季刊 邪馬台国

四十周年を迎え、着実に刊行を続けている「日本列島」古代史専門の史学誌です。

2021年7月22日 (木)

新・私の本棚 安本美典 季刊邪馬台国 第12号 魏晋朝短里説批判 1/1 補充

  梓書院 昭和57年春号 (1982/5発行)
私の見立て ★★★★★ 必読       2019/07/18 補充 2021/07/22

*地域里論の嚆矢
 当方の倭人伝里制に関する行脚は、ようやく、原点回帰できたようです。当記事によれば、安本美典氏の「地域里論」に対して、古田武彦氏は、(後に)「魏晋朝短里説」に固執し、今日に到る不毛な論争が始まったようです。

 当方も、両氏の確執を含め、道里論の混沌を避けていたため理解が深まらず、十年余の停滞の果てに、ようやく短里説論争の原点を見極めたのです。
 倭人伝記事という原点から発して、安本氏は、史料のもとに足を留めたのに対して、古田氏は、こころの命ずるままに荒野に足を踏み出したのだなと、感慨ひとしおです。後年の熾烈な較差を思うと、別れ道は僅かな見解の相違だったのです。そして、この件に関して、当方は、安本氏の行き方を支持するものです。

*短里説内紛の経緯
 安本氏は、いち早く、倭人伝道里は、中国の四百五十㍍程度の普通里でなく、せいぜい百㍍程度の短里と検証しています。(先行者を認めた上で)
 古田氏は、「三国志一貫里制」を信奉した「三国志短里説 」から、魏朝が公布した「里」が、後継の西晋まで継承されたとの「魏晋朝短里説」に道を採ったのですが、今日に到るも、そのような公布施行を証する資料は見出されていないのです。
 安本氏は、一貫して、帯方郡から倭までの行程に限定した「地域里制説」を唱えたのですが、古田氏が拡張した「魏晋朝短里説」の論争が激化し、氏の正当な説は影を潜めたように見えます。

*一解法の提案
 当方は、本記事に先立ち、倭人伝に即した一解法を提示しました。
倭人伝記事は、帯方郡人士によって、帯方郡の地域事情を根拠として書かれたため、独特の「地域里制」によって書かれた可能性が否定しがたいこと
魏書編纂にあたり、倭人伝道里は、整合不可能であったため、冒頭で、独特の地域里制を用いたことを「地域里制」として明示していること
 具体的に言うと、「郡から狗邪韓国まで七千余里」と帯方郡拠点への里数を明記し、「地域里制」の校正を可能にしているのです。

 陳寿は、編纂に際し、「地域里制」の確証が得られなかったため、史官としての本分に順い、普通里制との整合は保留し、倭人伝自体の整合を第一義としたのです。

 それにしても、未だに、魏使は洛陽人士と誤解している論者が、頑迷に地域道里に反対し、「誇張説」、「虚構説」が跳梁跋扈し、議論が収束しないのです。論拠が砂上だと、いくら堅固な論考を立てても、空しいのです。

*史実で無く、真意の究明~最初の一歩
 倭人伝解釈は、史実の究明と解している向きが多いのですが、当方は、まずなすべきは、陳寿の真意の究明との視点から、所論を公開しています。つまり、陳寿が、倭人伝を書いた際に構想した里制を、倭人伝記事から解明するのが、第一義なのです。

 それは、必ずしも、当時、現地で通用していた里制とは限らないし、まして、魏朝治世下の全土に施行されていた里制とも限らないのです。

 込み入った課題は、少しずつ解きほぐすのが最善策で、苛立って、一刀両断してしまう武断策は、この際、辛抱が足りないのです。

*論争終熄の提案
 八十年代冒頭の時点で、安本氏は、史料に即して倭人伝の「地域短里」制を提示しましたが、②「地域里制明示」指摘を備えなかったため、折角の正解が、古田氏の「魏書統一里制」なる、いらざる拡張に抗し得なかったとみえます。

 古田氏は、「物証より論証を信念とした」ため、正論とした短里説拡張に対する反論には一切歩み寄ることがなく、用例検証の泥沼にはまったようです。氏の急峻な論法は、支持者と共に反論者も硬化させ、全三国志の用例を総覧して、逐一、それぞれの「里」を考証するという聖戦のごとき泥沼は今も続いています。
 しかし、複数件の不確かな用例を緻密に検証しても、それは、それぞれ一個の用例における「里」長を証するに過ぎないのです。帯方郡に「地域短里」があったという主張に対して、別の地域で、別の「地域里制」が横行していたかも知れない、と言う「不確かな」主張に過ぎないから、何件集まっても、倭人伝の明記された記事を覆す効力は無く、論議は一向に進まないのです。いや、進展させる方法があれば、とうに進展していたはずで、進展しないのは、歴史の必然と言うべきです。

 古田氏の言うとおり、不確かな物証は、数多く集めても、不確かなままであり、確かな主張にはならないのです。

 国の土地制度の根本である「里」の六倍規模の伸縮は、国政を揺るがす大事なので、皇帝に上申されるまでに多大な審議がされるはずであり、例え皇帝が「里」の大幅変更を裁可しても、その実施に際しては、多数の制度変更と全土における大規模な「土地台帳」改定、それには、多大な計算が必要となるのですから、とても、ひっそり実施するわけにはいかないのです。

 そして、そのような魏朝の短里制布令・施行の裏付け史料も、晋朝の里制復元の布令・施行の裏付け資料も「皆無」です。何より、正史晋書地理志にも、何の記載も無いのです。


 古田氏の「魏晋朝短里説」評価で言うと、四十年近い歳月を消費した「魏晋朝短里説」の終熄ができないため、古田氏の諸論が、まるごと「頑迷な異説」の箍をはめられているのは、公的な損失です。いくら古田氏の提言の主眼であろうと、これを神聖不可侵とするのは、必ずしも、古田氏の遺徳を高めることにはならないのです。

 そして、安本氏の正論が、うやむやのうちに、諸説の玉石混淆の泥沼に埋もれているのは、残念の極みです。安本氏は、一刀両断で、魏晋朝短里説に引導を渡し、葬り去ったとお考えなのでしょうが、一向に、明解になっていないのです。

                                完

2021年7月14日 (水)

私の本棚 41 笛木 亮三 「三国志の写本検索」 季刊邪馬台国 128号 1/2

                           2016/03/08  補足2021/07/14
 季刊 邪馬台国 128号  2016年2月

⚪補足の弁
 今晩、当記事筆写から、丁寧な補足説明があって、当記事を読み返したのだが、ブログ記事の通例で説明が急ぎ足になって、ご迷惑をかけたように燃える。読者諸氏は、何度でも、読み返すことができるので、落ち着いて再読いただきたいものである。
 また、提供頂いた資料の所在情報等は、編集部が検証していると信じるので、不鮮明であれば、それは編集部の責任なのである。いや、同誌の編集部は、安本美典氏の薫陶を得て、論文誌の任にあたっていると信じるので、特に明記しない限り、批判されているのは、編集部である。

 つまり、当分野の最高峰の専門誌で論文審査されたうえで掲載されているから、編集部、就中(なかんづく)、安本美典氏の指導があったと思って、少しきつい言い方をするが、筆者たる笛木氏を責める気は、さらにないのである。笛木氏に、ご不快の念を与えたとしたら、お詫びする。

⚪お断り
 当記事は、論文と言うより、史料探索の体験談であり、批判するのは、著者の意図に反すると思うのだが、「季刊邪馬台国」と言う、一流媒体に掲載されているので、色々批判を加えても、了解いただけると思うのである。

 著者は、本記事において、あたふたと諸般の説明を書き連ねているだけで、読者には、混乱した印象しか残らないのである。各資料に関する情報が再三書かれているが、出所によってばらついているようで、決定的な説明が読み取れないのである。いや、同誌編集部がこれで良しと判断したのだから、筆者に文句を言う筋合いはないのである。この点、著者にご不快の念を与えたとしたら、深くお詫びする。

 本記事が、不完全なものに終わっていると感じる理由の一つが、本記事著者の抱負に反して、資料写真の転載が2点にとどまっていると言うことである。しかも、掲載されている写真が、紙面から文字を読み取ることすらできないと言うことである。
 率直に言って、当記事を掲載するのは、かなり時期尚早だったと感じるのである。

 堅苦しい法的な議論は、次回記事に譲るものとする。その部分に意見のある方は、そちらに反論して欲しい。

 法的な議論が必要と思う背景として、行政府の一機関である宮内庁書陵部提供の三国志紹凞本写真画像に対して、(C) 宮内庁書陵部と著作権表示しているサイトがあって誤解がまき散らされている事例がある。同サイトだけ見ていると、宮内庁書陵部が(不法に)権利主張していると見えるのである。同組織は、国民全体に、研究成果や所蔵文化資産を提供する任務を課せられているのであり、同資料については、盗用、悪用を防止するのが肝要、本務であって、著作権を主張して国民の利用に制約を加えることは、本来許されないのである。
 これは、地方公共団体が運営している組織についても同様であるし、各大学は、研究成果を、国民に還元することを主務としているから、こちらも、不必要に所蔵文化資産を秘匿してはならないのである。
 現に、地方公共団体の外郭団体である台東区立書道博物館は、当然のこととして、所蔵資料の写真転載に同意しているのである。
 公共機関が、所蔵品の写真について非公開を主張するのは不法であるから、妥当な判断なのである。
 当該機関は、公的資金で運用され、成果を公共に供するのを最大の使命としている。ただし、区立「博物館」として、運営に要する資金に対して、利用者の応分の「寄附」を求めるのは当然であり、それは、営利事業として収益を求めているのではないのでご理解頂きたいものである。

 以上、ことさら固い口調で述べたが、時に、そのような理念を無視する例があるので、再確認しただけである。もとより、同誌編集部は、そのような事項は知悉しているはずなので、笛木氏が孤立しないように支援していただきたかったものである。

 それにしても、中世や古代の史料写真が、現代の著作物であるなどと言うのは、確認不足による誤解である。

以上

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私の本棚 41 笛木 亮三 「三国志の写本検索」 季刊邪馬台国 128号  2/2

                       2016/03/08  確認 2020/09/28 補足2021/07/14
 季刊 邪馬台国 128号  2016年2月

⚪補足の弁
 当記事は、笛木氏の記事で、各管理者が示した否定的な見解の法的根拠を模索したものであり、笛木氏の見解を批判することを目的としたものではない。いわば、当誌編集部への公開質問状であるので、もし、笛木氏初め、関係者にご不快の念を与えたとしたら、お詫びする次第である。

⚪私見のお断り
 著作権などの権利関係についての私見を以下に示すので、よろしく、ご検討いただきたい。

 なお、当ブログ筆者は、別に弁護士でもなんでもないので、ここに展開した議論の当否は、最寄りの知財権専門の司法関係者の確認を取っていただきたいものである。

 当記事を根拠に行動されても、当ブログ筆者の関知するところではない。

 当ブログ筆者の知る限り、「三国志」写本に関する著作権は存在しない。
 また、「三国志」写本の写真に関する著作権も存在しない。

*三国志の著作権
 史料の原典である三国志は、三世紀後半の著作物であり、著作権を主張できるのは、編纂者である陳壽と思われるが、没後千年年以上経っているので著作権は消滅している。

 三国志を写本するという行為は、既存の著作物の複製行為であるので、新たに著作権が発生することはない。いや、発生したとしても、とうに著作権は消滅している。

 写本の断片は、せいぜいが既存の著作物の一部分であるので、それ自体が新たに著作物となって著作権を発生することはない。いや、発生したとしても、写本時代は、とうに一千年は過ぎているので、著作権は消滅している。
 つまり、三国志写本は、すべて人類共通の公共的知的財産になっている。

 既存の著作物の写真複製はたんなる複製行為であるので、撮影された写真に新たな著作権が発生することはない。

 ということで、三国志の写本の写真の著作権、つまり、知的財産としての権利は、消滅している。

 著作権が存在しない資料に関して、著作権を主張して資料利用に制限を加えるのは、違法であることは言うまでもない。

*その他の権利
 写本の断片は、現在の管理者が、何らかの対価を払って購入したものであるか、寄贈を受けたものなので、管理者の個人的財産であれば、これを公開するか、秘匿するか、あるいは、有償または無償の契約を結んで、限定された対象者に開示することは、管理者の権利の範囲である。要は、世間に見せるかどうかは、管理者の勝手である。
 「限定された対象者」が、管理者と二次的な公開をしないとの契約を結んでいるのであれば、「限定された対象者」は、二次的な公開を禁止されているものである。

 と言うことであるが、展覧会図録などに資料写真が掲載されていて、そのような図録が書籍として流通していた場合、書籍の購入者は、別に管理者と契約しているわけではないので、図録制作者が管理者者と結んだ「二次公開しない」との取り決めに拘束を受けることはないと思われる。

 また、管理者は、一旦、資料の写真図版が図録に掲載されるのを許可した以上、図録を正当に入手したものが、掲載されている写真図版を自身の論考に転載したとしても、これを法的に規制することはできないものと考える。

 そもそも、史料写真を掲載した図録を販売するのを許可した時点で、購入したものが掲載写真を資料として引用して、独自の論考を執筆することを許可したものと見なすべきではないか。資料出所を明記することは必須である。
 まして、図録の写真図版を、何らかの手段で複製した場合、写真図版そのものの転用ではないので、厳格に規制する権利はないものと考える。
 まして、写真図版から、文字情報を取得した場合、そのような文字情報の利用を制限することは不可能と考える。

 それにしても、資料そのものや精密なレプリカなら、何か権利を主張しても、ごもっともという人が出るだろうが、単なる外観写真について、しつこく権利を主張するのは、どういうことだろうか。「肖像権」と言うつもりなのだろうか。

 いや何、出し惜しみするような秘宝は持っていないので、肩肘張って言えるのである。

以上

追記:当誌上で、中国に於いて、正史の写本は、草書体で運用されていたに違いない、何の物証も無しに主張する論客が登場して、編集部のダメ出しがないまま、堂々と掲載されていたから、そのような勝手な思い付きを公開する不都合を、機会ある毎に言い立てているのだが、笛木氏の検討によれば、草書系資料は、ここには含まれていないということである。
 当ブログ筆者が、誌上写真や図録掲載の高精細度写真を見た限り、「草書」は見当たらないのである。

 当該「フェイクニュース」は、早々に排除されるべきだと考える事態である。

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2021年7月13日 (火)

新・私の本棚 岡 將男 季刊邪馬台国 第140号 吉備・瀬戸内の古代文明

 「吉備邪馬台国東遷説と桃核祭器・卑弥呼の鬼道」 2021年7月

 私の見立て ★★★★★ 考古学の王道を再確認する力作  記 2021/07/13

⚪はじめに
 著者は、フェイスブック「楯築サロン」代表と自称している。吉備地方の「楯築」墳丘墓の在野研究者と拝察する。要領を得ないが、本誌で示された実直な研究活動には賛嘆を惜しまないものである。

⚪私見~纏向と吉備 桃種異聞
 以下、当記事の一端を端緒として、他地域遺跡の発掘事例の瑕疵を考察したものであり、岡氏の著作を批判したものではない。よろしくご了解いただきたい。

 当ブログ筆者は、纏向遺跡出土の桃種のNHK/毎日新聞報道が提灯持ち報道(もどき)と批判したので、当記事での事実確認に、まずは歓迎の意を表したい。

*纏向大型建物「事件」
 敢えて付け加えるなら、現在もNHKオンデマンドで視聴可能である「邪馬台国を掘る」で公開されている「桃種」出土時の学術対応について指摘したい。
 画面では、「桃種」が、纏向遺跡の土坑、一種のゴミ捨て穴から出土したとき、無造作に水洗いして付着物を除き、シート上で陰干ししたように見える。個々の桃種の出土位置と深さを記録していないのも難点だが、別に「非難」しているのではない。考古学関係者も、一般視聴者も、何とも思わなかったはずである。

 他の考古学的な発掘では、有力な遺物については、前後左右上下関係を記録した上で取り出し、発見時の位置が再現できるものと考えるが、今回の事例では、後日、桃種サンプルを年代鑑定したものの、出土位置不明では、新旧不明と見える。建物建設との前後関係も不明。歴年か一括かも不明である。後悔は尽きないと思うのである。

*遺物蒸し返しの愚
 近年になって、それらしいサンプル(数個)の年代鑑定を行ったようであるが、もともと、考古学的に適切な発掘、保存がされていなかった以上、莫大な経費を投じても、悪足掻きになっているものである。何しろ、三千個の攪拌された母集団から、ランダムに数個取り出して鑑定しても、統計的には、意味がないと見えるのである。

*纏向式独占発表の愚
 他の考古学的発掘の「桃のタネ」事例を調べることなく未曾有としたのは不用意である。想定外の大当たりを自嘲している暇があれば、大規模墳墓の出土地域に、前例の有無を、謙虚に問い合わせれば良かったのではないか。
 学会発表であれば、論文審査で疑義が呈されて克服するから粗忽を示すことはないが、実際は、NHK、全国紙など一部「報道機関」に成果発表を独占的/特権的に開示し、真に受けて追従した「報道機関」に誤報の負の資産を課した。NHKなどは、勝手な「古代」浪漫を捏造し、懲りずに継承している。懲りて改めなければ、負のレジェンドとして、"Hall of Shame"の「裏殿堂」に永久保存されるだけである。

 以上の批判は、別に素人が勝手な思い込みで記事を公開したわけでなく、大筋は、前後はあっても、当誌の泰斗である安本美典氏が、誌上で論難していることは、読者諸氏には衆知であろう。
 一方、「報道機関」は、毒を食らえばなんとやら、纏向桃種の「奇蹟」は、多数の努力と巨費を空費して、勿体ないのである。

 岡氏は、別に、纏向遺跡の桃種について「非難」しているわけではなく、土坑出土の桃種の年代鑑定に疑義を淡々と提示しているが、当ブログ筆者は、素人で行きがかりも影響力もないので、率直、真摯に論難した。直諌は耳に痛いが、社交辞令にすると、大抵無視されてしまうのである。

⚪まとめ

 因みに、当記事で説かれている「吉備邪馬台国」は、各遺跡で出土した万余の桃種の年代鑑定に依存してはいない。考古学論考の限界で倭人伝記事との連携はこじつけと見えるが、遺跡遺物考証に基づく世界観は、盤石と感じる。

 余言であるが、近来、本誌の刊行について「邪馬台国の会」ホームページに、予定どころか刊行の告知も、とんと見かけない。論敵「古田史学の会」が、古賀達也氏のブログで、細かく進度報告を公開しているのと大違いである。学ぶべき所は、謙虚に学ぶべきではないか。
                                以上

2021年2月 3日 (水)

新・私の本棚 小澤毅 季刊「邪馬台国」第139号 2/2

 『魏志』が語る邪馬台国の位置  梓書院 2020年12月刊 
私の見立て ★★★☆☆ 堅実 不偏不党、但し、未熟   2021/02/03

1.1 はじめに
 氏は、倭人伝を「第一級史料」と見つつ「当時の日本列島のようす」を伝えていると評しますが誤解と思われます。冷静に読みなおしていただければわかるように、「ようす」、つまり、風俗や地理が書かれているのは、「従郡至倭」の示すとおり、郡~狗邪~對海~一大~末羅~伊都の行程の通過、経由地であり、この部分は、明言しているように「倭人」伝ですから、中でも、倭人領域に限られますから、郡と狗邪の様子は書いていないのです。
 また、奴國、不彌國、投馬國は、倭人の領域であっても、行程道里の通過国ではないので、「略記」にとどまっているのです。
 なお、伊都国、女王国は、通過国ではなく目的地なので、詳細後記として、ここには書いていないのです。
 以上は、倭人伝を虚心に読めば、自然に読み取れるはずです。

 世上、このような当然、自明の議論を封じるために、「文法」論などの口説が動員されますが、目前の史書記事を無視するのはいかがなものでしょうか。別に、中国人学者に頼まなくても、読み取れるはずです。

  そのような自然な読みをどう理解されたのか、「日本列島」、つまり、九州北部にとどまらず、はるか東方までの「ようす」が書かれていると断じるのは、氏の信条を外しているように感じます。倭人伝を基礎資料として解読するなら、外部資料は、後回しにすべきと感じる次第です。

 また、邪馬台(やまと)の書き方は、同様に、不本意というか、不手際です。仮に「邪馬臺」を原表記と仮定しても、「やまと」と発音したことを裏付ける一級史料は絶無です。氏に、初学者に向かって言うように言い立てるのもどうかと思いますが、「臺」は「台」とは、根っから別の字であり、発音も意味も別物なのです。

*中国史書視点の見当違い
 冷静に考えればおわかりいただけると思いますが、魏志編者は、天下国家の正史を志したのであり、いかに魏志全三十巻の掉尾を飾る勲功としても、あらたに参詣した東夷伝の小伝である「倭人伝」を諸史料から結集するに際して、東夷の国内の小国の配置に、特別の関心を持ったわけではなく、また、各国の里程方位を題材に、読者に対して読解と解答を要求する「問題」を工夫したとも思えないのです。

 氏の言い分は、国内史料から築き上げた蒼々たる国内歴史解釈に従うように、氏の専門とされる考古学成果を積み上げたのに続いて、中国史料を読み従えようとしているように見えます。いや、それは、多くの先賢が挑んで、登攀路を見出していない高嶺に、虚心に挑もうとしている氏の所信に反しているように見えるのです。
 かくの如く出発点で誤解した以上、論考の迷走は不可避と見られます。氏が、恐らく承知の上で「定説」に流されるのは、何とも勿体ないところです。
 この後、氏の論理は、信条と定説を交えて大きく動揺します。

*二級史料の暴走
 定番とは言え、後世史書、類書、雑書を無批判で満載で、「相互の比較をつうじて、現行刊本の『魏志』の文字を校訂する」と述べます。遺稿上申とはいえ、晋帝嘉納以来、二千年近く継承された「一級史料」(依拠刊本不明)を、後世、速成抄写を重ねた「二級史料」で否定するのは見当外れです。

 後手で「二級史料」と査定し、史料として格段に低い位置付けを施すのは、逆順でちぐはぐです。それなら、前段で、倭人伝を改竄した「一刀両断」を正当化できないのです。自己矛盾が露呈していて、不思議な眺めです。
 大学教授の玉稿は、編集部査読外なのでしょうが、共々、不手際露呈で随分損をしています。

1.2 邪馬台国の位置
位置推定の材料  『魏志』に登場する国々の所在を推定するうえで最大の指標となるのは、里程記事である。当然、地理や現地の地形との対比も必要となるが、それにくわえて、地名も重要な手がかりを与えてくれる。

 ここで、二級史料はまだしも、東夷の国で、数百年語り継がれたあげくの「地名」国内史料を「重要な手がかり」と採用するのは、同意しがたいのです。
 また、事のついでのように書かれる「考古学成果」は、重要な手がかりなので、無文字の限界を明記した上で、この場で要点を紹介すべきと思われます。
 一級史料の記事を改竄するなら、ご自身の著作物として公表すべきであり、原典と異なる「史料」について論じるのは「贋作」行為です。

 ついでに言うと、俗に言う渡海の「実距離」は一切測定不可能で、誇張の基準にならないから、「水増し」は理屈の通らない単なる言いがかりなのです。
 また、数学用語が誤用された「実数」の不意打ちは、不当でしょう。まあ、先人の科(とが)でしょうが、無批判追従は氏の沽券に関わるのではないでしょうか。

 このように念押しするのは、氏の論旨展開が、氏の信条に反して、先例の多い「推定、憶測により断定を押しつける」粗雑な暴論に陥っているからです。とかく定説に多い錯覚に染まっているのではないかと懸念しています。

 「普通」に考えれば、日数は、日常往来から検証できるので、架空のものではなく、十分信を置けます。氏の割り切りは、先賢が大きく躓いた「名所」を忠実に辿るようで、考察に掘り下げを欠き、考えの浅い見当違いとみえてしまいます。

1.3 「卑弥呼」と「卑弥弓呼」
 「邪馬台国の所在」と掲題の「位置」を外して論じていますが、「所在」は「不在」を含む主旨なのでしょうか。論考では、一語一義としたいものです。これは、編集後世段階で、真っ先に検出すべき瑕瑾です。

 いずれにしろ、本稿は、掲題にない余談には関与しません。

〇まとめ
 結局、氏の本記事は、一級史料そのものでなく、「国内史料に基づき一新された倭人伝」に基づくものであり、正直にそう書かれた方が良いのです。折角、実直な所信を打ち出しても、史料自身の考察より失敗事例の追従を優先するのは、不徹底と見えます。恐らく、先賢や助言者の提言を排除すると、無礼だと非難を浴びるので、色々忖度したのでしょうが、勿体ないことです。
 率直なところ、倭人伝に関する史論は倭人伝記事に基づき展開するとの抱負から、まずは、初心者の目で史料自身の考察に取り組むべきだと思うのです。確実な一歩を踏み出すことが必要と感じます。

〇謝辞

 以上、氏の宣言につけ込んで、無遠慮に素人扱いした無礼をお詫びします。なお、安本美典氏は、本誌編集長就任時に論文審査を編集の基幹とする旨宣言されたのに同じて勝手に論文審査したものとご理解いただきたいものです。
                                以上

新・私の本棚 小澤毅 季刊「邪馬台国」第139号 1/2

 『魏志』が語る邪馬台国の位置  梓書院 2020年12月刊 
私の見立て ★★★☆☆ 堅実 不偏不党、但し、未熟   2021/02/03

〇はじめに~「勝手に査読」の弁
 本記事は、先に公開した小澤氏の講演とほぼ重複していますが、目下天下に唯一の古代史論専門誌「邪馬台国」掲載論文として、いわば、座り直して批判するものです。

 前稿は、既に、講演批判として行きすぎの感があったと思いますが、本論は、氏を倭人伝論において素人の論客と見立てて、査読紛いの論文審査をしてみました。失礼を顧みずに言うべきことを言うには、そうするしかないので、一種座興として聞き流していただいても結構です。

〇様式不備/用語齟齬
 当記事でも、記事タイトルに書かれている「魏志」を、広く知られている「倭人伝」の言い換えとして進めるのは、二つの意味で不法です。

 まずは、目次に明記の「魏志」のすり替えはだまし討ちです。
 先賢は、倭人伝に限定された論議を評して、「それでは、深意から遠ざかる一方である。三国志全巻を通読玩味して、三国志の書法を熟知するのが先決である。」と貴重な訓戒を垂れているので、氏ほどの高名な論者が、魏志全篇を参照した倭人伝論を展開していただけるものと、大いに期待し、拝聴、ないしは、拝読したものと思うのですが、実は、実は、では、騙されたと感じると思うのです。

 次に、臨時の言い換えで、「魏志」なる高名な史料名を、その本体部分を差し置いて、全三十巻の最終巻の末尾にある、一部と言うのが言い過ぎになるような細部である「倭人伝」に限定使用するのは、許容される論文作法の手口を、大きく外れています。読者は、ここで「魏志」を目にする度に困惑するのです。講演ならぬ本誌では、戻って読み返すことができますが、それでも、意義のない言い換えと考えます。
 これでは、論争史を通じて山積している先行論文を引用するとき、用語が輻輳します。また、当論文を引用する論者は、引用文に、都度注釈を加えなければなりません。これは、論文作法を知らない初心者の手口です。

 この手順が、古代史の先賢が、特に根拠を示さないままに、「倭人伝」なる用語を否定している言いがかりへの対応とすれば、回避でなく克服すべきと見ます。本記事で克服できないのなら、臨時に宣言すれば良いのです。混乱を助長しては、論外です。

*史料錯誤
 普通、当論文は「倭人伝から「邪馬台国」の位置を語る」論考と思われますが、原史料である倭人伝に「邪馬台国」と書かれてないという衆知で未解決の難点を克服しなければなりません。本記事で克服できないなら、臨時に宣言すべきです。基礎部分に穴が空いたままで、放置されていては、粗相の感があります。

 いや、本誌は、「邪馬台国」と銘打っているので、読者は、古代史に十分通じていて、かつ、国名問題に関して、とうに意志決定済み、解答醸成済みと速断したのかも知れませんが、それは、唯一の古代史専門誌の読者に対して、重大な先入観を持って臨んでいるのであり、まことに失礼な態度と言わねばなりません。言うまでもありませんが、いかなる分野でも、初心者、初級者は、絶えず参集しているのであり、長い学びの道のりを歩み出すときに、未検証の一説を先入観として植え付けるのは、避けるべきと考える次第です。

 本論文のタイトルでもわかるように、看板は尊重すべきであり、安直な塗り替えは禁じ手ですが、だからといって、学術的な手順は見過ごすべきではないのです。読者の賢察もまた尊重すべきです。

*史料改竄
 因みに、講演では「本稿では」と前振りして、倭人伝刊本に明記されている一部用語を、氏自身が信ずるに足りないとする後世史料に従って言い換えていますが、ここでは「本稿では」が、削除され勝手な定説としています。
 学問の世界では、原史料を改竄するのは、厳に戒めるべきものと信じるので、本記事は、厳格な「ファクトチェック」のされていない風説によって原史料を改竄した「風説論文」と解されます。差異は些細ですが重大です。基礎部分に穴が空いたままで、放置されていては、粗相の感があります。

 当記事をわざわざ書き上げた理由の一つが、この無造作な改編です。

 史料の校訂は「厳格に確証されない限り行うべきではない」とは、「釈迦に説法」と思えるのですが、氏は、中国古代史史料の考証においては、修行が足りないと感じ、率直に指摘するものです。他意はありません。

〇無礼講御免
 以下、本誌記事に相応しい批判を展開します。前稿に比べて論調が厳しいのは、本記事が、編集部の論文審査を経た、「一級論文」と見ているからです。

                                未完

2021年1月29日 (金)

新・私の本棚 番外 小澤 毅 邪馬台国の会 第386回 講演会 4/4 改

『魏志』が語る邪馬台国の位置:小澤毅(三重大学教授)2020/02/23開催
私の見立て ★★★★☆ 堅実 不偏不党 2020/04/04 改定2021/01/29

*誇張と仮定
 「誇張論」に対するとどめになるといいのですが、要は、氏の書き殴っている議論は、「倭人伝道里記事は、ほぼ一貫して、郡と狗邪韓国の間を七千里と「仮定」した『里』に基づいて書かれている」というに過ぎず、「魏志」の定義と同様に、ここ(「魏志倭人伝」)の「里」を「仮定」すれば、別に度量衡など国家制度を担ぎ出さなくても、合理的解釈ができるのです。

 因みに、「度量衡」に、道里が含まれるかどうかは明解ではありません。何しろ、道里の一里は常用単位でなく、一歩の三百倍も、手軽に例示できないのです。何分素人の憶測発言ですから外していたら失礼します。

〇まとめ
 以上述べたように、一介の素人が氏の論考のすすめ方に対して文句を言う筋合いはありませんが、全体に、(複数の)権威者の助言を受けたと思われる定説的な史料解釈を踏襲しているように感じられる例が多く、氏の卓見、就中、魏志に関するモットーと整合しないと見え、読解の際に躓きを起こしています。
 特に、氏の論考の躓きの原因と見える「定説踏襲」を追求しないため、論考の不具合が是正されないでいると見受けられ、勿体ないのです。

*史料解釈の膠着~私見
 「魏志」(通常言う「倭人伝」)行程記事解釈の際にも感じたのですが、どうも、氏の助言者は、世上多大な論議の的であって、異論を克服できていない、いわば、文献解釈の難路というか、札付きの隘路を、丸ごと氏に押しつけているようで、氏の困惑が感じ取れるようです。

 特に、行程記事解釈は、畿内説の生存に関わるので、学説としての当否は論外、とにかく、定説の保身は「絶対」譲れないので、党議拘束するという硬直した姿勢が見えるので、氏の柔軟な姿勢は貴重のです。

*いまどきの古代史~風説
 概して、いまどきの古代史論を見ると、俗に言われている定説は、基盤としている倭人伝文献解釈が、中国古代史文献解釈の門外漢の素人考えに終始していて、論考進路の選択肢を先入観で塞いでいるので、多くの無辜の読者は、押しつけられた隘路で悪足掻きし、果ては、自身の理解力不足や定説の妥当性を疑わず、「魏志」が誤っているなどと迷言を垂れる苦境に追込まれているのです。

 何しろ、周囲は、同様の理不尽な被害挫折者ばかりで、陳寿は、例え眼前にいたとしても言葉が通じない異邦・異時代・異界人ですから、挫折の責任を押しつけられて罵倒されても理解も反論もできません。まことに、理不尽な話です。

 定説は、長年膠着していて、諸般の事情から、論理の破綻を是正、自己修復できないのです。して見ると、原典誹謗は、無能な史学者の最後の隠れ家でしょうか。いや、まだ、永久政権は終わっていないというのでしょうか。

*原点回帰
 と言う背景を見るに付け、氏の提言のように、「魏志」が当時最善の記録で、編者陳寿が、その内容に最も精通していると見れば、視点が反転するかと見るのです。だから、氏の論説に、見当違いの苦言を呈しているのです。

 「魏志」を現代人が読み損なっているとの視点から、一から虚心に読みなおせば、大抵の隘路は霧消、氷解するはずです。行程解釈で例示したように、半歩戻って読みなおせば、「魏志」は「シンプル」です。魏志に王道は無いとしても、時の皇帝を挫折させるための難題ではないのです。

*蛇足 季刊「邪馬台国」誌掲載記事に関する所感 2021/02/04
 アラ探しの域を脱していると思うのですが、当講演記録に文句を付けるとすると、氏は、この構文の通り喋ったのだろうかという事です。
 つまり、途中で注記の必要なところでは、注1などと述べて、説明を先送りし、講演最後に、つらつらと注記項目を読み上げたのかという事です。それでは、とても論を尽くせるとは思えないのですが、それが事実と言われると引き下がるしかありません。

 普通に考えると、当日は、別にレジュメのようなものを用意して手元に置いて、それをもとに、聴衆が聞き分けられるように語りかけ、「ご不審の点は、論文稿を参照ください」とでも説明したと思うのです。月並みですが、資料を読み上げるだけなら、延延と付き合う必要はないのです。

 いや、別に事実の記録の限界を言うつもりはないのですが、後日、全文が「邪馬台国」誌に掲載されたことを思うと、やや疑問を感じると申し上げておきます。
                             以上

新・私の本棚 番外 小澤 毅 邪馬台国の会 第386回 講演会 3/4 改

『魏志』が語る邪馬台国の位置:小澤毅(三重大学教授)2020/02/23開催
私の見立て ★★★★☆ 堅実 不偏不党 2020/04/04 改定2021/01/29

*道里の辻褄
 端的に言うと、郡~倭の全所要期間と全里数は明記されているから、道里に応じて日数を配分すれば、個別日数は推定できるはずです。

 手早く言うと、倭人伝の道里は、一日三百里程度であり、千里単位が大半であるように、大まかな概数ばかりです。

 本来無理な時代考証より史料依拠の大局論が先ですが、姑息な辻褄合わせが本筋を外していると見えます。

 例えば、皇帝の下賜物の送達が任務である魏使が、迂回や巡察で日数を費やしたと推定するのは辻褄合わせの例です。使節が行程道里の記録を報告したのなら、迂回や道草を報告するはずはなく、また、読者たる高官が誤解する書き方を採用するはずはないと思うのです。行程が、景初、正始の記録に基づくとは早計でしょう。生還すら当然ではない使節の報告を、新来蛮夷「倭人」の「倭人伝」記事に採用するのは早計です。

 使節の使命は、帯方郡からの文書到達日数であり、文書回答期限に関わる事務的事項であり、荷を抱えた魏使の「実際の」行程は参考にならないとも言えます。

 放射説の解釈で、伊都国から邪馬台国への行程を「水行十日、陸行一月」とする「決め込み」は、畿内説の生存に拘わるので作業仮説として採用しても、考察途上で不都合があれば、遡って再考すべきです。ことの採否は、文法や字義解釈で決定されるべきではないと考えるものです。まことに残念です。

 と言っても、これは、多くの先賢が陥った錯覚であり、「伝」の構成要件を見落としていても批判されていないのですから、氏の責任とは言えません。針路を見失い行き詰まったときは、迷わず原点回帰すべきでしょう。
 幾つかの先入観が、魏志の解釈をあらぬ方向に転進させています。

*隋(唐)使来訪史料引用
 参考資料として推古紀を無批判参照するのは出典を明らかにしないのとあわせて不用意です。信頼性が不確定な「唐使来訪」国内史料は「魏志」批判に無効です。何しろ、空前の蕃客来訪記録ですが、精々が不用意な原資料引用です。中国正史すら、信用すべきかどうか精査が必要なのに、国内史料は無批判とは、困ったものです

『魏志』の里程の誇張
 無批判な先行諸説依存で、賢察が台無しです。「里程誇張」論は、前世紀の遺物、レジェンドであり、早急に引退いただくべきです。「水増し」を「事実」と呼び、「可能性を示唆」は直後に「誇張が確実」と錯乱しています。

 狗邪韓国は郡管轄下であり、その道里、所要日数は、官制で厳密に管理されていたものです。言うならば玄関先を七千里と書くのは、賢察の果てと見るべきです。粉飾、誇張、水増しとは、郡太守も見くびられたものです。

*水増し論~余談
 氏が、誇張表現とする「水増し」は、案ずるに、江戸時代の居酒屋が、上方から届いた濃いめの下り酒を喉ごしの良いように水割りして提供したことを諷しているようですが、当時の商習慣の揶揄を、無批判に「魏志」に適用するのは、氏の見識が「水増し」供用されていると見え、勿体ない誤用です。

 もっとも、氏自身が、「魏志」道里は「水増し」で無く、整合性を保っていると評しているので、あるいは、関東方面で蔓延しているらしい論争作法と見られる「罵倒」儀礼と忖度するしか無いのでしょうか。私見では、論議の邪魔になる遺物表現は、早々にレジェンド扱いで博物館入りさせるべきでしょう。
                                未完

新・私の本棚 番外 小澤 毅 邪馬台国の会 第386回 講演会 2/4 改

『魏志』が語る邪馬台国の位置:小澤毅(三重大学教授)2020/02/23開催
私の見立て ★★★★☆ 堅実 不偏不党 2020/04/04 改定2021/01/29

*後世史書・類書山積の惨状
 以下の後世史書は、先行史書の再、再々構成で、時代につれ順当に劣化していて、蛮夷の「書紀」まで交えて、枯れ葉も枯れ木も山の賑わいですが、ゴミ史料は外野に置いた方が、後漢書の評価が上がるのです。

 類書と呼ばれる大部の百科全書類の一部を為す歴史記事は、本質的に原史料の粗雑な抜き書きであり、誤謬、脱漏が避けられません。太平御覧は、正史史料からの直接の引用では無く、先行する類書の踏襲、再踏襲であり、粗雑史料の粗雑引用なので一段と信を置けません。

 翰苑は、残存写本断簡が完本で無く、異本との比較考証不能な孤証であり、史料としての信頼性を有しません。また、無校正の乱雑な有り様で一段と信を置けません。

 以上は、氏の見解を補強したものであり、同意しているものです。

*「魏志」の偉容再確認
 ただし、「魏志」を粗雑、劣悪な史料と同列に論じていて、氏の「魏志」評価と齟齬します。なお、段落ごとに、しばしば価値観が転換するのを見ると、同一人物の見解と見えない不都合さです。ご自身で吟味したのでしょうか。

*台所事情推察
 小澤毅氏は、三重大学教授、敬称博士ですが、当ブログでは略しています。
 氏は、考古学分野での多年の学究で、文献学にも造詣が深いものの、専門外なので権威者の助言を得ていて、遠慮があるように思われます。
 先の刊本用語読み替えは、断定的改竄でなく、氏が当史料で採用している用語を臨時に宣言したので定説への異論派も口を挟めない仕掛けのようです。
 と言うことで、本記事は、文献解釈で定説の顔を立てつつ氏の見識を盛り込んだようです。歯切れ悪さや戸惑い表現もその背景から来たようです。
 以下の考察に於いても、氏の見解と借り物らしい意見に差があり、言うならば、大半を占める文献解釈は、かなりの部分が借り物らしく見えて、氏の学識を知るには、言わく言いがたい味わいがあります。

1.2 邪馬台国の位置
『魏志』の里程記事
 郡からの道中に触れず、単に、倭の「北岸」狗邪韓国なる通過点としていますが、補足が必要です。戸数等の要件に欠けるので、狗邪を倭とは解釈することはできません。岸に倭の管理する船着場や公館があったのでしょうか。

 端的に言うと、韓伝が南で倭と接すると書いても、国名等が書かれていないので実態不明です。当記事を拡大解釈した憶測でしょうか。

里程記事が語るもの
 「郡~女王国万二千里、うち伊都国まで万五百里、よって女王国は九州北部」と見たのは、限定した明解な議論の好例です。

 但し、氏の概数観は難があり、千里単位概算に五百里が紛れ込んで議論が揺らぎます。世間並みで多桁算用数字で精度を誇張し、折角の好解釈が損なわれます。古代史論は漢数字縦書きをお勧めします。

「水行十日、陸行一月」
 「邪馬台国へのそれ(道程)を水行十日、陸行一月」との解釈は、伊都国からの道程でないという文脈解釈に気づかず、また、正史「夷蕃伝」に「郡からの文書伝達の所要期間」が必須要件なのを軽視しています。
 正史夷蕃伝で、蕃王の居処に「都」の美称を許すことはないので、ここは、普通に「すべて(都)水行十日、陸行一月」と読むべきであるということも氏の意識から漏れています。

 「魏志」は、小賢しい後世人が勝手に言い立てているような粗雑な史料でしょうか。陳寿が、天下の史官として最善を尽くして明記しているのに、後世人が小賢しく非難するのは自己満足でしょうか。意見が対立しているとき、どちらに信を置くべきでしょうか。

                                未完


新・私の本棚 番外 小澤 毅 邪馬台国の会 第386回 講演会 1/4 改

『魏志』が語る邪馬台国の位置:小澤毅(三重大学教授) 2020/02/23開催
私の見立て ★★★★☆ 堅実 不偏不党 2020/04/04 改定2021/01/29

〇始めに
 小澤氏は、三重大学教授として紹介されていますが、同大教授着任以前は、橿原考古学研究所及び奈良文化財研究所の研究者として著名のようです。

 不偏不党と書いたのは、考古学専攻とはいえ、文献史料にも造詣が深く、本講演に於いても、国内史料まで取り込んで幅広い視野から考察しているので、特定の統一見解に偏しないと見るからです。ここに、賛辞を呈します。

 以下、氏の講演記録を参照しながら、当ブログ視点から批判しますが、見解の相違の摘発で無く、異なる視点からの意見で氏の学識の更なる研鑽に寄与したいと思っています。因みに、本稿は、季刊邪馬台国誌第139号に掲載されていますが、誌上には、些細とは言え、編集時の脱落らしい部分があり、文献批判する際には、注意いただきたいのです。

1.1 はじめに
*至当と不当の交錯
 氏は、冒頭で、『魏志』を「通常『倭人伝』という二千余字」と定義しますが、『魏書』同義で通用の「魏志」は、広く定着した学術用語を勝手に転用するのは禁じ手です。文献史学部外者のため、「倭人伝」通称が定着の史料を、それと知らずに我流で呼び変えて事故となったようですが、誰か助言しなかったのかと残念です。
 本文定義の前に、掲題「魏志」が先行予約済みで読者は混乱します。俗称『倭人条』を通称『倭人伝』とすれば、学界作法にも反しないでしょう。

 それはさておき、「第一級史料」評価は至当であり賛辞に値します。この程度の表現でも、世間には、色々難癖を付ける人がいて、人格を疑わせる攻撃的言辞が飛び交うのですが、要は、総体的評価で、一番上質と見ているというだけで、およそ、史料には、誤記や誤伝があるのは、言うまでもないことなのですが、世の中には、内容に一つでも作文や齟齬があれば、史料として信用しないと、極端な発言をすることがいるので、氏のように、穏当な発言をしていただける方がいると、ホッとするのです。

 氏の史料観は、基本信条、「モットー」なので「明確に」記憶したいものです。

 とは言え、氏は、劈頭で「やまと」とふりがなした「邪馬台国」を信奉し、「モットー」と矛盾する誤謬を掲げているのは、もったいない話です。「魏志」の文献論議に、どうして、無関係。無根拠の憶測を持ち込むのでしょうか。多分、色々忖度しているのでしょうが、学問上の論期せに対して、異物が練り込まれているのは、もったいない話です。

*それは問題である
 因みに、氏の「問題」は、古典的な意味を守っていて、解消すべき「難点」でなく「課題」と見えます。定説派は、論議の際に、相手の論議の欠陥という意味に転用していて、意図が通じず、時に、無用のきしみを起こします。
 賢者が用意した「問題」には、必要な知識を身につけていれば自ずと解ける「解答」があるので、怖れる必要は無いのです。

*諸書の泥沼

 氏は、定説派の定番に似て「諸書」を羅列しますが、氏は、「諸書が『魏志』を引用するにさいしては、粗略な抜き書きと再構成がしばしばおこなわれており、いずれも史料的価値は『魏志』に比べて数段劣る。よって、それらの引用文を『魏志』以上に重視するのは、本末転倒といわざるをえない。」と読解評価を明記していて、この点を初稿で誤解していたのは、陳謝します。

*後漢書適正評価
 氏は、定説派の定番に似て諸書を列記しますが、史料の質に大差がありバラバラなのを、芋の子のように羅列して、数で片付けるのは、「ド」の付く素人だけです。

*後世史書・類書山積の惨状
 先行ないしは同時代に近い史書中、袁宏「後漢紀」は、東晋再興後、間もない時期の編纂であり、比較的、後漢書文書に近い資料が参照できたものと思われます。後漢献帝が半ば廃都と化した洛陽近郊に復帰した建安年間に、公式史書に準ずる位置付けで編纂を命じたものであり、杜撰な先行史書と異なり勅許で後漢公文書を参照できたと思われます。後代劉宋の笵曄は、散佚した後漢公文書に加え、後漢紀を大いに参照したものと思われます。(前漢紀と混同していたので、訂正しました。2021/02/05

 本稿関連の東夷記事の由来ですが、後漢創業期以外、桓帝、霊帝期以降は、東夷との交信がなく、依拠すべき公文書がなかったため、范曄は、対象年代がずれている魚豢魏略という、魏志同時代の著作から、後漢末と粉飾できる部分の「流用」、「創作」を行ったと見えますから、魏志批判への起用は本末転倒です。
                                未完

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