将棋雑談

将棋の世界に関わる話題です。

2022年2月 5日 (土)

今日の躓き石 無くならない「リベンジ」蔓延の悪例 日本将棋連盟に到来

                    2022/02/05
 本日の題材は、日本将棋連盟サイトの下記署名記事である。内容は関係無い。タイトルで「ド滑り」しているのである。
 10連覇かリベンジか 第47期棋王戦五番勝負展望

 これは、佐藤康光連盟会長の真意でなく、記事筆者の「暴言」なのだろう。もちろん、タイトル戦当事者の言葉では無いはずである。当看板サイトに、ちゃんとした編集体勢があれば、編集長が発見して、叱責して改善したはずである。

 言葉自体が、自爆テロを思わせるものであるのに加えて、将棋のタイトル戦に復讐戦の意義しか無いと見るのが、記事筆者の品格の低劣さを物語っているのである。連盟として、当記事は「事故 」扱いして、当記事を取り下げることを謹んでお勧めするのである。
 せめて、このようなみっともないタイトルだけでも、なんとかして欲しいものである。

 因みに、当世若者言葉では、聖なる「リベンジ」を、「再チャレンジ」の茶化した意味で誤用する「ダイスケリベンジ」が大半であるのに対して、当記事の「リベンジ」は、昔ながらの血まみれの復讐戦を示していて、「旧式で的はずれ」の上に、大変たちが悪いのである。
 書いたものがそのまま公開される気楽な立場の人は、自分しか暴言に気づいて是正できる人がいないのだから、聞きかじりで書き飛ばすので無く、よくよく調べて、考えて欲しいものである。

以上

2021年9月21日 (火)

日本文化の誤解を歎く 将棋の「クイーン」談義に苦言 再々掲

                       2019/05/21 補充 2021/09/21 2022/09/21

 本稿は、毎日新聞デジタルサイトの連載コラムに関する意見です。時折参照されることがあるので、少し書き足してみました。

 日本文化をハザマで考える  第4回 変わりゆくチェスと将棋の「クイーン」
          2019年5月21日 11時52分 Texts by ダミアン・フラナガン

 当該コラムの位置付けについて考えましたが、いろいろ誤解されている点について、率直に異議を呈するのが誠意の最上の表れと考えて、以下のように、「苦言」を申し上げるのです。

□「日本」に国王なし
 まず、「日本」には、古来、国王はないので、「国王」の配偶者としての「女王」はなかったのです。ないものが、広く通じることは「絶対に」ないのです。一言で言うとしたら、それでおわりです。

 「日本」は、国名が成立した八世紀以降であり、それ以前、「日本」の無い、そして、文書記録の存在しなかった時代、三世紀の中国の歴史書によると、男性の国王(「男王」)を女性が継いだ時「女王」と呼ばれたようですが、中国にない「女王」を、どんなつもりで書き残したのか、知ることはできません。いずれにしても男性の国王の配偶者を「女王」と呼んだ形跡はありません。もちろん、「男王」と書かれるのは、例外中の例外です。

 因みに、「日本」が文字「文化」を学んだ中国では、女性が君主となることはなく、また、君主は、古代以来、歴代「皇帝」だったのであり、国王の配偶者を「女王」ということもなく、「女王」と言う漢字言葉の理解には、難点がつきまといます。唯一の例外は、唐代の「武則天」ですが、例外があるということは、通則を証明するものであって、通則の邪魔にはならないのです)

 ご承知のように、古代、「日本」の君主は「天皇」、配偶者は「皇后」であって「女王」ではなく、皇太子以外の男性王族を「王」と呼んだ際、女性王族を「女王」(じょうおう)と呼んだようです。これは、本来、「娘王」(じょうおう)だったのかも知れません。現代語でも、「女王」の発音は、「じょうおう」であって、「じょおう」ではありません。よく聞いてほしいものです。

 して見ると、「日本」には、「クイーン」に相当する君主は一切なかったようです。たまたま、漢字で「女王」と書かれても、その時、女性君主を想定した可能性は、まずないということです。

□将棋の素性
 以上、筋の通った説明を試みましたが、世間に通用している理解とは異なるとしても、世間の大勢の誤解、勘違いを放置していると、このようになるという見本にもなっているように思います。その点で、この記事が何かの警鐘になれば幸いです。

 将棋は、遅くとも、12世紀の鎌倉時代には到来していたようですから、その時点で、今回のコラムにあるように、元になる「チェス」類似の競技に、「クイーン」は成立していなかったということで、クイーン」は来日していなかったのです。

*中将棋にクイーンなし
 今回念を入れて調べたところでは、中将棋には、「クイーン」に相当する、日本語で、国王の配偶者なる意味を書いたコマはないのです。確かに、チェスのクイーンの動きに相当する「奔王」という駒はありますが、とても女王とは見えません。どうでしょうか。

*将棋に王将なし
 そもそも、先ほど上げたように、「日本」には、王を君主とする制度がなかったので、「キング」を「王将」とすることはないのです。

 大事なことは、王は君主であって将ではないので、「王将」は、文字通りに解釈すると君主の部下になります。「女王」なる駒を「王将」と共に並べたら、「王将」は「女王」の臣下、「女王」が盤上の君主となり理屈に合わないこととなります。

 少し丁寧に説明すると、俗に「王将」と言いならわしているものの、これは、普通に考えると誤解の産物であり、本来、中国で「金」(将)「銀」(将)と並べた財宝の中央に鎮座する至上の財宝を「玉」(将)と考える方が、筋が通るのです。
 かくして、将棋の駒の配置を見ると、一番手前に、香 桂 銀 金 玉 金 銀 桂 香と高貴な財宝を並べているのです。

 つまり、将棋は、チェスと異なり、財宝を取り合う知恵比べであって、戦争ゲームではなかったと見えます。皇室で将棋が愛好されていたことからも、そのように思うのです。

 と言うことで、将棋には、本来、「男王」も「女王」もないので、ないものが浮上することはないのです。いや、歴史上でも、恐らく「男王」はいなかったので、特に「女王」にこだわる意味がわからないのです

□生き続ける中将棋
 それにしても、1930年代、つまり、昭和初期に京都で中将棋の伝統が絶えたと決定的に断言するのも、関係者には気の毒な誤解で、実際は、大阪中心に連綿として継承されているのです。Wikipediaによれば、将棋界のレジェンド 故大山康晴氏(15世永世名人)が、「数少ない」(全人口に比べれば絶対的に数が少ないのは自明なので、何をわざわざ「少ない」と言うのか、意味/意図不明です。普通、「貴重な」という筈です)継承者だったとされています。

 いや、英文には、単にwasと書いているので、その時点で中将棋があったと言うだけで、伝統の終焉を意識させる「までは」は、軽率な誤訳かも知れないのです。「伝統が絶えた」のなら、had beenと書くものであり、多分、余り英語に通じていない人の仕業でしょうか。

□無形文化遺産の維持
 最後に、伝統的なゲームの勝手なルール変更について異議を申し述べます。

 「将棋」は、少なくとも、十七世紀初頭以来、連綿たる伝統を受け継いでいるものであり、今日も、多数の人々によって愛好されています。「将棋」は、「ゲーム」であり、かつ、それを愛好する人々の共通の財産なのです。

 それは、「ゲーム」のルール、駒の名称にも及んでいて、個人が勝手に変えることは許されない
のです。それは、「チェス」でも同様と思います。

□「不法」の意義
 書かれているように、「チェス」と違うルールのゲームを作って「チェス」だと言ったら、それは、「チェス」ではイリーガル(Illegal)、つまり、「違法」なのです。現代に到っても、「チェス」の「インターナショナルマッチ」は、国の威信をかけた争いであり、それこそ、細かい振る舞いまで厳重に規制されるものなのです。気ままなルール変更など、もってのほかです。

 当コラムの著者は、タイトル付けの無神経さに加えて、こうした大事な点が理解できていないようなので、きつく釘を打たせていただきます。
 それにしても、「変わりゆく」と決め付けられている「チェス」と「将棋」からは、当記事以外、反論はないのでしょうか。

 この世界には、個人の我が儘で壊してはならないものが、沢山あるのです。

 因みに、将棋が「本将棋」と呼ばれるのでわかるように、将棋の駒を使った挟み将棋や山崩しに始まり、衝立将棋などの変則ルールの将棋が多く知られていて、また、興味深い新種が生み出されていますが、「本将棋」は不変なのです。

 よろしくご理解の上、賛同いただけたら継承いただきたいのです。


 以上、特に参考文献は挙げませんが、それは、このような断定的な意見を公開する際に、ご当人がなすべき義務と思うからです。いい加減な思い付きを叱責するのに、労力を費やすだけでも十分なので、後は、ご当人が調べるべきものです。
 もっとも、以後、特にコメントも質問もないようなので、全国紙に載った記事は、そのまま定着するということなのでしょうか。全国紙の権威は、時代とともに、風化夢散しているのでしょうか。

以上

2021年7月14日 (水)

今日の躓き石 NHK BSで蔓延する用語の乱れ 「将棋倒し」「コロナ」

                         2021/07/14

*ささやかな、軽率な、言い間違い
 今日の題材は、NHK BSの「ワールドニュース」であるが、海外ニュースの語りで「将棋倒し」には恐れ入った。

 国内ニュースの報道ですら、将棋連盟の懇望で、「将棋倒し」は廃語になったはずである。もちろん、現に将棋駒を立てて、「将棋倒し」して遊んでいるのは、その通り報道するしかないのだが、(人出で大勢が倒れて死傷者が出たような場合)災害報道で、「将棋倒し」は、是非とも勘弁して欲しいとの公式要請があって、各報道機関は納得したはずである。

 今回は、海外ニュースの枠なので、現地に「将棋倒し」遊びはないから、無神経な場違いである。このような無頓着な問題発言が、BS番組の語りに出てしまうと言うことは、NHKもたるんでいるとしか思えない。

*悪用放置の事例
 それはそれとして、とてつもなく大きな問題に素人が口を挟むのは「越権」として控えていたのだが、長らく、誰も表立って発言していないようなので、素朴な意見を述べておく。
 言うまでもないと思うが、「コロナ」は、トヨタ自動車の主力車種の愛称であり、つまり「商標」なのである。不都合であることの説明は、不要である。
 NHKは「商標」を放送で使わない禁制があった(今でもあるはず)と思うのだが、トヨタ自動車は、爾来、主力車種名をCOVIT-19の「愛称」に転用されているのである。いや、もちろん、NHKだけの手違い、間違いではない。今や、この国では、「コロナ」は邪悪なものとなっているのである。これは、迷惑などで片付くものではない。

 比較的早い段階で、WHOがCOVIT-19と「命名」したので、世界的には、商標権抵触が懸念される俗称「コロナ」は終熄したのだが、日本は別の動きに固執しているのは、奇異である。

 このような基本的な不都合に対して、何の説明もないから、今後とも不都合な事態の是正はされてないのだろうが、当事者たるトヨタ自動車は、自社商標を踏みにじられて、なぜ厳重に抗議せずに済ましているのだろうか。誠に不可解である。既に、「コロナ」は、商標として無効になっているように思うのである。
 いや、被害は発生して取り返しがつかないから、何を言っても手遅れであり、この先は、被害は発生しないという意味である。
 素人目には、重大な事件だと思うのだが、どうなっているのだろうか。

以上

2020年12月26日 (土)

今日の躓き石 朝日新聞将棋記事の『忌まわしい「リベンジ」』を歎く

                                2020/12/26

 今回の題材は、大変珍しいことに、朝日新聞デジタルの将棋報道である。ここで文句を言わざるを得ないのは、肝心なところで的外れだからである。

 豊島竜王が羽生九段下して4勝目 村山七段が激戦を解説
 躓いたのは、次の一行である。 
 「豊島竜王は、竜王戦七番勝負に続き、A級順位戦でも羽生九段に勝利。羽生九段からすると、竜王戦敗退のリベンジを、今回は実現できなかった形となってしまった。」

 他社主催とは言え、将棋界が最高に遇している「竜王戦」の番勝負と、二紙共催の最高棋戦とは言え、予選たる順位戦が同列とはどういうことか。竜王戦は名人戦と同格でないのだろうか。というのは、随分な言い草であるが、まあ、当方は、ただの野次馬であって、竜王戦関係者でもなんでもないので、ことさらこの場で言うほどではない。お目汚し御免。お忘れください。

 それはさておき、ここで、羽生九段の動機を個人的な復讐心と捉え、口汚く「リベンジ」狙いと罵るのは、共催紙看板記者の筆とは思えない。一流棋士が、個人的な復讐心を糧にしていると決め付けるのは、事実報道では無く、記者の勝手な「逃げ」であろう。当読者は、そんな安直な記事は、全国紙の紙面で読みたくはない。(タイトルでは、村山七段と謳い上げているが、会員向け記事の予告部分の一文は「解説」でなく記者の口説である)
 記者は、かって、第28回将棋ペンクラブ大賞を受賞しているが、今回の記事のこの一行は、氏の業績に陰りを投げかけているように見える。安直なカタカナ言葉に染まらないで、安直な決め付けに逃げないで、ご自愛いただきたいものである。

 因みに、名人戦共催の毎日新聞の順位戦観戦記は、羽生九段の当今の人気高揚に対して、「同情論」で募っているのだと、バッサリ切り捨てている。居酒屋で言い立てるような個人的な感想を、全国紙に掲載できる特権を悪用しているのである。
 この点、当記事は、報道を核心としていて大違いである。毎日紙の独善は、他山の石としていただきたいものである。

以上

2020年7月29日 (水)

今日の躓き石 毎日新聞将棋記事に漂う「リベンジ」汚染の一端

                          2020/07/29

 今回の題材は、同一記者による二件の記事であり、今や一般向けニュースで報道される「時の人」 将棋界の新鋭、新棋聖の卓抜した技量とそれを支える不断の努力を称えるものと思う。それ自体は、納得のいくものであり、広く取材し、深く思索を極めた物として、賞賛に値するものである。

 毎日新聞大阪朝刊14版 「大阪」面      盤上の風景 藤井聡太新棋聖         2020/07/27付
 毎日新聞大阪朝刊14版 「オピニオン」面   記者の目 [最年少でタイトル 藤井棋聖]  2020/07/29付

 正直な所、当記事担当記者の言葉遣いは、全体としてまことに順当であるが、困ったことに、この場でどうしても指摘せざるを得ない難点が、両記事に登場している。ここで指摘するのは、一個の「ほころび」に過ぎないのだが、その一個の「ほころび」がまことに深刻な物であり、広く害を蔓延させる可能性が無視できないので、公開の場で指摘せざるを得ない。

 丁寧に読めばわかるように、二件共に「カタカナ語」の起用は、むしろ禁欲的に見えるほど控え目である。そして、使われている数語にしても、現代の日本語として定着しているものであり、安易に新語に流されない記者の品格を偲ばせる。

 その見地で言うなら、ここで使われている「リベンジ」は、近年蔓延している「平成の怪物流」の「乳臭い」誤用でなく、英語準拠のrevenge、「復讐」として使われていて、それ自体は、適正な流用であって文句を言う筋合いはない。

 しかし、真摯な意図で書かれていても、記事の文脈に当てはめると、将棋棋聖戦で、挑戦者に追い込まれた(前)棋聖が「リベンジ」、仕返しをたくらんだとの記事は、大変不穏当である。問題は、重大な宗教的な意義を見逃していることにある。

 いや、当記事筆者は、ご当人と言葉を交わしたことはないのだが、とても、将棋の場に、個人的な復讐心、さらには、血の天誅を持ち込む意図などないはずである。また、氏の宗教信条も知らない。

 そもそも、堂々たるトップ棋士が、いかに手強い相手であっても、負けたからその分、あるいは、「倍返し」で仕返しするという、子供じみた闘争心で動いたとは見えないのである。かりに、本人がそう発言したとしても、当人の名誉のために報道を控えるべきではないだろうか。記事の主題である新棋聖は、別に「悪玉」、「斬られ役」、「ボスキャラ」は、必要としていないはずである。

 別記事で指摘したように、目下掲載の毎日新聞名人戦観戦記では、両対局者の人格を貶める「暴言」が飛び交って、大いに歎いているのだが、担当記者には、この記事で、新進気鋭の若者を称揚するために、先輩を貶す意図はないはずである。十分定着しているはずの「リベンジ」の悪辣さについて、勘違いしているとしか思えないのである。このままでは、貴重なトップ棋士の顔に泥を塗りつけていることになるのであるが、多分、ここまで気づかなかった以上、今後とも、自力で気づくことはないと思うので、敢えて、耳に突き刺さる記事を書いたのである。と言っても、害意はない。

 いや、今回は、大阪版と全国版の釣り合いということで、晴れ舞台に二件相次いだのだろうが、全体として、よく推敲された堂々たる紹介記事に見えるのである。して見ると、不用意な「リベンジ」は、何とも、何とも、もったいないのである。

 「リベンジ」蔓延を食い止めるため、従来は、当該記事担当記者の記者倫理を問う手厳しい物であったが、それは、「半人前」の記者が、小耳に挟んだ流行り言葉を無造作に書き散らす軽率さを攻撃して、教訓として貰いたい趣旨で、ことさら手厳しくまとめていったものであり、今回の二記事が、その同列でないことは、以上の説明からも、おわかり戴けたものと思う。

 それにしても、天下の公器である毎日新聞には、各記者の筆の暴走を是正する校閲機能はないのだろうか。
 それとも、このような市井の私人の意見など、意に介さないのだろうか。耳を貸そうか貸すまいが、長年の定期購読者には、一言提議する権利はあると思うのである。

 記者の周囲には、この忌まわしい言葉の使用を控えるように苦言を呈してくれる「友人」という名の「厳師」は、いないのだろうか。一度紙面に載って世に広がれば、未来を担う子供達を含め、悪習に倣う人は数多いのである。後世に、悪習を継承しないように、と思うだけである。

以上

 

2020年7月28日 (火)

今日の躓き石 毎日新聞 名人戦観戦記の反社会的タイトル 「マスクはいらない」

                             2020/07/28

 今回の題材は、毎日新聞に掲載されている将棋名人戦の観戦記である。
 第78期名人戦七番勝負 豊島将之名人-挑戦者・渡辺明王将 第3局の8

 今回の苦言の原点を確認すると、観戦記とは、事実の報道でなく観戦記者の著作物なのだろうか、ということである。文学作品、創作であれば、多少の気ままは許されると思うのであるが、事実の報道なら、報道としての節度が求められるはずである。

 後に示すように、前日の観戦記のタイトルもひどかったが、今回は、「マスクはいらない」と反社会的な物になっている。
 現下の情勢は、ウィルスの感染拡大防止のため、例外のないマスク着用が義務化していて、これに対して、毎日新聞が堂々とマスクなどいらないと宣言するのは、どうした物だろうか。しゃれのめすなら、合衆国やブラジルの大統領を気取っているようにも見える。

 さらにひどいのは、文中で「思考の邪魔、つけてらんない!2人とも息苦しさから逃れて盤上に集中した」と両者の内心を勝手に代弁していることである。いや、観戦記者が両者にインタビューしてそうした主旨の意見を聞き取ったとしても、両者が報道機関に対して発言するときには慎重に言葉を選んだはずである。想像するのだが、両対局者が、マスクを外したことについて問われたら、「マスクが必要な主旨は理解しているが、マスクに湿気と熱気が籠もり、呼吸の妨げ、ひいては思考の妨げになるのでは、一時的に外さざるを得なかったことを、よろしくご容赦ください」と言ったはずである。ここに引用されているのは、仮に正確な引用としても、精々が子供じみた我が儘の口移しであり、高度な観戦記を求めて講読している読者の目に触れるべき物ではない。

 この点は、何にしろ主催者の配慮の限界と思う。マスク以外の何らかの手段で、このようなな息苦しさを、極力緩和できないか、最善の努力を図ったはずが、良策が見つからなかったようである。因みに、NHK棋戦では、設営に制約の少ない自局スタジオということもあって、両対局者の間に、上から隔離板を下ろしていると見受けた。名人戦会場では無理と思うが参考に述べておく。

 手段が何にしろ、隔離手段が両者に与える影響は公平であるから、思考を制約されることは、両者ともに受容すると思われる。まして、将棋界が、最高峰の棋戦で最善の配慮を行っていることは、ネット中継で公開されているから、最善の努力は最善の評価で報われているはずである。

 このような背景を考えると、今回の観戦記で示された配慮の無い暴言は、一新聞社の一観戦記者の分を越えて、将棋界全体に暗雲を醸し出すものであり、まことに不穏である。
 毎日新聞社は、将棋界の財産である「名人戦」に対して、社会的な非難が集中するリスクをどう考えているのだろうか。

 因みに、前回の見出しは、「名人が「ソフト化」」であり、意味不明なものの、記事を読むと、名人の指手の筋悪化を糾弾したもののようであり、将棋界最高タイトルの保持者に対して、「神」の如き不敗の高みから堂々と見下して、一切反論を許さない非難を浴びせていて、一読者として大変不快であった。まして、「ソフト化」などと、日本語として意味不明な見出しを善良な一般読者に投げつける手際は拙劣である。

 思い返すと、この観戦記者は、しばしば高級な暴言を書き殴る人である。ただし、影響が将棋界にとどまるなら、その世間で顰蹙を買えば良いのであり、当ブログで指摘したことはあっても、大きな問題でないと見ていたものである。

 それにしても、毎日新聞には、紙面を精査して、不穏当な字句を、穏当な字句に書き替えさせる校閲が存在しないのかと、歎くものである。

以上

2020年6月 5日 (金)

今日の躓き石 将棋記事に「リベンジ」発症 毎日新聞に悪疫蔓延の予兆か 

                               2020/06/05

 本日の題材は、毎日新聞大阪朝刊第14版「総合・社会」面トップの将棋ネタである。想定範囲の予定記事であるから、推敲の時間は取れたはずなのだが、輝かしかるべき記事に大きな汚点を記している。

 「本人にリベンジの気持ちはないと思うが」と口調を和らげているが、案ずるに、50代初頭の師匠は、内心に「リベンジ」の「暗黒」を抱えていて、10代の新進の心中を探っているようである。しかし、弟子を思うのなら、このような忌まわしい言葉にふれないのが、本人のために最高、最善である。今回の一言で、話題の棋士は、口には出さないが、実は激しい憎しみを原動力にしているのではないかとの疑念がわき上がるのである。ことさら否定するような師匠の談話であるから、額面通りにはとれないのである。

 この下りは、談話の引用であるから、担当記者は、事実は事実として報道するしかないと言い訳しそうであるが、別に言い換えても何の問題もないはずである。何しろ、痛い目に遭わされた相手との再戦ではないのであるから、血塗られた「リベンジ」、隣国の「トラ」さんの掻き立てる「テロ」はお門違いなのである。まして、先の(手痛い)敗戦は、相手の策謀に騙されたわけでもなく、最終盤に判断を誤ったための敗戦だから、責任は、自分に持っていくしかないのである。

 つまり、署名した担当記者二名も、脳内を血塗られて汚染されているものなのか、偉業を讃える記事の意義を損なっていて、毎日新聞としては大事件と言える。是非、このような不穏な表現は、とことん駆除していただきたい。

 根本的な問題として、将棋の世界に怨念とか復讐を見る前世紀の風潮は、カタカナ語に書き替えてごまかすのでなく、断乎排除して欲しいものである。そうしないと、師匠と弟子という関係にまで、悪弊の伝承という疑念が投げかけられるのである。

 毎日新聞は、全国紙として、国民の言語文化を保全する「言葉の護り人」の任にあると自覚して欲しいものである。いや、この際、気づいて欲しいのである。全記者の中の一人が無自覚に忌まわしい言葉を紙面にぶちまけたら、全社で進めている地道な活動が崩壊しかねないのである。今日改めれば、今日から改善が進むのである。

以上

2020年4月 5日 (日)

今日の躓き石 将棋界に呪いのリベンジ 正統派の血塗られた宣言  

                                           2020/04/05

 本日の題材は、将棋界で、折角の大舞台での師弟対決というめでたかるべきニュースのタイトルと小見出しに「リベンジ」と二度塗りしている記事である。前回、現役トップ棋士を「レジェンド」と貶めることに苦言を呈したが、今回は、一段と悪質な「リベンジ」に、どうとばかり躓いたので、遙かに悪質な失言について、何か言わざるを得ないと考えたものである。
 今回も、題材は、全国紙でも公共放送でもないので、名指しはしないが、わかる人にはわかるはずである。

 正直に言うと、当該記事の「リベンジ」は、今となっては少数派で、絶滅危惧種のおじん用法であり、まさしく、血塗られた復讐の叫びであって、既に犠牲者は血祭りに上げられたのである。
 おじん用法というのは、いまどきの「リベンジ」は、「も一丁」のチャレンジを言うのであり、犠牲者はでないし、血のにおいは遠いのである。それとも、棋界では、「恩返し」を「リベンジ」と呼ぶことにしたのだろうか。素人にはわからない。

 そのような、血のにおいのない誤用を、ここまでにしばしばやり玉に挙げたのは、言い間違い用法を知らない世代は、「リベンジ」を、当然仇討ちだと誤解するし、英訳すると、宗教上の禁句になるから重大なのである。軽い気で言っていても、罪が遙かに重いのである。

 今回の記事は、念入りに、新進棋士が意趣返ししたと書いているが、一流棋士はテロリストの真似はしないから、負かされたことを根に持って仕返しをしないと思うのである。棋界報道に限らず、報道の姿勢として悪意の血塗りはやめてほしいものである。いや、記事の筆者が、三流棋士だと言っているわけでは、多分ない。ことは、棋力の問題でなく、こころざしの問題と思うのである。

 多分、記事の筆者を、誰もしっかり指導してくれないのだろうが、書いたものがそのまま公開される立派な立場にあることを自覚して、自己研鑽して、慎重に言葉を選んで欲しいものである。別に「頭の丸い」坊主になれというつもりもない。そうそう、まだ、校正AIは、出回っていないのである。

 と言うことで、精々冗談半分の戯れ言を交えたが、よろしく自戒いただきたいという気持ちで書いたのである。

以上

2020年4月 4日 (土)

今日の躓き石 早すぎる祭り上げ 『竜王位通算7期の「レジェンド」』

                          2020/04/03

 今回の題材は、掲載媒体が、全国紙でも公共放送でもなく、無料で拝読しているので、ことさら名指しはしないが、有力な将棋ジャーナリストは本当に数少ないので名指しに近いかも知れない。気に障ったら、大手メディアと同格の扱いということで、ご勘弁いただきたい。

 要は、将棋界の大スター、永世七冠の持ち主を、いかに目下無冠とは言え、引退同然の過去の人として「レジェンド」呼ばわりは、大変失礼だと感じるし、目立たないかも知れないが、「おとろえ見せぬ勝ちっぷり」とは、老大家をいたわっている口ぶりであり、それぞれ程度は違うものの感心しないので、その旨指摘する次第である。例えば、引退後の加藤一二三氏を「レジェンド」と呼ぶなら、不適当と思う人はかなり少ないはずである。

 いや、世間には、適切な言葉を知らないし、探そうとしない人の方が多いから、身辺の友達に呼びかけて多数決を採れば、分が悪いかも知れないが、広い世間では、かなりの数の人が、この言葉が、現役最高の棋士に対して失礼極まりないと思っているはずだから、言葉をちゃんと選んで欲しいと思うのである。

 将棋ジャーナリストも、玉歩ならぬ玉石混淆で、中には、異分野外来の物書きがいて、一流棋士に「オールラウンダー」などと侮辱的な形容を、無頓着に持ち込む例があるから、これはこれで業界相場かも知れないが、題材の記事の筆者は、決勝トーナメントに勝ち進んで、福井に向けて着々と歩を進めている名棋士に対して、相応しい敬意を抱いているはずであり、もっともっと適切な言葉遣いができる方だと思うから、品の悪い口癖は、間に合ううちに直して、別に損は無いと思うのである。

以上

 

2019年5月23日 (木)

今日の躓き石 名人戦共催 毎日 第一局観戦記の問題発言 「名人は最強ではない」

                      2019/05/23
 今回の題材は、毎日新聞に掲載された将棋第77期名人戦第一局観戦記(4月28日朝刊掲載の第二回)であるが、名人戦開催中は、商売の邪魔をしないように手元に止めたもので、それ以外は、公開を遅らせた事情はない。

 当観戦記の筆者は、かなり高級な立場にある方のようで、高みから対局者を見下ろす、不愉快な発言が時折見られて、味が悪い思いになることがあるのだが、今回は、特に度を過ごしていると思うのである。

 今回の挑戦手合いは、棋界最高峰の名人に、上り調子、充実の挑戦者という触れ込みなのだが、いきなり、「軽いめまい」に襲われた観戦記者は、二回目にとんでもない発言を公開したのである。

 「現時点の将棋界は豊島・渡辺の2強状態。佐藤は名人として、そこに割って入る使命があると思う。

 将棋に詳しい方ならご存じの通り、「渡辺」は、渡辺明であり、目下タイトルを二冠保持しているとは言え、昨年、最高のA級順位戦から陥落して、いわば凋落した身であり、主催紙の連日のA級順位戦紙面から姿を消していたのである。つまり、主催紙読者の意識から去っていた圏外棋士だったものを、観戦記で、どうしてこのように称揚するのか、突然、意外であって、意図が理解できないはずである。

 当観戦記でも、第一回で、挑戦者の活躍の引き立て役として、挑戦者は「渡辺明王将とともに頭一つ抜け出した印象だ。」とされているだけで、降級していたB級1組からA級に復帰したばかり、などの背景は語られていない。
 それだけの前触れで、ここでいきなり、挑戦者と並べて、実力最強と評され、現役名人は、他社主催戦での成績が今ひとつだという理由で、最強の地位に並んでいないのである。最高位を争う熱戦を期待している主催紙読者としては、大いに不満では無いか。

 あるいは、これまでのA級順位戦観戦記で、その場にいない渡辺の活躍について、余談として触れたかも知れないが、当観戦記は、名人戦観戦記という格別の舞台であり、読者は、別に当観戦記者の愛読者ばかりではないのである。

 ついでながら、目下、将棋名人戦は、毎日新聞社と朝日新聞社の共同主催であり、朝日新聞社としては、棋界最高峰の挑戦手合いとして担いでいるものが、実は、そうではないと、貶されていることになるのである。心穏やかで無いはずである。

 もちろん、現役名人も、よその紙面での結果がもう一つで、大したことない、弱者だ、この際奮起して頑張れ、と冷水を浴びせられて、大変不満だったはずである。まして、名人としての使命をド素人から諭されるなど、問題外である。

 当観戦記者が、別の媒体で、独立して戦評を書く立場なら、名人戦主催紙の権威を落としてでも、自身の人気取りをしても許されるかも知れないが、主催紙の観戦記を任されている「プロ」の文筆家であるから、この書き方は、随分軽率ではないかと思われる。

 また、一読者としても、それぞれの熱戦を楽しみにしている対局に対して、主催紙自らが、開幕局早々にケチを付けている紙面を見て、大いに、失望したのである。冒頭に書いたように、本来、すかさず批判するところであったが、商売の邪魔をしないためにずらしたものである。結果論で手は入れていない。

 今回の事例は、新米の勘違いというわけでもないから、当の観戦記者は、日頃から、高みにあって淡々と持論を披瀝しているのだろうが、読者は、そのようなご託宣など、見たくないのである。そう、これが最初の暴言ではないのである。

以上

 

 

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