倭人伝随想

倭人伝に関する随想のまとめ書きです。

2023年2月 7日 (火)

新・私の本棚 番外 ブログ記事 sinfu「卑弥呼はすでにお婆ちゃん?」

卑弥呼はすでにお婆ちゃん? 「中国語学習と邪馬台国研究と家電修理等」 2022-08-28
私の見立て ★★★☆☆ 丁寧な労作 ただし前途遼遠      2023/02/07

◯はじめに
 別記事の総まとめの補習授業です。改行削減御免。
*補足(2023/02/09)言い忘れの追記です。
 「お婆ちゃん」は、大変な、重大な勘違いです。生涯不婚の巫女(みこ)には、「お婆ちゃん」と親しんでくれる孫は、「一人もいない」のです。もっと、丁寧に書くことをお勧めします。

*引用とコメント
(卑弥呼)年已長大
広く一般に解釈されている説は もうすでに年老いてる、すでに年寄りだ、すでに年取ってる、のように解釈されていて 私も、 テレビ·雑誌·書籍等で多くはそのように説明されていたので いままで卑弥呼の年齢はすでに高齢だと思っていました。

*「広く一般に」と国民大勢めかしていますが、卑弥呼論義は、「極めて限定」されているでしょう。それとも、数で数えるのでなく、目方で量るのでしょうか。大勢の人の「解釈」が、なぜわかるのでしょうか。いい加減なことを行って風評を掻き立てている人の口まねは、感心しないのです。

しかし 中国人にこの箇所を確認したら すでに年老いてる、すでに年寄りだ、すでに年取ってる、すでに高齢 の意味にはならないという

*どんな中国人に聞いたか不明です。意味を知りたかったら、辞典で「長大」を引くものでしょう。

素直に解釈すれば すでに大きくなっている、すでに成人してるのイメージだという

「イメージ」は、インチキカタカナ語ですが何の意味でしょうか。中国人も同病なのか。「大丈夫」ですか?「もう子供じゃない」が普通の表現です。中国人が『素直』とは、初耳です。

すでに年取ってるなら(卑弥呼)年已長老と 老の単語を使うとどの中国人も教えてくれます

*どんな「中国人」ですか。十億(十万万)人の意見は、聞けるはずがないでしょう。日本語側で言うと、『すでに年取っている』との日本語表現はありません。

年已長大は、その人がイメージしているより大人になってる場合、たとえば幼い時を知ってるがその後久しぶりに会って、成長して大きくなった姿を見れば長大を使うし、ただ単に長大をつかえば成人しているイメージの様です

一つ目の「イメージしている」は、「想像している」なのでしょうが、二つ目は「絵姿」のようです。英語で、「image」は、主の御子の姿のことです。それにしても、『その人』とは、どの人でしょうか。

この箇所、年已長大のこの後に,無夫婿、夫(婿)は、いないという言葉があり、
子供じゃなく卑弥呼はもうすでに成人した女性だが結婚はまだしてない(旦那はまだいない)ということを伝えたかったのだと思います

古代上流社会で、女性は早婚であり、成人となっていても、配偶者がいなくて実家の親元にいるというのは、未婚(まだ)ではなく、(当然)不婚の意味と解されます。勿論、嫁ぎ先で、旦那をなくした後家さん、つまり、婚家を継いで、残された子供を後見しているという意味は、全くありません。

確かに『卑弥呼は歳をとってお婆ちゃんだが、夫はいない』とは一般的には言わないし、書かない。その様な訳では文章的に意味がおかしいので、やはり 『卑弥呼はすでに適齢期を迎えていたが夫はまだいない』という風に解釈したほうがいいかもしれません。

すでに適齢期」と「文章的に意味がどうこう」は、日本語として理解困難です。それ以前に、『國』を代表する女王に対して『歳をとってお婆ちゃんだが、夫はいない』の侮辱発言は、親魏倭王に列されている高貴な女性に対して、『根本的にあり得ない」のです。タレントのゴシップをSNSに曝しているのではないので、失礼にならないようにご注意下さい。

私が不思議に思うのはなぜ「卑弥呼はすでに成長(成人)している」と解釈した人が居たと思いますが、その人達の説はキャンセルされて、「卑弥呼はすでに高齢である」と解釈をした人達の説が何故まかり通ったかということです。

東夷の一部で文章理解に関係ない「卑弥呼」像が「相伝」されています。「長大」は、「成人する」(最近成人した)「動詞」で、已に/早々に誤解です。それにしても、勝手な「キャンセル」で、損料は発生しなかったのでしょうか。意図/意味不明です。
 まかり通ったと見えるのは、「人達」が、公道(Highway)の真ん中でのさばっているからであり、別に「まかり通って」いるのではありません。まかり通っているのなら、とうにどこかに着いているはずですが、どんより居座っているだけなので、何も変わらないのです。

今ネット上でもこの件とは関係なく、いろいろ情報が有りすぎてどれが本当で、どれがフェイクなのか 問題になっていますが

*「ネット」は「全く」無関係です。すべて真偽の判断が必要です。それにしても「有りすぎ」は賞賛か。困った風潮です。

ネットのない時代に (卑弥呼)年已長大→(卑弥呼)すでに年老いてる。のような間違った情報(解釈)がどうして拡散してしまったのか(まかり通ってしまったのか)? 私にはとても気になる疑問の一つです。

*疑問を持っていただけのはずが、いつの間にか、「間違っている」と一刀両断していて、奇怪です
 推定できるように、信念の人は「間違っている」と自省しないので、延々と俗耳、つまり、批判力のない一般の方に刷り込んで相伝しているからです。貴兄は、そのような祖師体制と縁が薄いと見えるので、ここでえらそうに「指導」しています。

 卑弥呼若年説は、とりあえずは、古田武彦氏の提言で有名であり、無断引用は失礼です。勿論、賛同している方は、一人や二人ではありませんが、何人いるか知らないし、身体検査もしていないので、数的にも量的にも、そして、一番肝心な質的にも、評価しようがありませんので、同説の評価に繋がる表現は控えます。

 以上の「先生」は、現代の日本語でも中国語でもなく、本来の意味である「先に生まれた年上の人」、「年長者」というだけです。古代中国語で、「老」は、豊かな知識をもち尊敬を集めている年長者という意味で大変な尊称です。

                                以上

2023年2月 4日 (土)

新・私の本棚 番外 ブログ記事 sinfu「光正解釈説 総纏集」 1/10

光正解釈説 総纏集 「中国語学習と邪馬台国研究と家電修理等」2018-04-16 13:20:00
私の見立て ★★★☆☆ 丁寧な労作 ただし前途遼遠      2023/02/03

◯総評
 世上の諸論で、本論は、珍しく「定説」の悪影響が少ないのに大変感心した。ただし、未熟な点が多くこれほどの明確な提言が、五年にわたって放置されているようなので、ほっておけないので、勝手に「指導」することにした。せめて、論議の対象になる「大人」(おとな)の論義の形にしてほしいからである。

 「指導」の内容は、善意の研究者に参考になると思うので、全文引用に近いこととした。教育用途では、著作者の許諾無しで引用利用できるという規定に則している。因みに、当方は、当記事によって何の利益も得ていない。なお、原文尊重のため、改行が過多であるとの見解はそれとして、手を入れていないのは、当然のことと思う。

 言うまでもなく、「指導」は、当人が読解しなければ何も意味は無い。所詮、当方に何の「害」も「益」もない。通りすがりの野次馬のことは知らない。

*引用と添削      長文御免
倭人在帶方東南大海之中
 ( 倭人は帯方の東南方面の大海の中に在ります。)
從郡至倭 循海岸水行 歴韓国 乍南乍東 到其北岸狗邪韓國 七千餘里
(郡より倭に至るには、海岸に循いて水行し、韓国を歴て、南に行ったり又東に行ったりすると、その<倭国の>北岸の狗邪韓国に到る。七千余里。)
・意味が不明瞭な「又」を足すのは、余計です.一方、『「到」其北岸狗邪韓國』の「到」の解釈がすっ飛んでいます。記事一本でも、辻褄を合わすのに大変な労力が必要なのです。

(從郡至倭)
 群[郡]から倭に至るには・・・と書いてあり
(從郡至邪馬台国)
 群[郡]から邪馬台国に至るには・・・とは表記してません、なので魏志倭人伝は邪馬台国への道程を書いたのではないことがわかります。
・趣旨は、ご指摘の通りです。それなら、なぜ、わざわざ念押しするのでしょうか。なら、何を書いたのでしょうか。いたって、「自然」な質問でしょう。

 倭国とは倭国という実在する1つの国家があるのではなく、倭人が住んでる所の地域(場所)と解釈したほうが良い。
・古代史文献を論じて、「実在する」とは不穏当です。
 「倭人」は、人を言うものではありません。「倭国」とは書かれていません。三世紀当時、東夷に「国家」などと言うものはありません。要注意。

 以前ソ連国がありましたがソ連国という国家がどこかの場所にあったのではなく、連合国の総称として使われてました。
「ソ連国」などと言う国は、一切存在したことがありません。要注意。
「連合国」(United Nations)は、合衆国、英国などの戦時軍事同盟を言うのであり、不適当な言い方です。また、それ自体「総称」であり、さらに「総称」とは、間違いです。要注意。

 倭国も倭人が住んでる場所の総称として使用していたと思います。
・「倭人」は、人を言うものではありません。「場所の総称」とは、なにかの勘違いでしょうか。この説明は、聞かない方が良かったのでしょうか。

                               未完

新・私の本棚 番外 ブログ記事 sinfu「光正解釈説 総纏集」 2/10

光正解釈説 総纏集 「中国語学習と邪馬台国研究と家電修理等」2018-04-16 13:20:00
私の見立て ★★★☆☆ 丁寧な労作 ただし前途遼遠      2023/02/03

 到其北岸狗邪韓國の其はその前の從郡至倭の倭を指します。
・「其」は、北「岸」という以上、「大海」の岸、海岸ではないでしょうか。もっとも、「大海」を「倭」と解するには、念入りな説明が必要でしょう。

 また狗邪韓国まで群[郡]から7000里[七千餘里]とだけあり、狗邪韓国の説明は有りません。
 ゆえに、狗邪韓国はまだ倭人が住んでる所ではないとわかります。
・「狗邪韓国は韓国である」と言うだけです。韓伝には、「弁辰狗邪」とあるだけで詳しい説明はありません。ますます、「倭人伝」で説明する理由が無いのです。とは言え、同国内に「倭」人が住んでいなかったと断言できるものではありません。因みに「まだ」が、不可解です。

 始度一海 千餘里 至對海國 
 (狗邪韓国から始めて一つ海を越すこと千里余りで対海国に至る。)
「一海を渡る」を改竄するのは好ましくありません。以下同様。

 魏志倭人伝はこの対馬国から戸数とか環境等を説明を始めてます。
原文が「対海国」と書いているのを、原文にない「対馬国」と改竄するのは、好ましくありません。「環境等」は、意味不明です。以下同様。

 魏志倭人伝は倭人(倭国)の紹介してる条ですので、この対馬国から倭国ですよと説明が始まってます。
・「倭人」は「倭国」ではありません。「倭人伝」は単なる条ではありません。
 因みに、狗邪韓国条は、海岸を離れた時に、つまり、海に出たときに「倭人」に入国する趣旨と見えます。
 對海國は、そこから始まっていますが、何もそのような文字はありません。對海國に「至る」の意味ではないので、勘違いしないように注意が必要です。

 又南渡一海 千餘里 名日瀚海 至一大國
 (対馬国から又、南へ名を瀚海と曰う海をひとつ渡る。千里余りで。一大国に至る。)
・「一海を渡る」の理解が混乱しています。「瀚海」を渡るとは書いていません。もっと、丁寧に、緻密に読み解く必要があります。
 
 又渡一海 千餘里 至末盧國 
 「一大国から又、一海を渡る。千余里。末盧国に至る。
 又渡一海と書いてあり、この箇所には方向の表示がありません。
 そして中国船は九州本土の末盧国に着きました。
「一海を渡る」の理解が、引き続き混乱しています
・「方向が無い」のは、普通のことであり、重複の削減でしょう。一字一字が切実です。二回「又」と書いたので、埋め合わせに一字減らしたのでしょう。
・『「中国船」が末羅国に着いた』とは、唐突で不可解です。なぜ、原文を、そう書き換えて読むのでしょうか。
・以下も、そのようなことは書かれていません。付け加えると、当時は、「九州」「島」と知れていなかったのです。因みに、「本土」は、「九州」が「国」に等しいものと示唆しています。口は慎んだ方が良いのです。

 この後の説明は今、中国船がある末盧國が基準点で説明してます。
・改めて見なおしても、末盧國が基準点とは、同意できません。「至る」である以上、通過点と見るものでしょう。
・『今ある「中国船」』は、三世紀のことか、21世紀のことか、何のことなのか、いずれにしろ、不可解です。原文に書いていないことを書き立てるのは、不適切です。

                               未完

新・私の本棚 番外 ブログ記事 sinfu「光正解釈説 総纏集」 3/10

光正解釈説 総纏集 「中国語学習と邪馬台国研究と家電修理等」2018-04-16 13:20:00
私の見立て ★★★☆☆ 丁寧な労作 ただし前途遼遠      2023/02/03

 自動車を運転する方は、大きな交差点で、右に行くと何処何処、左に行くと何処何処、まっすぐ行くと何処何処、斜めに行くと何処何処と書いてある表示板を思い浮かべていただければご理解しやすいと思います。
 また、観光地、ハイキングコースなどで岐路がある場合矢印表示で右矢印は至何処何処、左矢印は至何処何処、まっすぐは至何処何処と書いてある道案内の板を思い浮かべると理解しやすいと思います。
・折角字数を費やしていても、何の説明なのか読者に伝わらず、全く不可解です。ご提案のような「全部文章で書いた案内板」が、この世のどこかにあるとも思えません。「大きな」交差点も、的外れで無駄口です。
 「自転車を運転しない方」でも、ナビゲーターとして同乗することはあるので、その意味でも意味不明です。折角理解しかけていたのをかき混ぜられて、説明を聞かなければよかったと思わされるのです。

 東南陸行 五百里 到伊都國
 「(末盧國から)東南方向に五百里行くと伊都国に到る。」
・「到る」とある以上、伊都国が当面の終着点と見るべきと思われます。
 東南至奴国 百里
 「(末盧國から)東南方面は奴国に至る。百里です。」
・以下、末羅国起点の道案内とするのには、同意できません。
 東行至不彌國 百里
 「(末盧國から)東に行くと不弥国に至る。百里です。
 南至投馬國 水行二十日
 「(末盧國から)南は、投馬国に至ります。船で20日です。」
 南至邪馬壹國 女王之所都 水行十日陸行一月
 「(末盧國の)南は女王の都の所、邪馬壱国に至ります。船で10日、陸路で一月です。
「女王の都の所」とする「俗解」は、蛮夷の「王」、しかも蛮習である「女王」の王治に、太古の周王の「所都」に並ぶ至上の尊称を付していることになり、公文書である「倭人伝」の用語として、大変、大変不都合です。これでは、東都洛陽に住まう「天子」に匹敵する扱いであり、そのように不敬を語る史官は、失格してしまいます。(本当に、首を切り落とされるかも知れません。頓首。)
 「俗解」は、いくら大勢を占めていても、安易な誤解であり、正解としては、句読を改め、「都」を次の文頭に送り、単に「女王の所」と解すべきと思われます。いや、世界中の大半の読者が誤解を読まされているので、ここで正解を説いても、伝わらないとは思うのですが。

 すべて末盧國からの道案内的な説明箇所になってます。
・全体として、不可解であり同意できません。普通に読めば、「至る」末羅国は通過点、「到る」伊都国が到着点で、そこからの道案内と見えます。別記事で、現代中国人の講釈を引いていますが、古文解釈として、適切とは見えません。
 それぞれに、(末盧國から) と素っ頓狂な追記を付けて、ますます意味が分からなくなっています。解釈に際して、陳寿の書いていないことを書き足すのは、止めた方が良いでしょう。 「道案内的な説明箇所」の意味が不明瞭です。

 この箇所の説明をわかり易くする為にさらに不必要な個所をカットすると下記になります。
 東南到伊都國
 東南至奴国
 東至不彌國
 南至投馬國
 南至邪馬壹國

 東南は伊都國
 東南は奴国
 東は不彌國
 南は投馬國
 南は邪馬壹國
 こうすると、わかり易いと思いますが、ただ方向のあとに国名が書かれてるだけです。(並列に書かれてる)
・原文を無残に改竄していて、明解になった/したとご満悦のようですが、これでは、先ほどまでうっすら分かりかけた気がしかけていたのが、全く意味不明になっています。「カット」(削除改竄)したために、原文の要点がなくなっているからです。古典的な警句として、「赤ん坊を湯浴みさせた後、湯と一緒に赤ん坊まで流すなよ」と言うのがありますが、大丈夫でしょうか。あるいは、カツブシを煮立てたとき、湯の方を棄ててしまう「長屋の花見」の落語ネタの方が身に沁みるかも知れません。くわばら、くわばら。と言うことで、示された文例には、全く同意できません。
 世上、大抵の研究者は、自説の裏付けとするときは、引用文を部分削除して、勝手に改竄するので無く、()に入れるとかして、『「不必要な個所」を隠さない』ようにしています。それとも、それでは、こじつけがバレると心配しているのでしょうか。いずれにしろ、ここで無駄に十行が費やされているのです。

                                未完

新・私の本棚 番外 ブログ記事 sinfu「光正解釈説 総纏集」 4/10

光正解釈説 総纏集 「中国語学習と邪馬台国研究と家電修理等」2018-04-16 13:20:00
私の見立て ★★★☆☆ 丁寧な労作 ただし前途遼遠      2023/02/03

・「カット」、つまり削除(改竄しても)されているのは、道里などの要件であり、不必要ではありません。要件を削除して理解せよとは、改竄同然の理不尽です削除改竄しても、行数には差がないので、再掲載は、単なる行数、紙数稼ぎとも見えます。
・本論に還ると、「到」と「至」が、使い分けられていますから、違う意味と解すものと思われます。

 たとえば、其南、又南、次南とかの様に次に繋がる文字が有れば、移動してると理解できますが、上記の並列の書き方で伊都國の次は 奴国に行って、次は 不彌國に行って、次は 投馬國に行って、そして邪馬壹國に行くと解釈するのは不自然です.
・総じて、「何が自然か」の説明が必要です。ここは、原文解釈を試みているのであって、貴兄の理解を云々しているのではないです。

 どこにも連続(連動)して移動するとわかる言葉が使われていません。
《また、そこから東南に行って、又、そこから今度は東に行って、またそこから南と解釈するには無理があります。》
・ごっそり削除して全体の意味がわからないようにしておいて、ことさら用語を言うのは不可解です。「そこ」の乱用も、筋の通らない話です。古代史論考では、普通に言うと「無理」なことを押し通す、難易度極上の「曲芸」が「至芸」として、絶賛されるようになっているように見受けます。なぜ、「又」「また」と書き換えるのかも、不可解です。

 魏志倭人伝の始めの所で狗邪韓國から対馬国に至る箇所には始度一海と有り、次に対馬国から一大國に至る時は 又南渡一海 と又の表示があり、一大國から末盧國至る時は 又渡一海と又の表示があり、何々して何々とわかりますが、
当記事に於ける「又」の意義を適切に理解されている点には同意します。
 ちなみに、「又」は、「さらに」の意味ですが、「さらに」の語意として「次に」なのか「それとは別に」なのかは、不確定です。
 読者は、文脈を理解した上で、目的地への行程を一路描いた記事であると見ると、初めて「次に」と理解できるのです。
 とは言え、尻切れ蜻蛉では困ります。

 東南 到伊都國 (東南に行くと伊都國)
 東南至奴国 (東南は奴国) 
 東行至不彌國  (東に行けば不彌國)
 南至投馬國(南は投馬國)
 南至邪馬壹國(南は邪馬壹國)
 この箇所は、ただ単に東南はどこどこ、南はどこどこ、とただ文を並列に書いてあるだけで、
 どこどこに行って、そこから何処何処を示すことばがない。
蒸し返しの行数稼ぎはいい加減にして頂きたい。「行くと」「行けば」の気まぐれな使用/使い分けも不可解です。
 ここでは、「到った」伊都国以降は、「至」として、道案内しただけとの解釈が有力です。
 古来、倭人伝に示された帯方郡からの行程は伊都国で終わり、邪馬壹国は行程外」という見解が示されていますが、論理的な反論は見られません。

 そうしたいなら、たとえば、
 東南 到伊都國 (東南に行くと 伊都國に到り)
 又東南至奴国  (又、東南に行くと奴国)
 其東行至不彌國 (其の東に行くと不彌國) 
 其南至投馬國(其の南に行くと投馬國)
 又南至邪馬壹國(又さらに南に行くと邪馬壹國)
 という風に書かれていれば移動していることはわかりますが、この箇所にはその様には書かれていないのですべて末盧國からの場所説明になっています。
蒸し返しばかりで、さらに行数が進み、ページが変わり、原文改竄の過程が見えなくなっています。早く結論を言うべきです。
 聞いている方は、半分居眠りしているはずです。
・ふと見ると、背理法的に、不適当なお手盛り改竄例を提示した上で、「この箇所」とするお手盛り改竄例と比較して論じていますが、お手盛りとお手盛りの紙相撲で勝負されても、何とも言いがたいのです。
・以下、強引に「末羅国起点」の放射行程説を唱えて、榎一雄師の所説を踏み台にしていますが、榎師は、漢書などの典籍を踏まえて多大な考察を経た上で、伊都国が、当時、地域の政治経済の中心であったとの判断から、行程の要であると学会に対して提言したものであり、後世のものは、榎説を精査した上で、「不都合を指摘して、新説を有意義な改善説として提言するのが義務」と思うのです。榎説の原文は、読んだのでしょうか。
 先賢諸兄姉の所説を理解すること無く、お手盛り新説は、ちょっと、安直ではないでしょうか。

                                          未完

新・私の本棚 番外 ブログ記事 sinfu「光正解釈説 総纏集」 5/10

光正解釈説 総纏集 「中国語学習と邪馬台国研究と家電修理等」2018-04-16 13:20:00
私の見立て ★★★☆☆ 丁寧な労作 ただし前途遼遠      2023/02/03

・書かれていない字を補って改竄しているのは、理解の努力があと一息との現れです。いずれにしろ、日本語の「行けば」と同様「行くと」は仮定法であり移動しているとは解せないのです。「場所説明」とは何の意味でしょうか。

 東南陸行 五百里 到伊都國 
 「末盧國から東南方向に五百里行くと伊都国に到る。」
 東南至奴国 百里 
 「末盧國から東南方面は奴国に至る。百里です。」
 東行至不彌國 百里 
 「末盧國から東に行くと不弥国に至る。百里です。
 南至投馬國 水行二十日
 「末盧國から南方面に船で20日で投馬国に到ります。
「到ります」とは書いていません。

 南至邪馬壹國 女王之所都 水行十日陸行一月 
 「末盧國の南方面は邪馬壱国に至ります。女王の都とする所。
 船で十日、陸路で一月です。」
・最後に、重大な改竄を施して、それを前提にしているので、丁寧に指摘します。
 まずは、と句読を改めて、正確に、
 南至邪馬壹國女王之所。<改行> 都水行十日陸行一月。 
 と句読すべきと思われます。三世紀正式史書は、蕃王治所を「都」と称しなかったのです。
・「都」は、次行に送って、「都合」と解するのが、自然なものと思われます。

 この箇所の「水行十日陸行一月」を説明します。
 この「水行十日陸行一月」を水行十日して、
 その次に陸行一月費やして女王国に至ると解釈してる説が多数ありますが、
よく考えて頂ければ、どうしてそのように解釈されるのか判りません。
多数」、つまり、二、三なのか、十なのか、百なのか、千なのか、数すら掴めていない、山成す先行諸説を理解できていないことを吐露していて、理解する努力の不足は感心しません。

 水行十日陸行一月」をたとえば、
 「水行十日後陸行一月」、とか
 「水行十日又陸行一月」、
 「水行十日再陸行一月」とかの連動してますよと判る語句が有れば理解できますが、
 並列に「水行十日、陸行一月」とだけ書いてあれば、普通は水行なら十日、陸行なら一月かかる、と解釈できます。
 中国語学習的に例文を挙げれば、たとえば
 坐飞机要一个小时,坐新干线要三个小时。
 飛行機なら1時間、新幹線なら3時間
 开车去要一个小时,走着去要半天。
 車で行けば1時間、歩いて行けば半日(長い時間)かかるとなり、連続して動作してない(連動してない)表現になってます。
 なので、この箇所「水行十日陸行一月」は、水行十日更に陸行一月ではなく、水行なら十日、陸行なら一月。と解釈致します。
・聞くまではうっすら理解できていた気がしますが、どうにも、錯綜した例ばかりで、もう無理です。

                               未完

新・私の本棚 番外 ブログ記事 sinfu「光正解釈説 総纏集」 6/10

光正解釈説 総纏集 「中国語学習と邪馬台国研究と家電修理等」2018-04-16 13:20:00
私の見立て ★★★☆☆ 丁寧な労作 ただし前途遼遠      2023/02/03

いくら、個人的に理解しやすいとしても、三世紀に存在しなかった「簡体略字と現代中国語日常文」で説明するのは、不合理です。当方の属する戦後一桁世代は、正字の「漢文」しか習っていないので、簡体字は、嘘字、宇宙人の文字なのです。新中国は、文化大革命と簡体字で、伝統の華夏文化を破壊したので、日本人に古典を教える資格はないと見えるのです。
・又、先に述べた「業界標準」ものの大きな見落としのせいで、本来、「都水行十日、陸行一月」であることを見過ごしているので、以上の議論は、全て空転していて、いわば、無効です。この部分は、「都合」、つまり、総日数を書いていると解するのが、伝統に忠実で、自然なのです。
 ていねいにいうと、「都」には、多様な意味があって、天子の住まうところと言う意味は、例外であり、前後関係から明らかで無ければならないのです。むしろ、「総て」の意味で使われる例が、圧倒的に多数なのです。
全行程四十日の長旅を仕分けすると、「水行」と解されるのが十日、残り三十日は「陸行」、都合、計四十日というのが、普通の解釈でしょう。読者、つまり、皇帝と周辺の有司、高官は、要するに、まずは、と言うか、それが総てというか、「行程の全体で何日かかるのか知りたがっている」のであり、提案の読みは、先賢諸兄姉の熟慮の成果でしょうが、読者にしたら悉く悪い冗談としか見えません。

 自女王國以北
 女王国より以北は
正確に読むと、伊都国、末羅国、一大国、對海國の周旋五百里の四ヵ国と理解できるのですが、おわかりでしょうか。因みに、「以北」には、女王国は入りません。女王国は別格ということも、理解の助けになるでしょう。

 其戸數道里可得略載
 その戸数、道程,距離は簡略には記載できるが
 其餘旁國遠絶
 その他の隣国は交流が遠ざかっているので
・丁寧に飜訳すると、四ヵ国に限り、『戸数と道里は要件の一部であり、口数、つまり、成人男子の人数に欠けているが、あえて「略載」した。』と言う意味と思われる。
 ご理解のとおり、「遠絶」は、道のりや交流を言うのでなく、交流が疎遠であると言っているのです。別に、近しかったのが疎遠になったと言う事ではないのです。何しろ、余傍の国は、大半、道里紹介も無いので、遠い、近いは分からないのです。勿論、古代史料で、隣国は無意味です。ご注意下さい。

 不可得詳
 詳細を得ることはできない(詳しくはわからない)。
と言うことにしているのです。「略載」すらできていないので、忙しかったら読み飛ばしてくれの趣旨です。
 全国七万戸の大勢を占める二万戸と五万戸の有力国の戸数、口数、道里が完備していないのは、不可解ですが、報告しない理由があったのであり、追求されないために、言い訳していると見えます。要するに、四ヵ国以外は統轄できていないとの表明なのです。

 次有斯馬國 
 次有巳百支國 
 次有伊邪國 
 次有都支國 
 次有彌奴國 
 次有好古都國
 次有不呼國 
 次有姐奴國
 次有對蘇國 
 次有蘇奴國 
 次有呼邑國 
 次有華奴蘇奴國 
 次有鬼國 
 次有為吾國 
 次有鬼奴國 
 次有邪馬國
 次有躬臣國
 次有巴利國 
 次有支惟國 
 次有烏奴國
 次有奴國 此女王境界所盡

                                未完

新・私の本棚 番外 ブログ記事 sinfu「光正解釈説 総纏集」 7/10

光正解釈説 総纏集 「中国語学習と邪馬台国研究と家電修理等」2018-04-16 13:20:00
私の見立て ★★★☆☆ 丁寧な労作 ただし前途遼遠      2023/02/03

  (そして女王国より北にある国を次有り・・次有り・・と続けて紹介してます)
 次に斯馬国有り。
 次に巳百支国有り。
 次に伊邪国有り。
 次都支国有り。
 次に弥奴国有り。
 次に好古都国有り。
 次に不呼国有り。
 次に姐奴国有り。
 次に対蘇国有り。
 次に蘇奴国有り。
 次に呼邑国有り。
 次に華奴蘇奴国有り。
 次に鬼国有り。
 次に為吾国有り。
 次に鬼奴国有り。
 次に邪馬国有り。
 次に躬臣国有り。
 次に巴利国有り。
 次に支惟国有り。
 次に烏奴国有り。
 次に奴國有り。ここは女王の境界の尽きる所。
 この奴國は 前出に「東南至奴国百里」とあり、末盧國から東南100里のところにあるともあり、ここは女王国に属す一番端であるとも書いてあります。
・随分の行数稼ぎで、呆れます。楽譜めくりならぬ、巻物転がしの手がくたびれるし、大体、巻物がふくれて嵩張るし、ろくなことは無いのです。
・誤解しているようですが、「倭人伝」は、倭に至る行程と行程上の列国四ヵ国を報告しているのであり、それ以外の余傍の国は問題外です。
末羅国が地理的な女王国南端から百里とは、随分強引な解釈です。

 この奴國は2万余戸と記載があるのでかなり大きな国であると思います。
初出の「奴国」は、既に、行程外の余傍の国として、除外されているので、この論義は無意味です。「倭人伝」記事の女王国余傍記事に、細かいことをいうはずはないのです。「かなり大きな国」とことさら言う意味が分かりません。全国七万のうち、二万戸は、大変大きいかと思われますが、意味不明です。

 其南有狗奴國 (不屬女王)
 その南、狗奴国有り。(女王に属さず)
 其南の、其を女王国(邪馬台国)と解釈してあるものが多くまかり通ってますが、其南の其は文脈から素直に読みとれば奴國としか解釈できません。
・この「其」を前出の「自女王國以北」の「女王國」と解するのは無理で、列記した女王国に属する「諸国総体」の「南」というものでしょう。

                                未完

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光正解釈説 総纏集 「中国語学習と邪馬台国研究と家電修理等」2018-04-16 13:20:00
私の見立て ★★★☆☆ 丁寧な労作 ただし前途遼遠      2023/02/03

 もし、女王國の南と示したいなら其南有狗奴國ではなく其を書かず、南有狗奴國とすればそういう意味にはなります。
 すなわち、
 自女王國以北次有~、次有~、次有~。
 南有狗奴國
 (女王國より北には~有り、次に~有り、次に~有り。
  南には狗奴國有り。)
 とすれば女王國の南には狗奴國があると読めます。
 しかし、この文章は、其南有狗奴國と其南と書いてあるので
 其南有狗奴國の前に書いてある次有奴國 此女王境界所盡
 の奴國の南としか解釈できません。
 日本語(和訳した文章)で確認した方がわかりやすいかも知れません。
 女王国より以北は その戸数、道程,距離は簡略には記載できるが
 その他の傍にある国は交流が遠ざかっているので 詳細を得ることはできない(詳しくはわからない)。
 (そして女王国より北にある国を次有り…次有り…と続けて紹介してます、)
 次に斯馬国有り。
 次に巳百支国有り。
 次に伊邪国有り。
 次都支国有り。
 次に弥奴国有り。
 次に好古都国有り。
 次に不呼国有り。
 次に姐奴国有り。
 次に対蘇国有り。
 次に蘇奴国有り。
 次に呼邑国有り。
 次に華奴蘇奴国有り。
 次に鬼国有り。
 次に為吾国有り。
 次に鬼奴国有り。
 次に邪馬国有り。
 次に躬臣国有り。
 次に巴利国有り。
 次に支惟国有り。
 次に烏奴国有り。
 次に奴國有り。ここは女王の境界の尽きる所。
 「その南」には狗奴國があります。
とすれば、「奴國の南に狗奴國有り」と読みとれます。
 「その南」とせず単に 「南」には狗奴國があります。
 だと女王國の北には**国有り、南に狗奴國有り
で、「女王國の南には狗奴國有り」と読みとれます。
 其(奴國)の南には狗奴國 がある。
と解釈したほうが、自然な解釈です。

・先賢諸兄姉に、正史記事の書き方を指導されているのですか?
・またまた行数稼ぎしていますが、むつかしい理屈は抜きで、これらの諸国があって、「それが女王国の全体であり、その向こうに狗奴国がある」というに過ぎないのです。原文を自己流に書き換えて論じる「改竄」手法は感心しません。
・「倭人伝」が、そのように読めと強制しているなら、当時、ここで、「倭人伝」はゴミ箱入りでしょう。つまり、国名羅列は、読み飛ばしてくれと書いているのです。按ずるに、全体で二千字の中に列記しているのは帯方郡文書に書かれていて、魏志編纂方針で割愛できなかったに違いありません。

 

 

                                未完

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私の見立て ★★★☆☆ 丁寧な労作 ただし前途遼遠      2023/02/03

・またまた行数稼ぎしていますが、むつかしい理屈は抜きで、これらの諸国があって、「それが女王国の全体であり、その向こうに狗奴国がある」というに過ぎないのです。原文を自己流に書き換えて論じる「改竄」手法は感心しません。
・「倭人伝」が、そのように読めと強制しているなら、当時、ここで、「倭人伝」はゴミ箱入りでしょう。つまり、国名羅列は、読み飛ばしてくれと書いているのです。按ずるに、全体で二千字の中に列記しているのは帯方郡文書に書かれていて、魏志編纂方針で割愛できなかったに違いありません。

 そして、次は
 (自郡至女王國 萬二千餘里 )
 郡より女王国に至る。万二千余里。
 自郡至女王國 萬二千餘里
 (郡より女王国に至る。万二千余里)
 この箇所を説明します。
 この箇所には、郡から女王国(邪馬台国)まで
 万2000里余りであると書かれてます。
 万2000里余りと万の前に数字がありませんが、
 1万2000里余りと解釈した方が自然でしょうか。
 この1万2000里を文中から推計しますと、
・初心者の素朴な意見として受け止めると、このような場合、一字節約するのが、「自然」でなく、知的な常識なのです。

横着して、原文にない三桁区切りの「算用数字」まじりで書いているための混乱なのでしょうか。漢数字では一万二千も、万二千も同一です。
・以下、またもや字数稼ぎには閉口します。巻物時代の再現でしょうか。

 從郡至倭 循海岸水行 歴韓国 乍南乍東 到其北岸狗邪韓國 七千餘里
 (郡より倭に至るには、海岸に循いて水行し、韓国を歴て、南に行ったり又東に行ったりすると、その<倭国の>北岸の狗邪韓国に到る。七千余里。)
 郡から狗邪韓國まで7000里余り。
 始度一海 千餘里 至對海國
 (狗邪韓国から始めて一つ海を越すこと千里余りで対海国に至る。)
 狗邪韓國から對海國は1000里余り。
 又南渡一海 千餘里 名日瀚海 至一大國
 (対馬国から又、南へ 名を瀚海と曰う海をひとつ渡る。千里余りで。一大国に至る。)
 對海國から一大國は1000里余り。
 又渡一海 千餘里 至末盧國 
 「一大国から又、一海を渡る。千余里。末盧国に至る。
 一大國から末盧國まで1000里余り。
 ゆえに、郡から末盧國までは
 7,000余里+1,000余里+1,000余里+1,000余里=10,000余里となります。
 郡から女王国(邪馬台国)は1万2000里余りと記載されているので
 末盧國から女王国(邪馬台国)は12,000余里-10,000余里=2,000余里
 という、数式が成り立ちます。

 ・数式に算用数字と等号の乱用は、「倭人伝」書法の重大な誤解であり、以下の推定が大きく曲がっています。
原文が餘里付きの千里単位概数と書いているのですから、せめて、誤解を防ぐために≒とし、漢数字の千里・万里単位とすべきです。
「魏志倭人伝は邪馬台国への道程を書いたのではない」と書いたのを、お忘れでしょうか。行数稼ぎで、ページが飛んで失念したのでしょうか。

                               未完

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