作家ヘイリーの著書とそのテレビドラマ化から一九七七年に広まった語。

*著名な著作書名「ルーツ」の盗用疑惑
 公共放送たるNHKによる「ルーツ」の無神経な「盗用」には、反感を持たざるを得ません。「ルーツ」は、テレビ朝日によって何度か放送されていますが、NHKは、知的財産の盗用と思っていないのでしょうか。
 物語の内容は、以下の通りに要約できると思いますが、公知情報を、引用/編集しているのは、ご勘弁いただきたい。

 「ルーツ」は、アレックス・ヘイリーによって書かれた 1976 年の小説/ノンフィクションです。この作品は、18世紀のアフリカ人、クンタ・キンテが青年時代に捕らえられ奴隷として売られて北米に移送され、奴隷として終生酷使された歴史を語っています。
 ヘイリーは、クンタ・キンテの子孫としてアフリカを訪ね、その故郷に、クンタ・キンテが妻子を残して失踪した悲しい思い出が語られているのを発見し、自身の「ルーツ」を見出したのです。

 NHKは、「私たちの国」が、異境から拉致された人々の国だというのでしょうか。NHKには、報道者としての良心はないのでしょうか。

*「卑弥呼」の歴史捏造疑惑
 更に、NHKは、「日本の歴史を変えた」と卑弥呼に汚名を着せているが、在野時代、一女子であった女王は、先祖の霊の語る言葉に耳を傾け、生きている人々を正しく導いた巫女であったと「魏志倭人伝」に明記されているのである。但し、女王となった後の、言動/行動は、特に書かれていない。
 もちろん、三世紀の古人が、まだ影も形もない「日本」の『「歴史」を変える』などとんでもない法螺話である。

 更に言うなら、当時、「歴史」は文書化されていなかったから、部外者がいかに努力しても、「存在しないものを改竄のしようがなかった」のである。

*まとめ
 NHKは、現代の善良な視聴者たる人々を惑わせて、何を仕掛けようとしているのであろうか。

 今回は、誰に媚びたのか、途方も無い「惹き句」を捏造しているが、制作陣は、営業用の「惹き句」に囚われず、矍鑠として受信料に値する健全な番組を物したことを望むのである。公共放送としてのNHKの最大の顧客は、経営委員などの執行部でなく、乏しい懐から受信料を捻り出して、実直に支払っている国民なのである

 後世の人々は、制作陣の陣容は知るものの、「執行部」など、知ったことではないのである。

以上

2024年2月27日 (火)

私の意見 「いたすけ古墳」の史跡 世界遺産から除外提言

                        2019/05/30 2024/02/27

◯「名残」の異物排除の提案 2024/02/27
 同異物は、「現在も濠の中に残されている橋げたは、土取り工事が行われようとしたときの名残です」とされているので、依然として、改善/是正されていない/今後とも改善/是正されないものと見て、苦言を再提案するものです。

*当初公開記事 追記あり
 当記事は、世界文化遺産への登録が勧告されている「百舌鳥・古市古墳群」の中で、「いたすけ古墳」が不適格であることを指摘し、除外すべきと考える理由を述べるものです。

 今回、丁寧に新聞、テレビから情報を収集しましたが、「いたすけ古墳」に、現代の工事用橋の遺物が包含されているのは、世界文化遺産の趣旨に反しているので、一国民として、少なくとも、当該異物は直ちに取り除くべきだと考えます。本来、史跡から排除すべき異物を含めて「史跡」としていることに問題があるのです。

 NHKの番組「歴史秘話 ヒストリア」で、当該古墳の宅地開発事業を差し止めし、史跡としての保存に繋いだ功労者である宮川徏氏が橋異物を保存した趣旨が語られていて、声を上げざるを得ないと感じたものです。いや、番組を製作したNHKが、発言をそのまま報道しているということは、NHKはその主旨に賛同しているのでしょうが、当方は、一納税者として一視聴者として正直に「反対」と言います。

 当時、「遺跡として保存することは不要」とされていた広大な土地に宅地造成する事業は、何ら不法な行為ではなく、そのような大規模な事業投資で、地域振興に貢献しようとした事業者は、公正な視点で見て、むしろ頌えられるべきです。

 結果として、「いたすけ古墳」が保存の価値のある史跡と新たに認定されたとしても、もともと非難すべき理由のなかった純然たる開発行為を、こともあろうに、アメリカ合衆国トルーマン大統領の戦争犯罪(ドナルド・トランプ前大統領の公式発言)』(2024/02/27追記)である)「原爆投下」に例える趣旨で世界文化遺産の一部として後世に残すのは、大変な見当違いであり、例えた方も例えられた方も大変具合が悪いと思います。

 精一杯和らげて言うと、この発言を聞いた原爆関係者は、同古墳群の話題に接する度に、激しいこころの痛みを覚えるのではないかと危惧されます。それ以外にも、この発言は無用の痛みをまき散らします。

 個人的には、そのような意見は脇に置いて、「いたすけ古墳」は「百舌鳥・古市古墳群 」全体の品格を毀損するものであり、少なくとも、史跡でない後世のガラクタは速やかに撤去すべきである』と思うのです。今が最後の機会と思うのですがもはや手遅れかも知れません。その場合は、これが過ちによるものであって、世界文化遺産の一部でないことを示すべきです。

 手短に要約すると、このような現代遺物/異物を取り除く当然の義務を怠っている「いたすけ古墳」は、正統な古代史跡とは言えないので、世界文化遺産登録から排除すべきではないかと考えるものです。

以上

アメリカ合衆国トルーマン大統領の戦争犯罪(ドナルド・トランプ前大統領の公式発言)』 は、とんでもない不法な発言であり、現職大統領の職務上の犯罪は、その時点で、つまり在職中に自動的に免責されるというトランプ前大統領の発言は、せいぜい、合衆国憲法による、言わば国内規定であり、国際法で裁かれる戦争犯罪に対して無効であり、逆に、現職大統領が軍事上の最高責任者として下した決断は、合衆国連邦法によって罪科を問われることはないという程度の一説でしかないのです。いずれにしろ、法的な判断は、賈人が勝手に決断できるものではなく、当然、合衆国司法省の審議が不可欠です。其れが、英語で言う「Justice」なのです。

 「免責」されるとは「推定有罪」の前提であり、原爆投下の最終判断を下した、当時のトルーマン大統領は、後世のトランプ前大統領によって「永遠に反論できない状態で断罪されている」のです。 まことに困ったものですが、この場では、これ以上論義しません。

以上

今日の躓き石 毎日新聞 将棋観戦記の盗用事故「王座戦」ネット中継の「不法利用」 追記

                2023/11/22 追記 2023/11/24 2024/02/27

 今回の題材は、毎日新聞2023年11月22日大阪朝刊12版のオピニオン面に掲載された「第82期名人戦 A級順位戦」 観戦記 第21局の2である。
 正直なところ、将棋棋戦(タイトル戦)の報道は、それぞれの主催メディア(時に、複数メディア共催)が、最優先権を持っていて、第三者の報道には「当然」制約があるのだが、今回は、毎日新聞社の記事に『「王座戦第4局」のネット中継を見ての報道』が、堂々と掲載されていて、不審に思ったのである。

 まず、問題なのは、同棋戦の主催紙、ネット中継者について、報道年月日を含めて書かれていないことである。第三者著作物の引用に不可欠な事項が欠落している。

 次に、ネット中継の画面を見た感想のはずが、観戦記者自身の報道のように書かれていることである。「取り返しのつかないミス」などと、許しがたい論評を付し競合誌の紙面で、主催紙の独占的な権利を大いに侵害している。言うならば、自身の観察ではないのに、臨場感を催していたのである。報道偽造である

 ということで、明らかに、知的財産権の重大な侵害がなされているのである。観戦記者は、王座戦第5局の観戦記を担当する予定だったと言うが、それは、第5局の観戦記を主催紙の承認のもとに主催紙に掲載する権利であり、第三者である毎日新聞に掲載することは認めていないはずである。まして、今回の記事は、観戦記依頼など受けていない第4局であり、これを高言するのは、論外の暴というしかない。いわば、職業上の秘密事項を不当に漏らしたものとも見える。念のため言い置くと、ネット中継は、中継者の著作物であり、それを、自身の見聞のように書くのは、中継者の著作権の侵害であると指摘しているのである。

 続いて、同局敗者の談話らしきものが、堂々と引用されているが、毎日新聞社が、自社の名人戦A級順位戦の観戦記で、自社主催棋戦を高め、他社主催棋戦を貶めるために、敗者談話を掲載するのは、報道倫理に悖(もと)るのではないだろうか。

 常識的に考えて、主催紙がそのような談話の取材を許しているのは、当日の観戦者、報道者であり、時点不明の後日の談話については、「勘弁してくれよ」と思っているはずであるが、談話には話者の記名はないし、談話の語られた日が、当然、タイトル失陥の後日であるとしても、いつのことか明記されていない。
 「王座戦」の価値を毀損することを恐れているはずの主催紙が、前王座が「ミス」を犯したと自認した談話が競合紙に正式掲載されることを許可したものかどうかは、不明である。

 正直言って、棋界、つまり、「世界一の順位戦A級」を占めている「棋界最高位の九段」にしてタイトル保持経歴のあるトップクラスの有力棋士が、「メンタルは他人より強いと自覚してい」たなどと、子供じみた言い方をするものではないと思うのである。「mental」(メンタル)は、体育会系のアスリートの好む恥知らずな言い回しであるが、所詮、名詞でなく形容詞であるし、形の無いものであるから、「強い」、「弱い」は、誰にも知ることができないのは、当然である。
 伝統的な評言としては、「体力」、「筋力」でなく、「知力」が高く評価されるものであり、『「鈍感さ」を誇っている』と聞こえては、甚だ不本意では無いかと思うのである。
 このあたり、他紙の観戦記で持ち出され、主催紙に不利益をもたらすと了解した上なのか、という点も、大変疑問なのである。
 問題の談話が、どのような前提で成されたものであり、どのような質問に対する回答なのか「隠されている」から、当の棋士に対して不当に厳しいかもしれないが、もし承知の上での発言、引用許諾であれば、プロ棋士としての職業倫理の根幹に関わると思えるのである。

 ついでに確認すると、「自覚」とは、何かの資質が劣っていると自認する場合の卑下した言葉遣いであり、あいまって、知性に富んだ一流棋士の口にすべき言葉遣いでないのであり、それでは、観戦記者が棋士の知性を毀損しているのでは無いかと思われる。
 当観戦記は、毎日新聞の看板のもとに、世間に、有力棋士の失言をさらすべきものでないと信じるものであり、この場合、毎日新聞社としては、教育的指導すべきと見るのである。共同主催紙の朝日新聞社は、同一の談話を引用した、同一趣旨の観戦記を載せていないと思うので、困るのである。
 それとも、この程度の「行き過ぎ」は、業界相場で許容されているというのだろうか。日本経済新聞社のご意見を聞きたいものだが、この場は、毎日新聞社の責めを問うものなので、そちらはそちらで確認して欲しいものである。

 以上のように厳密に論じたのは、本日の観戦記の相当部分が、実際の観戦記でない「第三者著作物の不法利用」に占められているからである。毎日新聞編集部は、このような問題を露呈した記事を当然と見ているのだろうか。
 少なくとも、毎日新聞の一読者として、大変疑問に思うものであり、率直、かつ丁寧に「批判を加えた」のである。

以上

追記: 2024/02/27
 当ブログ記事を閲読したと報せがあったので、思いきって、続報めいたものを書くことにした。
 別の対局者の対戦の観戦記であるが、第一譜がとんでもないものになっていたのである。全面的に一方対局者の談話らしきものになっていて、観戦記者は、署名しているものの、記事内容としては、同談話を引用符で囲んでいるだけなのである。報道の原則として、引用符で囲んだ部分は、発言内容の忠実なベタ引用であるので、文責は、全面的に発言者にかかるのである。観戦記者は、「無責任」なのである。
 まず第一に、このように一方対局者の談話をベタで掲載するのは、観戦記として当然のことなのだろうか。通常、読者に対して断りがあるはずなのだが、なにもない。つまり、同対局者が「手づから」執筆したことになっている。つまり、この回の観戦記の著作権は、当然同対局者に帰属するはずである。そのような「観戦記」に対して、掲載紙は、普通に原稿料を支払ったのであろうか。同対局者には、「観戦記執筆」に対する謝礼を支払ったのだろうか。

 つぎに問題になるのは、同対局者は、そもそも、このような形式での談話掲載について了解しているのだろうかという疑問である。談話に署名がないから、無断掲載「とか」も思われるのである。談話内容は、素人目にもかなりの不振と見える当期順位戦の成績について後悔とか泣き言を言っているのではないと思うが、それにしても、道半ばで、言い訳めいたものと取られかねない談話を公開するのが、本意とは見えないのである。

 いや、観戦記者が、目下の星の具合や席上発言について「勝手な」解説を述べるのは、ある程度「飯のタネ」で仕方ないのだろうが、それとこれとは、別義である。それにしても、相手方対局者の談話は、なぜ掲載されなかったのだろうか。何とも、面妖な観戦記である。
 同観戦記は、朝刊に掲載され、毎日新聞社ネット記事でも公開されていたから、当方の指摘が、的外れであったら、反駁いただいて結構である。

 この場で観戦記者名など書かないのは、武士の情けである。当方は、一介の読者であるので、断罪などできないのである。

 いや、同観戦記者は、以前にも、その時点の名人を差し置いて、「目前のA級順位戦勝者が、棋界の最高峰である」という様な書き方で、当ブログの批判を浴びているのである。目立った失態として、すくなくとも三度目であるから、ぼちぼち、ご勇退頂いた方が良いのではないかと思量する次第である。

以上

 

2024年1月17日 (水)

今日の躓き「医師」 毎日新聞 早川智 「偉人たちの診察室」の迷妄

自身を鼓舞する赤の効果                            2024/01/17

 当記事は、本日付毎日新聞大阪朝刊13版「総合」面の囲み記事「偉人たちの診察室」の批判である。
 不思議なことに、当記事は、毎日新聞ウェブサイトの下記記事と大きく重複しているが、当方は、同日近傍の新聞記事を保存していないので、どうなっているのか不審である。

偉人たちの診察室 赤備えは男性更年期対策になったか 真田幸村
早川智・日本大学医学部病態病理学系微生物学分野教授 2023年12月7日

◯はじめに 誰の診察室?
 今回は、コラムタイトルの不審を糺すところから始まる。
 「偉人たちの診察室」と書かれていると、ふつう、「偉人たち」が診察する診察室と見える。
 早川氏は、医師免許をお持ちなのだろうが、読者が気づかないのを良いことに、ご自身を「偉人」と称しているのだろうか。随分、不用意である。宮沢賢治の「注文の多い料理店」ではないが、食うか、食われるか、えらい違いである。

 次いで、「早川診察室」の医療行為であるが、実際に患者がやってくるわけでも無く往診するわけでも無く、患者の病状を知る根拠は、大した根拠のない風聞に近いものであるから、ある意味、氏は、姿見の前に立って、ご自身の鏡像を診断しているとも見える。これは、正当な医療行為なのだろうか。当方には、医者を選ぶ権利があるので、患者のプライベートな事項をしたり顔で全国紙に書き散らす医師は、ご遠慮したいものである。

*根拠なき放言の羅列
 氏は、学術的な根拠と擬態した風聞をもとにもっともらしく診断しているが、科学的に「無意味」(不合理)では無いかと思われる。
 『2004年アテネ オリンピックにおける「レスリング、ボクシング、テコンドー」においてウエア(ママ)の色彩と勝敗に相関関係があった』という趣旨であるが、なぜ、柔道が無いのか、卓球、バドミントン等が無いのか、不審である。
 氏は、大上段に「統計的に有意」と称しているが、随分偏った少数の事例であり、しかも、前後の大会でどうだったか検証もされていない。「統計的に有意」がどんな根拠で主張されているのか不審である。

 素人考えだが、「ウエア」の色彩は、ほぼ、相手方のものが目に付くのであり、見当違いの仮説を見当違いの手法で検証した可能性が高い。このような仮説は、先に言ったもの勝ちで、検証も、反論もされないのだろうか。世上の噂では、凡そ、どんな分野でも、新説の90㌫以上が、「フェイク」ないし「ジャンク」であり、誰か奇特な方が、毒味した後で、様子を見て取り組んだ方が良いということである。

 世間は、早川氏のように、目新しい仮説に無批判に飛びつく奇特な方ばかりではないと思うのだが、どうなのだろうか。当方は、道端の「落とし物」にかぶりつく趣味はないので、どうにも、非科学的な放談と見える。「おとといおいで」である。

 以下、氏の議論は、不気味なほど「男性専科」であり、「戦意を高めて、理性を曇らせるのは男性のみ」と決め付けていて、性的な公平性に欠ける。問題発言である。して見ると、先ほどの貴重な実証データは、男性なのか、女性なのか、両性を含むのかも、触れられていない。何とも、不用意であるが、毎日新聞に掲載される以上、これは、全国紙としてのコンプライアンス上、問題ないというのだろうか。
 
 現代風に言うと、西洋と東洋では、宗教的な影響もあって、色彩に対する心理的な受容性は大いに異なると思量する。まして、氏が無造作に、「赤」(red?)「青」(blue?)と称しているが、科学的に見て同一の「色」では無いと思われる。随分、杜撰、粗忽で、この上なく非科学的な意見と見える。
 なお、日本国内だけ捉えても、21世紀の若者の色彩感覚と、17世紀戦国末期の「もののふ」の色彩感覚/生死観は、どこが同じで、どこが違うのか、分からない。

*もののふの心意気
 最後に、当の真田信繁が、大坂夏の陣の際、いかなる心意気でいたか、無責任な現代人に分かるはずが無い。端的に言うと、対徳川という戦歴から言っても、「二度の対戦は、それぞれ、非勢の不利な戦であり、勝算は、乏しいものだったに違いない」が、敢然と戦って、勝利したのである。敗死していれば、後生の野次馬に無謀とあざ笑われたはずである。
 少なくとも、真田信繁が、大坂の陣で、氏が素人考えで絶望的と決め付けた戦(いくさ)に挑んだと思うのは、この上も無く失礼である。

 さらに、信繁が赤備えに「陶酔」して、無謀な戦に挑んだというのは、「ドーピング」紛いの狂気の沙汰の中傷/非難であり、これもまた失礼であろう。氏ご自身の「合理」性を、信繁に押しつけるのは、何とも無謀である。確かに、早川氏がいくら全国紙の紙面で誹謗中傷を叩きつけても、信繁から反撃されることは無いのだから、絶対不敗、言いたい放題なのだろうが、「現実に」氏の診察室に信繁を迎えて、このように侮辱を連ねる度胸はあるだろうか。

*早川式「タイムスリップ」待望論
 是非とも、氏の好む「早川式時滑り(タイムスリップ)」で、世界に類例のない氏独自の超技術で時間/空間座標を精密に同調させて、夏の陣冒頭の信繁の陣屋に、ピッタリ乗り込んで欲しいものである。素っ裸なのか、フル装備なのか、電気動力含めて、到着後の顛末は、知る由もない。
 どのみち、「タイムスリップ」は、片道切符であるから、現地で成敗されようが、当世では知るすべは無いのである。「滑り」の果ては、Good Luck, Good-byeで終えておく。

*六文銭の人~往きて還らず
 真田信繁は、身内に本音でぼやくときはともかく、心底の覚悟は、戦場で倒れたときは、「いずれ渡るべき三途の川を、身につけていた六文銭で渡る」という死生観であり、悔いなどなかったと言うべきである。それを「満足」などというのは、後生の野次馬の小賢しい見方に過ぎない。伝統的には、「女々しい」「sissy」と言ったものだが、現今、禁句なので控えただけである。むしろ、「可愛い」、「誠に小人である」と言うべきかも知れないが、当方は他人のPhysicalを論じる趣味はないので撤回する。

以上

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