新・私の本棚

私の本棚の新展開です。

2022年6月26日 (日)

新・私の本棚 ネット記事「現代人でも至難の業! 卑弥呼の船はなぜ大陸から帰れたのか」 1/4

 「逆転の発想」から見えてくる邪馬台国  播田 安弘
日本史サイエンス〈弐〉邪馬台国、秀吉の朝鮮出兵、日本海海戦の謎を解く 講談社 ブルーバックス

◯はじめに 
 本稿は、ネット記事の紹介であり、このように、堂々と販売促進されている以上、記事自体の批判も許されると考えて率直に批判しました。抜粋の文責はサイト編集部でしょうが、著者了解済みと見て書いています。
 因みに、「なぜ卑弥呼の船は戻れたのか?」は、意味不明の大滑りです。

*不吉な展開~トンデモ本の系譜継承か
 なぜ卑弥呼の船は戻れたのか? 船舶設計のプロフェッショナルであり、このほど『日本史サイエンス〈弐〉』を上梓した播田安弘氏の仮説から、邪馬台国への意外なルートが見えてきました。

 ここで、著者紹介は「船舶設計のプロフェッショナル」と認定していますが、本書で問われる古代木造船設計建造に、どんな知識、経験を保有していることか。
 要するに、現代の大型鉄鋼船舶は強力な推進機関と航海情報を有していて、造船所は、巨大な鉄鋼構造物の力業で蠢いています。そのような「現代人」の古代船「初心者」の「素人考え」が無造作に開陳されていると見えます。

*不吉な課題呈示
「卑弥呼の船」を考える
 弥生時代の日本で邪馬台国が最大の国として発展したのは、女王・卑弥呼が中国大陸と活発に交流し、先進的な文化や技術を導入した……

 氏は、古代史に関して素人と見え、無造作に始めますが、三世紀、「日本」は存在せず、筑紫に限定しても「最大の国」など時代錯誤です。「女王が「中国大陸」と交流」とは、大変お粗末で、人が「大陸」とは交流できません。魏が中原を確保しても、南に漢帝国の継承者と自認の漢(蜀漢)が健在で子供だましです。

 倭から「大陸」に至るには、半島上陸後、街道で帯方郡に至り、郡官吏の同伴で山東半島から洛陽に赴きます。当時、遼東は関係ありません。
 洛陽に到着すると、まず、鴻臚の典客担当は、蕃人を「客」と煽(おだて)てつつ、人前に出られるよう行儀を躾けます。最後、手土産、印綬を与えて、送り返すのですが、辺境で厄介事を起こされて始末するよりは、随分安上がりなのです。
 こうして見ると、「大陸と交流」は安易な思い過ごしと見え、まことに不勉強です。

 「先進」文化を採り入れようにも、まずは、漢字習得と言っても、万に及ぶ文字の発音と字義の記憶で、。文字文書がうっすら理解できるというだけでなく、中国文明の根幹である、四書五経の暗唱、解釈を身につけることが、「文化」の大前提であり、また、幾何(算術計算)習熟も必須です。「技術」は、言葉が通じるのが、実務/徒弟修行を通じて、伝授/習得/技術移管できるものであり、手軽に「導入」などできません。
 また、女王が如何に意欲を持っていても、当時の情勢を眺めると、文化/技術指導者が、先進国での栄達を捨てて、生存も覚束ない倭に移住し、途方も無い労苦を厭わずに指導にあたったとは思えません。
 古代に何か想定しても、時代考証を重ねないと、単なる夢想に終わります。

*関係不明な遺跡紹介
 以下の遺跡に、参考になる出土品が4例あります。(略)
 卑弥呼の時代の船は、基本的には木をくり抜いた丸木舟の両側や前後を覆っただけの構造で、帆はなく、櫂やオールを漕いで進んでいました。海に出るにはかなりの危険をともないましたが、それでも船首と船尾を高くするなどの工夫をして、大陸へと漕ぎ出していったのです。

 「卑弥呼の時代」と出土物の時代比定は、大変不確実と見えます。全て、後世産物でしょう。
 埴輪の土器造形と線刻画は、制作者の主観、再現精度が不明で、担当研究者の推定の確かさも不明です。無根拠に等しい憶測です。
 現代の工業化社会で確定している「機械製図」の規則に従っている「図面」以外の図形情報「イメージ」は、芸術的表現であって、一切、工学的な史料と解釈してはならないというのが、「サイエンス」の大原則と思いますが、考古學のHistorical Scienceは、図形の見かけの印象を絶対視するらしく、困ったものです。まして、孤証を孤証として限定的に評価することもないのです。まことに、非科学的です。

                               未完

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 「逆転の発想」から見えてくる邪馬台国  播田 安弘
日本史サイエンス〈弐〉邪馬台国、秀吉の朝鮮出兵、日本海海戦の謎を解く 講談社 ブルーバックス

*承前
 「海に出るにはかなりの危険」と乱調で、一見して不出来な船が濫造される筈はありません。近畿地方遺物の船が玄界灘に居たとは思えません。瀬戸内の船は海峡を越えないのが氏の所見のようですが、乱文です。

現代人による実験航海
(1)野性号プロジェクト
 実験航海と方向が逆です。筑紫を発して対馬海峡を乗り越えた後、半島南岸を西に行き、西岸を北に上って、実験航海としたのです。
 冒険としての評価が、的外れではないでしょうか。先駆者の偉業に対しては、部分的な失敗は失敗として、全体的な「総括」を贈るべきでしょう。
(2)なみはやプロジェクト
 大阪から韓国の釜山まで約700kmの航海実験を計画。
 単なる「計画」倒れだったのでしょうか。意味不明の参照です。
(3)山陰の丸木舟プロジェクト
 釜山から対馬海峡横断に挑戦。
 対馬海峡北岸の韓国に、丸木刳舟しかなかったとは、独善です。
(4)「海王」実験航海
 しかし技術面から評価すると、船の知識があまりない人がほとんどで、埴輪や線刻画を見たままで……建造した例も多いようです。
 「冒険」の目的は経常的経路の検証であり、無理矢理押し通す冒険ではありません。先人が、熱意だけで、無謀無知と決め付けるのは、失礼です。
 本件は、明らかに瀬戸内海の各地寄港であり、対馬海峡越えでなく日本海漂流でもありません。見当違いです。

 四例を「多い」とは不審です。これは「サイエンス」ではありません。

 綿密な検証……を行わなかったために、……問題が山積してしまいました。現代人がつくった船でさえ、そうだったのです。

 無知な現代人は失敗できても、当時、失敗即難破沈没です。不勉強な後世人に古代人を貶める権利はありません。現代に木造船船大工は存在しません。それにしても、先人の偉業を貶めて、何がうれしいのでしょうか。

航海には「生贄」を乗せていた
 卑弥呼の時代にも、成功と失敗が……積み重ねられていき、ついには大陸への航海が可能になったのでしょう……「持衰(じさい)」とする習慣があったことが『魏志倭人伝』に記されています。

 意味不明です。「持衰」は、航海に先立って血祭りで献げられる「生贄」ではありません。

 持衰は航海のあいだ……謹慎させられ……航海が無事に終われば、褒美を与えられます。……失敗すれば、……生贄として殺されるのです。

 どうも、深刻な誤解があるようですが、持衰は、強制的に謹慎させられているのではなく、聖職者として、身を慎んでいるのです。
 それにしても、話題は、卑近な半島渡海でなく、正体不明の中国直行の話です。要は、風聞ですらなく、信ずるに足りないホラ話の可能性が濃厚です。対馬から半島は、ほんの半日の渡し舟であり大層な神頼みはいりません。渡し舟に持衰の小屋を乗せたら、客の乗る場所がありません。つじつまが合わないことばかりですが、この記事は、そういう位置付けで書かれているのです。

 毎度の訂正ですが、当時「航海」という言葉はありません。ちゃんと、史料原文に密着した解釈から出発すべきです。もっとも、難破すれば命を落とすのは、別に、古代だけではありません。

 それでも卑弥呼は大陸に船を出しつづけました。リスクを冒してもやらなければならないという強い意志を感じざるをえません。

 新造船して養成した乗員を乗せ、それが、次々海のモズク、ならぬ藻屑になっても、平然とチャレンジを続けるとは、あり得ないことです。神がかりの君主が失態を重ねれば、更迭、馘首が鉄則です。もっとも、卑弥呼は、そうした独裁君主などではなかったのですから。話全体が見当違いです。そんな途方もないホラ話は、倭人伝のどこにも書かれていません。史料無視も、ほどほどにしてほしいものです。

 現代人が、神がかりも無しに、二千年前のレジェンドの「意志」を感じ取るとは不可解です。もちろん、当時「リスク」などという言葉はありませんでした。全体として、まことに時代錯誤です。
 但し、いくらとんでもないことを書いても、馘首、生贄にはならないので、卑弥呼ボラ話著者稼業は、気楽なものでしょう。
                                未完

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 新刊書紹介「逆転の発想」から見えてくる邪馬台国  播田 安弘
日本史サイエンス〈弐〉邪馬台国、秀吉の朝鮮出兵、日本海海戦の謎を解く 講談社 ブルーバックス

*承前
 半島の鉄は、制約無しに入手できたと、魏志東夷伝に書かれています。

 当時、糸魚川(現在の新潟県)では宝石の翡翠(ひすい)が豊富に産出し、これを加工した「勾玉」(まがたま)は、装飾品として権力者に珍重されていました。……卑弥呼は日本の特産品である翡翠を朝鮮半島に輸出し、かわりに鉄を輸入して国づくりを進めたのです。

 翡翠は、普通言う「宝石」ではありません。「豊富」に産出した証拠もありません。翡翠加工は技術の問題でなく、工具と労力の問題です。翡翠加工の文化と言いますが、文字のないところに文化はありません。単に、工人集団の確立した加工技術です。

 「日本人」と、時代錯誤の失言です。当時、「日本」は無いから「日本人」もありません。半島南半の三韓諸国には、統一国家がありませんから、「輸出」は不可能で、当然、鉄の「輸入」も不可能です。カネで買えないのだから、そういうしかないのです。ホラは出放題でしょうか。

 中国では、秦始皇帝の制定した統一通貨、銅銭が豊富に流通していたから、銭を運べば距離を隔てた代金決済は可能でした。耕作を許可された農地から得られた収穫の「納税」は、穀物を納めるのではなく、銭で収めていたので、広大な全土から厖大な銭が集まっていたのです。
 銭がない倭では、穀物現物の納入ですから、牛馬の荷役ができないのと相俟って、広域の収税は絶対に不可能だったのです。
 そうした状勢は、倭人伝に適確に記録されていて、魏帝どころか、帯方郡太守も、倭から大量の収税はできないと教育されていたのです。
 ところが、後世人は、それらの情報を全て無視して巨大な国家を想定し、まことに病膏肓の感じです。

対馬海峡の横断は至難の業
 対馬海流の速さです。筆者は、前著『日本史サイエンス』において、……、対馬海峡の横断をシミュレートしています。図略
 対馬海流は1.5~2ノットの速さで北上しています。……対馬海峡を横断するには、海流の約2倍の船速が必要……です。……実験航海が失敗したのは、こうしたことが計画に十分には組み込まれていなかったからです。
 古代の船で……、対馬海峡を横断……至難の業で……す。

 先人の海流無知は氏の思い込みで、要するに、根拠の無い言いがかりです。
 野性号の「敗因」は、船体過重と見えます。船体の大事を取って船板を厚くしたのでしょう。古代、難所は難所向け構造とし、それ以外は身軽のはずですが、現代人は無思慮です。「半島半周航」という見当違いの行路設定も、敗因に寄与しています。
 三世紀当時、帯方郡から狗邪までは街道/官道が整っていて、道中、道の「駅」が完備し、公的な用途では街道/官道を、騎馬や車輌で往き来する「規則」だったのです。
 遠回りで延着必至、まして、確実な危険が待ち構えているとわかっている違法な経路を、なぜ通ると信じ込んでいるのか、まことに不可解です。公的な往来は、冒険などしないのに決まっているのです。

出雲大社が絶好の目印に
 卑弥呼の船が……釜山を出航して、……対馬海峡を横断し、……対馬海流の流れにまかせる……と船は、山陰に着きます。……天気がよければ……三瓶山が見え、浜田沖では……大山が見えます。

 天気が良くても、雲がなくても水平線付近が霞めば、悪い天気です。
 さらに、そのまま陸伝いに海路を行けば、出雲の方向に高い塔が見えてきます。……海からは絶好の目印となり、出雲まで容易にたどりつく……でしょう。……海からの目印として建てられた可能性もあります。

 「陸伝い」とは陸上を行くことであるから、「海路」は、そういう陸上の「路」なのでしょう。色々。誤解が蔓延っていて、一々訂正もできないのです。
 賑々しく書かれている「塔」は、氏の白日夢にすぎず、何の根拠にもなりません。「確実」「絶好」「容易」と子供じみた言葉と相俟って、「サイエンス」とは言えない夢物語です。一度、顔を洗って出直すべきでしょう。

カルマン渦が導いてくれる
 流れの中に円筒形の障害物を置くと、下流に「カルマン渦」ができ……ます。……対馬からブイを流して、その軌跡を見ると、朝鮮半島東側から下っているリマン海流が、朝鮮半島突端の半円形に影響されて、大きな渦が生じ……この渦に巻き込まれ……れば、約50日でブイは山陰沖に漂着します。
 対馬から流したブイの軌跡(『日本史サイエンス〈弍〉』より)  図略

                                未完

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 新刊書紹介「逆転の発想」から見えてくる邪馬台国  播田 安弘
日本史サイエンス〈弐〉邪馬台国、秀吉の朝鮮出兵、日本海海戦の謎を解く 講談社 ブルーバックス

*承前
 海流が激しいのに、霞の果てに向けて漕ぐなど無謀の極みです。図示海流が三世紀に存在した保証はないというのが、「サイエンス」です。
 それにしても、五十日経て漂着すらなら、餓死者の山です。

*不思議な「視点」幻想
邪馬台国の場所を考えるためにも欠かせない視点
 すなわち朝鮮半島から日本に帰るには、……山陰をめざすほうがはるかに楽で、自然に到着することができるのです。……実際に、古代にはこうした山陰沖から日本海を通る「翡翠の道」「鉄の道」というべき交易路があったと考えられています(図「交易路[翡翠の道][鉄の道]」)。図略

 「邪馬台国の場所を考えるためにも欠かせない」の断言ですが、他にどう活用するのか、不思議です。どこが楽で自然か、意味不明です。
 当時、誰も地域全貌を知らず、遠めがねも羅針盤もなく、水や食料もなく、風雨を読めず、どこから、このような仕掛けを見出したか不明です。試行錯誤の果てと言うが、「錯誤」で関係者が死に絶えれば航法確立はありません。
 丹後半島への旅も絶対否定はしませんが、早晩、徒死でしょう。家長が旅で死ねば家族は餓死し船主は破産します。古代人も命は惜しかったのです。
 氏が一顧だにしない九州狗邪往復は、目視可能な対岸との渡海往来で手軽で確実であり、滅多に難破しません。快適で楽な経路が、健全で自然です。
 中国地方北岸の沖合を、寄港しながら、北九州、そして、壱岐、対馬、狗邪に至る交易は「あり得た」ろうが、交易の要諦は、仕入れした物を手早く、仕入れより高く売ることであり、産地は、買い叩かれる定めなのです。
 壱岐は、一大國として、海上交易の中心でしたが、半島交易成長で対馬に権益を奪われたと見えます。対馬は、狗邪に倭館倉庫と船溜まりを有し、飛び地の周辺農地で食料と水を得た倭地としたのは、自然の成り行きです。

*迷走の果て、続く瞑想
交易路[翡翠の道][鉄の道](『日本史サイエンス〈弐〉』より
 つまり、対馬海流は古代の航海にとって、……利用価値の高い海流だったと思われ……邪馬台国……を考えるうえでも、……重要……と思うのです。

 「非常に利用価値の高い海流」とは、意味不明です。「この海流が果たしていた役割はかなり大きかった」と言っても、何が「かなり」なのか。毎度、非科学的で不明史料な言い回しでのらくらしていて、回答のしようがありません。凡人に理解できる平易・明解な言葉で書いて欲しいものです。
 海流は、両方向の下り坂ではありませんから、順行時に尻押しされても、遡行時に莫大な労力を伴うのが自然の理、ただ乗りはできないのです。皇帝は、往還して、ようやく総評できるのです。

◯まとめ~率直な苦言
 粗製される今どきの「新書」ならともかく、伝統と権威のある老舗、講談社ブルーブックスに求められる基準は、相応に高いのです。
 折角のご紹介ですが、本稿で呈示されたホラ話は、仮説論証を必須とする「サイエンス」原則に背いていて、氏の新奇な「視点」による夢想談に過ぎず、編集段階で是正されて然るべきです。

 因みに、純粋史学の「視点」からすると、所詮、「邪馬臺国」は、范曄「後漢書」東夷列伝倭条独自の名付けであり、その原史料で、正体が不明なのに、肝心の史料を放念して、トンデモ本ばりに憶測を重ねて、大倭王居処の所在地を推定するのは、率直なところ時間の無駄です。
 この難詰は、つけるクスリがない類いのものなので、言いっぱなしの捨て台詞にしておきます。
 
                                以上

2022年6月25日 (土)

新・私の本棚 長野 正孝 【古代史の謎は「海路」/「鉄」で解ける】総括

 二書通観~乱文乱論の饗宴               2022/06/25

◯はじめに~最初の躓き石
 長野氏には俗説に右顧左眄しない卓見も散見されるが、尊大断言しても「数打ちゃ当たる」では、信用は戻らない。要は、氏の史料考察は、地べたで史料を嘗めているものには、「飛行機雲」である。
 私見では、二千年前の文書を読解できないのは、言葉が通じず世界像が霞んでいるからで、数百㍍先の光景と同様、想像するのでなく、現物、現場に肉薄して、健全な理性で理解するしかない。それが、Historical Scienceの宿命であると信ずる。

*幻の学芸員発言
 「鉄」132ページの五.六の論理は氏自身の調査でなく、『別人が三丸「学芸員」から得た伝聞で、本来証拠にならない』。「学芸員」ご当人には迷惑だろうが、氏が論拠としたのでやり玉に上げた。ご不満は長野氏にお願いしたい。
 長野氏の古代史知識で古代文書が理解できないのはしかたないが、まずは、専門家たるべき「学芸員」の考え違いは、もったいないと言わざるを得ない。
 一方、氏は「学芸員 」の発言を「誰か」(人名は書かれているが)人づてに聞いて、つまり、伝聞の風聞で納得しているのだが、それでは、伝えた「誰か」の意見に基づいて判断しているのであり、史学の原則に外れた邪道と言わざるを得ない。いわば、上空から見おろして、低空の報告者の意見を、途中の中継者の意見として聞いているのだが、それぞれ、空中を気ままに浮遊しているだけで、肝心の地上の実相は、まるで伝わっていないのである。
 これは、個別の意見がどうこう言う問題ではない。史実認識の問題でも無い。氏は、「空論」を弄んでいるだけなのに、もっともらしく学問めかして売り出して、読者の資金を貪っているのである。

 話を元に戻すと、「学芸員」は、当該遺跡に関して、当然、世界最高の学識を有するが、古文書門外漢、素人である。当該遺跡に存在しない古文書に関して、「わからない」と言わずに、錯誤を語るのは誤解拡大である。匿名だし、何しろ、あやふやな伝聞なので、ご当人に告発の手が及ぶことはないだろうが、何とか、再発防止して欲しいものである。

 正論に戻ると、古代中国で「生口」は「奴婢」と異なった環境・事物に使用され、どちらかというと、特殊な用語なので、一定の意味で使用されていない可能性が高い。一方、「奴隷」は、ありふれた、日常的な事柄であり、これらを同列に扱うのは、無学・無謀である。
 言葉が違うのは意味が違うからで、断じて同義語ではない。不勉強そのものである。

*誤謬の発生~「奴隷」史観の病根
 長野氏の誤謬は、「生口」、「奴婢」なる古代語を、現代語めいた「奴隷」と同義と断言していることである。不勉強というしかない。
 当方は素人で一般論しか申し上げられないが、ここで言う「奴隷」は、恐らく、文明開化以後に、本来、中東以西の世界の社会制度で馴染まれていた到来「外来語」が、古代中国の「奴隷」を上塗りしたと見え、これでは、到底、三世紀倭人伝の社会制度に適用できないと見る。良く言う、時代錯誤である。
 三世紀依然から中国に奴隷制度は普通であったが、倭人伝では、「生口」と「奴婢」は、「奴隷」と同義語扱いはされていない。長野氏は、忌避しているようだが、古代史解釈で不可欠な正史解釈には、精緻な論理が求められる。

 そもそも、「奴婢」は、身分の低い雑用係であって、「奴隷」ではないのが常識と思われる。倭人伝が説明しないのは、当時通り相場だったからに違いない。
 氏が一顧だにしない、同時代、ないしは、前代の史書によれば、「奴」「婢」は、それぞれ、男女使用人と見えるが、ここでは、それ以上追求しない。

 是正しなければならないのは、氏の思考を曇らせる「奴隷」史観であるが、その根底は、史実追求の際に、二千年以前の史実に直裁に迫るのでなく、遥か後世から「高みの見物」、「飛行機雲」の時代錯誤を決め込んだことにある。

*最終判断~治癒されない誤謬
 長野氏の誤解の起源は、歴史科学の原則を無視し我流を進むことにある。
 但し、「学芸員」事件でわかるように、そのような誤解は、多くの論者、諸兄姉に共有され、それぞれ確信して論じているから、素人の差し出口で動じまい。

*率直な結論
 長野氏が、かくのごとく不適正な世界観、歴史観を抱いていることは、氏の著作の批判で明らかと思うが、氏自身は、その史観を正当と見て、現代所感を貫くので、氏の著作は、首尾一貫して誤謬の森を進み、所論は根拠を持てず、必然的に信用できないことになる。
 これが最終判断である。

 もちろん、各読者諸兄姉が、氏の著書を全て確認した上で、氏の所論を全面的に支持するとしても、それは、本論と別の話である。

                                                      以上

2022年6月21日 (火)

新・私の本棚 長野 正孝 古代史の謎は「鉄」で解ける  1/11 改訂版

 『前方後円墳や「倭国大乱」の実像』 PHP新書 2015/10/30
私の見立て ★★☆☆☆ 傷だらけの野心作   2017/12/15 追記公開 2020/07/09 2022/06/21

*はじめに
 前書で、先頭からのダメ出しで力尽きたので、今回は冒頭と末尾で、集中的にダメ出しすることにしました。先ずは、冒頭部分で、著者の書きぶりと言葉遣いになじもうとしましたが、期待を裏切られて困りました。

*飛躍した進行
 通常、まずは、不吉にもタイトルで提示された『前方後円墳や「倭国大乱」』の解釈に触れて、読者自身の言葉遣いや歴史観になじませるものですが、それは端折られ、もやの中を引き回されている感じです。

 ついでながら、「実像」は誰かが見た外面であり、特に珍重すべきものでないと思います。「実像」を検証しようにも、墳墓の外観は見ることができても抽象概念である「倭国大乱」の外観は、「実像」も「虚像」も、どのようにしたら見ることができるのか不明です。空疎な大言壮語は控えたいものです。

*考古学の悪用
 また、これも珍しくありませんが、考古学上の編年を、自己流で西暦年代に結びつけ、以後、暦年で書くということのようです。それは、著者の都合であって学界の本意ではないのですが、考古学成果は、一部を援用するだけで、背景の考察不足にお構いなしです。かくして、不確定な根拠を読者に知らせずして、延々と独演会が展開されます。
 全書の方針を明示しているという点ではいさぎよいかも知れありませんが、自分の所見を押しつけると宣言されては、読者も困惑するのです。

*行方不明
 漢武帝の朝鮮侵攻談義で、自身の言葉で事態を語りつつ、司馬遷「史記」を援用しますが、語られている根拠が不明です。前提として、「西方の匈奴」と言いきっていますが、普通は北方です。九十度方位感覚がずれている乱文です。

*帆船綺譚
 西域から匈奴排除の結果、西方交易が通じ、帆船技術が入ったと言うために方位を曲げたようです。実際は、どこからの新技術なのか。通常、帆船は南海起源と見えますが、なぜ、頭から否定するのか不明です。また、中原には、海がなく、河水の水運は頻発する氾濫の影響で限られていた時代に、なぜ、帆船技術が珍重されたか、意図不明です。「南船北馬」と言い慣わされているように、帆船が必要なのは、長江、漢水の話です。

  また、中国文明が、西域からの文物の恩恵を受けていたのは、商(殷)代の戦車車輪車幅の技術導入の例もあって、別に目新しいものではありません。ついでに言うと、漢代の匈奴の猛威は、結構新しい現象で、秦代以前、北方は、後に月氏と呼ばれた部族が栄えていて、匈奴は、下っ端にすぎなかったのです。

 これほど異質な技術が、帆船を必要としない漢都長安に届いて、それが、瞬く間に伝達し、山東に帆船造船が起こったと言うようですが、せいぜい数名と思われる異国の技術者が多少の資料を持参したとは言え、言葉も働きぶりも異なる異境の地に、斬新な造船業を確立するのに、どれほどの期間がかかるのか、考慮していないようです。漢都長安は、海を遠く離れた陸封の池で、海船など想像もしたことのない人々の世界なのです。
 そして、山東半島は、春秋戦国の大国齊の故地であり、経済力から見て、齊の勢力が、自力で西域技術を導入したと見る方が、随分合理的です。

 正直、帆船の造船技術が導入され、最初の一隻が進水するのに十五年、船台を並べて複数の帆船を並行して造船できるようになるのに、更に十五年と見て、最初の一隻で操船を修行したとしても、大挙水軍を進められるのには、大概三十年はかかると見られるのです。途中で、技術者も、治世者も代替わりしていることでしょう。そして、戦国時代、南海で帆船は、既に繁栄していたと見えるのです。そんな悠長なことではなく、とうに、定着していた技術と見えるのです。

 大規模な技術の移管/習得には、大変な時間/年数がかかるので、ずいぶん太古から、帆船は到来していたはずです。

                               未完

新・私の本棚 長野 正孝 古代史の謎は「鉄」で解ける  2/11 改訂版

 『前方後円墳や「倭国大乱」の実像』 PHP新書 2015/10/30
私の見立て ★★☆☆☆ 傷だらけの野心作   2017/12/15 追記公開 2020/07/09 2022/06/21

*時間要素
 時間要素は、当方の推定ですが複雑高度な新技術の定着には、人の育成が必須なので大変な人数、年数がかかると見ます。造船業確立は、多様な材料をどこに求めるかに始まり安全航行までの技術を全て確立し、初めて、帆船艦隊で兵士、馬匹、物資を運搬できるのです。
 端的に言って、氏の提言は、不出来な画餅と思います。そのような画期的事項が、何の記録も遺さずに消え失せるものではないのです。

*武帝の心奥
 この部分で驚くのは、『「武帝は鉄を得るため侵攻した」と司馬遷は書いていない』なる発言です。司馬遷は知っていたが書かなかったとは、とんでもない言いがかりです。書いたことを論評されるのならともかく、武帝の実力行使で、意に反して削除された「武帝紀」を、サカナにこき下ろされては、たまったものではないのです。

*異例の人物描写
 事のついでに、著者の渾身の武帝像が描かれます。武帝は、前に机を置いて、はかりごとを巡らしたと言いますが、戦略参謀はいなかったのでしょうか。架空人格「武帝」の意見や欲望が描かれますが、根拠史料はあるのでしょうか。
 武帝が、「勝っても領土も資源も得られない」匈奴との対決で、北方から西北方に広がる長大な戦線に大兵力と巨額の財を投じたことや匈奴に勝つために西方に駿馬を求めたことは、正史で確認できますが、ここで著者の説くような趣旨で朝鮮侵攻を画策・実行したことは、示唆すらないように思います。まことに乱文の極みです。
 ちなみに、武帝以前、国家は、全国からの税収が巨額で、税として納入された大量の銅銭の保管に苦労していたほどですが、武帝知性の途中でも税収が枯渇し、本来、皇帝の私財であった塩鉄専売の国庫移管などの財政改革を余儀なくされたのです。つまり、匈奴討伐のかなりの部分は、武帝の私財で賄われたと見えます。

*鉄資源の幻想
 著者は、半島鉄資源を絶大と武帝が判断したと見ているようですが、朝鮮産鉄は、小規模にすぎず、武帝の関心外だったのです。実際、朝鮮各地に郡を置いたとの記事を真に受けるとして、各郡は、所領から必要な税収を得ることができず、太守の高額の粟(給与)を賄うのに苦しみ、まして、軍兵を維持することもできず、早々に撤収したのです。
 はるか後世の魏志韓伝は、当時、弁辰で「鉄が取れたので、周辺の民族集団がやって来て、鉄を持ち帰っていた。楽浪、帯方郡にも、鉄は届けられていた」と簡単に書くだけで、そのような物々しい状態は一切窺うことができないのです。つまり、帯方郡の財政を支えるのに、遥かに及ばないものだったの、郡は手を出さなかったのです。
 帯方郡は、当然の貢納として産鉄を受け取っていただけであり、郡の鉱山として管理はしていても、所詮は小事として、各集団の取り分は、放置していたのです。早い話が、所定の産鉄を送り届けていれば、お下がりで、鉄を持ち帰るのは、黙認していたのです。規制しようと思えば、軍兵と官吏を常駐させる必要があり、それは、とても賄いきれなかったのです。言うまでもないのですが、郡は、魏制で銅銭を流通していたので、鉄材を通貨扱いする必要はなかったのです。

*脳内世界の成り行き
 以上、著者の脳内には、物々しい歴史ドラマが創作され、独自の世界が、堅固に構築され、脳内では脳内なりに、主観的に辻褄が合っているのでしょうが、史料にその根拠を求めても無駄でしょう。
 かくて、読者は、著者の口説に翻弄されて、話の筋道を捉えられないまま、物語終章に倒れ込むのです。

                               未完

新・私の本棚 長野 正孝 古代史の謎は「鉄」で解ける  3/11  改訂版

 『前方後円墳や「倭国大乱」の実像』 PHP新書 2015/10/30
私の見立て ★★☆☆☆ 傷だらけの野心作   2017/12/15 追記公開 2020/07/09 2022/06/21

*夢幻の余言
 事のついでに、「この戦争以降、中国は周辺諸国にとって常に侵略を行う恐ろしい国となり、それは現在のウイグルや南沙諸島でも続いています。」と書き飛ばしていますが、本書の論考と関係ないゴミで乱文です。中国にしたら、「日本」から言われたくないことでしょう。少なくとも、中国の大局観からすると、それぞれ、実績のある所領の確保/回復であり、他国を侵略攻撃しているものではいと言うはずです。それが正しいかどうかと、押し問答するのは、圏外としたいものです。

 以来二千年間の「中国」は、時に統一王朝に支配され、時に、諸国分立し、時には、異民族が異なった世界観を持ち込み、一息に語れるものでなく、その時々の支配者がどう考えたか、著者の知ったことではないと思うのです。
 おそらく、巨大な超時代知性体と化した著者の脳内には、「中国」という一つの人格を持った「鬼」が棲息し、「恐ろしい」怪物と見えているのでしょうが、それは、読者の知ったことではないのです。

 この手のゴミ見解は、著者だけでなく、多くの「古代史」論者に共通の宿痾ですが、くれぐれも、世間に蔓延させないで欲しいものです。

*無法な紹介
 最後に、とどめを刺すように、「東アジアの古代鉄研究の第一人者である愛媛大学」の研究者が、肩書きも、学位も、参照先も示さないまま引き合いに出されていますが、これは、愛媛大学に対して非礼、非常識で、この部分の論考の締めとして無効です。とにかく、お粗末な乱文です。(注記はないし、巻末参照文献にも見当たらないように見えます)
 国立大学である愛媛大学に対して、「東アジアの古代鉄研究の第一人者」などと勝手に権威付けして、勝手に同意を求めていますが、そのような第一人者は、著者の幻想の産物です。

*陥穽連鎖
 以上のように、冒頭に近いこの部分に、著者の論考の問題点が軒並み露呈しています。これらは、躓き石などとしゃれのめせる程度ではなく、底なしの陥穽となっているようです。人によっては、取り返しの付かない、地雷並みの破壊力となるかも知れないのです。怖れるべきは、乱文です。

*一旦の結論
 本書は、新書であるからには、読者に罠を仕掛けるのではなく、地ならしした王道を用意して欲しいものです。
 特に、出版社で内容を吟味されて、信用のおけるはずの商用出版物に、史料に根拠のない憶測・所見が横行しているのは、独学の参考資料として、まことに剣呑です。

 このような多数の問題点を持つ書籍であることを知った上で、以下読み進むかどうかは、読者の自由です。ここに書いているから、正統な論考とは言い切れない、との理解と言うか覚悟が必要です。

                               未完

新・私の本棚 長野 正孝 古代史の謎は「鉄」で解ける  4/11 改訂版

 『前方後円墳や「倭国大乱」の実像』 PHP新書 2015/10/30
私の見立て ★★☆☆☆ 傷だらけの野心作   2017/12/15 追記公開 2020/07/09

*読み飛ばしの弁
 途中の膨大な論述は、ここまでの「味見」からして、大勢として信頼できないものと見られるし、一々批判しては、諸兄姉の読書の楽しみを盗むので、路なき地帯は端折って末尾に飛びます。

◯掉尾の観察
 ここからは、原文と当方の意見を並記するので、どこがどうだめと見られたか見て取って頂ければ幸いです。

 言うまでもないでしょうが、以下のダメ出しの視点に権威がある訳でないし、商用出版物を排斥する論議でもないので、軽いものと考えていただければ幸いです。要は、当方のひけらかしのダシにしているのです。

八•九「邪馬臺国論争」――もう神学論争はやめよう
 小見出しが、意味不明です。「神学論争」の比喩の典拠が何であって、どうして、真剣な史学「論争」が、そこまで揶揄されるのか解き明かされないのです。これは、文章作法のイロハを知らない、ド素人の書き方です。乱文は、文章を書いて金を獲るものの業ではないのです。

「邪馬臺国はどこか?」。『日本書紀』には、卑弥呼を神功皇后に比定する記述が存在します。『日本書紀』の神功皇后摂政三九年の条に「是年、魏志にいわく、明帝の景初二年の六月、倭の女王、大夫難升米等を遣わして、郡に詣りて、天子に詣らむ……」とあります。

 衆知の書紀記事を「誤引用」するのはどういう意味か、理解困難です。信じられないという言葉通りです。書紀の記事は、明帝景初三年と書いていて、それは、中国史書の原則を外れているので、原史料「倭人伝」の正確な引用ではない。と言うのが、学術的な判定なのです。著者は、それを知らないとしても、書紀を確認すれば、容易にわかることです。

 私見ですが、倭国遣使の帯方郡参上が、景初二年六月では、畿内説の根底が崩れるので、この不確かな後世資料を根拠に、倭人伝原記事は景初三年であった証拠と言い立てているのです。
 いわば命がけの必争論点で誤引用とは、著者の権威も何もかも喪失です。

*盗まれた批判
 引き続く書紀記事の背景として、景初三年元旦に、皇帝曹叡が夭逝して明帝と諡され、少帝曹芳(斉王)が当日直ちに即位し、但し、改元はその翌年年頭であり、景初四年となるはずだった年が、新帝の正始元年となったのです。そのため、景初三年は、皇帝の冠の付けられないただの「景初三年」と表記されるのです。

 よって、「明帝景初三年」は、先帝に対しても新帝に対しても、不敬極まりないので、史官は、絶対書かないし、従って、陳寿も、三国志魏書に、絶対に書かないのです。従って、魏志引用で「明帝景初三年」とは、空耳ならぬ錯視です。
 つまり、書紀が「魏志云」と書いても、「明帝景初三年」記事は、疑問の余地なく魏志の正当な引用でなくて今日風フェイク記事であり、史料としての書紀不信の否定しがたい根拠です。
 それが、氏によって、「明帝景初二年」と改訂/改竄されていては、ダメ出しができず、不満たらたらなのです。

                               未完

新・私の本棚 長野 正孝 古代史の謎は「鉄」で解ける  5/11 改訂版

 『前方後円墳や「倭国大乱」の実像』 PHP新書 2015/10/30
私の見立て ★★☆☆☆ 傷だらけの野心作   2017/12/15 追記公開 2020/07/09 2022/06/21

◯掉尾の観察 承前
 この文章は明らかにトリックです。ここでわざわざ卑弥呼と書かないで「倭の女王」とし、「卑弥呼は神功皇后である」と宣言しています。
 いや、ここで壹與遣使も「倭の女王」なので、単純に女王「宣言」できず、仕方なく改竄演出したのでしょう。書紀編纂者の苦肉策を察すべきです。
 「この文章」=「トリック」とは、時代・概念錯誤のダブルトリックです。カタカナ言葉では「フェイク」ですが、時代錯誤で意味の定着していないカタカナ語は、真剣な議論には避けたいものです。総じて乱文です。

 舎人親王の邪馬臺国をヤマトにしたいという意図が見え透いています。
 書いたご当人には、目前に赤々と輝くイメージが見え透いているとしても、読者には何のことか理解できないのです。この語順では、舎人親王が邪馬臺国の男王と取れます。明解に書く努力は怠るべきではないのです。また、一個人が、実在しなかった「邪馬臺国」を湯的に変身させるなど、とても、できないでしょう。かくなくとも、後世人が見透かせる「意図」とは、不可解です。

 卑弥呼は日本海ならば航海安全のシャーマン、ヤマトならば鏡の祈禱師でしょう。ですが、ヤマトの鏡の時代は一〇〇年ほどでブームは終わっています。
 古代に「ブーム」とは、時代錯誤で場違いで滑稽です。ヤマト(ここまでは、維持されている)の鏡の時代が、いつまでなのか、なぜ年代固定できるのか不明です。それにしても、卑弥呼=日本海とは、とんでもない乱文です。卑弥呼が化体すべき聖職も、根拠不明の妄想図と見えます。

 そうしたことから見ても卑弥呼は、西日本の海洋都市国家の共通の利益である「鉄の安全輸送」に貢献した巫女(シャーマン)であると考えています。
 「そうしたこと」とは、対象不明であり、安易な括りです。「西日本の海洋都市国家の共通の利益である「鉄の安全輸送」に貢献」とは、ひと息で言えない巨大概念ですが、どうしてそう言わないと気が済まないのでしょうか。

 巫女(シャーマン)と、ここで言い換えたのは文意錯乱のもとで、不適切でしょう。卑弥呼は、「シャーマン」など知らなかったから、勝手な枠はめで迷惑だし、輸送安全に「貢献」とは、供物を差し出した意味か、とにかく用語が混乱しています。先ほど、シャーマン=祈禱師と明記しているのを、コトンと失念されたようです。

 天気と航海安全の祈禱、働いている場所は渡海すべき対馬海峡付近の日本海だったでしょう。その時代、航海安全の祈禱は国家事業です。
 卑弥呼は、現在形で、日本海の海の中で働く巫女なのでしょうか。(玄界灘や対馬海峡は、日本海と言い切れないのですが、付近はどのあたりまでか)それにしても、「祈禱、働いている」場所とは、意味の錯乱です。

 毎度のダメ出しですが、当時、「国家」はなかったのです。「渡海すべき」と言い切っていますが、なぜ、卑弥呼が渡海しなければならないのか不審です。総じて、結論部にしては、大いに乱文です。

                               未完

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