囲碁の世界

囲碁の世界に関わる話題です。(希少)

2021年7月 8日 (木)

今日の躓き石 囲碁界に怨念復讐の渦~毎日新聞の「リベンジ」蔓延拡大 再説!!

                           2021/07/08

〇再三の蒸し返し御免
 今回の題材は、毎日新聞大阪朝刊14版総合・社会面記事であり、トップ記事である。「カド番から偉業」と大見出しにあるように、最終局の結果報道であって、全手合いの総括であり、本因坊の普及を頌えていることに何の文句もない。

 ここで取り上げたのは、文中の転換点で、「リベンジマッチ」なる異様な造語が飛びだして、以下、挑戦者視点で語られる回顧である。つまり、伝統の挑戦手合いが、挑戦者にとっては、個人的な復讐戦に過ぎなかったという決めつけであるから、穏やかでないのである。

 何しろ、全国紙毎日新聞の看板の本因坊戦七番勝負の総括であるから、毎日新聞の沽券に関わる、あるいは、主催紙の面目躍如たる報道であろう。長年の読者としては、いくら、署名記事であろうと、個人の責任と逃げて貰っては困るのである。それとも、毎日新聞では、個別の騎射のあげた記事は、無編集、無校閲で紙面を飾るのだろうか。

〇意味不明な「リベンジマッチ」
 それにしても「リベンジマッチ」とは、一介の購読者には何を言いたいのか意味不明である。囲碁界の発明した「業界用語」であるが、無審査、無批判で取り込んでは、全国紙の見識が疑われるのである。それだけでも、紙面掲載を憚られる失態である。

 主旨を念押しすると、「リベンジ」なるカタカナ言葉は、意味が揺らいでいて、原語の「revenge」を辞書で引いて「血の復讐」と理解する人もいるだろうし、現代風に「再挑戦」と読み飛ばす人もいるだろう。こうした訳のわからない、生煮えのカタカナ言葉で世間を汚染するのが、毎日新聞のポリシーなのだろうか。

 不出来な言葉に対して、編集部で誰もダメ出ししなかったのが、まことに不思議である。ここでは、挑戦者は、全年の敗退を個人的に恨んでいて、今回は、「怨念復讐」の場であったという血なまぐさい言葉のように読める。何しろ、今回の挑戦手合いの記事では、初めてではないのである。この調子でいくと、挑戦者は、またぞろ復習の怨念を書き立てて生きていくように、不吉な影を投げかけられているように見える。

 「リベンジ」は、無差別テロを称揚する言葉であり、当ブログの最大の敵なので、しつこくとがめ立てをしているが、ここまで汚い言葉をことさらに目立たせていると、一言言わざるを得ないのである。毎日新聞には、こうした不適当な言葉に対する基準などないのだろうか。
 談話の引用以外であれば、簡単に言い換えられる気がするのである。談話の引用だって、律儀に不適当な言葉を引用・報道しなくても良いように思うのである。

〇 毎日新聞にはびこる悪弊
 今回の記事では、このようなとんでもない不穏当な汚い言葉を担当記者が「創造」した責任は明確であるが、何にしろ、一連の記事で見られる表現の混乱は、目を覆わせるものがある。担当記者は、未熟で、新聞社の基準に従う用語、言い回しをできていないかも知れないから、専門家たる上級記者が、最後の護り人になるべきではないのか。

〇 頂上決戦には頂上報道を
 個人的には、本因坊挑戦手合いは、挑戦者として、その場に立つこと自体が大きな業績と思うのである。挑戦者は、多くの競争相手を退け、全員の思いを背負って登場していると思うのである。決して、個人的な復讐心を表現する場を与えられているのではないのである。いや、これは、一介の素人の意見だから、別に強制したいものではないのだが、一度、考えていただきたい言い分である。

以上

2021年4月13日 (火)

今日の躓き石 囲碁界に怨念復讐の渦~毎日新聞の「リベンジ」蔓延拡大

〇蒸し返し御免
 今回の題材は、毎日新聞大阪夕刊芸能面のトップ記事である。何しろ。見出しの脇に「リベンジしたい」と、堂々と罰当たりな発言が引用されている。十日前の記事のコビー・ペーストでもないだろうが、こうしたことに創意を発揮してほしいものでもないので、当記事は、かなりの部分で蒸し返しである。
 何しろ、全国紙毎日新聞の看板の本因坊戦挑戦者決定記事の見出しであるから、毎日新聞の沽券に関わる、あるいは、主催紙の面目躍如たる報道であろう。

〇意味不明な見出しの不備
 それにしても「リベンジしたい」とは、一介の購読者には、何を言いたいのか意味不明である。
 「リベンジ」なるカタカナ言葉は、意味が揺らいでいて、原語の「revenge」を辞書で引いて「血の復讐」と理解する人もいるだろうし、現代風に「再挑戦」と読み飛ばす人もいるだろうが、今回の両記事の理解には役立たない。訳のわからない言葉で、世間を汚染するのが、毎日新聞のポリシーなのだろうか。

 こうして、二度に亘る不出来な記事に対して、編集部で、誰もダメ出ししなかったのが、まことに不思議である。ここでは、挑戦者はタイトル戦の舞台に立つことが確定しているから、「リベンジ」は、「再挑戦」の意味でなく「怨念復讐」という血なまぐさい言葉のように読める。
 それにしても、「リベンジしたい」とは、血の海に沈めてやり「たい」という「願望」なのだろうか。滅多に見かけない凄まじい言い方である。

 リベンジの害悪は別にして、ここは「したい」ではなく「する」ではないのだろうか。なぜ、誰でもわかる言い方をしないのだろうか。こんな所で、創意を発揮しても仕方ないのではないか。

 持って回った言い方をしなくても、挑戦する以上は、「是非とも勝ちたい」というのではないだろうか。いや、挑戦者もタイトル保持者も、負けたいと思うはずはないから、「勝ちたい」という思いは言うまでもないことなのである。挑戦者は、「結果にこだわらずに打てたら良い」などと、主体性のない、不出来な発言を引用されているから、記者がけしかけたのかも知れないが、「リベンジ」などと、読者がどう解釈したらいいのかわからない「暴言」は不要であり、単に「結果にこだわらずに打ちたい」と明言すれば、何のとがめ立てもあり得ないのである。
 是非、ご自分の発言が、記者の手で歪められたり、捏造されたりしないように、談話には注意いただきたいものである。

 それにしても、タイトル保持者の九連覇目を実現させた前期の敗退を、(自身の力不足と言わず)不当な屈辱と捉えて、今期は、仕返しでぶちのめしてやると言うのはどんな志(こころざし)なのか、大変不審である。普通、このような場合には、「雪辱」とか「仕返し」とか、言わないはずである。

 しつこいとがめ立てであるが、ここまで汚い言葉をことさらに目立たせていると、一言言わざるを得ないのである。毎日新聞には、こうした不適当な言葉に対する基準などないのだろうか。

〇 毎日新聞の談話捏造疑惑
 天下の毎日新聞が、引用している談話から見出しを起こしているから、挑戦者の発言の忠実な報道と見たいところであるが、毎日新聞には、悪しき疑惑が投げかけられている。

 今年の選抜高校野球の事前の報道で、一回戦で対戦すべき東海大関係の二校について、地元記者が地方版サイトで報道している記事の談話に一切ない「リベンジ」を、スポーツ面担当記者が「創造」した事例がある。
 恐らく、関係者に取材しようとしても、毎日新聞の記者には、時間をかけて説明したので、何度も同じ事を言えないと言うことで、十分な取材ができていないと思われるのである。最初から、紙面に何を書くか決めていて、問い詰めたのかも知れない。いずれにしろ、お粗末である。

 この前歴があるので、当記事の発言引用も、記者の勝手な決め込みかも知れないと見ざるを得ないのである。

 つまり、挑戦者の人格を疑わせるようなとんでもない不穏当な汚い言葉の発言を、担当記者が「創造」したのではないかという疑惑は消えないのである。

 何にしろ、この記事で見られる表現の混乱は、目を覆わせるものがある。挑戦者は、文章を全国紙紙面に掲載する訓練を一切されていないし、新聞社の基準に従う用語、言い回しをできていないかも知れないから、専門家たる上級記者が、最後の護り人になるべきではないのか。
 当記事を読者が目にしたとき、見出しの言葉は、挑戦者の品格を疑わせると受け取っても、担当記者の文責とは思わないのである。

〇 頂上決戦には頂上報道を
 「囲碁界の頂上決戦」には、相応しい頂上報道が望まれるのではないだろうか。人ごとながら、大変気がかりである。

〇 蛇足
 いや、正直なところ、今回の記事を何とか読み通して、挑戦者の発言を辿った所で、氏一流の独特の物言いに精一杯歩み寄っても、「何とか勝てるようにしたい」、と言う意味しか出てこない。
 見出しで異様な言葉をぶつけても、記事で解説しないのでは、挑戦者の深意は、到底理解されないのである。新聞報道としては、随分無責任ではないだろうか。

 本因坊をさん付けしかしないのも、挑戦者の世界観が、正統的なものとずれているのを物語っている。本因坊と挑戦者は、対等ではないのである。本因坊を呼ぶのに敬称略では、たまるまい。挑戦者は、「本因坊」は、ただの飾りだと思っているのだろうか。毎日新聞社は、四百年の伝統の重みを託している本因坊の価値を落とされて、それで主催紙として満足なのだろうか。そして、それでは、熱心な読者に失礼ではないのだろうか。

以上

2021年4月 3日 (土)

今日の躓き石 「囲碁界に渦巻く怨念復讐の渦」を思わせる 毎日新聞の「リベンジ」蒸し返し

                             2021/04/03

 今回の題材は、珍しく毎日新聞大阪朝刊総合・社会面の囲碁関係の記事である。

 何しろ、看板の本因坊戦挑戦者決定記事の見出しであるから、全国紙としての面目躍如たる報道であろう。

 それにしては、二期連続「リベンジしたい」とは、何を言いたいのか、意味不明である。編集部で、誰もダメ出ししなかったのが、不思議である。ここでは、どうも、「リベンジ」は、再挑戦の意味でなく、怨念復讐という血なまぐさい言葉のようであるが、「リベンジしたい」とは、血の海に沈めてやり「たい」という「願望」なのだろうか。滅多に見かけない言い方である。「したい」ではなく、「するぞ」ではないのだろうか。なぜ、誰でもわかる言い方をしないのだろうか。
 持って回った言い方をしなくても、挑戦する以上は、「是非とも勝ちたい」というのではないだろうか。いや、挑戦者もタイトル保持者も、負けたいと思うはずはないから、「勝ちたい」という思いは、言うまでもないことなのである。

 それにしても、タイトル保持者の九連覇目を実現させた前期の敗退を、(自身の力不足と言わず)不当な屈辱と捉えて、今期は、仕返しでぶちのめしてやると言うのはどんな志なのか、大変不審である。普通、このような場合には、雪辱とか仕返しとか、言わないはずである。
 しつこいとがめ立てであるが、ここまで、汚い言葉をことさらに目立たせていると、一言言わざるを得ないのである。

 いや、天下の毎日新聞が、引用している談話から見出しを起こしているから、挑戦者の発言の忠実な報道と見たいところであるが、毎日新聞には、今年の選抜の報道で、東海大関係の二校の対戦に際して、地元記者が地方版サイトで報道している談話にない「リベンジ」を、スポーツ面担当記者が「創造」した事例があるので、この発言引用も、勝手な決め込みかも知れないのである。
 挑戦者の人格を疑わせるようなとんでもない不穏当な汚い言葉の発言を、担当記者が「創造」したのではないかという疑惑は消えないのである。

 何にしろ、この記事で見られる表現の混乱は、目を覆わせるものがある。

 「囲碁界の頂上決戦」には、相応しい頂上報道が望まれるのではないだろうか。人ごとながら、大変気がかりである。

以上

2019年7月 1日 (月)

今日の躓き石 囲碁界の品格はどこに~毎日新聞囲碁・将棋スペシャル 現役「レジェンド」の悲喜劇

                2019/07/01
 今回の題材は、毎日新聞朝刊の囲碁・将棋スペシャルの「国際シニア棋戦で優勝 レジェンド16人の頂点に」と題した記事である。

 どうも、囲碁界では、50才を過ぎるとレジェンドの冠を押しつけられるらしい。ベテラン、シニアの呼び方でも、当人は不満のはずが、これではたまったものではないだろう。50で「レジェンド」の茨の冠を戴き「過去の人」になって現役から外れたら、60、70、80、90と続く「余生」をどう生きれば良いのだろうかと、皆さんお困りと思うのである。60才は、まだまだ洟ったれではないのだろうか。
 当方は、原語である英語の伝統的な用法などで判断するから、レジェンドとは、少なくとも、現役を退いた偉人を思うのである。場合によっては、骨董品である。
 これに対して、大会出場棋士は、うろ覚えの囲碁素人から見ても、各国の錚錚たるベテラン勢であるが、たまたまタイトル戦まで勝ち残っていないので報道されないというだけで、第一戦を退いてはいないバリバリの現役と見えるのである。
 思うに、囲碁界は、本当に末長く現役棋士を続けられるから、初老まで続けられないスポーツ選手どころか、お隣の将棋界では中々現役にとどまれない古稀クラスも、立派な現役であるから、囲碁界には、引退宣言しない限り、レジェンドはいないはずである。

 それにしても、大会に参加した中韓台の各国・地域の諸棋士には、確かに、往年の日本囲碁界で大活躍した名棋士も沢山いらっしゃるのだがそうでない方もいらっしゃるので、昭和の囲碁界、つまり、「日本囲碁界の1925ー1988年まで」を牽引したというのが、ふさわしいかどうか疑問なのである。素人目に一応見分けの付く王立誠、王銘琬の両名手は、平成、さらには二十一世紀の人に見えるのだが、どうして、昭和の人なのだろうか。このあたり、随分軽率な言い回しに思えるのである。

 いや、言いたいことは簡単である。なぜ、囲碁界のように知性と伝統を重んじる世界に、年齢勘定の基準が違えば経験者への尊敬の払い方も異なるスポーツ界の悪習が、こうもやすやすと伝染するのかということである。
 品格保持の基準は簡単である。異世界の得体の知れないカタカナ語は、20年経って、言葉の検疫がすんでから見習っても遅くないのである。その頃になっても、皆さんは、まだまだ現役バリバリのはずなのである。

 今回の記事の筆者は、若い頃から高名な名手であると共に、経験学識の豊富な方なので、以上の意見を読んでいただいたら、別の表現にしていただけると思うのである。少なくとも、大事な紙面に、誤解を招く不出来な用語があることは、毎日新聞にとって、不名誉だと理解いただけると信じるからである。。

以上

2018年5月 2日 (水)

今日の躓き石 毎日新聞囲碁欄に 「リベンジマッチ」の悪癖

                 2018/05/02
 今回の題材は、引き続き、毎日新聞朝刊の囲碁欄(観戦記)である。
 
 どうも、署名入りの担当者が、先回の特集記事を埋めたようである。同じ蛮行が紙面に出ている。これまでも、同じ罰当たりな放言をして、天下に恥をさらしていたかも知れないが、当方も、気づかなかったら、批判のしようがないのである。
 
 同じ分野で相次いだ同じ悪用の指摘なので、端折って言うが、囲碁のタイトル戦に、「復讐」、「報復」は無縁と信じるので、担当者が勝手にこのような汚い言葉を編み出して、栄えある紙面に泥を塗っているものと思う。
 
 今後は、どうしてもこういう主旨を、善良な読者に通じにくいカタカナ言葉で言い立てないと自尊心が傷ついて、耐えられないのなら、少なくとも、これまで紙上で見かけていた無害な「リターンマッチ」とでも言い換えるよう、ご自愛いただきたい。(読者に優しい記事は、生煮えのカナカナ語を控えるものと思う)
 
 それにしても、一般記者と観戦記者は、必ずしも同じ文書修行をしていないと思うが、いずれも、伝統ある全国誌の紙面に掲載されるのだから、最低限守るべき規範は、変わらないと思うのである。
 
以上

2017年10月16日 (月)

今日の躓き石 消えない汚染語彙 毎日新聞囲碁記事の「リベンジ」

                            2017/10/16
 本日の題材は、毎日新聞大阪朝刊第12版「くらしナビ」面の囲碁将棋スペシャルコラムである。
 囲碁記事の週であるが、国内第一人者の参戦した世界ペア囲碁のちょっと軟らかな話題で、担当記者の気が緩んだのか、元々緩んでいるのか、和やかな記事というなだらかな散歩道に、失言が躓き石として埋め込まれている。素足なら、足が血まみれになっているところである。

 いや、厳しかるべき囲碁ジャーナリストが、第一人者の言葉として「リベンジ」を引用報道しているのは、困ったものである。

 囲碁界の第一人者、絶対王者も、まだまだ若いから、この言葉を口にするとき、世界に蔓延する血なまぐさい復讐連鎖は、意識に浮かばないのだろうから、言葉の選び方を誤って、禁句を口に出したのかも知れないが、報道のプロが、そのような忌まわしい言葉をそのまま紙面に載せているのは、どういう意図なのか、まことに理解に苦しむ。
 悪意に取るなら、第一人者は、言葉遣いがお粗末だと報道しているのだろうか。そういう人格攻撃の意図なら、まことに陰険である。(スポーツ面には、そうした悪意を見てしまいそうな失言記事が珍しくないので、そう思うのである)

 これは、まことに嫌みな言い方だが、当事者が気分を害して二度と「リベンジ」などと書かないで欲しいという切なる気持ちが言わせているのであるから、別に、この下りに反論して貰う必要はない。この言葉を批判する記事を書き始めてずいぶん経つのだが、こうしてみると記者達の内面にずいぶん深くしみこんだ言葉だから、無意識に近いかたちででてしまうのだろうが、無意識で口に出すから、事は深刻なのである。

 因みに、当方のなじんでいる将棋ジャーナリズムは、専門紙に安直な「リベンジ」が多発して、情けないと思ったものであるが、同紙には「ご意見無用」(謝絶ではなく、記事に批判する奴は、門前払い)の輩が横行していて、紙として批判に耳を貸さない風潮だったから聞き入れなかったのだろうし、同紙が(実質上)廃刊になってからは、毎日新聞の紙面でしか目にしないから、廃語との遭遇機会はずいぶん減ったのである。

以上 

2017年8月21日 (月)

今日の躓き石 毎日新聞囲碁記事に「リベンジ」汚染

                        2017/08/21
 今回の題材は、毎日新聞大阪朝刊第13版社会面記事であるが、担当記者は、囲碁記事の泰斗であり、当ブログ筆者か深く尊敬している方である。

 それにしても、十七歳一か月の新アマ本因坊は、さすがに世間知らずだから、途方もない失言をしても無理が無いと思うのだが、それがそのまま談話として紙面に出ると、気の毒としか言いようがない。ちゃんとたしなめて、紙面に出さない配慮が必要であった。これでは、悪い言葉がはびこりそうである。

 大体が、今回の「リベンジ」は、誤用の感じがする。「本来」の血なまぐさい復讐の意味でなければ、最近若い人に流行っている、再挑戦の意味でもないようである。と言って、本来の意味で使えとは言えないのだが。

 大体、(おそらく)力が及ばなかった前年、前々年の敗退をかてにして「勝って当然なのに、勝てなかった。けしからん、仕返ししてぶっ殺してやる」とやみくもに闘志を掻き立てるのは、体育会系でもたしなめられる、不穏当な発言であり、まさしく世界にはびこる報復合戦を思わせるものである。この際、考え方と言い方を改めて欲しいものである。

 それとも、囲碁界は、やられたらやり返す世界なのだろうか。

 以上、世界から、少しでも、復讐の血なまぐさい言葉を減らしたいと考えているものである。当人達は、不運にして、言葉をただして貰う機会に恵まれなかっただけたと思うのである。だから、名指ししないのであるが、それでは、当人たちの目にとまらない可能性もある。仕方ないところか。

以上

2016年5月11日 (水)

今日の躓き石 囲碁界奇譚~国境を越えた『同級生』の怪

                                                     2016/05/11
 今回は、毎日新聞4/24大阪朝刊の特集記事で、どうとばかり、つんのめることになった。
 つんのめったせいでもないのだが、出し漏れになっていたのを、半月遅れで公開するのである。 

 囲碁界に誕生した七冠王の記事で「世界のライバルたち」と題した囲み記事があるのだが、そこに、中国、韓国の三人が、七冠王と「同級生」だと書かれているのは、どんな意味なのか。不思議が募るばかりで、記事の中身に思いが至らないのである。

 もちろん、ここにあげられた中国、韓国の三人の名棋士が、揃って日本に留学して、日本の教育を受け、七冠王と同じ教室で学んでいたのであれば、何も文句は無いのだが、そうであれば、一種のサクセスストーリーとして書くだろうから、そう書いていないと言うことは、「同級生」の要件を備えていないのだろう。
 毎日新聞の校閲部は、この記事をチェックして良しとしたのだろうか。

 いや、「同級生」には、学齢の同じ者達を総称す「便利な」言い回しとして、良識ある人からの「誤用」非難の猛攻に耐えて、冬の蚊の如くしぶとく出回っているとは聞いているが、この記事のように、国際的な場合は、更なる「誤用」の二階建てという気がする。
 学校年度は、中国では九月開始と聞いているし、韓国では三月開始と聞いているので、どう考えたら、四月開始の日本の教育制度と「同級生」と呼べるのだろう。
 そんな、言葉の超絶曲芸を創始しなくても、単純に、同一年の生まれのものを同年と扱えばいいのではないだろうか。各国制度の調査も要らない、アメリカの場合存在するという各州でのバラツキの調査も要らない。

 それとも、全国紙として、何か、新ルールを編み出したのだろうか。

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2016年1月31日 (日)

今日の躓き石 囲碁界の鈍感さ

                                                                     2016/01/29
 今回の題材は、趣味の将棋界のお隣の囲碁界の話題である。よその内輪の話に口を挟むのは趣味ではないが、将棋欄と囲碁欄は、隣り合わせなので、つい見てしまうし、見て不審に思えば、口に出さざるを得ないのである。
 そうそう、今回の題材は、毎日新聞朝刊の囲碁欄、本因坊挑戦者決定リーグ観戦記である。

 まともに目に入るのが、「ミニベトナム流」の見出しである。ぱっと見、日本囲碁界は、中国、韓国の囲碁界の影響を受けている、と言うか、後塵を拝しているのだが、遂に、ベトナム囲碁界の指導を受けることになったのかと複雑な心境になったのである。「中国流」布石の次は、「ベトナム流」布石であり、世界に認められた「日本流」布石はないものか、などと思ったのである。

 と言うことで、興味を惹かれて記事を読んだのだが、実際は、ベトナムに由来するのではなく、「中国流」布石の分岐らしい。それを、(しゃれで)中国の隣の国がベトナムだから「ベトナム流」と呼んでいるらしい。
 しかし、ベトナム由来でないものをベトナム流と呼ぶのは、熱心な囲碁ファンを含めた一般読者を欺くものであり、「詐称」と呼ぶべきものである。世界に冠たる日本囲碁界のとるべき姿勢ではない。
 もし、そうした呼び方を続けるなら、次は、チベット流、モンゴル流、もっと中国流に近かったら、ウイグル流、とでも呼ぶのだろうか。随分暢気なものだと慨嘆するのである。

 普通、こうした新形は、創始者に敬意を表して、その人の名を冠するのではないだろうか。このままでは、まるで、ベトナム囲碁界がこうした呼び名を提唱したようで、真相が発覚すると、ベトナム囲碁界は、世界の嘲笑を浴びることになりかねない
 日本棋院はベトナム囲碁界に対して、何か恨みでもあるのだろうか。

 それにしても、誰かがこうした言い方を初めても、日本囲碁界の誰か、良識ある人がたしなめそうなものであるが、「日本囲碁界」には、嫌われ役を覚悟で、囲碁界の良心となってたしなめる「良識と気骨のある人」は、いないのだろうか。

 以上の苦言は、当ブログ筆者が、あえて嫌われ役を買って出たのであって、日本棋院から立ち入り禁止になっても、良くないと思ったことについて口をつぐむべきではないと思うのである。

以上

2015年12月30日 (水)

今日の躓き石 六冠王賛

                                  2015/12/30
 今回のテーマは、毎日新聞大阪朝刊の一面を費やした特集記事で、囲碁界の六冠王を讃えるものである。ちょっとした手違いで公開が遅くなったが、本来12月30日の正午公開指定で上げたものである。

 と言っても、批判の蒸し返しではない。確かに、しばらく前の記事で、囲碁界に蔓延る「ポスト」称号の不吉な響きに異を唱えたが、ああした記事は、一度で沢山である。
 今回は、適切な記事をちゃんと褒めておきたいのである。

 この記事全体を流れるのは、過不足のない書きぶりであるが、他を圧倒する強さは、別に筆を踊らせなくても、素人の目にもわかる絶品であり、長く輝き続けて欲しい光と思わせるものがある。

 六冠王に負けた棋士達も、別に斬られ役に甘んじているわけではなく、それこそ、悔しさの塊になっているだろうが、強い者に負けたら、自分がもっと強くなって勝ってみせたいというのが気概というものであり、それが、目前にそびえる六冠王を克服し、世界制覇へと繋がると思うものである。

 いや、なかなか意義のある記事を読ませていただいたものである。

 追記: 新年早々の囲碁欄も、見出しに「井山を追う世代」と、若手の台頭に明るい希望を持たせるものであった。拍手、拍手。
 観戦記は、こうありたいものである。

 それに引き替え、お隣の将棋欄では、またまた、ご高説をたれる観戦記が登場してげっそりしているのだが、まあ、ご本人は、尊大さをと自覚していないのだろうから、仕方ないところである。

以上

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