囲碁の世界

囲碁の世界に関わる話題です。(希少)

2024年4月14日 (日)

今日の躓き石 囲碁女流が罹患した「リベンジ」悪疫 毎日新聞の手落ち

                  2024/04/14
 本日の題材は、毎日新聞大阪12版「くらしナビ」面の「囲碁将棋スペシャル」である。今回は、囲碁棋士の紹介であるが、「悔しさをバネに」と添え書きして、国際棋戦決勝進出のサクセスストーリーと見える。

 それで済めばよかったのだが、2年前に一回戦敗退したときの感慨として、「次に機会があればリベンジしたい」との思いを語っていて、大きく暗転している。担当記者は、既に悔しさをバネにと地の文で、程のよい決めことばを使ったために、つい、使ってはいけないことばを出してしまったのだろうが、折角の記事に泥を塗っているのは、プロらしからぬ不用意な失言と見える。この記事では、別に、主人公の発言をそのまま出さなくても良いはずである。それが、今後、永く読み返されるであろう重大な紹介記事で、このように失言を曝すのは随分残酷である。単に「借りを返したい」と言ったことにしておけばいいのである。別に「次は、ぶち殺して血染めにしてやる」と言わなくてもいいはずである。

 このあたり、担当記者の語彙が影響しているようである。「私はメンタルが強くない」とのぼやきも、不用意なカタカナ語で、主人公に残念なものなのが目を引く。直後に「勝ちたい気持ちが強くなりすぎると力んで実力が発揮できなくなる」と噛み砕いているが、まとめて「気負いがち」という言い方で、もっと切実に読者につながると思うのである。
 それなら、口数は少なくて済み、先ほどの失言と裏腹の落ち着いた言葉遣いである。ここは、速報で無く紙上囲み記事であるから、落ち着いて読み返して推敲すれば良いはずである。
 辛口で言うと、力んだら冷静な判断ができなくなるのも「実力」のうちというのが、プロの意見と思うのである。『どんなときにも緊張感が保たれていて、しかも、気負いがないのが「最強のメンタル」』との勝手な素人考えは、外野の野次馬の寝言として聞き流していただいて結構である。

 加えて、末尾で「私は意識しない方が良い結果が出る」と言う趣旨が、少し崩れた現代風の言葉遣いで語られているが、世界のトップレベルで戦う一流棋士が最早若者言葉でもあるまいと感じさせるのである。

 ということで、今回の記事に関しては担当記者に、今後一段の努力を戴いて、主人公が「淡々と自分のベストを尽くす」のを支援戴きたいものである。

以上

2023年7月21日 (金)

私の感想 毎日新聞 囲碁 UP TO DATE 「AIとの付き合い、手探り」

AIとの付き合い、手探り 佐田七段「ワンパターンは危険」      2023/07/20 

*始めに
 本日朝刊の「囲碁AI」談義は、専門課が、担当記者の問いかけに適確に応じた興味深い掘り下げが聞けて、秀逸であった。引き合いに出すのも何だが、小生の同窓生である老論客(単なる「ド素人」)は、軽率にも、将棋が勝負の争いで明確なのに対して、囲碁は数の争いで、肝心の臨界値が時代に流された「コミ」で変動しているから、勝敗の敷居があやふやだと勝手に評していて、認識不足は正したものの、これが世間の見る眼かとあきらめたものである。
 素人目には、将棋では、「リスク意識の無いAI」にとって、勝敗は一手の差であるから、当然「先手有利」との「定理」しか無いが、最終盤に至る「読み」では、自分の迷いやすい手筋、相手の間違いやすい手筋が入り交じって、一手、一手の手の「色合い」、質が違うので、安直な数値化を超えていると思う。
 おかげで、名手・達人の争いは、最終盤に大差と評価されても逆転の道が至る所に潜んでいる。時には、まだ先が長いと見えても、回復の余地も可能性もないと見えて、淡白に幕を閉じているように見える。

 素人考えで恐縮だが、AIが、偽物でない本物の「知性」を言うのであれば、(人の)知性を真似るべきでは無いかと思われる。古人に従うなら、指してだけ見て、人の考えか、そうでないか「区別」が付かなくなって、始めて、「知性」と認知されるものである。

*「コスパ」で幻滅
 当記事は、専門記者が、専門家に念入りに相談して、丁寧に書き上げた力作であり、味わい深いものであったが、締めの部分で、当の専門家が、「コスパ」なるインチキカタカナ語を持ち込んで、結末が尻すぼみと見えた。

 その道の専門家が言うのだから、分母に来るべき「コスト」は、使用料などでは無く注ぎ込む思考努力だろうが、個人差が厖大なのにどうやって数値化するのだろうか。例えば、当方は、囲碁に関しては、ド素人である。

 また、分子に来るべき「パフォーマンス」は、何を数値化するのだろうか。獲得賞金額なのだろうか。いかにも、即物的で興ざめである。
 対局中に、囲碁AIを援用することはできないから、専門家の内部にある「棋力」に貢献する事だろうか。それをどのように数値化するのだろうか。あるいは、複数の囲碁AIを比較して品定めしたのだろうか、不思議である。

 分母も分子も不明では、囲碁AIの「コスパ」の科学的評価は不可能と見える。専門家の数値化明細を知りたいものである。

*「囲碁AI論」待望
 冒頭にあるように、世間には、囲碁の勝負は数値で示される成果が「コミ」で調整されるから、確固たる勝敗判断が存在しないと感じている素人野次馬を見受ける。将来、AIによって整理された挙げ句に、先手勝率が高いことになりコミを変えるとなると、議論の芯がずれてしまうように思う。
 将棋界では、羽生善治永世七冠が、かねてより、人工知能が将棋界に及ぼす影響に至言を示しているが、囲碁界は、まだ、人と人が対局する舞台が、AIによってどのように影響されるかについて、定見が出せていないように見える。もっとも、将棋観戦記では「ソフト」評価値など、前世紀の概念が目だつから、将棋界の技術評論の大勢は、まだ、AIに対応できていないとも見える。

*締めくくり
 いや、当記事は、全体として、囲碁界が、AI論に於いて着実に歩んでいるようにも見えるが、タイトルで自認されているように、結末がもう一つである。
 全国紙の専門記者には、今後とも、深く切り込んだ考察を求めたいものである。

                                以上

2021年7月 8日 (木)

今日の躓き石 囲碁界に怨念復讐の渦~毎日新聞の「リベンジ」蔓延拡大 再説!!

                           2021/07/08

〇再三の蒸し返し御免
 今回の題材は、毎日新聞大阪朝刊14版総合・社会面記事であり、トップ記事である。「カド番から偉業」と大見出しにあるように、最終局の結果報道であって、全手合いの総括であり、本因坊の普及を頌えていることに何の文句もない。

 ここで取り上げたのは、文中の転換点で、「リベンジマッチ」なる異様な造語が飛びだして、以下、挑戦者視点で語られる回顧である。つまり、伝統の挑戦手合いが、挑戦者にとっては、個人的な復讐戦に過ぎなかったという決めつけであるから、穏やかでないのである。

 何しろ、全国紙毎日新聞の看板の本因坊戦七番勝負の総括であるから、毎日新聞の沽券に関わる、あるいは、主催紙の面目躍如たる報道であろう。長年の読者としては、いくら、署名記事であろうと、個人の責任と逃げて貰っては困るのである。それとも、毎日新聞では、個別の騎射のあげた記事は、無編集、無校閲で紙面を飾るのだろうか。

〇意味不明な「リベンジマッチ」
 それにしても「リベンジマッチ」とは、一介の購読者には何を言いたいのか意味不明である。囲碁界の発明した「業界用語」であるが、無審査、無批判で取り込んでは、全国紙の見識が疑われるのである。それだけでも、紙面掲載を憚られる失態である。

 主旨を念押しすると、「リベンジ」なるカタカナ言葉は、意味が揺らいでいて、原語の「revenge」を辞書で引いて「血の復讐」と理解する人もいるだろうし、現代風に「再挑戦」と読み飛ばす人もいるだろう。こうした訳のわからない、生煮えのカタカナ言葉で世間を汚染するのが、毎日新聞のポリシーなのだろうか。

 不出来な言葉に対して、編集部で誰もダメ出ししなかったのが、まことに不思議である。ここでは、挑戦者は、全年の敗退を個人的に恨んでいて、今回は、「怨念復讐」の場であったという血なまぐさい言葉のように読める。何しろ、今回の挑戦手合いの記事では、初めてではないのである。この調子でいくと、挑戦者は、またぞろ復習の怨念を書き立てて生きていくように、不吉な影を投げかけられているように見える。

 「リベンジ」は、無差別テロを称揚する言葉であり、当ブログの最大の敵なので、しつこくとがめ立てをしているが、ここまで汚い言葉をことさらに目立たせていると、一言言わざるを得ないのである。毎日新聞には、こうした不適当な言葉に対する基準などないのだろうか。
 談話の引用以外であれば、簡単に言い換えられる気がするのである。談話の引用だって、律儀に不適当な言葉を引用・報道しなくても良いように思うのである。

〇 毎日新聞にはびこる悪弊
 今回の記事では、このようなとんでもない不穏当な汚い言葉を担当記者が「創造」した責任は明確であるが、何にしろ、一連の記事で見られる表現の混乱は、目を覆わせるものがある。担当記者は、未熟で、新聞社の基準に従う用語、言い回しをできていないかも知れないから、専門家たる上級記者が、最後の護り人になるべきではないのか。

〇 頂上決戦には頂上報道を
 個人的には、本因坊挑戦手合いは、挑戦者として、その場に立つこと自体が大きな業績と思うのである。挑戦者は、多くの競争相手を退け、全員の思いを背負って登場していると思うのである。決して、個人的な復讐心を表現する場を与えられているのではないのである。いや、これは、一介の素人の意見だから、別に強制したいものではないのだが、一度、考えていただきたい言い分である。

以上

2021年4月13日 (火)

今日の躓き石 囲碁界に怨念復讐の渦~毎日新聞の「リベンジ」蔓延拡大

〇蒸し返し御免
 今回の題材は、毎日新聞大阪夕刊芸能面のトップ記事である。何しろ。見出しの脇に「リベンジしたい」と、堂々と罰当たりな発言が引用されている。十日前の記事のコビー・ペーストでもないだろうが、こうしたことに創意を発揮してほしいものでもないので、当記事は、かなりの部分で蒸し返しである。
 何しろ、全国紙毎日新聞の看板の本因坊戦挑戦者決定記事の見出しであるから、毎日新聞の沽券に関わる、あるいは、主催紙の面目躍如たる報道であろう。

〇意味不明な見出しの不備
 それにしても「リベンジしたい」とは、一介の購読者には、何を言いたいのか意味不明である。
 「リベンジ」なるカタカナ言葉は、意味が揺らいでいて、原語の「revenge」を辞書で引いて「血の復讐」と理解する人もいるだろうし、現代風に「再挑戦」と読み飛ばす人もいるだろうが、今回の両記事の理解には役立たない。訳のわからない言葉で、世間を汚染するのが、毎日新聞のポリシーなのだろうか。

 こうして、二度に亘る不出来な記事に対して、編集部で、誰もダメ出ししなかったのが、まことに不思議である。ここでは、挑戦者はタイトル戦の舞台に立つことが確定しているから、「リベンジ」は、「再挑戦」の意味でなく「怨念復讐」という血なまぐさい言葉のように読める。
 それにしても、「リベンジしたい」とは、血の海に沈めてやり「たい」という「願望」なのだろうか。滅多に見かけない凄まじい言い方である。

 リベンジの害悪は別にして、ここは「したい」ではなく「する」ではないのだろうか。なぜ、誰でもわかる言い方をしないのだろうか。こんな所で、創意を発揮しても仕方ないのではないか。

 持って回った言い方をしなくても、挑戦する以上は、「是非とも勝ちたい」というのではないだろうか。いや、挑戦者もタイトル保持者も、負けたいと思うはずはないから、「勝ちたい」という思いは言うまでもないことなのである。挑戦者は、「結果にこだわらずに打てたら良い」などと、主体性のない、不出来な発言を引用されているから、記者がけしかけたのかも知れないが、「リベンジ」などと、読者がどう解釈したらいいのかわからない「暴言」は不要であり、単に「結果にこだわらずに打ちたい」と明言すれば、何のとがめ立てもあり得ないのである。
 是非、ご自分の発言が、記者の手で歪められたり、捏造されたりしないように、談話には注意いただきたいものである。

 それにしても、タイトル保持者の九連覇目を実現させた前期の敗退を、(自身の力不足と言わず)不当な屈辱と捉えて、今期は、仕返しでぶちのめしてやると言うのはどんな志(こころざし)なのか、大変不審である。普通、このような場合には、「雪辱」とか「仕返し」とか、言わないはずである。

 しつこいとがめ立てであるが、ここまで汚い言葉をことさらに目立たせていると、一言言わざるを得ないのである。毎日新聞には、こうした不適当な言葉に対する基準などないのだろうか。

〇 毎日新聞の談話捏造疑惑
 天下の毎日新聞が、引用している談話から見出しを起こしているから、挑戦者の発言の忠実な報道と見たいところであるが、毎日新聞には、悪しき疑惑が投げかけられている。

 今年の選抜高校野球の事前の報道で、一回戦で対戦すべき東海大関係の二校について、地元記者が地方版サイトで報道している記事の談話に一切ない「リベンジ」を、スポーツ面担当記者が「創造」した事例がある。
 恐らく、関係者に取材しようとしても、毎日新聞の記者には、時間をかけて説明したので、何度も同じ事を言えないと言うことで、十分な取材ができていないと思われるのである。最初から、紙面に何を書くか決めていて、問い詰めたのかも知れない。いずれにしろ、お粗末である。

 この前歴があるので、当記事の発言引用も、記者の勝手な決め込みかも知れないと見ざるを得ないのである。

 つまり、挑戦者の人格を疑わせるようなとんでもない不穏当な汚い言葉の発言を、担当記者が「創造」したのではないかという疑惑は消えないのである。

 何にしろ、この記事で見られる表現の混乱は、目を覆わせるものがある。挑戦者は、文章を全国紙紙面に掲載する訓練を一切されていないし、新聞社の基準に従う用語、言い回しをできていないかも知れないから、専門家たる上級記者が、最後の護り人になるべきではないのか。
 当記事を読者が目にしたとき、見出しの言葉は、挑戦者の品格を疑わせると受け取っても、担当記者の文責とは思わないのである。

〇 頂上決戦には頂上報道を
 「囲碁界の頂上決戦」には、相応しい頂上報道が望まれるのではないだろうか。人ごとながら、大変気がかりである。

〇 蛇足
 いや、正直なところ、今回の記事を何とか読み通して、挑戦者の発言を辿った所で、氏一流の独特の物言いに精一杯歩み寄っても、「何とか勝てるようにしたい」、と言う意味しか出てこない。
 見出しで異様な言葉をぶつけても、記事で解説しないのでは、挑戦者の深意は、到底理解されないのである。新聞報道としては、随分無責任ではないだろうか。

 本因坊をさん付けしかしないのも、挑戦者の世界観が、正統的なものとずれているのを物語っている。本因坊と挑戦者は、対等ではないのである。本因坊を呼ぶのに敬称略では、たまるまい。挑戦者は、「本因坊」は、ただの飾りだと思っているのだろうか。毎日新聞社は、四百年の伝統の重みを託している本因坊の価値を落とされて、それで主催紙として満足なのだろうか。そして、それでは、熱心な読者に失礼ではないのだろうか。

以上

2021年4月 3日 (土)

今日の躓き石 「囲碁界に渦巻く怨念復讐の渦」を思わせる 毎日新聞の「リベンジ」蒸し返し

                             2021/04/03

 今回の題材は、珍しく毎日新聞大阪朝刊総合・社会面の囲碁関係の記事である。

 何しろ、看板の本因坊戦挑戦者決定記事の見出しであるから、全国紙としての面目躍如たる報道であろう。

 それにしては、二期連続「リベンジしたい」とは、何を言いたいのか、意味不明である。編集部で、誰もダメ出ししなかったのが、不思議である。ここでは、どうも、「リベンジ」は、再挑戦の意味でなく、怨念復讐という血なまぐさい言葉のようであるが、「リベンジしたい」とは、血の海に沈めてやり「たい」という「願望」なのだろうか。滅多に見かけない言い方である。「したい」ではなく、「するぞ」ではないのだろうか。なぜ、誰でもわかる言い方をしないのだろうか。
 持って回った言い方をしなくても、挑戦する以上は、「是非とも勝ちたい」というのではないだろうか。いや、挑戦者もタイトル保持者も、負けたいと思うはずはないから、「勝ちたい」という思いは、言うまでもないことなのである。

 それにしても、タイトル保持者の九連覇目を実現させた前期の敗退を、(自身の力不足と言わず)不当な屈辱と捉えて、今期は、仕返しでぶちのめしてやると言うのはどんな志なのか、大変不審である。普通、このような場合には、雪辱とか仕返しとか、言わないはずである。
 しつこいとがめ立てであるが、ここまで、汚い言葉をことさらに目立たせていると、一言言わざるを得ないのである。

 いや、天下の毎日新聞が、引用している談話から見出しを起こしているから、挑戦者の発言の忠実な報道と見たいところであるが、毎日新聞には、今年の選抜の報道で、東海大関係の二校の対戦に際して、地元記者が地方版サイトで報道している談話にない「リベンジ」を、スポーツ面担当記者が「創造」した事例があるので、この発言引用も、勝手な決め込みかも知れないのである。
 挑戦者の人格を疑わせるようなとんでもない不穏当な汚い言葉の発言を、担当記者が「創造」したのではないかという疑惑は消えないのである。

 何にしろ、この記事で見られる表現の混乱は、目を覆わせるものがある。

 「囲碁界の頂上決戦」には、相応しい頂上報道が望まれるのではないだろうか。人ごとながら、大変気がかりである。

以上

2019年7月 1日 (月)

今日の躓き石 囲碁界の品格はどこに~毎日新聞囲碁・将棋スペシャル 現役「レジェンド」の悲喜劇

                2019/07/01
 今回の題材は、毎日新聞朝刊の囲碁・将棋スペシャルの「国際シニア棋戦で優勝 レジェンド16人の頂点に」と題した記事である。

 どうも、囲碁界では、50才を過ぎるとレジェンドの冠を押しつけられるらしい。ベテラン、シニアの呼び方でも、当人は不満のはずが、これではたまったものではないだろう。50で「レジェンド」の茨の冠を戴き「過去の人」になって現役から外れたら、60、70、80、90と続く「余生」をどう生きれば良いのだろうかと、皆さんお困りと思うのである。60才は、まだまだ洟ったれではないのだろうか。
 当方は、原語である英語の伝統的な用法などで判断するから、レジェンドとは、少なくとも、現役を退いた偉人を思うのである。場合によっては、骨董品である。
 これに対して、大会出場棋士は、うろ覚えの囲碁素人から見ても、各国の錚錚たるベテラン勢であるが、たまたまタイトル戦まで勝ち残っていないので報道されないというだけで、第一戦を退いてはいないバリバリの現役と見えるのである。
 思うに、囲碁界は、本当に末長く現役棋士を続けられるから、初老まで続けられないスポーツ選手どころか、お隣の将棋界では中々現役にとどまれない古稀クラスも、立派な現役であるから、囲碁界には、引退宣言しない限り、レジェンドはいないはずである。

 それにしても、大会に参加した中韓台の各国・地域の諸棋士には、確かに、往年の日本囲碁界で大活躍した名棋士も沢山いらっしゃるのだがそうでない方もいらっしゃるので、昭和の囲碁界、つまり、「日本囲碁界の1925ー1988年まで」を牽引したというのが、ふさわしいかどうか疑問なのである。素人目に一応見分けの付く王立誠、王銘琬の両名手は、平成、さらには二十一世紀の人に見えるのだが、どうして、昭和の人なのだろうか。このあたり、随分軽率な言い回しに思えるのである。

 いや、言いたいことは簡単である。なぜ、囲碁界のように知性と伝統を重んじる世界に、年齢勘定の基準が違えば経験者への尊敬の払い方も異なるスポーツ界の悪習が、こうもやすやすと伝染するのかということである。
 品格保持の基準は簡単である。異世界の得体の知れないカタカナ語は、20年経って、言葉の検疫がすんでから見習っても遅くないのである。その頃になっても、皆さんは、まだまだ現役バリバリのはずなのである。

 今回の記事の筆者は、若い頃から高名な名手であると共に、経験学識の豊富な方なので、以上の意見を読んでいただいたら、別の表現にしていただけると思うのである。少なくとも、大事な紙面に、誤解を招く不出来な用語があることは、毎日新聞にとって、不名誉だと理解いただけると信じるからである。。

以上

2018年5月 2日 (水)

今日の躓き石 毎日新聞囲碁欄に 「リベンジマッチ」の悪癖

                 2018/05/02
 今回の題材は、引き続き、毎日新聞朝刊の囲碁欄(観戦記)である。
 
 どうも、署名入りの担当者が、先回の特集記事を埋めたようである。同じ蛮行が紙面に出ている。これまでも、同じ罰当たりな放言をして、天下に恥をさらしていたかも知れないが、当方も、気づかなかったら、批判のしようがないのである。
 
 同じ分野で相次いだ同じ悪用の指摘なので、端折って言うが、囲碁のタイトル戦に、「復讐」、「報復」は無縁と信じるので、担当者が勝手にこのような汚い言葉を編み出して、栄えある紙面に泥を塗っているものと思う。
 
 今後は、どうしてもこういう主旨を、善良な読者に通じにくいカタカナ言葉で言い立てないと自尊心が傷ついて、耐えられないのなら、少なくとも、これまで紙上で見かけていた無害な「リターンマッチ」とでも言い換えるよう、ご自愛いただきたい。(読者に優しい記事は、生煮えのカナカナ語を控えるものと思う)
 
 それにしても、一般記者と観戦記者は、必ずしも同じ文書修行をしていないと思うが、いずれも、伝統ある全国誌の紙面に掲載されるのだから、最低限守るべき規範は、変わらないと思うのである。
 
以上

2017年10月16日 (月)

今日の躓き石 消えない汚染語彙 毎日新聞囲碁記事の「リベンジ」

                            2017/10/16
 本日の題材は、毎日新聞大阪朝刊第12版「くらしナビ」面の囲碁将棋スペシャルコラムである。
 囲碁記事の週であるが、国内第一人者の参戦した世界ペア囲碁のちょっと軟らかな話題で、担当記者の気が緩んだのか、元々緩んでいるのか、和やかな記事というなだらかな散歩道に、失言が躓き石として埋め込まれている。素足なら、足が血まみれになっているところである。

 いや、厳しかるべき囲碁ジャーナリストが、第一人者の言葉として「リベンジ」を引用報道しているのは、困ったものである。

 囲碁界の第一人者、絶対王者も、まだまだ若いから、この言葉を口にするとき、世界に蔓延する血なまぐさい復讐連鎖は、意識に浮かばないのだろうから、言葉の選び方を誤って、禁句を口に出したのかも知れないが、報道のプロが、そのような忌まわしい言葉をそのまま紙面に載せているのは、どういう意図なのか、まことに理解に苦しむ。
 悪意に取るなら、第一人者は、言葉遣いがお粗末だと報道しているのだろうか。そういう人格攻撃の意図なら、まことに陰険である。(スポーツ面には、そうした悪意を見てしまいそうな失言記事が珍しくないので、そう思うのである)

 これは、まことに嫌みな言い方だが、当事者が気分を害して二度と「リベンジ」などと書かないで欲しいという切なる気持ちが言わせているのであるから、別に、この下りに反論して貰う必要はない。この言葉を批判する記事を書き始めてずいぶん経つのだが、こうしてみると記者達の内面にずいぶん深くしみこんだ言葉だから、無意識に近いかたちででてしまうのだろうが、無意識で口に出すから、事は深刻なのである。

 因みに、当方のなじんでいる将棋ジャーナリズムは、専門紙に安直な「リベンジ」が多発して、情けないと思ったものであるが、同紙には「ご意見無用」(謝絶ではなく、記事に批判する奴は、門前払い)の輩が横行していて、紙として批判に耳を貸さない風潮だったから聞き入れなかったのだろうし、同紙が(実質上)廃刊になってからは、毎日新聞の紙面でしか目にしないから、廃語との遭遇機会はずいぶん減ったのである。

以上 

2017年8月21日 (月)

今日の躓き石 毎日新聞囲碁記事に「リベンジ」汚染

                        2017/08/21
 今回の題材は、毎日新聞大阪朝刊第13版社会面記事であるが、担当記者は、囲碁記事の泰斗であり、当ブログ筆者か深く尊敬している方である。

 それにしても、十七歳一か月の新アマ本因坊は、さすがに世間知らずだから、途方もない失言をしても無理が無いと思うのだが、それがそのまま談話として紙面に出ると、気の毒としか言いようがない。ちゃんとたしなめて、紙面に出さない配慮が必要であった。これでは、悪い言葉がはびこりそうである。

 大体が、今回の「リベンジ」は、誤用の感じがする。「本来」の血なまぐさい復讐の意味でなければ、最近若い人に流行っている、再挑戦の意味でもないようである。と言って、本来の意味で使えとは言えないのだが。

 大体、(おそらく)力が及ばなかった前年、前々年の敗退をかてにして「勝って当然なのに、勝てなかった。けしからん、仕返ししてぶっ殺してやる」とやみくもに闘志を掻き立てるのは、体育会系でもたしなめられる、不穏当な発言であり、まさしく世界にはびこる報復合戦を思わせるものである。この際、考え方と言い方を改めて欲しいものである。

 それとも、囲碁界は、やられたらやり返す世界なのだろうか。

 以上、世界から、少しでも、復讐の血なまぐさい言葉を減らしたいと考えているものである。当人達は、不運にして、言葉をただして貰う機会に恵まれなかっただけたと思うのである。だから、名指ししないのであるが、それでは、当人たちの目にとまらない可能性もある。仕方ないところか。

以上

2016年5月11日 (水)

今日の躓き石 囲碁界奇譚~国境を越えた『同級生』の怪

                                                     2016/05/11
 今回は、毎日新聞4/24大阪朝刊の特集記事で、どうとばかり、つんのめることになった。
 つんのめったせいでもないのだが、出し漏れになっていたのを、半月遅れで公開するのである。 

 囲碁界に誕生した七冠王の記事で「世界のライバルたち」と題した囲み記事があるのだが、そこに、中国、韓国の三人が、七冠王と「同級生」だと書かれているのは、どんな意味なのか。不思議が募るばかりで、記事の中身に思いが至らないのである。

 もちろん、ここにあげられた中国、韓国の三人の名棋士が、揃って日本に留学して、日本の教育を受け、七冠王と同じ教室で学んでいたのであれば、何も文句は無いのだが、そうであれば、一種のサクセスストーリーとして書くだろうから、そう書いていないと言うことは、「同級生」の要件を備えていないのだろう。
 毎日新聞の校閲部は、この記事をチェックして良しとしたのだろうか。

 いや、「同級生」には、学齢の同じ者達を総称す「便利な」言い回しとして、良識ある人からの「誤用」非難の猛攻に耐えて、冬の蚊の如くしぶとく出回っているとは聞いているが、この記事のように、国際的な場合は、更なる「誤用」の二階建てという気がする。
 学校年度は、中国では九月開始と聞いているし、韓国では三月開始と聞いているので、どう考えたら、四月開始の日本の教育制度と「同級生」と呼べるのだろう。
 そんな、言葉の超絶曲芸を創始しなくても、単純に、同一年の生まれのものを同年と扱えばいいのではないだろうか。各国制度の調査も要らない、アメリカの場合存在するという各州でのバラツキの調査も要らない。

 それとも、全国紙として、何か、新ルールを編み出したのだろうか。

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