新・私の本棚

私の本棚の新展開です。

2023年2月26日 (日)

新・私の本棚 番外 makoto kodama 『「ToYourDay?」さんへの反論終了』

新・私の本棚 番外 makoto kodama 「ToYourDay?」さんへの反論終了 2023-02-25 17:32:23      初回 2023/02/25 23:57

◯引用とコメントのみ
どうやら、「ToYourDay」さんはもう歴史の話はしないようですね。
まあ、私的に考えた結果、「ToYourDay」さんは古代史論に関しては、邪馬台国論も『記・紀』に関する日本の古代史論も、私にまったく太刀打ちできないと判断したらしく、以降私に対する誹謗中傷のみに方針を変更したと思われます。

*当方の記事が読解できないと泣き言を言っていたのに、今度は、当方に関係ない発言で恐れ入ります。とは言え、ご壮健と拝察して何よりです。
『私的』、つまり、個人的、ときにはプライベートな日常雑感を、公(パブリック)の場に投稿するのが、ウェブログ、「ブログ」ですから、わかりきったことを説明戴かなくても結構です。

*「記紀」史料は原本が存在せず、原本を読んだものは生存していないので、貴兄も論義しようが無いだろうと配慮したのですが、当方は、いずれにしろ、無学、不勉強の素人であり、この場で論義できないと思う次第です。「倭人伝」は、紹熙本、紹興本などで、ほぼ確定しているのですが、「記紀」の「原本」は、どんな形で確定しているのでしょうか。「記紀」は、どんな日本語で書かれていて、読みやすいのですか、議論が分かれているのですか。そんなことを、詮索したくないから、論議の対象を仕切っているのです。分かりませんか。

*「邪馬臺国」については、貴兄に何の知識も無く、また、新たなに知識を身につけようと質問することもないのでは、本質的に、学問を学ぼうとする向上心も無いようなので、何を言っても受け付けないという態度ですから、一切論じるつもりはありません。

*当方のブログのポリシーは、中國史料である「倭人伝」論に、ほぼ専念です。知らなかったのですか?やっと悟って降参したのですか?「無条件降伏か」などとは言いません。質問ではないので、回答も要りません。


私には「ToYourDay?」さんの誹謗中傷に反応する義理もなく、歴史の話もしないようだから、馬鹿馬鹿しくなりましたので、勝手に討論を終了させていただきます。

*また、勝手に当方のブログ署名を改竄していますが、礼儀を守るのが、義理では無いでしょうか。相手を名指しすらできないようでは、誰のことを言ってるのか、分からないのですよ。もっとも、当方は「義理と人情を秤に掛けりゃ」、人情が重いと信じるものです。

つきましては、私のブログもかなり汚れてしまったので、今迄貴殿と討論した部分のブログは全て削除させていただきました。

*貴兄のブログは貴兄が誰にも命令されず、自分の意志で書いたのでしょうから、自分で書いて汚したと思おうが、ばらまいた火の粉のおつりと気づこうが、部外者である当方の知ったことではありません。鯱張ったご報告の必要などありません。わざわざ、謝罪していただく必要はありませんので、この手のご通告は、全て謝絶します。


但し、私は古田武彦説が間違っていることを確信しておりますので、古田説批判は引き続き続けていきたいと思います。

*当方は、貴方の確信について論義していませんのです。今回もそうですが、一切批判対象をハッキリさせないで、やみくもに攻撃しているのが、「うさん臭い」と指摘しているだけですが、このたびは、貴兄から説明の無いままで、「もうお別れですか」? いや回答して欲しいのではありませんよ。


勿論、貴殿による古田説批判ブログの削除命令に従うつもりは一切ありません。


*当方は、貴兄のブログに対して何の権限(Power)もないので、何の「命令」もしていないことは明らかです。一度厳しいことを言ったのは、不注意から第三者のブログを誹謗していて、ご注意申し上げても、一向に是正して頂けないので「是非に及ばず」強く指摘したのです。経過は、貴方が廃棄しても、残さず当方側に記録されています。ご心配なく。
*その件は、「第三者を巻き込むと、貴兄に予想外の影響が出ると懸念される」ので、きつく聞こえるようにメリハリを付けて言っただけで、いたわられていることが理解いただけないのは、想定内ですが、逆恨みに恐れ入りました。
*念には念を入れると、貴兄に対して、今後とも、命令することはありません。「命令には権限と責任が伴います」が、当方には無縁です。ご勘弁ください。その程度の分別も付かないで、良くおもてを歩けるものかと、感心したとしておきます。

*古田氏ネタのいちびりについては、当方には、古田武彦氏には、何の義理もないのですが、貴兄が、執拗に、見当違いに、やみくもに、当て外れで、勝手に、当てつけているので、誰にでも「冗談」と分かる形で、手厳しく揶揄させて頂いただけです。まさか、当てこすりが的を射ていたのではないでしょうね。いたわられても理解いただけないのは、予想通りですが、逆恨みに恐れ入りました。今回は、非難の矛先が来ていないのですが、言い忘れていて大丈夫ですか? いや回答して欲しいのではありませんよ。
 

*貴兄の発言が「言いがかり」であったことを証するために、当方のブログは、逃げ隠れせずに維持管理しますので、証拠隠滅しても無駄です。
*無教養な当方は、夏目居士の故事にならい、耳を「石で漱ぐ」だけです。

                                                  頓首

◯当ブログ読者の方に

 以上の通り、予告されていた『「ToYourDay」氏の批評に反論(其の一)』は継続されず、過去ログも、廃棄されたので、残念ながら、本件の応酬はここまでです。何やら、以上のように一方的な非難を頂いていますが、論争のならいで、最後の捨て台詞を相手に言わしておく訳にはいかないので、このように当方の総括を述べました。
 それ以上は、何もお知らせすることはありません。
                                以上

2023年2月25日 (土)

新・私の本棚 号外 ブログ記事 makoto kodama『「ToYourDay」氏の批評に反論(其の一)』 1/3

邪馬台国探訪 『「ToYourDay」氏の批評に反論(其の一)』2023-02-24 07:00:39 2023/02/25 1:21

◯今回は挨拶抜きです。 無礼を陳謝
 私のブログに対する長々とした批評、誠にありがとうございました。
 しかし、貴殿のブログを読ませて頂いた私が、何も心に残るものが無かった理由は、貴殿の話には何も新鮮な驚きが無かったことの証拠でしょう。

*どの記事に対する批評か、やじうまの方のために、ご面倒でも明記して頂けると幸いです。因みに、貴兄の「不感症」、「無感動症」、「朴念仁」を癒やす力は、持ち合わせていません。陳謝。

*もう一回だけ言いますが、当方は、貴兄の理解力がどの程度か知らないので、講評はしません。また、どのようにして、そのような放言を言いまくるのかも、知ったことではありません。
*いずれにしても、どんな顔で、他人に訓示を垂れているのか、いや、サイトでお顔を曝せと言っているのではないのです。

 とりあえず、貴殿の『魏志倭人伝』読解は間違いだらけと思われ、私の説に反しているばかりか、過去の多くの研究者の意見とも異なっており、貴殿にしか通用しない奇妙奇天烈な読解ばかりなのですが、御自覚為されておられるでしょうか?
*何を求めてそのようにおっしゃっているのか、知りたくもないので、千八百件あるブログ記事のどこまで読んでいただいたのか不明ですが、無意味な放言は大抵にした方がいいと言うだけです。色々おっしゃっても、根拠のない夢想の相手をしている時間は無いのです。

 多分、それらは全て、貴殿が古田説を無理に成り立たせる為に、偏向した読解をしているからであり、真実とはかけ離れた話なのですよ。

*未だに、貴兄が吊るし上げる「古田説」がどんなものか示されていないのでは、いくら頑張っても、貴兄の指摘の相手ができません。未だに、目に見える根拠を提示していないと気づいてないのでしょうか。


例えば、
> 漢文は、古典的な中国語であるから、字が違えば意味が違うのが鉄則です。
⇒ 私はこんな鉄則は聞いたことがありませんね。勝手に鉄則を決めないでください。

*聞いたことが無いのは、「無知」の自白です。これは、常識、自明です。常識を持ち合わせていないことを、堂々と高言するのは、理解できません。相手が理解できないことをあえて言い張るには、それなりの覚悟必要ですが、持ち合わせが少ないので、おわけすることは、とてもできかねませんので、ご容赦ください。

 多くの論者にとって、對海国が対馬国であるのは当たり前です。
 又、一大国は一支国の筆写間違いとされています。
 このように細かな文字の違いは漢文でもよくあることです。

*貴兄の名誉のために、不明瞭な発言では、いくら計算/計測/思量しても、何のことか理解できないと申し上げておきます。
*部分訂正のついでに言うと、「多くの論者にとって 」は、普通「。」までの局地的(local)な形容と読み取るものなののですが、貴兄の書き癖では、次の「又」によって受け継がれているとも見えます。但し、文末が、「とされています」ので、箍が外れています。それでは、高度な議論の役に立ちません。

 貴殿は對海と対馬、一大と一支も違う意味だと言い張るのですね。

*そうですよ。やっと理解できましたか。倭人伝解釈の初歩の初歩ですよ。次はようやく「初歩」に格上げです。
*ついでに言い足すと、「對海と対馬」、「一大と一支」の訛伝の理由が、同一のものか、別々のものか、当方には、よくわからないので、当方の主張として批判しないでください。

 また、私が「くだらん」と切り捨てたのは、「邪馬壹国」説のことですから、誤解無きようお願いします。私は邪馬壹国は耶馬臺国の筆写間違いだと以前から言っているのですよ。

*貴兄の誤解癖/気質/泥沼はよくわかっていますから、恥をさらさないように話題を外しているのです。目下の議論は行程道里記事の解釈ですから、半島陸行という「正論」と海上街道という「邪論」の論義と思ったのです。
*個人の情緒、情愛、気分に任せて乱暴に切り捨てるのは、ひたすら無法です。

*ご存知ないかも知れませんが、中國古典の「地理」論で、「邪」とは、東方方向に進むことを言うのです。別にも後世人の正しい、間違っているとは、直結していないのです。ここも、丁寧に、丁寧に、丁寧に話しています。

                                未完

新・私の本棚 号外 ブログ記事 makoto kodama『「ToYourDay」氏の批評に反論(其の一)』 2/3

邪馬台国探訪 『「ToYourDay」氏の批評に反論(其の一)』2023-02-24 07:00:39 2023/02/25 1:21

 つまり、この件を殊更に問題化したのは、古田氏とその信奉者だけなのです。

*へえ~、そうでしたか知らなかったとでも返すのでしょうか。何が殊更か分かりませんが、稚拙な「論拠」で反論し論義を泥沼にしたのは、反対派ですが、ことは、解釈できるかできないかという「問題」(question)なのです。

> 「『記・紀』は大部分が正しいことが記されている」とは当世には随分希で、多分新説なのでしょうが、これほど雑駁な提言を支持する方は、「ほとんど」いないのではないですか。
⇒ このような決めつけた話を言い張る貴殿は、津田左右吉史学にどっぷりと浸っているようですね。

*言い出しっぺがごまかしていては見苦しいところです。失言は失言です。当家の風呂場を盗撮しているとは知りませんでしたが、今回は、告発はしません。
*ちなみに、「津田左右吉説」はあっても、「津田左右吉史学」などないというのが、世評では無いのでしょうか。貴兄が、格別のご執着を示されている古田氏は、貴兄の愛好されている津田説に、随分批判的でした。どちらに組みするか、それが「問題」です。

 つまり、貴殿は自分の考えが多数派だから正しいと言っているのでしょうが、多数派が必ずしも正しいわけではありません。

*多数派に格別の意味は無いというのは、当方が言い続けている意見です。この堂々たる「パクリ」、無断盗用は、恥で無いのですかと言っておきます。要するに、貴兄の一本調子の論義に皮肉を投げかけたのです。


 例えば、津田史学では第10代崇神天皇以降が実在人物であり、それ以前の天皇は架空だと見做していますが、この件に関してはどうお考えですか?
 私は神武天皇以降の天皇が、全て実在したと考えていますから、上記のような話を持ち出すわけですよ。
 実際、邪馬台国畿内説派は倭迹迹日百襲姫命を実在人物としており、しかも卑弥呼だと言うのですが、その父親である孝霊天皇は架空の天皇としているのです。つまり、父親のいない人物が実在する。このことについてはどうお考えですか?

*本件の対象外、論外ですから、お付き合いしかねます。因みに、「上記」とは何のことですか。「処女受胎」説、いや、どうでもいいのですが。

> それは、とうの昔に測量されていたから、正始魏使現地測量説は、有名無実の空砲です。
⇒ また、御自分の空想(妄想)を正しいと決めつけていますね。
*正しいと思わなければ高言しません。貴兄は自身の虚言癖から他人も同様と決め込んでいるようですが、虚言癖で生き続けるのは困難なのですよ。

 まあ、そう考えるのが論者の常ですが、それでは具体的に測量は何時の時代に行われたのでしょうか?
*既に説明済みですから蒸し直しはしません。各千里の海上行程については、測量してないと明言しています。お得意の「スルー」ですか。いや、今回は、誤変換しなかったのでお許し頂きたい。「空砲」の意味はご承知ですか。

 もし、答えられないなら、里程はこの時の帯方郡使の報告でいいですね?

*相手の全否定を読み取れないで、仮定質問では、「ご勝手に」です。貴兄の手口を真似ると、無料だから、ブログ記事を全部読め、と言うところです。


> 折角、丁寧に、丁寧に説いたのですが、「分からない」と「ズル」されたようです。

                                未完

新・私の本棚 号外 ブログ記事 makoto kodama『「ToYourDay」氏の批評に反論(其の一)』 3/3

邪馬台国探訪 『「ToYourDay」氏の批評に反論(其の一)』2023-02-24 07:00:39 2023/02/25 1:21

⇒ 「分からない」ことを「ズル」と決めつけるのもかなり失礼ですね。

*よく振り返って頂いたら、多分おわかりになるでしょうが、「ズル」と書いたのは、貴兄が「スルー」と書いたのを、また誤入力かと思って試してみただけです。ほかでは、「切り捨てる」などと「自褒め」されていますが、ここでは触れません。

*正直言って、都合の悪いことを見事に読み飛ばしているのは、当然とは言え、絶妙芸です。「普通の言葉なら曲解されない」と言いたかったとも言えます。それを猿まねされたら、お怒りなのでしょうか。
*誤解の訂正は、貴方に見習って割愛するので、適宜読み替えてください。「スルー」は、貴兄の発案ですから自業自得でしょう。それにしても、「丁寧に」を二回は、「スルー」「スルー」でしょうか。「サラサラ」「サラサラ」でしょうか。

 貴殿の文は、例え丁寧に書いても、他人には殆ど理解できない下手くそな文です。

*貴兄は「他人」が、「客観的な第三者」という「芋」、いや「意味」と理解してないようです。また、貴兄に「下手くそ」と褒められても、気味悪いだけで、特に意味は無いのです。
*「丁寧に書いても」と書換挑発されたら、もっと「丁寧」に書くとお考えでしょうか。読解力がないと高言しておいて、こっそり媚びを売るとは、不思議な感性の持ち主です。それにつけても、「著書を買って読め」と強圧的な「営業」は自省されたようです。

 これでも私はかなり(勘)も交えて、読解困難な貴殿の作文を頑張って読んだのだから、その辺りも考慮に入れ、「ズル」と、一瞬で切り捨てるのはお止め願います。

*「これでも」かと目を剥いて、割り「勘」を提案されても、当方にはお手元が見えないので、「どれ」のことか「理解」はできません。伝わったのは、貴兄が、史学論者として、一人前の読解力に欠け、向上心も瓦解していることの辞任、いや自認、自白して、悲しくて、悲しくて、やるせなくなって、泣きを入れたというだけです。
*因みに、史学分野の学術論義に存在しない「スルー」の意味を理解しようと苦労したのですが、当方所持の辞典のどこにも明解はありませんでした。それで、「ズル」の誤変換という仮説を提示したものです。分かるかな。
*史論で、圏外の言葉を、語彙が異なって意志が通じないと分かっている相手に、無造作に投げつけるのは、みっともない手口です。体面でないので、問い返せないのですよ。せめて、自問自答されたらどうですか。誰も聞いていないところでですが。
*要するに、今回も本音が真っ直ぐに聞けなかったのです。まあ、古代史学会は、学会の態が無くて、ライ麦畑で投げっぱなし、言いっぱなしで聞くこと無し、「耳日曜」が大勢ですから、当方が、頑固でも、大勢順応の表れということなのでしょう。

◯まとめ~余談だまり
 相変わらず、根拠の無い臆測「反論」でやんぬるかな。
 多数派論義で分かるように、氏は、自分が、多数派こそ正義とつい今し方まで力説していたのを忘れて放言していて、誠に困ったものです。これでは、論義が進みません。誰と何の話をしているのか、認知が飛んだのでしょうか。大丈夫ですか。航海、後悔、いや公開する前に、「ちゃんと」黙読して読み返していますか。

 それにしても、持病の「古田説」礼賛は、今回も根性が入っていて、何か年代物の感情の縺れを思わせます。大丈夫ですか。

 以下、しょうもない鬱憤晴らしの冗談なので、聞き流し、「ズル」していただければ、むしろ幸いです。
 ひょっとして、当方が慌てて古田氏の全著作を買い付けると期待したのでしょうか。回りくどい「サクラ」、「ステルスマーケティング」で、ブログ主がどれほどの「利」をえるのか分かりませんが、自分の書庫に無い「古田説」の新説発掘を、赤の他人に押しつけるのは、動機不純と見えます。
 何しろ、某wikiサイトの家主に、当方は「百害あって一利なし」、つまり、「営業妨害は大迷惑で、おまえがいると大損する」と泣き出されたので、ついついその方向に目が行くのです。
 よそごとで、傍迷惑でしょうが、論争に私利私欲を交えていると「邪推」されると随分損をするのですよ。

 慌てて補足すると、自著の営業は当然中の当然ですから次元が違うのです。
 他人を動かすには、誠意あるのみです。
                               以上

2023年2月23日 (木)

新・私の本棚 番外 makoto kodama 「ToYourDay」さんへの返信(その三)

 邪馬台国探訪 「ToYourDay」さんへの返信(その三)  2023-02-21 05:25:38  初稿 2023/02/23

◯突然のご意見で戸惑いますが、今回の出典は、魏志東夷伝韓伝です。
景初中,明帝密遣帶方太守劉昕、樂浪太守鮮于嗣越海定二郡,
「以下略」
あれれ~!
原文深意を無視し、自説に都合よく解釈してるのは貴殿の方ではないですか?

*本件は、貴兄の先だっての「韓国乱」論義で引用時に、解釈を怠って「無視」したのを、当方が原文復元して、合理的と信じる「解釈」を提示したものであり、従って、この場では、この部分に関する貴兄の解釈は、一切示されていないのです。つまり、当方が提示した「解釈」には、貴兄の「お手本」がないのであり、ご指摘は場違い/唐突です。と「回答」しました。という是正は置くとして、ご不審は解消したのでしょうか?(質問には、回答ください)当方の回答が出し遅れていて、2023/02/24に部分的に追記したので、後日の回答で「大丈夫」です。

> 景初中、恐らく初頭に魏明帝は、公孫氏遼東郡配下となっていた両郡に新任太守を送り込んで、直轄郡とする「人事」を行ったのであり奪取などではないのです。
⇒ 何で公孫氏支配の両郡に魏が勝手に太守を送り込むのが、奪取でないのですか?しかも、この文は、二郡を定むと書いてあります。定むとは楽浪・帯方二郡を支配下に置く=公孫淵から奪取することですよ。
 明帝は公孫氏支配の楽浪・帯方の二郡を司馬懿の公孫淵総攻撃に先立って奪取し、太守だけではなく、兵も駐屯させたのです。更には荊州刺史毌丘倹に命じ、高句麗や烏桓を味方につけています。これを以て、明帝の魏は公孫淵包囲網を完成させたのです。公孫淵はこの時点で既に、滅亡は避けられない運命に陥っていたのです。

*ここまでは、当方の論旨を取り入れたカンペを読み上げていて、大筋に文句はありません。なぜ、些細な勘違いにこだわるのか、誠に困ったものです。

 勿論この策は、司馬懿仲達が考えたものであり、明帝は司馬懿の懸案に従って、命令を発していたのでしょう。

*説明不足と言われると随分情けないのですが、もともと、帯方郡は、明帝の臣下であり、単に遼東郡太守の配下から外して、皇帝直轄に格上げとしただけです。単なる人事異動を、「勝手」、「奪取」は、的外れで滑稽です。秦漢以来の郡制を知らずに、何が、「もち」の「ろん」なのか、不思議です。なぜ無理するのか、不可解です。
*これを、司馬懿の懸案(献策?)と解するのは、貴兄の酔余の思いつきに過ぎず、よく言って勘違いでしょう。
*「本当に」司馬懿の功績なら、韓伝に「明帝の指示により」と書くのでなく、明帝紀に「司馬宣王」の功を滔々と書くでしょう。世間では、陳寿は、司馬懿以下の司馬氏に媚びていたと、勝手に思い込んでいる人がいますが、この記事の扱いに、そのような深意は、一切見て取れないのです。貴兄の読解力の限界を示唆するのは、不届きでしょうか。そうは思わないので、子供に言うように念押しする義務を感じたのです。
 それは、もちろん、高度な史料解釈であり、「訳」(わけか?)などではないのです。いわば、大人の解釈です。小人に分かるかな。
*当方は、相手の知識、経験の不足を攻撃するのは、不本意なので、本件の追求はここまでです。

 以上、貴殿の場合は何か書き込む毎に、貴殿が敬愛する古田説を無理に成り立たせる為に、間違った訳をしていることを露呈し、ぼろを出してるだけのようですね。
 もうこれ以上、噓をつくのは、そろそろお止めになられたら如何ですか?
 なにしろ、古田説自体が間違っており、成り立ちようのない駄目説なので、いくら庇っても、庇いきれるものではありません。

*相変わらず、自信がなくなると「古田大明神」の裾にすがって泣き出すのは、大人の態度では無いでしょう。ここに来て、言葉がだぶついて、目が泳いでいます。ネタ切れですか。
*今回、貴兄に求められたのは、『両郡回収が司馬懿の献策という「思いつき」の論証』であり、説明に窮して逃げ出して悪態を吐くのは誠に困ったものです。せいぜい、見解の相違で済むのに、場に粗相するのは困ったものです。
*せめて「古田説」なる「妖怪」の内容を明示すべきではありませんか。それとも、古田師の著書全部を買い付け、自力で、捜索せよというのでしょうか。困ったものです。
*当方は、間違いがあってもウソはつかないので、貴兄の言は、見事な罵倒、誣告です。(褒めているのではないことを念押しします)何でもないことに動揺し、取り乱して、天下、そして後世に恥をさらさないように、ご自愛ください。当ブログの方針に縛られているので、醜態とは言いませんが。
                                以上

新・私の本棚 番外 makoto kodama 「帯方郡から邪馬台国への道程」 1/5

  帯方郡から邪馬台国への道程 当初『古代史の散歩道』について NEW!2023-02-22 16:38:47

◯始めに 2023/02/23
 氏は、なぜか、ブログ名を誤記し続けているので、これでは、「第三者に迷惑がかかる」とだけして再確認しておきます。
 と言うものの、忽然と訂正されて、後追いで訂正していますが、見落としがあったら、ごめんなさい。

*本文
 今後は、論義の場なので、二人称を「貴兄」としています。
 折角、コメントを頂いた「ToYourDay」さんには、出来るだけ返信しようと思うのですが、
「ToYourDay」さんの書き込みの大部分は私への誹謗中傷であり、そんなものに私が答える必要はサラサラないので、罵倒は流石にスルーさせていただきました。
 そして、一応学術的要素が少しは見られる部分だけお答え致しましょう。

*どこが「誹謗中傷」なのか「ズル」引用発言で分かるのでしょうか。
*一般読者の理解のために、「誹謗中傷」発言(告発か?)を字数分析いただけると、「大部分」と激昂される意味が明確になるので幸いです。
*それにしても、(血液?)「サラサラ」とは、老骨にはうらやましい限りです。いや、(血液?) ネバネバとしたら、大事件です。

> 「隋書」と言うからには「俀国伝」のことでしょうが、同伝に「倭人」は登場しません。
*隋書全体を読めというご指示には従えないので「伝名」確認しただけです。

⇒ 「俀国伝」に「倭人」が登場しないとはどういう意味でしょうか?
*論旨明瞭として提示した拙文を読み返していただければ幸いです。

 もしかして倭人と俀國、或いは俀人とは別物だと仰られるのですか?
*仮定の質問にはお答えできません、と言いたいところです。この発言を、形式的な質問と誤解したら、また叱られそうなので、首をすくめておきます。
 俀国も倭国も同じものです。「ToYourDay」さんは細かなところばかり拘るので、大局を見失い、何の発見もないのです。
*わかりきっていますが、大局は細部に立脚するので、まずは細部から議論を始めるのです。「大局」は、貴兄の信奉教義で不可侵なのも関係しています。
*「着眼大局着手小局」は、味わうべき先賢の至言です。当方は、新発見を目指しているのではなく、原文原解釈の復元を進めているのです。ご指摘は、誤解とは言え「名誉」です。と言うものの細かなことに「ばかり」固着できていたとしたら、さらなる「名誉」です。
*因みに「倭人伝」に「俀国」と同水準で「倭国」と書かれていないのです。そして、隋書に「俀人」はないのです。ちょっとむつかしいのですが、意味が分かりますか。漢文は、古典的な中国語であるから、字が違えば意味が違うのが鉄則です。一方、緩やか、ゆるゆるな日本語の漢字は、融通が効いて大違いなのです。違いが分かりますか。
*いや、以上の書き分けは、大抵の日本の論者は、大して気にせずに読み過ごしているので、気づかなくても、別に恥ではないのです。
*史官である陳寿は、三世紀当時と古来との用語輻輳を避ける工夫を凝らしているので、当時の「読者」のつもりで明解して頂きたいものです。

 例えば、邪馬台国が邪馬壹国だとしてもたいした問題ではありません。
 こんなくだらんことに必死で拘る処も教祖様の古田氏ゆずりですね。
*これは、既に先賢諸兄姉の一部で説かれている革命的な卓見ですが、ぜひ、貴兄も、このような閑散地での発言とせず、堂々と発言頂きたいものです。多分、「くだらん」と切り捨てられた「邪馬台国」派の皆さんから、非難が殺到するでしょうが、当方の知ったことではありません。

*因みに、言うことがなくなったあせりからではないでしょうが、名物の「教祖様」とは、貴兄の個人崇拝趣味丸出しで応答に困ります。

*よく読み返して頂ければ分かるように、当方は、特定の説(?)にこだわらず、初心の目で原文改竄の風潮に異議を唱える「イロハのイ」です。分かりますか。本当に、分かりますか。

                                未完

新・私の本棚 番外 makoto kodama 「帯方郡から邪馬台国への道程」 2/5

  帯方郡から邪馬台国への道程 当初『古代史の散歩道』について NEW!2023-02-22 16:38:47

> 古田武彦氏は、俗に「九州王朝説」とされる一説を提示していて、
 要するに、隋書の「俀国」は、「倭人」の後裔だとしました。
つまり、卑弥呼~壹与の系統が、「倭の五王」を越えて続いていたと見たものです。

⇒ 卑弥呼~壹与(天照大神)の系統が「倭の五王」を越えて続いていたと見るのは、『記・紀』も同様です。

*折角、貴兄の斬新な解釈ですが、卑弥呼も壹与も「倭の五王」も、古事記、書紀に不在なのは周知です。

 逆にそうではないとする説を立てると、『記・紀』に逆らうことになります。
 私は、天照大神の系譜が現在迄続いてはおらず、天皇家には何度も断絶があると考えているので、『記・紀』に逆らっています。
 断絶の一つが、仲哀天皇と神功皇后及び応神天皇の間です。
 なにしろ、神功皇后と応神天皇は武内宿禰の力を借り、仲哀天皇の血族を全て滅ぼしているので、この系譜は元々連続性がまったくなかった処を、『記・紀』が神功を仲哀天皇の皇后とすることで、無理に天皇の系譜を保たさせたと考えられます。
 私は応神天皇を実際は新羅からの渡来人、即ち融通王=弓月君であり、元々が秦氏の王だったものと考えています。つまり、日本は本来秦氏政権です。
https://ameblo.jp/makoto-kodama/entry-12453726689.html タイトル不明
*何やら、当面の論義外の字数を費やしていますが、無関係の冗語は「ズル」します。くわばらくわばら。

 ところで古田氏の「九州王朝説」は大和王朝とは別に、九州には倭の五王の王朝があったとする説ではなかったですかね?

*やっと、現世に回帰されたようで、同慶の至りです。
 当方は、議論の手がかりに、周知と思われる「一説」に言及しているだけで、貴兄の所信を踏みつけないように、遠回りしているのです。

 つまり、応神や仁徳及び履中、反正天皇などは倭の五王ではないのです。しかし私は応神は最初九州に王朝を作りましたが、途中から河内に東遷したと考えています。
 つまり、『記・紀』は大部分が正しいことが記されているのであり、古田氏の如く、「倭の五王」は応神や仁徳及び履中、反正ではないとする飛躍しまくった説を騙るのは、あまりにも想像力が豊か過ぎると云うものです。

*「『記・紀』は大部分が正しいことが記されている」とは、当世には随分希で、多分新説なのでしょうが、これほど雑駁な提言を支持する方は、「ほとんど」いないのではないですか。まず、「古事記、日本書紀一体」論は、世人から見捨てられているのではないですか。
*「まくった」「想像力が豊か過ぎる」とは、誰の「尻」に追従するのでしょうか。大丈夫ですか。
*いずれにしろ、貴兄の自己宣伝は、貴兄サイトでは仕方ないとします。
*ともあれ、無関係な雑談で貴重な行数を空費しましたねと指摘します。手元の貴著を開く気が無くなっています。

> それに比べれば、正始魏使が延々と、道里を測量したとの空想譚は罪がない方です。
誰が考えても、狗邪韓国から末羅国までは、測量のしようがないし、
奴国、不弥国、投馬國は、魏使が立ち寄っていないので、
結局、道里が分かるのは、帯方郡から狗邪韓国までの街道であり、
それは、とうの昔に測量されていたから、正始魏使現地測量説は、有名無実の空砲です。

*折角、丁寧に、丁寧に説いたのですが、「分からない」と「ズル」されたようです。
*因みに、空砲は大変高度な国際儀礼です。念のため。

                                未完

新・私の本棚 番外 makoto kodama 「帯方郡から邪馬台国への道程」 3/5

 帯方郡から邪馬台国への道程 当初『古代史の散歩道』について NEW!2023-02-22 16:38:47

*批判を続ける
⇒ どうやら貴殿は古代人の能力を過小評価するのは、かなり妄想力が豊かな方のようですね。

*追従頂いても、文法が乱れている上に、用語が、少なからず意味不明なので喜べません。「能力」、「妄想力」って何ですか。普通の日本語で無いと、お相手に、と言うか、世間に、伝わらない可能性が高いのですよ。
*当方の提言の大局を理解できないのに、いきなり些細な点を「過小評価」と断定されていますが、根拠無しの主張はするなと天の声に叱られそうです。

 でも古田説信者には、そのような論者が多いのですよ。何故なら、そう考えないと古田説が成り立たなくなるからです。
*「古田説」なる「妖怪」を偏愛されて、潜入捜査でもしているのか。確固たる統計数値管理を確保されているようですが、「妖怪」/「亡霊」の実体は何ですか。貴兄は、格別の熱意で、古田氏の、確か30冊近い著書を読破されてのご意見でしょうが、一般読者にそれを見習えとは、あんまりです。

 狗邪韓国から末魯国迄の測量ができないとは、海の上の測量は出来ないと言っているのでしょうが、当時の海人族は、測量の為の様々な技術を持っていたはずです。
*「当時の海人族」は、引用符無しの不意打ちで、貴兄の独創の独自用語のようですが、当方は、にわかに、具体的に認識できないので「様々な技術」とどんぶり勘定されても、何のことやら分かりません。「根拠無しの主張はするな」と、叱られそうです。
*大相撲の技ならともかく、「はず」の決め技は感心しません。要するに、そのような技術は、実在しなかったと半ば自認して、損しています。

 なにしろ、実際に『魏志倭人伝』には里程が記されていますからね。
*何が「実際」なのか。先に挙げた趣旨説明が「無理解」でしょうか。自分好みの情報だけ取り出すのは、貴兄が、「密かに」私淑されている古田氏の手口と、丸見えですよ。

https://www.yachting.com/ja-jp/news/how-to-judge-distance-at-sea タイトル不明

*突然、水平線の向こうから担ぎ出されているのは、yachting°comマガジンに掲載された「海上での距離の測り方」なる記事のURLだけの引用のようです(然るべく特定されていないので、確認困難)が、このような形で貴兄の「実際に…里程が記されています…」発言の責任を押しつけられて、記事筆者はご迷惑と思います。いや、多分ご存知ないのでしょう。何の相談も無し(注記無しなので、そのように思われる)に、引き合いに出されて、責任を問われるのは、だれが考えても、不本意でしょう。

 同サイトには、特に権利関係の掲示はありませんが、と言うことは、同サイトの記事は著作権が有効な「著作物」であり貴兄が引用を「ズル」(「スルー?」)したのは無理からぬところですが、このように、第三者の曲解を誘う示唆は、同記事の利用として、「かなり好ましくない」ものと思います。因みに、当方は適法に引用しています。

当記事は、あくまで、海図、羅針盤をはじめとする現代科学機器を備えた練達の船乗りのご意見であり、同一状況での「天の声」として、なぜそれが三世紀の状況に適用できると考えられたか、素人は、理解に苦しみます。三世紀に、海図、羅針盤,六分儀などは一切無かったし、 メートル法/SI単位は無かったし、海里も無かったし、そもそも、当時の里の長さが問われているのに、この「立証」記事は、誠に不可解です。
因みに、三世紀当時、高精度の羅針盤どころか、磁石も無かったのです。
因みに、貴兄が頑として根拠とされるなら、ご自身で記事筆者に、趣旨確認頂きたいものです。本件の論義は、それまで脇に置きます。

[引用開始]
 私たちの目は、対象物との距離によって、次のように見分けることができます。
400mまで:衣服の細部、見慣れた人など  [中略]
2,000mまで:中型の孤立した樹木
4,000〜5,000mまで:道路や家屋など
ただし、これは船から陸地が見えている場合、たとえば島と島の間を航行する場合などに限られる。しかし、外洋では距離の測定はより複雑で、常に誤差が生じる。その精度は、航海士の経験に比例する。例えば、経験上、ボートから1海里離れた物体は、視界の良いところでは手の届く範囲に見えるが、視界の悪いところではもっと遠くに見える。
[引用終わり]

 記事を熟読しても、とても、とても、貴兄が当然とされている「測量」にほど遠い、あやふやな目測でしかないのです。いや、「倭人伝」は、陳寿の適切な配慮により、無用な端た里数を記載せず、千里単位のどんぶり勘定なので、このような命がけの精緻な目測は、「はなからいらない」のです。
 ついでに言うと、当時は、遠方から視認できる「道路」、「橋梁」はなく、遠目で見て取れる背の高い建築物も無かったのです。どんな手段で、千里の果ての地形を精測できたのか、ご教授頂きたいものです。(誰か、言葉の通じる人が、回答してください。「スルー」は、ご勘弁ください)
 こうした理不尽な主張は、「倭人伝」原文に、「縁」がない風聞として、早々に引き取って頂きたいものです。


                                未完

新・私の本棚 番外 makoto kodama 「帯方郡から邪馬台国への道程」 4/5

 帯方郡から邪馬台国への道程 当初『古代史の散歩道』について NEW!2023-02-22 16:38:47

*海上での対象物との「距離」の、大変大雑把な、但し、実務に差し支えない程度の認識方法として示唆頂いていますが、あくまで、ヨット航海の話であり、これは「測量」とは、全く別のものです。三世紀時点の公式道里測量方法として時代考証技法として有効かどうか、再確認いただくことをお勧めします。
*例えば、対馬から韓国釜山付近までの「距離」は、5,000㍍を随分超えているように見え、水平線効果や霞による認識の困難性が、随分あるかとも思われますが、三世紀に於いて、そのような状況での「測量」を証するのは貴兄の義務なので、当方は手を出しません。お大事に。

これを出来ないと決めつけるのは、単に貴殿が思考停止に陥っているだけでしょう。
*ご心配頂いていますが、取り敢えずまだ脳死には陥っていないので、救急車に無駄な出動を促すような発言は、控えて欲しいものです。因みに、貴兄から「貴殿」と呼ばれるのは、独自用語の罵倒なのかと、不安になります。
*因みに、当方の言っているのは、合理的な判断として、魏志が、重要任務の途上で、高度に困難な海上道里(?)測量したとは、とてもとても思えないと言っているのです。
 これは、当時の諸資料に総合的に基づく判断なので、異議があれば、第三者に迷惑をかけないように、具体的に有効な証拠を提示して欲しいものです。
倭人伝の三度の渡海行程は、一律千里であり、これが、「測量」されたものでないことは、むしろ「通念」と思うのですが、なぜ、そうでは無いと思うのでしょうか。「測量」したと決め付けておいて、中国古代の「普通里」(四五〇㍍程度と想定)と測量値が整合しないとしているのか、誠に不可解です。

但し、海上の距離計測は歩数を数える陸上に比べどうしても、誤差が多くなります。
*六倍近い齟齬は、「誤差」などと呼べないのは、学術的に明らかです。

だから、『魏志倭人伝』は陸上の里程の方が、海上の里程よりも長くなっているのです。
*とれとれの新説のようですから、早速論証してください。

> ついでながら、魏晋と交渉のあった「倭人」は、国名、王名、王城の位置、戸数、道里を公孫氏を介して魏朝に報告することによって、中国王朝の臣下と認められ、魏明帝から「親魏倭王」印綬を受け取っていたので、最早、所在不明の夷人ではなかったのです。
⇒ 倭人は夷人です。

*文意を取りこぼして当方が「アホで間抜けと言いたい」ように読めますが、まずは、当方の意見は「最早、所在不明の夷人ではなかった」と、丸ごと理解いただきたいものです。それが、初歩の初歩です。古代史学の幼稚園です。

 貴殿は古田説が成り立つように最早、所在不明の夷人ではなかった偏向した考えばかりされるので、そのような珍説に陥るのでしょうが、「倭人伝」が「東夷伝」の中に記されていることからも、倭人が夷人であることなどは当たり前の話です。

*「当たり前の話」で理解度を確認したので、早速報復されていますが、ここだけは、読めているようです。
                                未完

新・私の本棚 番外 makoto kodama 「帯方郡から邪馬台国への道程」 5/5

 帯方郡から邪馬台国への道程 当初『古代史の散歩道』について NEW!2023-02-22 16:38:47

独自で新奇の説と評価頂いて光栄です。理解できない主張を批判する心境は、気の毒としか言いようがありません。それにしても、困ったときの定番「古田説」頼みは、忠誠宣言としても、珍妙なものです。貴兄の住まうこの古井戸の中での意見では、何の役にも立たない「お追従」と見えますから、失礼させて頂きます。

 ところで、「倭人が公孫氏を介して、魏朝に報告した」とは何事ですか?
 そんな大間違いの読み方をしているのは貴殿だけですよ。
*「貴殿だけ」とは、二人きりの場でと言う事でしょうか。随分屈折した言い方ですが、大丈夫ですか。
*当方の「仮説」の当否は、貴兄一人に決めて頂く者ではないのです。
*公孫氏は、後漢建安年間から魏景初年間あたりの漢魏制郡太守であり、所管地域の夷人を仕切る義務があったので、取り次ぐも取り次がないも、公孫氏の権限内だったのです。貴兄が、何を元に判断されているのか不明、不可解です。貴兄の知己が、何を知っていて何を知らないか不明なので、論義できません。

 貴殿の解釈は古田説を成り立たせようとするバイアスが掛かっているから、そんな妙な訳を思いつくわけですよ。

*当方は技術者上がりなので、「バイアス」は大変な褒め言葉です。
貴兄が広く信者を募っているのであれば、何が言いたいのか意味が通じない可能性が高い、生煮えの独自カタカナ語で無く、「普通の日本語」で語ることをお勧めします。と言いつつ、絶「妙」との賛辞は感謝します。

 倭国は長い間公孫氏に邪魔されて、後漢や魏との交易が出来なかったのです。
「長い間」とは、いつからいつまで、何年間を称しているのでしょうか。数値化していただかないと理解も同意もできないお願いするのは、別に「罵倒」にはあたらないと思いますが、貴兄の辞書は不可解なので断定はしません。

*当たり前のことを言うのも辛いのですが、中原王朝が、仲介抜きで蛮夷と「交易」とは、何とも名状しがたいものです。大丈夫ですか。
倭人伝を含む東夷伝は、遼東公孫氏が討伐に値したとの趣旨で書かれているので、正確な理解には、十分注意する必要があるように思量します。
*当方の提案では、「公孫氏は、倭人の存在と素性は報告済み」と見たものです。でないと、明帝指揮下の新太守の進言で倭使を招聘しても、洛陽から上洛許可が出るのが早過ぎないでしょうか。もしもし、分かりますか。

 ところが景初二年(AD238)魏が楽浪・帯方二郡を奪取して倭国との道を開くと、この時を待ち構えていた卑弥呼は、大急ぎで魏に貢献使を送りました。だから貢献物が生口十人と僅かな布だけと云うしょぼいものになってしまったのです。
貴兄は、倭使の貢献ならぬ手土産を「しょぼい」と速断しますが、その場にいなかったのに、後世東夷の私見の押し付けは如何なものかと思量します。倭人は、ぶっ殺された公孫氏への献上並に豪勢なものを意図したはずです。

 「奪取して」「待ち構え」とか、話を盛り上げるのは感心しないものです。

◯総評
 同氏が、当方が念入りに書き込んだ論説の文字を読み解けないのは、大分分かってきたので、最後のお願いとして、以上の反論を上程するものです。
 当方の掲載した記事は、かくのごとく全文記録され、長期保存するので、読者各位におかれては、氏の発言が当方の助言への応答として妥当かどうか、個別に検討いただければ、幸いです。匙投げカウントダウン状態です。
                                以上

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